06 異世界のウサギはウサギじゃなかった件②
「な、なに……?!」
ミカサは声を震わせ、反射的に腰を上げる。
一方で理仁は、まるで待ち構えていたかのように黒杖を肩に担ぎ、軽やかに左右へと振り回した。
「おいでなすったか」
林の奥――若木の頭をも越えるほどの巨体が、姿を現した。
「理仁、奥の三匹も釣り出せそうか?」
捻れた太い角。垂れ下がる長い耳が、地響きに合わせて揺れる。
その様子を見て、ジョシュアが冷静に声を飛ばした。
理仁は黒杖を急回転させると、懐から取り出した魔導具に引っ掛け、狙いを定めて投擲した。
魔導具は空に放物線を描き、怪物たちの頭上で炸裂する。
ギョロリと動く、細長い瞳孔が理仁を捉えた。
泥をまとったゴツゴツとした外皮を震わせ、ガマガエルのように低く身を沈めた怪物は、まるで森そのものを揺るがすような迫力を放ちつつ、理仁めがけて突進する。
「なん、ですか……あれ……」
ミカサは唇を震わせた。
木々を押しのけるようにして進み出る、その異形の姿に――声すら出てこない。
そんな彼女に対して、理仁はのんきに答えた。
「あれが、一角ウサギだよ」
言葉が出ない。ミカサはただ、口を開けたまま、ぽかんと怪物を見上げていた。
隣でジョシュアが、静かに補足する。
「正確には、成長しきった個体、だな」
一言で例えるなら、
それは――巨大なガマガエルに、ねじれた角と垂れ耳を生やしたような怪物だった。
さきほどまでミカサが盾で受け止めていた、一角ウサギは幼体。
それが、こんなにも醜く恐ろしい巨体へと成長するなんて――ゾッとする。
突進してくる4体の怪物に対して、理仁は平然と走り寄った。
ミカサの顔色を察したのか、彼は冗談まじりに声をかけてくる。
「びっくりするよな!俺も最初見たとき、カエルじゃん、って思ったし! ……っほら」
釣り竿のように黒杖を振りかぶると、長耳の怪物がガバァッと口を開けた。
鋭い勢いで飛び出した舌が、魔導具に巻きつく。
次の瞬間、舌が縮む。
尋常ならざる力で、魔導具ごと理仁の身体が引き寄せられた。
「うひょぉっ」
理仁は声を上げながらも、その勢いに乗じて、黒杖を見えないほどの速さで乱回転させる。
──ボンッ。
爆音と共に、長耳の怪物の額が爆ぜ、宙を舞った。
意思を失った体が、そのまま地に崩れ落ちる。
「そんなに強くないから、怖がらなくて大丈夫だよぉー!」
そう言いながら、理仁の身体は勢い余って明後日の方向へと吹っ飛んでいき、声が遠ざかる。
怒った残りの三体が、地を揺らして動き出す。
一体が理仁を追い、残る二体がジョシュアとミカサのもとへ――手当たり次第に破壊するような勢いで突進してきた。
ミカサは、わずかに冷静さを取り戻していたが、迫る異形の巨体を前に、全身が震えた。
そのとき、隣からジョシュアの落ち着いた声が届いた。
「ミカサ。君の力は、特別なものだ」
怪物たちの突進は、地面を抉り、岩を砕きながら加速する。
土砂が激しく舞い上がる中でも、ジョシュアの声は静かに、確かに届いていた。
「魔力の流れを可視化できるなんて、極めれば……魔法を使う者すべての天敵になれるだろう」
その言葉が終わるより早く、一体が地を滑るように低く構え、勢いよく跳び上がった。
空を裂くように影が走り、ミカサの上に落ちてくる。
「君の進むべき道をいくつか示したい。」
だが、彼女の視線は――ジョシュアに向けられていた。
「一つ目は、“魔法具使い”だ」
