015
「へぇ~、じゃあホントにあの事件の日以来、四季ちゃんの姿は見てないんですか?」
「見てないねえ」
仕事時間中ということもあり、多少煩わしげだがきちんと答えてくれている。
今は手が空いている、ということもあるだろうが岡真銀の人当たりの良さもそれを手伝っていることだろう。
ちなみにこのアパートの管理人それぞれのシフト、性格、仕事中の忙しい時間帯、くらいは下調べして来ている。
岡真銀は人見知りする方で、SNOWの中では聞き込みのような作業は苦手とするタイプだったのだがやっている内に慣れていき、今では人並み以上にこなせるようになっていた。
生来の性格や容姿の良さもあり、相手に警戒感を抱かせない。
また、それとは別に対人関係ではある特技も身に着けていた。
今会話している管理人は、夕山四季・真希の住んでいたアパートに複数いる内の一人であり、岡真銀が一番話し易そうだと当たりをつけた人物である。
常日頃退屈そうな仏頂面をしており、一見とっつき辛そうだが一旦懐に入れば油を刺したように口が回り始める……。
『んじゃないかな、って思ったんだけど……』
なかなかそのような兆候が表れない。
だが始めてしまったものはしょうがない。ある程度は様子を見ながら粘ってみるつもりである。
「なんかこう……怪しい様子とかなかったです?」
「怪しいって言われてもねえ」
少し何かを思い出すような素振りはしてくれている。大事件ではあるし、元々気にはしていたのだろう。
「あんたって、あの姉妹の友達かなんかなんだったっけ?」
急に振られたが落ち着いて対応した。
「ええ……」
首に少し角度をつけ、内面の陰を印象付ける。口に出すのを憚られるような何かがあるのか? と相手が思ったら成功だ。
「言えないようなことでもあるの?」
中年女性の管理人は遠慮がちに訊いてくる。まだ抑え気味だが、この調子ならすぐに身を乗り出してくるだろう。
「なんていうか……」
もう一度言い淀むと、一気に視線が胡散臭そうな人物を見るものになった。
このアパートは、丸々一棟千代エージェンシーが借りている。
自事務所所属の有望なタレントを住まわせている、知る人ぞ知る寮のようなところなのだ。
「ちょっと、ねぇ、悪いんだけどここ、セキュリティとかうるさくてさ。当然っちゃ当然なんだけど……悪いけど興味本位なら」
「あの、私、実は四季ちゃんと真希ちゃんの推薦で千代エーに入れるかもしれない、って話になってたんですけど」
「えっ?」
中年女性は案の定身を乗り出す。
『食いついた』
岡真銀は内心ほっと胸を撫で下ろした。
「そんなに仲良かったわけ?」
「はい……私アイドルになりたくて、勝手がわからなくて色んなオーディション受けてる時に知り合って……親身になって話を聞いてくれて、千代エーのプロデューサー? みたいな人が会ってくれるかも、ってことになってたんです」
「それで……どうなったの?」
不躾に訊ねながら、カラフルに染めた髪を寄せてくる。
「結局、その、ああいうことになっちゃったので、その話はウヤムヤになっちゃったんですけど……でも、色々あってヨネプロってとこに拾って貰えたんです」
「大手じゃないの!」
おばさんは口をすぼめて感心している。良かった。もう大丈夫だ。
「あ、でも全然……今はまだ雑用みたいなことしかさせてもらえないので」
「大丈夫。あんた多分売れるよ。私わかるんだ。色んなコ見てきたからさ」
『だといいんだけど……』
真銀は思わず、素で苦笑いしそうになった。慌てて気を引き締め表情を作り直す。曖昧に、心細げに見えてくれるように祈りながら笑ってみせる。
「ありがとうございます……それで、色々教えてくれたからお礼も言いたくて。もちろんいなくなった四季さん……四季ちゃんが心配っていうのもあるんですけど」
「なるほどなるほど」
いかにも納得した風に頷いてくれた。
仮にもっと疑われて根掘り葉掘り聞かれても、千代エーに連絡して数凪から話して貰えれば良いように言ってくれるはずだ。そういう意味でいえば今回は楽な仕事だった。
