第13話 見ていた者
◆ 洞窟・最奥(結界内) ― オルフェ視点
洞窟の最奥、静かに揺れる魔力の膜。
誰も感知できぬ“歪んだ空間”の中に、ひとりの青年が佇んでいた。
白銀の髪に、紫の瞳。
その瞳は冷たく、ただ観察者として見ていた。
オルフェだった。
彼は足を組み、虚空に設置された結界転写盤の上に腰をかけ、静かに見下ろしていた。
そこでは、血に塗れた少女と、剣を振るう青年がいた。
「…………ああ、なるほど」
地面に広がる魔術痕跡を結界の目で“視る”。
血の媒介。歪んだ特性の制御魔術。
これは普通の人間には扱えない。
「間違いない。ファウレスの血。あの“呪われた家系”か」
魔竜の森でも見かけた僅かな魔術痕と一致している。
術式の傾向も、反応波長も。
オルフェは顎に指を当てた。
(まさか、生き残りがいたとは……)
一方で、少女の隣にいる少年を見て、彼は片眉を吊り上げた。
(あの男、全て知っていたな。わざわざ前日から洞窟に入る程の念の入りよう。あの少女の存在を隠すことで、守っているわけか)
剣の動きは、徹底した合理と、殺意と、護る意志が混じっていた。洞窟の狭さゆえ、魔術の選択肢を切り捨て、ひたすらに肉を裂き、骨を断つ。
効率を優先した結果とはいえ──オルフェの目には、ただ粗雑にしか映らなかった。
「兄と同じ“空虚”じゃない。こっちは……“怒り”。全部を壊したくなるような、保護欲と支配欲の混ざった顔だ」
オルフェの口調にわずかな侮蔑が混じりながら、ノートに観察記録を記す。
【洞窟実験:反応良好】
・結界の時限的切断成功
・A級以上の魔物誘導成功
・血魔力の実戦運用における負荷量記録済
・レオン・ヴァレント:剣の性能観測完了
ページの端に、簡単な図解と血液成分反応の数値が記されていた。
学院に報告するつもりは、毛頭ない。
「ふふ。ファウレスの血、レナ・ファリス……だったか」
一度だけ名簿を調べた。
孤児。Eクラス。成績は中の下。魔力量は標準以下。
つまり、外面だけを見ていたら見逃す存在だ。
「いいね。逸材だ。下手に騒げばどこかに持っていかれるだけだ。俺が使うなら……今のうちだろう」
すっと手を伸ばすような仕草をした。
(ファウレス家の血。使い道は、無限にある。結界強化、生体魔術の適応実験、死者蘇生の実験。禁術研究の試料には最高……)
そうして、結界が音もなく閉じられ、青年は姿を消した。 血の臭いに満ちた戦場を背にして。
洞窟の最奥は、ただの岩壁だけが残っていた。
***
◆ 演習待機地 ― 教員/生徒視点
演習待機地はざわめきに包まれていた。
洞窟の入口から、土を蹴り飛ばすような足音が響いてくる。振り返った瞬間、生徒の一人が飛び込んできた。顔は真っ青、唇は震え、呼吸は掠れている。
「せ、先生っ!! あ、あの、ゴ、ゴ、ゴーレムがッ! 中に……! 中に……!」
声が震えすぎて形にならない。
今にも倒れそうな身体を教師が抱き留めた。
「落ち着け!息を整えろ!」
「何があった?ゴーレム?そんなはずはない、この洞窟に……」
「他の班は!?残っているのは誰だ!」
一人の教師が肩を掴み、問い詰める。
生徒は震える唇で、ようやく搾り出した。
「レナ・ファリスの班が……中に……っ……皆……っ……!」
その言葉に、数名の教員が即座に武装し、魔術を展開しながら洞窟へ駆け込んだ。後方では、逃げ延びた生徒たちが地面に膝をつき、泣きじゃくっている。
数分後、戻ってきた教員たちの顔は土気色だった。
一人が、低く、しかし全員に聞こえる声で言う。
「……死んでいる。護衛も、生徒も、魔物も……」
「結界は?どうやってゴーレムが?」
「痕跡はある。だが……意図的に消されている。高位の結界術だ。犯人の魔力波形も残っていない」
別の教師が息を呑む。
「このレベル……少なくとも我々の結界術じゃ追えない」
洞窟は幾重にも枝分かれしている。彼らが確認できたのは学院が指示していた中央通路のみだった。
単なる事故ではない。仕組まれた襲撃であり、しかも巧妙に“足跡を消す”という高度な犯行。
「上に報告を……いや、これは学院上層部案件だ」
少し離れた位置でそのやり取りを聞いていたサラは、耳鳴りのような感覚に襲われていた。
「……レナの班が……?」
馬車の中で笑っていた彼女が、今はもう……?
