表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第6話 見慣れない顔

※本話には軽い暴力・流血描写を含みます。苦手な方はご注意ください。

 夜風が、街路樹の枝をかすかに鳴らしていた。


 レナは両腕いっぱいに食料の袋を抱えて歩いていた。

 どこか浮き立った足取りだった。


(今回は……ちゃんとしたバイトだった! 危ない仕事じゃないし、即金だったし!)


 心の中で小さくガッツポーズをする。

 今日は久しぶりに、野菜と肉の両方が買えた。


 (早く家に帰ろっと)

 

 ──そう思った矢先、背後の足音に気付いた。


(……誰?)


 歩調を速める。

 だが、靴音も同じ速度で近づいてくる。

 冷たい汗が背中を伝った。


(いや、気のせいじゃない……つけられてる)


 息を呑む間もなく、影が横切った。

 そして、視界の端に銀色の線が閃く。


「動くな」


 低い声とともに、ナイフが喉元に突きつけられた。

 冷たい刃の感触。反射的に体が硬直する。

 次の瞬間、腕を掴まれ、背中を壁に押しつけられた。


 袋が地面に落ち、リンゴが転がる音が夜に響いた。


「こっちに来い」


 荒い息。男の手がレナの腕を締め上げる。

 抵抗の動きより早く、頬を強く叩かれた。

 口の中に血の味が広がる。


(……まずい。このままじゃ──)


 そのときだった。

 背後の空気が一瞬、凍るように張りつめた。


「遅いと思ったら、こんなところで何してる」


 夜の闇を割って、低い声が落ちた。

 金の髪が月を弾き、碧い眼が静かに光る。

 レナはその姿を見て、息を止める。


「……レ──」


 呼ぼうとした名は、刹那の音で途切れた。

 男のナイフがレオンに向かい横薙ぎに振られたからだ。

 

 レオンはほとんど動いていなかった。

 ただ一歩踏み出し、男の腕を掴み、逆方向に折る。骨の砕ける乾いた音が鈍く響く。手にしていたナイフが音を立てて地面に転がる。

 悲鳴を上げようとした男の喉を、踵で蹴り上げる。空気が潰れるような鈍い音。男が倒れ込む。


「……そいつを傷つけて、無事でいられるとでも?」


「レオン……もう、やめて……」


 レナの声が震える。だが、届かない。


「そうだな。時間の無駄だ」


 レオンは男の落としたナイフを拾い上げた。

 手慣れた手つきで、そのまま胸の奥へと突き立てる。何のためらいもなく。


 倒れた男の口から一瞬のうめき声。

 それを見下ろすレオンの表情には、感情がなかった。

 “動かなくなった”という事実を確認するだけだった。


 レナには、その無表情が一番怖かった。

そして、同じくらいに安心してしまった自分が、もっと怖かった。


「……もう、お前は寮に戻れ。俺は、後で帰るから」


 振り向いたレオンの声は、驚くほど柔らかかった。その温度差が、かえって背筋を冷たくする。


「えっ、あっ、う、うん……」


 レナは慌てて食料を拾い上げる。震える手で袋の口を掴んだ。


「ああ、そうだ。後で、俺の部屋に来い。話がある」

 

 レナは何となく気まずくなった。


 バイトしたことが、薄らとバレている気がした。

 

 ただ、うつむいたまま足早に去った。



***

 


「で、言い訳はそれで終わりか?」


 深い海のような青の瞳が、真っ直ぐに射抜いてくる。

部屋の空気が、わずかに重くなる。


 ソファに腰掛けたまま、レオンは穏やかに微笑んでいた。

 床に正座しているレナは、視線を落としたまま、指先をいじっていた。


「え、えっと……」

 

「言ったはずだ。働くなと。これで何度目だ?」

 

「三度目……くらい?」

 

「四度目だ」


 レオンは短く息を吐き、彼女の頬をそっと触れた。その指先が、さっき叩かれた場所をかすめる。


「──っ……!」


 痛みにレナは息を呑んだ。


「腫れてる。後で冷やした方がいいな」


「だ、大丈夫だよ…!それより、本当にもうバイトしたらダメなの?」


 彼は手を離すと、天井を見上げた。

 灯りの反射が、金色の髪を淡く照らしている。


「ダメだ。色んなトラブルがあっただろ」

 

「……ギルドは?」

 

「お前、魔竜の森でのこと、忘れたのか?なんであんな目に遭ってるのに、まだ働きたいんだよ。金が足りないのか? あといくら欲しい?」


 レオンはテーブルの上に銀貨の入った袋を出す。


「そんなんじゃないよ……レオンに甘えるわけにはいかないから」


 レオンは、静かに笑った。だが、どこか刺すように冷たい。


「なあ、俺がいなかったらどうしてたんだ?」


「そ、そんなの、隙を見て逃げるに決まってるよ」


「逃げる? 甘いにも程があるな。お前には無理だよ」


「うう」

 

 レナは反論できずに縮こまる。


 「とにかく、その袋に入ってる金はお前に渡しておく。充分あるはずだ」


「受け取れないよ」


 レナは首を振った。声は小さく、しかし確かな意志を帯びていた。


「いらないなら捨てろ」


しばらくの沈黙の後、レナはため息をついた。ゆっくりと手を伸ばして、袋の端に触れた。



 ***



 学院の教室。朝の光が差し込む窓際の席で、レナは机に突っ伏していた。


「あはは! レオンにバイトがバレて、怒られた?」


 サラが腹を抱えて笑う。

 向かいに座るエリックまで、苦笑している。


「……笑いごとじゃないよぉ……」


 顔を伏せたまま、レナは情けない声を漏らした。


「折角、まともなの紹介したのになあ」

 

 エリックの声は優しいけれど、どこか呆れている。


「普通の仕分けバイトだったんだよ!?」


 レナは顔を上げた。

 昨日暴漢に叩かれた跡が、まだうっすら赤い。


「でも、暴漢とか怖いね。無事でよかったけどさ。レオンが捕まえたんだっけ?もしレオンがいなかったらゾッとするよねー」


 サラがふと真面目な声を出す。レナは本当の結末を、誰にも言えなかった。


 エリックは何となく察しをつけながら頷いた。

 

 「この街、最近物騒だしな。学院の外は、魔力犯罪も増えてる。……しばらく気をつけた方がいいかもなあ」


「うん……暫くはバイトは無しかなあ」

 

 レナは小さく笑って、二人を見た。

 その笑顔には、昨日の恐怖がまだ少し残っている。けれど確かに“日常”が戻ってきていた。



 ***



 レオンがSクラスの教室の扉を開ける。そこには見慣れない顔──復学したという青年が教室に来ていた。レオンはその姿に思わず眉をひそめた。


 オルフェ・クライド。


 黒い学院制服を着崩し、白衣のような上着を肩から滑らせている。一見すれば、ただの不真面目な生徒。

 だが、足を止めさせるほどの“異質さ”がそこにはあった。


(……隠してるつもりか?)


 無造作な銀髪。紫の瞳。童顔めいた柔らかい顔立ち。普通なら人畜無害に見えるはずの外見なのに、纏っている空気はまるで逆だった。底の見えない結界の残滓のような気配。一歩でも間違えれば、全てを焼き払うような“理性を欠いた危険”の匂い。


(あの顔で……中身は、化け物か)


 オルフェの瞳が、一瞬だけこちらを捕らえた。

 感情の温度が一切ない瞳。標本を見るような視線。


 戦う意思を見せてはいない。だが、あの視線は「分解してしまいたい」と無言で言っているのと同じだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