第15話 触れたら殺す
◆学院屋上
屋上には、風の音と遠くの鐘の音だけが響いていた。レナは手すりに寄りかかりながら、何度もため息をついていた。
オルフェが、ファウレス家の末裔に気付いた。
それは、避けたかった現実だった。
だが、どうしてもあの洞窟のとき、血の力を使わざるを得なかった。
あれを使わなければ、あの場で自分は死んでいた。
そう分かっていても、胸の奥で「見られた」ことへの恐怖が消えない。
そこに扉が開く音。
振り返らなくても、誰かは分かっていた。
「ここにいると思った」
彼はいつも通りの口調で言って、隣に立った。
手すりに肘をかけ、レナと同じように空を見上げる。
しばしの沈黙の後、レナは呟いた。
「私の素性を、気付かれてる」
その言葉に、レオンは眉を動かすこともなく答えた。
「……オルフェか」
レナは小さく頷いた。
「うん。図書館で会って、話したんだ」
「やっぱりな。洞窟の結界を破ったのも、アイツだ。あの時、お前の戦いをどこかで見ていたんだろう」
レオンの声は冷静だった。まるで、すでに全てを計算済みであるかのような響きだった。
「上には報告しないって言ってたけど…」
レナの声はかすかに揺れていた。
「アイツの目的は、”研究”だ。お前のその血──ファウレスの血を、どう利用するか。つまり、お前自身を素材にするつもりだ」
「……」
レナはうつむき、指先を握る。
「オルフェが何を考えてようと、関係ない。俺がいる。お前に手を出す奴は、全部消す」
「……そんな言い方、怖いよ」
「怖くてもいい。……それでも、俺は守る」
彼はそう言い切ると、もう一度だけ、レナの頭を撫でた。
その表情には、穏やかさと、どこか“異常な確信”が混じっていた。
***
◆学院中庭
中庭の片隅。午後の陽が陰り、レンガ敷きの道に長い影が伸びていた。人気のないその場所に、レオンは立っていた。壁に寄りかかりながら、黙って誰かを待つように。
足音が近づいた。
「……用かい?」
レオンの前に現れたのは、オルフェ・クライドだった。
彼の瞳はレオンをまるで観察対象のように見つめている。 レオンがここに来ることを予想していたかのように微笑んだ。
「気味の悪い笑い方だな」
「それは失礼。感情を込めるのは、苦手でね。」
「さっき、レナと話してただろ。図書館で」
オルフェの表情は変わらなかった。
「ふぅん……彼女、報告したんだ。レナさんはとてもいい素材だと思う。見ていて飽きない」
レオンの顔から感情がすっと消えた。
「──実験材料のつもりか?」
「違うよ。壊したくはない。ちゃんと手元で、きれいに保管したい」
まるで陶器でも語るような声でオルフェは言う。
その口ぶりに、レオンの中の警戒と殺意がゆっくりと膨らんだ。
「──お前、自分が異常だと気づいてるか?」
「うん、もちろん。気づいてないとでも思った?」
そう言って、柔らかな笑みを向ける。
無害な顔をして、どこまでも純粋に残酷な男。
それが、オルフェ・クライドだった。
レオンはゆっくりと一歩前へ出る。
「──あいつに、二度と近づくな」
「あれ、そういうことを言う関係なんだっけ? 君たちは、恋人同士ではないはずだが? それとも──君はあの女の子の所有者とでも?」
「……お前には関係ない。レナには、俺がついてる。お前の研究材料にはさせない。手を伸ばしたら殺す。それだけだ」
「……」
一瞬、風が吹いた。
木々がざわめき、空気の温度が下がる。
オルフェは笑わなかった。
ただ、淡々とした声で返す。
「忠告はありがたく受け取っておく。でも、俺は“観察”してるだけだよ。何もしなければ、何も起こらない」
「……それはお前じゃなくて、俺が決める」
レオンはそう言って、壁から背を離す。
「次はないと思え。レナに近づくなら──俺は躊躇わない」
そう言い残して、レオンは去っていった。
オルフェはその背を見つめる。
唇に浮かんだのは、愉悦と興味が入り混じった、わずかな笑みだった。
***
◆レオン視点
中庭を離れて歩くレオンの内心は、外見の冷静さとは裏腹に、荒れていた。心の奥で波打つ何かが、音を立てていた。
(オルフェは、レナを“見ていた”)
それが許せなかった。まるで観察対象のように冷たい目で、レナの中にある“何か”を見透かしていた。
(オルフェ・クライド──あいつは黙って、分析して、誰かを道具にする側の人間)
レナをそういう目で見られることが、何よりも許せなかった。
(レナは……俺のものだ)
言葉にはしない。
口に出すには、あまりにも独占的すぎる。
だが、あの森に駆けつけた時のことは、今も心に強く残っている。彼女の過去の傷も、秘密も、全て背負うと決めた。
──自分の犯した罪さえも。
(だから誰にも触れさせない。あいつを、渡さない)
冷たく吹き抜ける風の中で、レオンの瞳は戦場と変わらぬ鋭さを湛えていた。