思考が凍りつく中──洞窟の闇が揺れた。
そこから現れたのは二つの影。
一人は、全身を血で濡らした少女。
もう一人は、返り血を浴びたまま剣を手にし、冷たい碧眼で周囲を見渡す青年。
生きていた。
サラの胸に安堵が走ったが、同時に疑問も芽生える。
(……どうして、あの人がここに? Sクラス、関係ないよね? まさか、レナの為にこんな洞窟まで来たの? 一体、いつから……?)
そんな事を考えると、サラの胸の奥が少し痛んだ。
***
◆ 医務棟・病室 ― レナ視点(レオン/エリック同席)
医務棟の扉が閉まる音がした。
教師たちがレナを聴取をした後に去り、静寂が戻る。
レナは白いシーツの上で毛布を抱きしめたままだった。
隣の椅子では、レオンが腕を組んで壁にもたれている。
そこへ、ノックの音がして、扉が開く。
「よ、調子はどうだ?」
エリックだった。
片手に小さな紙袋を持っている。
「エリック……来てくれたんだ」
「まあな。心配したよ。まさか洞窟でゴーレムと鉢合わせとはな」
レナが微笑もうとした瞬間、エリックの視線がレオンに移った。部屋の空気が一瞬で変わる。
「……で、お前はなんで洞窟にいたんだ? 参加者じゃないだろ」
鋭い問いかけに、レオンは顔を上げ、静かに答えた。
「レナのためにいるのは当たり前だ」
その声には、何の逡巡もなかった。
エリックは苦笑ともため息ともつかない息を漏らす。
「お前らしいっちゃ、らしいな」
エリックはそう言ってレナに向き直る。
「レナ。お前さ、レオンが来るまでどうやって生き延びたんだ?あれって普通のEクラスの子が“うっかり”生き残れる場所じゃなかったよ。状況判断も、あの強敵への対応も、Eクラスの教本だけじゃ、その傷で済まないはずだ」
静かな声の中に、探るような響きが混じっていた。
レナは、ほんの少しだけ目を伏せる。
「……偶然だよ。本当に、何とかしなきゃって必死だっただけ」
その答えに、エリックは視線を外し、自分用のマドレーヌを一口かじった。
「ふーん。まあ、信じる」
軽く言いながらも、声はどこか真剣だった。
彼は視線を落としたまま、少し間を置いて続ける。
「今回の件、犯人は不明だと先生たちは言ってる。
でも、俺はオルフェが怪しいと思ってるんだ。あいつが復学した直後だろ? あの男、倫理観ないからな」
「でも……証拠はないでしょう」
レナの言葉に、エリックはため息をつく。
「ああ。完全犯罪タイプってやつ」
そのとき、椅子に腰を掛けたまま黙っていたレオンが、ゆっくりと口を開いた。
「──あの男だとすれば、僅かな証拠すら残さない」
「そうなんだよな。正直言って、俺がSクラスを辞めた理由の一つでもある」
彼は気を取り直すように紙袋を開け、中から焼き菓子を取り出した。
「ほら、焼き菓子。今回はマドレーヌ。甘いもんでも食えよ。エネルギー補給だ」
「ありがとう、エリック」
レナがマドレーヌを受け取った時、エリックの表情はもういつもの軽口混じりのものに戻っていた。
「どういたしまして、お姫さま」




