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Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第一部 真贋の饗宴
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第2話 学院への帰還

 ◆レオン視点/森から寮へ

 

 レオンはレナを背負って森を出た。


 背中の重みは軽い。彼女は小柄で、骨の線が細い。それでも、その身体の奥にはまだ熱が残っている。


 夜は深かった。学院へ続く道は暗い。だが、レオンは灯りを使わない。灯りは目印になる。


 門の結界が見えた。


 学院の外周を覆う術式は、夜でも淡く揺れている。その揺らぎの癖を、レオンは一瞥で読む。監視の目がどこに寄っているか。巡回の足がどこに落ちるか。今夜は運がいい。監督官の気配が薄い。


 「……自分で歩く」


 レオンの背中からレナは降りた。足元はまだふらついている。服は土と血に汚れ、体の奥には、あの“魔竜の気配”が、まだ微かに残っている気がした。


 隣を歩くレオンは、いつも通りの無表情だった。だが、レナには分かった。その沈黙の奥に、何かが煮え立っている。


 レナはふと、言葉を探す。

 だが、かける言葉が見つからなかった。


 魔竜のこと。血が暴走したこと。レオンが、あの場に現れたこと。

 すべて、まだ現実感がない。


「……ありがとう、助けてくれて」


 ようやく、それだけを呟いた。レオンは答えなかった。歩調も変えず、ただ静かに、レナの頭を一度だけ軽く撫でた。その手は冷たかった。


「次は、ない。お前はもう……二度と、一人で外に出るな」


 低い声だった。その言葉には、苛立ちと焦燥と、何か別の感情が混ざっていた。

 

 寮の影に入る。

 廊下は静まり返っていた。夜番の巡回は遠い。足音が近づくまでの距離を数えて、レオンは鍵を回す。


 レナは、入口近くに立ったまま動けなかった。森の泥と血が乾ききっていない衣服、傷ついた腕、疲労で軋む足。鏡に映せば、自分がどんなに惨めな格好か分かるだろう。


 一歩踏み出そうとして、膝が抜けた。

 転びそうになった肩を、レオンの手が無言で掴む。


 「そこに座れ」


 レオンの声は静かだった。レナはおずおずとソファに座る。

 レオンは棚から薬箱を取り出し、彼女のすぐ横に腰を下ろした。

 

 レナの膝の傷に手を伸ばす。消毒液の冷たさにレナがびくりと肩を震わせた。医務室へ行けば記録が残る。だから、この部屋で終わらせるしかない。

 包帯を巻き終える頃、レナの呼吸がわずかに整った。


「……言い訳を聞こうか。なぜ、一人で森に入った?」


 レナは口を開こうとして、暫く何も出てこなかった。適当な言い訳ならいくらでもできた。だが、それを言った瞬間、彼がもう一歩深いところで、確実に“壊れる”と、直感でわかった。本当のことを言うしかないと思った。


「自立しようと思ったの。このバイトは魔物痕跡の調査依頼で危険なものじゃないって聞いて。魔竜は百年以上眠ってるのは知ってたから」


「結果はどうだった?」


「ごめん、なさい」


 俯いて、小さく呟いたその言葉に、レオンは何も返さなかった。

 

 

 ***


 

 ◆イリア視点/森・クレーター縁

 

 ――その夜。


 森の奥の焦げた空気の中。風も動かぬその場所に、ひとりの男が現れた。イリア・ヴァレンティア。

 白金の髪が揺れ、真紅の瞳が、笑っている。


「……ふふっ」


 笑みが零れた。


 木々が倒れ、岩は溶け、空間そのものがねじれた跡。

 まるで世界が一瞬、死を迎えたような深淵のクレーターが目の前に広がっていた。


「ずいぶん派手だね。君らしい」


 男は縁に膝をつき、地面へ指を這わせる。

 焦げた土。熔けた石。そこに残るのは、燃え尽きたはずの温度だけ。


「……生きてたんだ。レナ」


 名前を呼ぶ声は柔らかい。

 けれど、次の瞬間には、笑みがわずかに深くなる。


「魔竜の痕跡、魔力の乱れ……随分と丁寧に薄められてる」


 彼は目を閉じ、土に残る残滓を嗅ぐように、微細な術式痕へ指を滑らせた。


「……でも、完全じゃない。この程度だと、すぐバレちゃうよ?」


 ぽつりと呟く。


「この消し方、こんな器用な真似、できるようになったんだ」


 指先が止まった。

 そこに残っていたのは、消されたはずの魔力の端緒。

 微笑みが、少しだけ形を変える。


「何で、ここにいたのかな。どうして、君の隣に立ってるのかな」


 風が吹いた。白金の髪が揺れる。

 それでも男の目だけは、笑ったままだった。


 

