第44話 白い部屋
薬草と消毒液の匂いが漂う医務室。
窓から差し込む光は夜明けの名残でまだ薄く、部屋全体に静けさが満ちていた。
ベッドの上で、サラが小さく身じろぎをした。
顔色は青白いが、呼吸は穏やか。深い眠りに沈んでいる。
その傍らに座るのは、学院の専属医務官アリス。
冷やしたタオルを額に当て直し、安堵の息をもらす。
「……よかった。命に別状はないわ」
声は低く落ち着き、職務的な冷静さを帯びていた。
机の上には、簡易検査用の魔術石が並んでいる。
麻痺毒の痕跡、睡眠系の術式の残滓──そのどれもが「意図的に眠らされた」ことを示していた。
「報告書類まとめて提出しなくちゃね。……ちょうどよかったわ。サラの付き添い、代わってくれる? 目が覚めたら、落ち着かせてあげて」
アリスは医務室のドアの前に立つエリックに言った。
「はい……」
エリックが頷くと、アリスは書類を手に取り、医務室を出ていった。
その後、しばらくしてサラはゆっくりと瞼を開いた。
「……ここ、は……」
掠れた声が漏れる。
「あ、目が覚めたか」
傍らの椅子に腰を掛けていたエリックが顔を上げた。
安心したように微笑みながらも、その緑の瞳にはまだ警戒の色が残っていた。
「……エリック……」
サラは状況を思い出そうとした。けれど頭が霞がかっていて、はっきりした映像は出てこない。
「うん、あの、私……何も覚えてないんだけど……」
震える指を胸の前で組む。
「……誰かが……いたような、気がして」
一瞬、空気が固まった。
エリックは視線を伏せ、短く息を吐く。
「……サラ。お願いがある」
声は穏やかだが、切迫していた。
「思い出したとしても、その人物が関わってたってこと誰にも言うな」
サラは驚いて瞬きをした。
「え……でも、どうして……?」
エリックは迷いを噛み潰すように言葉を選ぶ。
「今ここで騒げば、学院が動く。動けば相手も動く。
次にまた“お前”が標的になるかもしれない。それに、レナもだ」
サラの喉が小さく鳴った。
「何で……レナが?」
エリックは目を逸らさない。
「ごめん。理由は今は全部言えない。だけど……お前とレナを守るためなんだ」
それだけを告げる。
サラはまだ納得しきれなかったが、彼の眼差しに、小さく頷くしかなかった。
***
レナが目を開けた時、最初に映ったのは白い天井だった。
けれど、それは学院の医務室のものではない。見覚えのない白。清潔ではあるが、どこか閉ざされた空気をまとっていた。
「ここは一体……?」
かすれた声で呟いた瞬間、すぐ傍から声が返ってきた。
「レナ。起きたのか」
レオンが椅子から身を乗り出し、彼女を覗き込んでいた。
その青い瞳に浮かぶのは安堵と、深い苛立ちだった。
レナの身体は鉛のように重く、全身に痛みが走った。
頭はまだぼんやりしている。
その時──扉が軋む音を立てて開いた。
「おお、ようやく目覚めたか」
白衣を着た、四十代ほどの男が現れた。
目元に刻まれた皺と、皮肉めいた笑み。落ち着いた雰囲気に混じって、妙に胡散臭さを漂わせている。
「……だ、誰ですか……?」
レナの問いに、男は白衣の裾を整えながら飄々と答えた。
「ここは裏の診療所。俺はディアン。……闇医者だ」
言い方は軽いのに、目だけが状況を数える。
「こいつがすごい形相で君を抱えてな。ここに突っ込んできた。何があったのかは訊かないが……状況が状況だ。ろくなもんじゃない」
レナが混乱した表情を浮かべると、ディアンは苦笑して付け加えた。
「安心しろ。この部屋は外界から遮断してある。通信も追跡もできない。……来たってことは、そういう事態だったんだろ? レオン」
レオンは答えない。
だが、その沈黙が肯定だった。
ディアンは装置を手早く整える。
魔力を帯びた点滴のような透明チューブが、静かに脈打っている。
「起きたことだし、必要なことだけ言う。君、血を抜かれてたね。とんでもなく貧血だ。薬を飲んで、しばらく動くな」
「は……はい」
レナの声は、まだかすれていた。
「それで、極大魔術を撃ったんだって? 魔力をごっそり持っていく禁忌魔法。……その割に魔力の流れは不自然じゃない」
ディアンはチューブを確認し、眉をひそめる。
「だが身体の方が悲鳴を上げてる。元々、魔力耐性のない体だろ。こんな強い魔法を撃ち続けたら内臓に負担がかかる。できる限り、やめておけ」
レナは小さく頷いた。
ディアンは魔法陣の刻まれたガラス容器を点滴台に掛け直し、流量を調整する。
「とにかく今は休め。ここなら誰にも邪魔されない」
そう言って視線を流すと、レオンは黙ったまま立っていた。
その時だった。
──コンコン、と小さく控えめなノックの音。
「……おう、入っていいぞ」
扉が開く。現れたのは、灰色の作業服を着た青年だった。髪は無造作に結ばれ、額にゴーグルをかけたまま。
「お疲れさまです、ディアン先生。装置の薬、追加で持ってきましたよ」
「おう、助かる。そこに置いとけ、ユージン」
青年──ユージンは静かに診療台の脇にケースを置き、ちらりとレナに目をやった。
「気がついたみたいでよかったっすねー」
ディアンは一息つくと、レオンに向き直った。
「助手がいると便利だろ。こっちも手が足りないからな。……まあ、ユージンなら口外はしない。俺が信用してるくらいだ」
レオンは無言のまま頷く。
ユージンはその視線に気づき、ほんの一瞬、首をかしげる。
だが何も言わず、黙々と作業を続けた。