そこまでしなくてよかったのは、真銀の話に説得力があったからだろう。
……話というよりは顔面に説得力があったのかもしれないが。
とにかく岡真銀の見目麗しさには定評があるのだ。『アイドルを目指している』と言われれば素直に〝そうだろうな〟〝こういう娘が成功するんだろうな〟とか思わせる。
それでも現状、真銀はアイドルとして成功しているとは言い難いところが、世の中のままならなさだった。
「あ~、ねえ……でもほんと、ちょっと悪いんだけど、特にあんたの助けになるようなことってないねえ……。警察にも何回も聞かれたんだけどさ」
「そうですか……ですよね」
警察が聞き込みにくるのは当然だ。繰り返し根掘り葉掘り聞かれているすると、その過程で記憶はだいぶ掘り起こされているだろう。
『これは無理、かな』
新事実が浮かび上がることは無さそう……
「あ~、そういえば変っていえば変なことあったかも」
と、思っていたら、定番のセリフと共に新たな可能性が吐き出された。
「どんなことです?」
「四季ねえ、あの時から一回もここに帰ってないの。ほんっとうに、あの日この寮を出て行ってから」
「……ええと」
何か続きがあるだろうと思って待っていたのだが、終わりのようなので戸惑ってしまう。
「朝出てってからよ。おかしいでしょ? 今どっかに逃げてるにしても、そのまんまいなくなってんのよ? 着の身着のまま」
「でもスマホの決済アプリとかクレカとか……預貯金のカードとかあれば」
「バカねえあんた。今警察が追っかけてんでしょ? そんなもん使ったら一発で居所バレちゃうわよ」
言われてみれば当然そうだ。真銀は素人に教えられる不明を内心で恥じた。
「あの、この寮に帰ってないのは確かなんでしょうか?」
「確かも確か。タレント予備軍……の中でも比較的有望なコが使う寮だからね、ここ」
それはそうだろう。有望でなければいくら大手でも寮など用意してくれるわけがない。もちろんSNOWにはそのようなものはない。
「監視カメラもついてるし人もいるし、真夜中でも朝早くでもバレないように出入りするのは無理よ」
いやに自信満々だ。職場愛のような感情だろうか。
『上手くやれば出来なくはないかもしれないけど……』
真銀は、ざっと頭の中でこの建物の平面図・立面図と思い浮かべてみる。もちろんもっと詳細な情報を足さなければいけないが、やってやれなくはないような気がした。協力者でもいればもっと容易になるかもしれない。
ただ、警察の地取り足取りでも何も出てきていないのであれば……?
(見られる想定をしていない)誰にも見られずこの寮に侵入。自室に入り必要なものを取ってまた誰にも見られずに逃走。地域の住人達にも、だ。
これは現実的だろうか? どうにも今の時点では真銀には判断が下せない。
「まったくどうなってんだかね。少なくとも私には感じのいいコだったけどね。早く帰ってくりゃいいのに。……嫌いじゃなかったよ」
『好きだったんだ』
真銀は、だんだんとこの女性のことがわかってきたような気がした。
「なんか色々言われてるし、まあ行動からして怪しいってのもわかるんだけどさあ、犯人ではないと思うのよねえ」
「そうですよね」
岡真銀は相槌を打ちながら考える。
確かにこの女性の言う通り、警察が捜査している状況で十代の女の子が一人、いつまでも逃げ続けるのはなかなか難易度が高いだろう。無理だとは言わないが。
それも前もって計画していたのなら兎も角、今回は(おそらく)突発的な状況に押されてやむなくのことである。
「ほんと、早く帰ってくりゃいいのに……」
おばさんは再び、誰に聞かせるというわけでもなく、あえていえば空の上に祈るようぼそっと呟いた。
「ええ」
真銀も一応お義理のような返事をしたが、こちらも最早目の前の人物のリアクションを気にしてはいない。
おそらくこの、根は善良そうな管理人の女性と岡真銀の思考は、決して交わらない方向に進んでいる。
そう、それもこれも夕山四季が生きていればの話なのだ。




