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「いや、なんだろうね。キミって意外と愛されキャラなんじゃないの?」
目元の涙を拭きつつ、十子は言った。……泣くほど面白かったのか?
「どう? ちょっとはモヤモヤが晴れた?」
「微妙です」
え~? そうなの? と口を尖らせてはいるが、目はずっと優しく瞬いている。
葉子としては、かなり気が楽にはなっていたのだが、なんとなく悔しいので言わなかった。
「う~ん、しょうがない。では、キミの貴重な時間を使わせてしまったことへの心からのお詫びだ。受け取ってくれたまえ」
冗談めかして言い、味も素っ気もない大き目の茶色封筒を葉子に手渡した。
頼んでいたものとしてはサイズが少し変だな、と思いつつ中を確認すると7~8インチくらいの携帯タブレット端末が入っている。
「頼まれたモノはその中に入ってる。返さなくていいよ。ただ、データを二度と取り出せないように念入りに壊して処分しといて」
まっすぐ見つめ返してきた葉子に対し、ニコッと笑い
「長尾伊都に見せるのが目的なんでしょ? そっちのほうが色々都合が良いかと思って。あ、言うまでもないけど、データは絶対コピーしないでね? 用が終わったら処分だよ。そういう約束なんだから」
「お気遣い、ありがとうございます」
葉子は深々と頭を下げた。……なんという行き届いた心配りだろう。もちろん自身の保身についても考えた末のことだろうが、確かにこの形が一番手間がかからない。
いや、保身云々は余計なことか。それをいうなら、そもそもこんなお願いは、はねつけてしまえばよいのだ。
「フフフ。僕が頼れるおねえさんだって、だんだんわかってきたかな?」
「いや、それは最初からわかってます」
努めて素っ気なく振る舞う。我ながら少し子供っぽい。
「なっまいきだね~! こやつめ、どうしてくれよう」
十子は葉子の帽子のポンポンの部分を摘まんで、グリグリ動かした。
「やめてください! お触り禁止!」
葉子は身を捩って逃れようとする。
「しょうがない、奥の手だ。餌付けしよう」
わざとらしく言い、
「ねえ、キミああいうの好き?」
十子は、広場の片隅で店を開いているクレープ屋を指差した。
「え? ええ、まあ」
答えるより先に十子は立ち上がって歩き始める。
戸惑っている葉子に〝おいで〟と、ちょいちょい手を動かした。
「うわっ、一番高いのじゃないそれ! 遠慮がないな~!」
「い、いいじゃないですか、別に!」
特にそれを意識して選んだわけではないのだが、奢ってくれると聞いて値段を見ずに注文してしまった。
からかい口調なので、本気で咎めているわけではない……で、あろう。
軽トラックを改造したキッチンカーの前に、ちょっとしたカフェテラスのようなスペースが出来ていた。
葉子は注意深く貰ったタブレット端末を仕舞いこんで腰を下ろした。
「それ何味です?」
黄橙色の果肉が、十子の手にあるクレープ生地の間から覗いていた。
「これ? グレープフルーツ。一口ずつ交換してみる?」
「あ、いえ! あんまり好きじゃないので。……にがいのが苦手で」
「甘々が好き? フフッ、僕も昔はそうだったな」
十子は口元をニヒルに歪ませる。……どういうリアクションが正解なんだろう?
「あの、そんなに元気ないように見えます?」
ふと思い立って、確認しておこうという気になった。おそらくしばらくはこの人に会うこともないだろう。もしかしたら二度とないかもしれない、という気持ちが自然に葉子の口を動かしていた。
おそらくこの奢りも元気づけようとしてくれているのだ。
「今日まであまり話したことなかったのに、矛盾するみたいだけど」
ウーン、と唸りながら語り始めてくれた。
「普段のキミはもっと快活なんだろうな、って気はするよ」
「そういや思い出したんですよ、今日ヨネプロ出てくる時にナリナリに変なこと言われて」
「ほほう」
「なんか〝奇跡、また起こるといいね〟とかなんとか。意味わかんないんですけど、あれ多分こっちを励ましてくれようとしてるんだろうな、って今わかったような気がして」
「奇跡、ってなにそれ?」
十子はプッと吹き出し、果肉のつぶつぶが口から零れそうになった。気のせいか、ツンとした新鮮な柑橘の香りまでが辺りに振りまかれたような気もする。
「いや、私もよくわかんないんですけど、ユメノラビュリントスの〝四月二日の奇跡〟ってあるじゃないですか? 夕山真希の。なんかあれに絡めてユッキーが、そんなこと言ったらしいんですよ」
「雪枝が? 自分たちについてかな。それとも四季?」
協力を頼む上で、十子には一応事情は話せる範囲で伝えてあった。
「さあ……そこまでは。どうなんですかね? ナリナリは両方みたいなこと言ってましたけど」
ふむ、と一言漏らし、十子は残ったクレープの残骸をパクッと一口で無くしてしまった。
「奇跡ねぇ。あの娘もまだまだ甘さが抜けないんだなあ」
はてさて、と呟きながら自分の人差し指にペロッと舌を這わせる。きれいにクリームが無くなった。
「諜報部なんてやってるのにね? この世に奇跡なんて存在しない、ってキミらみたいな仕事してる人たちが一番わかるんじゃないの? ねえ?」
日が高くなってきた。穏やかな光に包まれ、目の前の人は柔和な笑みを浮かべている。
『あれっ……?』
突然、葉子の中で何かが繋がりそうになった。
そういえば。何か引っかかっていた・気になっていたことが、この事件の始まった当初からあったような気がするのだ。
いや、場合によっては、始まる前から?
はっきり意識の上にのぼっていたわけではない。本当に畳の毛羽のようなものである。
『いや、そんな、重要なことじゃないはず……ホントどうでもいいようなことで』
しかし思い出せないと不安になってくる。
少しの間放心していて葉子は今、一人ではないことを思い出した。
「あ、ごめんなさい! 今ちょっと……」
「いいよいいよ~、僕と一緒にいるより楽しいこと思い出してたんでしょ?」
「いえあのその……なんなんですか!」
猫に遊ばれているようだ。さすがに十子のタチの悪さがわかってきた。
ひとしきりケラケラと笑ったのち、一枚の紙片を渡された。何か数字が書いてある。
「これ。僕の連絡先。電話番号ね。何か落ち込んだりしたらかけておいで。タイミングがあえばまた癒してあげよう」
何か返事をする間もなく〝じゃ〟と、片手を挙げると来た時と同じように颯爽と去っていった。
……いや、良く考えてみたら来た時はどんな風に来たか知らないのだった。
『知ってるぞ。真に受けて電話したら変なとこに繋がるんだ、絶対』
手元を見てみると、そういえば自分の分のクレープはあまり減っていない。しばらくモソモソと食べていて、ふと気付いた。
「あーーーーっ!」
そうだ! おそらく今の自分の状態を十子に伝えたのは大江なりだ。〝元気づけてやってほしい〟とかなんとか言ったに違いない。
『余計なことしやがってあいつ~! 何が人物鑑定だよ!』
葉子はムシャクシャする気分を押さえつけながら、一気に奢ってもらったクレープを頬張った。




