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六ツ院雪枝は自分のデスクに腰を落ち着け、デスクトップPCの大きな画面に見入っていた。片手には事件に関する最新の情報がまとめられたレポートがある。
レポートを確認する片手間に、参考のための動画を流しておこうかと思ったのだが、ついそちらに気を取られてしまったのだ。
雪枝はハッと自分の状態に気付き、一瞬迷った。左掌の中のレポートと、画面の中の動画と。
レポートを読み上げてしまってから、ゆっくり動画を見てもいいのだが……。
雪枝はレポートを脇に置き、居住まいを正した。身体をまっすぐディスプレイに向け、デスクチェアに深く背中を預ける。一種の儀式めいた所作であるが、どうにも生真面目だ。
動画を一旦止めてフレームをモニターいっぱいに広げ、少し音量を上げる。
就業時間をとっくに過ぎており、室内――情報資料室――は静かである。
再びムービーを再生し画面に集中し始めた頃、いきなり大音量が部屋中に広がった。イヤホンの接続がPCから切られたのだ。
「ひゃあっ!」
「おおっとっとっと! 音大きいな!」
雪枝の可愛い悲鳴の後聞こえてきた声は、大江なりのものであった。雪枝は室内に一人きりだと思っていたので完全に不意を突かれた格好である。
「どっ、どうされましたか?」
雪枝は動画の音量を下げ、一時停止しながら訊ねたが、
「ほいよ」
なりはそれには答えず、紙コップに入れたホットコーヒーを雪枝に渡した。
自分の分の紙コップからも湯気が立っている。
「あの、申し訳ないのですが、仕事机で飲食はおこなわない決まりなので……」
これはSNOWだけではなく、情報資料室内でのルールである。
「いいじゃん私たちしかいないんだから。硬いこと言わないの」
言いながらなりは、他の机から椅子を引っ張ってきて雪枝の隣に並べた。
「な、何かご用でしょうか?」
「用が無きゃ来ちゃいけないの?」
顔は笑っている。ただ。
『なんだか圧が……』
色々なことがあって、少し気が引けている雪枝である。
「これってL⇆Right! の動画でしょ? 自分たちのチャンネルの。続き見ようよ」
なりは雪枝の気持ちを知ってか知らずか、けろりとした様子で促した。
「え、ええ」
雪枝はマウスを操作し、再び動画を再生し始めた。
なりの言う通りこれは、事務所とは関係なく(ということになっている)L⇆Right!が自分たちで管理しているアカウントのものである。
ただSNOWの調べによると紙魚達夫の方針で作ったアカウントで、四季真希の何気ない日常や〝踊ってみた〟〝歌ってみた〟など、短めで比較的手間がかからないムービーをアップしているところであった。
紙魚は昔、地方のコンベンションでショートフィルムの賞を取ったことがあるという話で、このアカウントの動画編集もおそらく彼であろうということだ。
「すごい。やっぱレベル高いね」
「……ですね」
返事をするのも、もどかしそうに雪枝は画面に見入っている。
なりが簡潔に表現した通り、一分にも満たない動画でも姉妹の歌唱・ダンスの実力は抜きん出ているのがわかった。
「なんつうか華があるね。なんなんだろ? もっと見たいって感じになる、この二人。オーラってやつかな?」
「はい」
「私たちが事件を追ってるから、余計そういう風に見えるのかもしれないけど」
「どうでしょう?」
一通り目を通し、雪枝は他の動画配信プラットフォームに移った。こちらだと少し長めの尺のライブ映像などもある。
ファンがアップロードしているらしきものもあった(すぐ消えるだろうが)。
「ライブになるとまたちょっと違うな……。すごいのは変わりないけど。ちょっとキャラ変えてるのかな? お客さん煽ったりして。ファナティックな感じ」
「最近のものですね。当然ですが」
雪枝は動画の説明文を確認する。
「うん。やっぱメジャーデビュー控えてるからかな? テンション高め……って、どしたの?」
なりは雪枝の様子に気付いてぎょっとした。両の瞳からつうっと涙の筋が走っているのだ。
「す、すいません!」
雪枝は慌ててハンカチで目元をぬぐったが、後から後から涙は湧いて出てしまう。
しまいには話すのもままならなくなり、咽喉は嗚咽を漏らすだけになってしまった。
「ちょっと! どうしたの? 気分悪いの?」
ただならぬものを感じたなりは、慌ててスマホを取り出し救急車を呼ぼうとする。
「大丈夫、大丈夫です。平気なので」
雪枝は相当に苦労して自分を制御しながら、今にも救急センターに繋ごうとしているなりを押し止めた。
「本当にいいのね?」
〝はい、はい〟と返事をしながら、ようやく雪枝は平静を取り戻した。息はまだ荒い。
「どうしたのよ? 何があったの?」
「いえ……少々感傷的になっていただけです」
顔を整え、雪枝は再びモニタに向き合おうとした。
「ちょっと! それで済ます気じゃないでしょうね!?」
なりは肩を掴んで揺さぶる。余程雪枝の態度を腹に据えかねているようだった。
「せ、説明が必要でしょうか?」
「当たり前でしょうが!」
「……わかりましたので」
わけを話すことを承諾させ、なりはやっと手を放す。
「未来に思いを馳せていたんです。……かつて在り得たかもしれない未来に」
「なんて?」
感傷はまだ尾を引いていたらしい。過剰に詩的な言葉はなりには通じなかった。
「彼女たちは優秀ですよね、アイドルとして」
「まあね」
「私たちよりずっと」
「えー、それはまあ……どうだろ? いや、うん。そうだね」
誰の目にも明らかなことだが、なりはそれを認めるのをちょっと迷った。




