第14話 美しき研究素材
◆ 学院・夜/資料室 ― エリック視点
学院の夜は静かだった。
学生たちは寮に戻り、教師たちも仕事を終えつつある。
だが、ひとり、影のように歩く男がいた。
エリック・ハーヴィル。
かつてのSクラスであり、現在は自ら降格したEクラスの奇人。
彼は、ふざけた仮面の下に、鋭利な観察眼を隠していた。
「さて、どこから調べようかね?オルフェ・クライド」
彼は学院資料室に潜り込み、閲覧許可のない封印ファイルを盗み見た。オルフェに関する事件の詳細。数年前、実験中に数名の生徒が死亡。その後、即時休学。
だが、その後も外部調査で彼の存在は各地で“魔術結界の痕跡”と共に確認されていた。
「休学って、名前だけだったわけか……。完全に野放しじゃん」
資料の隅に添えられた、魔術痕のパターンを確認する。
血で描かれた幾何学文様。高等結界術の典型だ。
(この術式……レナがいた洞窟の崩壊パターンに似てる。やっぱりね)
ページをめくる指先が止まった。
資料の奥、閲覧制限の赤印が押された一枚──そこに、異様な術式が記されていた。
「……これは」
幾何学文様の中心に描かれた、逆転の三重円。
外郭には血流と魂を循環させる経路式。
「死者蘇生……? まさか、こんなもんを再現したのか……」
声が低くなる。
彼の知識の中でも、死者蘇生は“禁術中の禁術”。
原理的には可能でも、魂の秩序そのものを壊す行為であり、成功例は存在しない。
だが、ページに残る血の跡が、それが実験ではなく実行されたことを示していた。
「オルフェ、お前……どこまでやったんだ?」
***
◆ 図書館・上階閲覧室 ― レナ視点(対面:オルフェ)
薄曇りの日の午後。
学院の図書館の、人気のない上階にある閲覧室。
誰もいないと安心していたレナは、ふと気配を感じて顔を上げた。
そこに立っていたのは白銀の髪に紫の瞳、Sクラスの天才と言われるオルフェ・クライドだった。
「初めまして。君がレナ、だね。洞窟では大変だったらしいね」
開口一番、彼はまるで日常の会話のように言った。
「……ええと、オルフェ……さん?」
「オルフェでいいよ。それよりも、Eクラスの君が、生き残れるなんて、運が良かったんだね」
その声に、悪意はなかった。
レナは小さく会釈しながら、机に置いたままの本に視線を戻した。
「……ありがとう……ございます」
声がわずかに揺れた。
レナはそれを悟られないように息を整える。
「でも、運だけじゃ説明がつかないな」
オルフェはレナの前の机に片手を置くと、わずかに身を屈め、彼女の目線に合わせるようにして言った。
「君の、その“血”によってじゃないかな?」
レナの指がページの角で止まった。
「……何のことですか?」
努めて平静に、視線も逸らさずにそう返す。
だが、全身がこわばるのを止められなかった。
「だって、君、ファウレス家の末裔だよね?赤魔石──あれは、“血そのものに宿る魔力”が結晶になったものだ。君の血がそのまま魔石に変わる、特別な家系。……だから“呪われてる”って言われてる」
低い、囁くような声。
だが、それは確かな確信に満ちていた。
「……」
「──ああ、答えなくていいよ。今の沈黙だけで、十分」
その言い方はどこまでも優しく、どこまでも冷静で──
レナは背筋が凍るような錯覚を覚えた。
レナは微動だにしなかった。
オルフェの言葉の意味が、嘘ではないことを本能で理解していた。
「安心して。別に学院上層部に報告するつもりはないよ。俺だけが握っていたい秘密だから」
彼は穏やかに笑った。
「……」
「君、擬態が上手いね。普通に生活していたらまず分からない。魔力も抑えてるし、言葉遣いも無難で、立ち居振る舞いに特徴もない。けれど、違和感というのは残るんだ」
レナの口元にかすかに力が入る。
「それに、“あの時”の魔力を見たよ。あれはただのEクラスの子が出せる力じゃない」
オルフェは楽しげに続けた。
「血に宿る魔力ってさ、強力な分使えば全身に反動がくる。俺は結界の残滓を見ただけで分かるんだ。無理してたでしょ?目、霞んでたんじゃない?」
レナは答えなかった。
彼女の瞳は確かに揺れていたが、それでも決して崩れなかった。
沈黙の中で、オルフェはただ一言、楽しそうに付け加えた。
「君、面白いね。レオンが君に興味を持つ理由も、何となくわかる気がするよ」
その名が出た瞬間、レナの眉がかすかに動いた。
オルフェはそれを見逃さなかった。
「じゃあ、また今度。レナ・ファリス──いや、ファウレスのお嬢さん」
さらりと言い残して、彼は踵を返した。
その背が消えた瞬間、レナはようやく息を吐いた。心臓の音がやけに大きく響いていた。
(……オルフェ・クライド。あの人が、洞窟の結界を壊した犯人だ……)
手のひらが、冷たい汗に濡れていた。
***
◆ 図書館外の廊下 ― オルフェ視点
図書館を出た廊下で、オルフェは一度立ち止まり、窓の外に目を向けた。鈍色の空、雨になりそうな重たい雲。
「うん、やっぱり、ファウレスの血だよな」
口に出さずに、ただ思考の中で呟いた。
あの魔竜の森で感じた、かすかな“残滓”。
緻密で、制御された血の魔術。
(魔竜の森にいたのが彼女だったなら、あの反応も納得だ)
思考は滑らかに繋がっていく。
過剰に抑圧された魔力、揺らぎの少ない感情、擬態。
自分と同じだ。いや、彼女の方が“人間らしい顔”を保っているぶん、より深い破綻があるのかもしれない。
(……あの時、血を流しながら戦っていたな。命を削ってまで、生きようと抗っていた)
オルフェの中で、微かに何かが揺れた。
“歪に削れた美しさ”に、ひどく心惹かれた。
まるで、芸術品のようだった。
触れれば壊れそうで、それでも目を逸らせない。
あの血と魔力にまみれた姿を思い出すと、心の奥に熱が残るような気がした。
「……レナ、って言ったな」
オルフェは微かに呟いた。
レナ・ファリス。
学院では無力なEクラスの少女として暮らしている。
オルフェは笑みを漏らす。
(彼女を、俺の研究対象にできたら……)
想像するだけで、心が躍る。
血の魔術の系譜、それも滅んだ一族の末裔。今すぐに無理やり実験するつもりはない。そういう下手な真似をすれば、レオンが牙を剥くのもわかっている。
(時間はある。時が来るのを待とう)
レナを壊すつもりはない。少なくとも今は。
だが、どこまで抉れるのか、試してみたくなった。
「レナ、君は最高の素材だ」
独り言のように呟いて、オルフェは歩き出した。




