第40話 やっと二人きりになれたね
◆レナ視点/実験室
「来たんだね、レナ……」
その声は、まるで最初から待っていたかのように落ち着いていた。
「オルフェ……どうして……サラを……!」
レナが声を上げる。
「君を呼ぶために、必要だっただけだ。こうでもしなければ君は動かない。そうだろ?」
静かな口調だが、その瞳は異様な熱を帯びている。
「君の血が必要なんだ。……それだけだ」
オルフェがちらりと横目にエリックを見た。
「久しぶりだね。エリック・ハーヴィル。君がいなくなって、Sクラスも雑音が消えて静かになったよ。まさか、君が来るとは思わなかったよ。これは俺の予定外だな」
「協力協力って、レナに何をさせる気だ!? レナは……普通の女の子だ! お前みたいな狂人の玩具じゃない!」
声を荒げたエリックの拳は震えていた。
「君、何も知らないんだね? 普通の子? そう擬態してるだけだ」
オルフェは先端に針のついた器具を取り出し、準備を始める。
「ファウレス家。その女の子の名前は、レナ・ファウレスだ」
「…は!? お前、とち狂ってるのか! ファウレスの血筋は絶えたって言われてるんだぞ」
「表向きにはね。魔竜の森の件、噂で聞いただろ? 魔竜と共に、辺り一面を吹き飛ばしたのは、君の隣にいる女の子だよ」
エリックは真っ青になって、レナを見つめる。
「おい、レナ、違うよな? お前が、そんな血筋のわけないだろ?」
レナは何も言えなかった。「違う」と言えたら、どれほど楽だっただろう。でも、その力が自分の中にあることを、否定できなかった。
オルフェはエリックを見やると呟いた。
「エリック、君は俺の研究には不要だ」
結界の線が床を走った瞬間、エリックの瞳が細くなる。
結界が“閉じる”前触れだ。
◆エリック視点/隔離直前
(……やっぱり来たか。孤立させて、分断する気だな)
エリックはレナの前に出た。剣を抜く。握りは迷わない。
エリックは踏み込む。まず一太刀。
床を走る結界線を断ち切ろうとして、刃先が弾かれた。甲高い金属音。切れない。
なら、正面から崩す。
「《防壁》」
短い詠唱。前方に淡い障壁が立つ。同時に左手がもう一枚、細い術式を重ねる。
結界の収束が障壁にぶつかり、光が歪んだ。完全に止められないが、“速度”は落ちる。
エリックはその一拍で距離を詰め、剣で牽制しながら足運びで角度をずらす。
狙いはオルフェではなく、床の紋の“要”になっている箇所だ。
「《衝撃》」
石畳が鳴り、圧が走る。紋の一部がわずかに瞬いた。
結界の線が細く乱れ、収束が一瞬だけ迷う。
オルフェの目が細まる。
「まだ“戦い方”は覚えてるのか」
「そりゃあな! お前への嫌がらせくらいならできるぜ」
オルフェは軽く首を傾け、紫の瞳でエリックを見た。
「……腕、鈍ったね。Sクラスを離れてから」
静かで事実確認みたいに淡々とした声だ。
「うるせぇよ」
エリックは障壁をもう一枚重ね、あえて大きく踏み込んだ。
正攻法の押し合い。魔力を使って、時間を買う。
オルフェは前に出ない。指先を落とすだけで、結界が増える。
空間が狭くなっていく。音が薄まり、匂いが遠のく。
世界が布で覆われる感覚。
「レナ! 無茶するなよ。生き残れ」
「なっ……エリック! 待って!」
レナが腕を掴もうとした瞬間、透明な隔たりが指先を弾いた。
(勝てない。──やることは、やった)
オルフェの結界が一気に収束する。
眩い光の壁が奔り、空間を閉ざす直前、エリックは短く吐き捨てた。
「クソッ……お前の思いどおりにさせるかよ」
声が遮断され、視界が揺らぐ。
次の瞬間、彼の姿は、魔術の隔壁の向こうへと完全に閉ざされた。
***
眩い光の壁が閉じ切った。
エリックの姿は、隔壁の向こうに薄く滲んだまま、音も匂いも一緒に奪われていく。叫んでいるはずなのに、口の動きだけが遠い。
「エリック……!」
レナは駆け寄り、手を伸ばした。指先が触れた瞬間、透明な硬さが弾いた。皮膚の感覚だけが遅れて痛む。
もう一度。今度は掌で叩く。
鈍い反発だけが返り、結界は揺れもしない。
(何なの、これ……)
レナは息を吸い、掌に魔力を流した。細い灯りが指の間からこぼれ、隔壁の表面に淡い波紋が走る。けれど、次の瞬間には吸い込まれて消えた。まるで、こちらの力を測って、笑っているみたいに。
(壊せない。私の魔力じゃ、届かない……)
背後の気配に振り返ると、オルフェが立っていた。紫の瞳は静かで、レナの焦りだけを映している。手を出す気配もない。ただ観察している。実験台を見下ろす研究者の目で。
レナの背筋に、ぞわりと寒気が走る。
ここは廃棄された研究棟のはずなのに、床の線は鮮明で、結界は完璧で、逃げ道だけが最初から削り取られている。
(これが……オルフェ・クライド……)
学院で天才と呼ばれている、異端者。噂で聞いていた怖さが、いま目の前で形になっている。
レナは隔壁に背をつけたまま、爪が食い込むほど拳を握った。逃げる方向はない。助けを呼ぶ声も、ここでは外に届かない。
オルフェはゆっくり口元だけを上げた。
「やっと二人きりになれたね」
その声は甘くも優しくもないのに、距離だけを縮めてきた。
レナの喉が鳴り、うまく息が入らない。
「……エリックとサラを、返して」
精一杯の声は震えた。
オルフェは答えの代わりに、指先を軽く動かす。
隔壁の向こうで、エリックの影がさらに薄くなる。
「君が、俺の話を聞いてくれるならね」
条件を告げる声は、あまりにも穏やかだった。
だからこそ、レナは怖かった。




