第49話 暗殺者と研究者
──夜の帳が降りた学院外の裏路地。
風が吹き抜けるたび、濡れた石畳が冷たく光った。
突如として、金色の閃光が走った。
それは刃。殺意そのものを形にした、研ぎ澄まされた一閃だった。
斬撃を紙一重でかわし、灰色の外套の青年は嘲るように鼻を鳴らした。
白銀の髪が風に舞う。紫の瞳が、夜を切り裂く。
「……やれやれ。君、まだ本気で俺を殺そうとしてるの?」
オルフェ・クライド。
声は穏やかだったが、その眼差しの奥には冷えた硝子のような警戒が光っていた。
「当然だ。レナに“極大魔法”を使わせたのはお前だろう」
レオンは短く言い放ち、剣を構える。その瞳は氷のように静かで、感情を削ぎ落とした光を宿している。
「報いを受けろ。お前の好奇心のために、彼女は命を削った」
「へぇ……理屈は立派だね。彼女がそう指示したの? 違うだろ? 君のそれ、正義感でも贖罪でもないよ。ただの感情の暴走だ」
オルフェが指先を払う。空気がねじれ、見えない魔術式が展開される。
足元の路地に、円環状の結界が走った。
「俺を暗殺する気なら、もう少し冷静に来なきゃ。怪我してても、魔術の精度はまだ俺の方が上だよ、レオン・ヴァレント」
「上かどうか、試してみろ」
レオンは淡々と応じる。
刃が音もなく軌跡を描き、次の瞬間、空気が爆ぜた。
剣と術式が噛み合った。
金属音は鳴らない。代わりに、空気のほうが軋んだ。
レオンの一撃は速すぎて、衝突の手応えが腕に届く前に、路地の壁が一枚、遅れて震えた。
オルフェが目を細める。
結界の層を一段、ねじる。反射と減衰の複合。普通なら、そこで刃は弾かれるはずだった。
だが。
レオンの剣が、弾かれない。
無理やり、押し切ってくる。
ギリ、と遅れて金属が泣いた。
刀身の先端に、目に見えるほど小さな欠けが走る。
刃こぼれだった。
武器屋で買った剣は、ここで限界を見せた。
オルフェの口元が、わずかに吊り上がる。
「……ああ。やっぱりね。剣が先に死ぬ」
レオンは、欠けた刃先を一度も見ない。
視線はオルフェの喉元から外れないまま、手だけが冷静に角度を変えた。
次に振るのは、刃じゃない。
刀身の“背”で、叩き折る軌道。
空気が殴られ、結界が鳴った。
円環が一瞬だけ歪み、オルフェの外套の裾が裂ける。
(こいつ……剣が壊れるのを前提で、殺しに来てる)
オルフェは背中を滑らせるように後退し、距離を取った。
路地の冷気が肺に刺さった。
「……やるじゃないか。その剣速は反則だ。完全に人間の領域を越えてる」
レオンは欠けた剣を握ったまま、何事もないように踏み込む。
その目だけが、わずかに熱を持った。
「殺してやる」
「強がりは好きだけど、現実も見ようよ」
オルフェは指先を払う。結界がさらに一層、増える。
「その剣、あと何回持つ?」
レオンは答えない。
答える必要がないというように、刃を走らせる。
剣が夜を裂き、闇が崩壊する。
オルフェは間一髪で身を捻り、瓦礫の影に飛び込む。
レオンの剣が通り過ぎた後、そこにあった建物の壁が音もなく崩れ落ちた。
(化け物だね……ほんとに)
オルフェは息をつき、指先で魔術陣を展開した。
結界と転移の複合術。背後から迫る気配を読み取りながら、低く呟く。
「……まったく。君の“愛”は、科学より非合理だ」
「二度と、その口でレナを語るな」
レオンの声は低い。
オルフェは肩越しに笑う。
あくまで穏やかに、わざとらしく。
「今のところレナ・ファウレスに手を出すつもりはないよ。鑑賞しているだけ。あの子の怒りで痛い目を見たからね。……今のところは」
その一言が引き金になった。
レオンの瞳が、わずかに熱を帯びる。
光が弾けた。
欠けた剣が、ためらいなく振り下ろされる。
オルフェは転移を起動する。
光が弾け、彼の姿が闇に溶ける。
最後に見えたのは、剣を握ったままのレオンの輪郭。
折れかけた鋼を、折れる前提で振るう姿。
(武器屋の剣でこれか)
オルフェは闇の中で、喉の奥で笑った。
(じゃあ、もし本物を手に入れたら……この男はどうなる?)