***

 


 ◆調査班視点/森・クレーター縁

 

 薄曇りの空の下、森の入り口に数名の調査官が集っていた。国家魔術省直属、特別禁術調査班。

 足元の草は踏み荒らされ、数十メートル先には不自然なクレーターが口を開けている。焦げた黒土。熔けた石。だが、それ以上がない。


 隊長格の男が、無言で現場を見つめたあと口を開いた。


「……ここが発生地点か」


 若手が報告書を開く。指がわずかに震えていた。


「はい。数日前、高濃度の魔力反応が検知されました。先発班を派遣しましたが……」


 言葉が詰まる。


「……消息不明です。遺留品だけが発見されました」


 隊長は黙ったまま、次の紙を促すように顎を上げた。


「その後、追跡班も投入しました。しかし、報告が途絶えています。現場に入った形跡だけがあります」


 空気が重くなる。

 精鋭が音もなく消える。

 それ自体が、すでに禁術の臭いだった。


「続けろ」


「残留痕の解析で、ファウレス家由来の魔術痕が微弱ですが確認されました」


 ざわ……と隊員たちが騒めいた。


「……しかし、他の痕跡は、完全に消去されていました。結界痕、魔術構文の断片、血痕、生命反応の名残、すべてが……蒸発したかのように」


 別の調査官が結界検出器を地面に滑らせ、眉を寄せた。


「まるで、ここで何かがあったという証明そのものが削ぎ落とされたようだな」


 隊長は一歩だけ前に出て、膝をついた。目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。

 確かに、何かがいた。圧倒的な暴力と、それに対抗する者の気配。そしてそのすべてを無に返す、冷徹な意志の残滓。


 だが、そこまでだった。

 それ以上を覗こうとした瞬間、感覚がわずかに軋み、弾かれた。


「……ここでの解析は限界だ」


 隊長は立ち上がり、周囲を見回す。


「上層部へ厳重に報告。ただし、これは表に出せる案件じゃない。ファウレスの血が絡む。……撤収する。ここは、これ以上踏み込む場所じゃない」


 隊長の命令に、隊員たちは無言で頷いた。

 そうして、誰もいない森に再び静寂が戻った。


 

 ***


 

 ◆エリック視点/学院・Eクラス教室

 

 数日振りに学院の門をくぐった瞬間、レナは少しだけ歩幅を遅らせた。そこには日常が広がっていた。制服姿の生徒たちが行き交い、笑い声が響くこの場所がどこか遠くに思えた。


「……やっと戻ってきた」


 教室の隅に、ひとりだけ空気の違う少年がいた。

 明るめの茶髪が乱れ気味に落ち、緑の瞳が人懐こい形をしている。上品なシャツにベスト、学院制服の着こなしもきちんとしていて、派手さはないのに目に留まる。

 

 エリック・ハーヴィル。元Sクラス──今は自分からEクラスに籍を移した、珍しい存在だ。

 

 エリックはEクラスの教室の隅で、何気ない風を装いながらも目を光らせていた。レナの姿を見つけた瞬間、その柔和な顔に僅かな影が走る。


(顔色が悪い。足取りもぎこちない。しかも……)


 教室に入ってきた彼女の後ろを、一瞬だけレオンが見送っていた。


「やぁ、レナ。おかえり」


 エリックは柔らかく微笑みながらも、慎重に声をかける。


「……うん。ただいま」


 レナは微笑んだが、その声には張りがなかった。笑顔はあった。しかし“心の芯”が抜け落ちたような空気だ。


「体調は大丈夫か?……少し、痩せた?」


「うん、もう大丈夫。痩せたかな?」


「……気のせいかな」


 そう言いながら、エリックは心の中で思った。


(まるで、何かを“燃やした”あとみたいだ)



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