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そうだ。その後どうしたにせよ、四季はまず上へ向かったのではないだろうか?
真希は殺されたのだ、という確信を持っていたのだとすると、何か証拠でも残されていないか、と考えてもおかしくはない気がする。
数凪のいうところの〝大物会議〟は七階で行われていたという。これから(何故か)自分が向かうことになっている七階。
そこには犯人がいるかもしれない。
と、すればそこへ行くのは非常な危険が伴うが。いや、まだビル内には人もいる時間だ。スマホもある。
多少リスクを冒しても真実を明らかにしたいと思ったのであれば……?
『いや、そこは四季の性格次第か』
沙希は多少冷静になった。
「あの……これから七階に案内していただくということなんですが、私階段で行ってもいいですか?」
ダメ元で言ってみた。
「えっ? ええ、まあ。かまいませんけど」
案内の女性は困惑を隠さない。
「あの、結構ありますよ? 上まで」
「はい! 運動にもなりますので」
いかにも元気溌剌といった風情が出るように意識した。
「……私はエレベーター使いますけど」
やった! 願ったり叶ったりである。日頃のおこないだろうか。
数凪ではないが感謝したほうが良いのかもしれない。何かに。
あまり喜びは表に出さないよう、しかし精一杯愛想は良く、沙希は案内の女性を送り出した。
「では、私は上の階段脇でお待ちしておりますので……あの、もしお疲れでしたらご無理はなさらずに」
いえ、もうそんな。ご親切にへにゃほにゃ。
エレベーターの分厚いドアの前まで見送り沙希は、はやる鼓動を抑え階段を駆け上がった。
急げ! あまり時間はない。
沙希が向かっているのは三階のレッスン場である。
七階に行ってしまえば、おそらくもうあまり自由には動けない。
案内の女性が一緒でも、なんのかのと理由をつけてレッスン場を見せてもらう心積もりだったのだが、一人で行けるなら望外の幸運である。
話が本当なら、四季が真希と別れたのはその場所だ。
おそらく犯人以外に、生きている真希が目撃された最後の地点。
推理や予測ではなく、ついさっきまで確実に生きて動いていた真希が居た場所。
上に向かった四季は、手始めにそこへ行ったのではないか?
クールダウンはしたものの沙希はその疑念を捨ててはいなかった。
時間は経っているし、警察も調べているだろうし掃除も整理もされているだろうが、実際に見ておく価値はある。
新しい建物らしく綺麗な階段だったが、途中で誰にも会わなかった。ますます沙希の確信は強まる。
三階……レッスン場らしき部屋はすぐに見つかった。
ちょうど使っているグループがあり、物音がしたのだ。沙希は開き加減になっているドアからそっと中を覗いてみる。
中はなかなかの広さだった。リノリウムの床に壁の一面は全面が鏡張りになっている。振付師らしい人物が厳しい声を発していた。
『中はさすがに入れないか』
見学させてくれと言えばさせてくれるかもしれないが、その行為にそこまで意味があるとも思えない。
沙希は早々に見切りをつけ、その場をそっと離れた。中の間取りと部屋の位置関係はだいたい頭に入れた。
限られた時間で、他に何か出来ることはないか?
さっと周囲に視線を走らせる。少し先の奥まった場所に、木目の綺麗な扉があった。
『行ってみるか』
人目の無いのを確認し、そっとドアの前まで行ってみる。
レバーハンドルのノブに手をかけ、ゆっくりと回してみた。下までいくとカチッと音がし、内部でラッチ金具の外れるのがわかる。
……開いている。
もう一回、周りに人がいないか確認する。ドアを薄く開き、中の様子をうかがって沙希はそのまま身体をスライドさせるように、するりと室内に入った。
新築だからだろうか。雑然とした雰囲気もなくドラマに出てくるような無機質でキレイなロッカールームだった。
『よっしゃあ!』
中には誰の姿もない。当然といえば当然なのだがカメラもなかった。見た限りでは。
沙希は知らずガッツポーズを取ってしまう。ロッカーは名札付きで、個々人が管理するタイプのものだった。
沙希は四季真希のロッカーを探し、スチール製キャビネットの森を素早く移動する。
真希はもういないが、四季はまだ一応〝行方不明〟扱いだ。さすがにこの段階で撤去はしていないのでは……。
あった。一つは名札が取り外されていて空白になっている。
隣は夕山四季。空白の方は真希の場所だったロッカーで間違いないだろう。開けてみると中は空だった。
沙希は躊躇なく四季のほうのロッカーに手をかける……。開かない。鍵がかかっているようだ。
『おっ! こりゃあ望みが厚い』
こんな言い方があるのかどうか知らないが、少しは見込みがありそうだ、と思い沙希は嬉しくなった。空なら鍵は掛けないだろう。
沙希は慣れた手つきで使い捨ての手袋を嵌める。そして懐からスチール製のヘアピンを取り出し鍵穴に差し込んだ。ロッカーの鍵くらいならお手の物であった。
神経を指先と聴覚に集中させる。
指先は言わずもがな、周囲の音に注意を払っているのは、ただひたすらにこの行為を人に見られないためである。
『こんなん見た目は完全に変質者だもんね……っていうか、泥棒か』
芸能界の楽屋を専門に仕事をする盗っ人がいる、という話は沙希も聞いたことがある。通称〝楽屋ドロ〟というヤツだが、こんな本社ビルの更衣室にまで来るとも思えない。
『オフィスドロ……? ちょっと違うか。ただのドロボー……』
間もなく鍵は開いた。
極力鍵穴に傷をつけないよう、痕跡を残さないように気を使ったのでちょい時間がかかった。
中はきれいに整頓はされていたが意外に物は多く、使用者のどこか神経質な性格を反映しているように思える。
ハンドクリーム、ブラシ、S字フックに掛けられた鏡、化粧品、はみがきセット、消臭スプレー、何かの空箱(海苔が入っていたものらしい)、綿棒に爪切り……さして変わったものは入ってないように見えたが、やはり目を引くのは上の金属製の網棚に載せられた分厚い紙資料の束だった。