残されたのは、剣を握ったままのレオン。
肩で息をしながら、わずかに空を見上げた。
夜の静寂が戻る。
その表情に、怒りも悲しみもなかった。
そして背を向ける。
闇が再び、街を覆い隠した。
昨夜の爆ぜた空気だけが、しつこく路地の隅に残っていた。
***
Eクラスの教室にレナが戻って数日。
エリックは内心で苦笑していた。
平和そうに見える日常。
でも、その影に“問題児コンビ”が二人、復帰していたのだ。
オルフェ・クライドとレオン・ヴァレント。
オルフェは顔の包帯が復帰当日より減っていた。
首と手の処理痕だけが残り、肌に刻まれた魔術処理の跡は、まだ消えていない。
レオンは何事もなかったように飄々としている。
──学院では昨夜、路地裏での「小規模爆発」騒ぎが話題になっていた。
魔術痕は跡形もなく、原因不明。
だがエリックには分かりきっていた。
魔術痕をここまで綺麗に消せる人間が、この学院に何人いる。
しかも小規模で収めたとは。──笑えない冗談だ。
(あー……あれ絶対、あの二人だな)
笑いに変えないと、手が震える類の確信だった。
この二人、何より──仲が最悪。
(また始まるな)
昼休み、中庭。
レオンが剣の柄に手をかけた瞬間、エリックは悟った。
殺気、全開。
しかも、レオンのそれは“本気で殺すやつ”だ。
一方のオルフェはというと、あの性格である。
「そんな顔するなよ。君の殺意、芸術点は高いが雑だ」
完全に煽っている。
周囲の生徒たちが、空気の変化を嗅いで距離を取った。
「──喧嘩はやめてって言ったでしょ!」
間に入ったのは、レナだった。
その声で、空気が一瞬だけ止まる。
エリックは木陰でその様子を見ながら、額を押さえた。
(違うんだよ、レナ。あれ喧嘩じゃない。あれは最初から、どちらかが死ぬまで終わらない類のやつだ)
沈黙のあと、レオンが剣を下ろす。
オルフェは楽しそうに笑って、踵を返した。
その背中を見送りながら、エリックは深くため息をついた。
***
「はぁぁぁぁ……疲れた」
教室に戻ると、レナが机に突っ伏すようにため息をついた。
エリックはその隣に立って、腕を組んだ。
「……あー、あいつらなー」
「いい加減やめないかな? 私はそういうの、望んでないのに」
「まあなー……」
エリックは天井を見上げる。
「……あいつらが命の取り合いしたら、学院どころか街ごと吹っ飛ぶしな」
軽く言った。だが、本当のことだった。
「ねえ、どうしたら仲良くしてくれるかな」
「うーん……仲良く? 物理的に距離を取るしかないんじゃないか? ……いや無理か。どっちもお前に吸い寄せられるし」
「磁石みたいに言わないでよ……」
レナの項垂れた姿に、エリックは苦笑した。
***
──それは、無意識だった。
オルフェ・クライドは、自分が彼女を見つめていることに、気づいていなかった。
教室の廊下の窓越し、図書室の奥の陰、渡り廊下の死角。
どの場所でも、彼の視線は同じ一点を捉えていた。
レナ・ファリス。
かつて自分の研究棟を半壊させ、極大魔法で自分に重傷を負わせた少女。
その名を思い出すたびに、脳裏に焼き付いた光景が、今も淡く疼く。
──血の光。
──理論を越えた、制御不能の魔力。
そして、あの時の彼女の表情。
(あれほどの出力を叩き出した人間が……どうして、今そんな顔で笑っていられる?)
彼は教室の外から、それを眺めていた。
影のように立ち、息を潜め、微動だにしない。
観察対象を記録する研究者の目。
だが、その視線の奥には、別の色が混ざり始めていた。
(恐怖か、好奇心か……それとも)
自嘲気味に笑う。
視線を逸らす理由はあった。
だが、逸らせなかった。




