027
「こうなっちゃうと一筋縄じゃいかねーよなあ」
葉子は弾んだ声で言い、なりにものすごい形相で睨まれた。
「でも……確かに、これは……」
マズい。既に底無し沼の端っこの方に片足を突っ込んでしまっている気がする。SNOWたちの様子をうかがい、なりはそう感じているのは自分だけではなさそうだ、と考えとりあえずほっとした。
ただ、それと同時に(認めたくないことだが)少しワクワクしている自分もいる。今は一応みなの中に、その色は認められないが心中その深くではどんなものか。
「ちょっとヤバくない? 事件の景色が全然変わっちゃうよ」
真っ先に伊予が穏やかならぬ声を上げた。こういう時は本当にありがたい。
「わりぃ。よくわかんないから私にもわかるように言ってくんないか?」
こうは言ったが、数凪は何も悪くない。本来こんな話を聞くべき人物ではないのだ。
ただ今では大江なりも、雪枝がこの場に数凪を同席させた理由がわかる。
最早こうなってしまった以上、数凪にも協力してもらわなければ始まらないだろう。
……本当にそうか?
なりは、ハッと気づきかぶりを振った。
騙されてないだろうか? 流されてないか? 常に自問を怠らないようにしなければならない。
まだ道は決まってないのだ。引き返せる。
「夕山四季さんは、おそらく私たちの『調査部』のような仕事をしていたのではないか? ということです」
やはり雪枝が代表し、簡潔に答えた。
「調査部ってその、なんだ、探偵みたいなことすんだよな?」
〝スパイ〟と言わなかったのは数凪なりに気を使ったから、かどうかは本人にしかわからない。
「んな風には見えなかったけどなー……。だいたい千代エーにそんな部署あんのかな?」
考え込んでいる数凪を、雪枝は真綿に針を密ませた視線で見守っている。
数凪の意見は当事者のものとして尊重するが、もし千代エーにそのような部署があったとして数凪が知っているかどうかは別問題だった。そして事はそれだけでは済まない。
「数凪さん、夕山四季さんがいなくなった後、千代エー内の人で……そうですね、四季さんを探そうとするような人はいませんでしたか? 熱心に。個人でなくともそのような動きとか」
「うーん、知ってる限りじゃいねーなあ……。まごまごしてる人はいっぱいいたけど。探そうとするんなら私に聞きに来ないわけないし」
数凪は割とこういうところには良く気が付く。
「大概そういうのは警察にまかすんじゃないか?」
ですよね、普通は。予定調和のように応じた後、雪枝は太い息を吐いて一瞬間を置いた。
「数凪さん。これはあくまで私的な意見で、SNOWの総体としての見解とは受け取らないで欲しいのですが、おそらく夕山四季さんと真希さんは千代エージェンシー内で何かを調査していたのではないでしょうか。……誰か外部の人か組織のために」
「えっ?」
ぼそっと言い置いて数凪はフリーズしてしまった。
徐々にその意味が呑み込めてきたらしく、眼の色が変わり目蓋を忙しく開閉させる。無理矢理脳を叩き起こそうとしているようだった。
「いや、ちょっと待て! ないない! それはない! 要するにウチでスパイやってなんか探ってたって言いたいんだろ?」
雪枝をかしらにして、みな数凪が落ち着くまで見守っている。
「だってメジャーデビュー決まってたんだぞ?! 会社のバックアップも大きかったし、社外の人もプロジェクトに入って協力体制出来てたしさ。これ言っちゃうのもなんだけど、来年の年末の結構大き目の歌謡曲の賞もほぼ内定してたんだよ! こんな状況でスパイなんかやる意味がどこにあんだよ?! お前らみたいに燻ってるんならともかく」
「年末の賞ってあの……?」
「最近は注目度が落ちてる気もしますよね」
SNOWの面々は、最後の言葉を敢えてスルーする道を取ったようだった。
「うるせー!」
雪枝は曖昧に笑いながら〝まあまあ〟とみなを宥める。
「何といいますか数凪さんの仰るような、潜入したスパイが裏切り、と言って悪ければ懐柔されてしまう、というケースはよくある話なんです。芸能界よりも、もっと大きいスケールの話ですけどね。四季真希さん、『L⇆Right!』がそうであるかどうかは私にはまだわかりませんが、確かにそれだけの好条件でデビュー出来るなら心が動いても不思議ではないですよね」
なりは微かに眉間に皺を寄せた。
「お、おう」
「あくまで可能性の一つではあるんですが、もし真希さんは他殺だったとして、そういったことは殺害の動機に成りえる気はしませんか?」
再度のフリーズ。しかし今回、頭の中は空白ではない。
「いや……そうだな、確かに私も自殺はなさそうだし、最近は真希、誰かに殺されたんじゃねーかな、って方にだいぶ傾いてたんだけど、理由がわかんなかったんだよな。それだとまあ、納得はいくかもな」
「その、L⇆Right! に調査を頼んだんだか命じたんだかした奴が〝裏切りやがって!〟ってなったってこと?」
「もしくは千代エー側の誰かが〝俺たちを裏切ってたのか!〟って感じかな」
沙希と伊予が話し合っているのを、大江なりは無表情で見つめている。
雪枝はちらと見遣ったが、なりはすぐに〝大丈夫よ〟と手を振った。この場で二重スパイの苦しみが一番分かるのは彼女である。
「なんつうか、しかしアレだな。最初雪枝の話聞いた時は突拍子もないこと言いやがって、って思ったけど、そう考えると四季が逃げてる理由も辻褄は合うな。自分も狙われてるって思ってんのかもしれないよな」
数凪に言われるまでもなくそうなのである。加えて警察に頼らない理由も〝スパイ行為を知られたくなかったから〟だとすれば説明出来てしまうのだ。
なりとしては本当に拒否したい方向なのだが、恐ろしい勢いでどんどん全てが繋がっていってしまう。
「あの、その辺踏まえて四季真希になんかおかしなとことか無かったスか?」
「ど~かな~~~……。いや確かにあの日の四季はなんかおかしいな、とは思ったんだよな。不自然っつうか浮足だってるっていうか……。大きなイベント控えてるしこれで普通かとは思ったんだけど……」
「なんか別行動取りたがるとか、用事がない部署の部屋にやたら入りたがるとかは?」
「ど~~だったかな~~~……。そもそもあいつら、あんまベタベタするほうじゃなかったしな……。あ、そうか。そういう風なキャラ最初から作ってたってこともあんのか……あー、こんがらがってきた!」
葉子に言われ、数凪も本腰を入れて記憶の鍋を引っ搔き回している。
「私たちも、もう一度最初からやりなおすくらいの気持ちで調査を進めないと」
「〝そういう視点〟でね」
俄かにみなが活気づいてきたその時、
「ちょっと待った!」
伊予がすかさず声を上げ、なりは心の中で拍手を送った。
「その、なんか、もう決め打ちみたいな雰囲気になっちゃってるけど、まだそれで確定ってわけじゃないでょ?」
「もうそれでいいんじゃん?」
「まだ抵抗するのか……」
リアクションした沙希と葉子を鋭く睨みつけ、
「証拠は何もないんだよ? 目撃者がいなくて、逃亡するのに手際が良すぎるってことくらいで」
「メモの字は?」
「現物は無いでしょ! 数凪さんが捨てちゃったんだから」
「それもう言うなよ~」
数凪が弱った小動物のような声を上げた。
ただ、伊代にとっては悔しいことなのだが、四季がメモを捨てさせたのも雪枝の仮説だと整合性は取れてしまうのである。
事実そのおかげで今、伊代の主張が少しだけ通りやすくなっている。




