第2話 攻防訓練
石畳を叩く靴音が、結界の中で反響した。
教師の合図と共に、攻防訓練が始まる。
最初の組、レオン・ヴァレント対ノア・シュタルク。
「では、始め──!」
指揮官の声が響いた。
レオンが詠唱もなく腕を振り抜く。
魔力が空間を歪ませ、矢のような光が一斉にノアへ向かう。
「……っ!?」
ノアの背筋が凍りつく。詠唱も陣もない。
それなのに、圧が強すぎる。
反射的に防御結界を展開。淡青の障壁が幾重にも重なった。
──直後、衝突音。
音ではなく、衝撃そのものが大気を震わせる。
防御膜が次々に砕け、破片が宙に散った。
ノアは歯を食いしばり、さらに魔力を注ぎ込む。
辛うじて爆風を防ぎ切ったときには、呼吸が荒く乱れていた。
(……何だ、こいつ……。人間の出力じゃねぇ……)
Eクラスの観客席からどよめきが起こる。
「無詠唱なんて無理だろ……」
「どうなってんだよ、あの金髪……」
ざわめきの中で、レオンだけが一切の動揺を見せなかった。
冷たい眼差しのまま、結界の揺らぎを確かめている。
まるで自分が起こした破壊を観察しているように。
監督官が口を開いた。
「……攻守交代。次はヴァレントが防御に回れ」
「了解しました」
レオンの声は抑揚もない。ただ任務の確認のような返事だ。
剣を手に取り、軽く構えを取る。
ノアは杖を握り、挑発気味に笑った。
「さっきの仕返し、覚悟しろよ」
レオンは、無感情に短く言う。
「かかってこい」
瞬間、結界内の魔力が震えた。
熱と圧が満ちていく。観客席のEクラス生が息を呑む。
結界の中のレオンは、何も映していない瞳で敵を見ていた。
──まるで、戦うことそのものが“習慣”のように見えた。
ノアの詠唱が始まる。
雷撃の光が杖先に集まり、地を這うように拡散した。
その一撃を前にしても、レオンは微動だにしない。
青白い閃光が石畳を焦がす直前、
レオンの周囲に淡い光の円環が生まれた。
──詠唱なしの防御結界。
爆光が結界を包み、空気が裂ける。
轟音の中、レオンは一歩も動かず、静かに目を閉じていた。
ノアの顔が歪んだ。
さっきまでの軽口は消え、悔しさと苛立ちが剥き出しになる。
「……クソッ!」
歯を食いしばり、杖を構え直す。
魔力が一気に膨れ上がった。空気が震え、足元の石畳が細かくひび割れる。
「俺は宮廷魔術師の家系だ!あんな孤児に負けてたまるか」
眩い光が杖の先に収束していく。
限界を超えた出力。術式構築が間に合っていない。
「……あのままじゃまずいよ」
観客席にいるレナが呟くと、隣にいるエリックは青ざめた。
「やっべー、あれは、暴発寸前だ」
レオンは一歩も動かず、その光を見つめていた。
ノアの叫びが爆ぜた。
「──っらぁあああ!!」
瞬間、空間が裂けた。
暴発。
術式の歪みが臨界を超え、魔力が制御を失う。
白い閃光が全てを呑み込んだ。
訓練場を包む多層結界が一枚、また一枚と砕け散る。
監督官が慌てて詠唱を開始するが、間に合わない。
光の奔流はそのまま観客席へと向かった。
轟音と、熱風。
空間のひずみがEクラスの列に襲いかかる。
「──レナっ!」
エリックが咄嗟に前へ出た。
魔術式を起動し、即席の防御障壁を展開する。
だが、衝撃波の圧が強すぎる。
肌を裂くような熱が押し寄せた。
白光の中で、レナは何も考えられなかった。
ただ、反射的に腕を上げ、目を閉じた。
時間が、止まったように思えた。
***
レオンは舌打ちした。
暴発した魔力が空間を歪める。結界が一枚、二枚と砕け、制御不能の光が観客席へ向かっていた。
Eクラスの方角。
そこにいるのは、レナだ。
エリックが前に出て防御結界を張るのが見えたが、あの出力では、間に合わない。
(……レナ!)
迷いはなかった。
レオンは床を蹴った。音よりも速く。
瞬間移動にも似た加速で距離を詰め、腰の剣を抜く。
爆心の中心――暴発した魔力が空間を軋ませている。
そこには無数の光の線。魔力の骨組みが蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
それは、詠唱の残骸。
術式を動かすための基礎構造そのもの。
(制御の死角は、ここだ)
青い眼がわずかに細められる。
世界が遅くなる。音が遠のく。
浮遊する魔力の線が、彼には“視える”。
剣が一閃する。
空間が切り裂かれ、魔力の骨組みが崩れ落ちた。
剣先が触れた瞬間、光の糸が弾け飛ぶ。
結界を動かしていた根幹が“断たれた”のだ。
轟音が一拍遅れて響く。
眩い閃光は霧散し、暴発の奔流は煙のように消えた。
観客席を包みかけていた衝撃波が、空中で凍りついたように止まり、静寂だけが残る。
レオンは剣を振り抜いた姿勢のまま、ゆっくりと息を吐く。
「Sクラスの訓練で死人を出すなよ……」
ノアに低く吐き捨てた。
その背後、結界の向こうでレナが目を見開いて立ち尽くしていた。
***
熱と光が消えた。
嵐の後のような静寂が、実技場を包んでいた。
ノア・シュタルクはその場に立ち尽くしていた。
眼鏡がずれ、額から汗が一筋伝う。
手に握った杖は震え、今にも崩れ落ちそうだった。
暴発した術式は、完全に消滅している。
だが彼の頭には、たった今見た光景が焼き付いて離れなかった。
──剣が、魔法を切り裂いた。
詠唱も、詠唱破棄もない。ただの一閃。
魔術師の理屈を超えた、それは“破壊の理”だった。
「……な、なんだ今の……」
ノアが掠れた声を漏らす。
返答はない。レオンは剣を鞘に納める。感情の欠片も浮かばないその横顔は、まるで“出来すぎた機械”のようだった。
結界外ではEクラスがざわついている。サラは言葉もなく、呆然としている。
「大丈夫か?レナ」
エリックがレナに振り向く。
「なっ、何が起きたの?」
「魔力の暴発だ。Sクラス、それも魔術師のノアが起こすなんて初めて見たぞ。その暴発した魔法をレオンが斬った。あり得ねえ」
エリックは真っ青な顔をしていた。レオンが魔術を消滅させなければ、自分を含めて怪我していたのは確実だった。
「何をしている! 訓練は中止だ!」
怒声が響いた。
漆黒の外套を纏った監督官が、魔力探知の結晶を叩きつけるようにして叫ぶ。
焦げた魔力痕が実技場の床一面に広がっていた。
「Sクラスの訓練で暴発を起こすなど、前代未聞だぞ! それも下級生の見学中にだ! この責任、どう取るつもりだ!」
ノアは咄嗟に頭を下げた。
「ち、違うんです! 魔術が……暴発して──」
「言い訳は聞いていない!」
教師の叱責が続く中、レオンはただ静かに佇んでいた。実技場のざわめきは、まだ収まらなかった。