ジョシュアは外套の内側から小さな四角い模型を取り出すと、指で弾いて転がした。
模型は発光とともに巨大化し、砲台付きの発射装置へと変貌する。
次の瞬間、轟音が森に響き渡った。
「魔法具の利点は、魔力さえ込めれば、誰でも使える汎用性だ」
砲口から放たれた鉄球が、突進していた怪物に直撃する。
肉と骨が潰れるような音が響き、巨体が大きくぐらつき落下した。即座に姿勢を立て直して跳び退る。続けざまに第2、第3の砲弾が撃ち込まれた。
怪物たちは耳をピクピクと動かし、まるで会話するように動きを合わせると、二手に分かれてジョシュアに襲いかかる。
「二つ目、“詠唱魔術士”」
ジョシュアは空に向かって優雅に手を掲げると、静かに言葉を紡いだ。
「――風よ、切りひらけ」
その言葉と共に、魔力が喉に集まり、指先へと移動する。
腕をしなるように左右に振ると、その軌道に沿って空気が収束し、風の刃となって放たれた。
「詠唱魔術士の利点は、安定した魔法を行使できるところだ」
鋭い風が岩を裂き、大地を削り、左右から迫った怪物たちを一閃で斬り裂く。
血風が舞う中、ジョシュアは一切の汚れも纏わずに立ち、ミカサに向かって微笑んだ。
「そして、三つ目。“魔導師”の道だ」
彼は軽く腕を振って両脇の肉塊を吹き飛ばし、遠くに手のひらを向ける。
まるで何かを掴むように指を動かすと――
林の向こうから、悲鳴のような鳴き声を上げて、理仁を追っていた怪物が錐揉みしながら飛来した。
一瞬のことでミカサの目には追いきれなかった。
彼女はまばたきをやめ、ジョシュアの手元を凝視する。
ジョシュアの掌には魔力が集まり、さらに怪物の周囲にも淡い魔力の光が灯りはじめた。
――見えた!
「ミカサ、覚えておくといい。火炎魔法の本質は、“燃焼”と“持続”だ」
次の瞬間、ジョシュアの掌から魔力の線が放たれ、それが怪物の額に触れた瞬間――
怪物の巨体が激しい炎に包まれる!
まるで助燃剤に着火されたように燃え上がった。
火の玉を放ったわけではない。燃えたのは、“一角ウサギ”自身だった。
「……っ!」
ミカサは目を見開いた。
詠唱が――なかった。
「魔導師は、現象の理と流れを読み解き、自ら魔法を構築する。難易度は高いが、応用の幅は広い」
そう語るジョシュアの言葉に、ミカサは自然と手を握りしめていた。
胸の前で震える右手を、そっと押さえる。
ふと、過去の高校生活が脳裏をよぎる。
それなりに勉強ができた。学級委員長として周囲の模範となるよう努めた日々。
だがこの異世界では、“落ちこぼれ”と呼ばれ、築き上げた自信は喪失した。
――魔導師になりたい。
絶望は渇望へと変わり、向上心のなかに野心が芽吹いていく。
「……最後に、もう一つ」
ジョシュアは意味深に笑いながら、懐から一冊の本を取り出した。
見覚えのある装丁。魔力が渦巻く、“呑欲の魔導書”。
「今日は静かにしてるみたいだな……昼寝中か? これは“呑欲の魔導書”だ」
彼が表紙を軽く叩くと、寝息のような音が響き、表紙が勝手に開いてあくびを漏らす。
「魔導書は、ただの教本じゃない。“概念”そのものを記述し、意思を持つ」
開かれたページにはきらめく魔法陣が浮かび上がり、そのまま周囲の血や残骸、怪物の亡骸を、まるで吸い込むようにして飲み込んでいく。
「魔導書は、自ら魔法を行使することもあるが、所有者を取り込む危険さえある。禁書指定されているものも多い。
君の持つあの水色の魔導書のように、まだ未知の存在もあるが……」
ミカサは、ジョシュアの手の中にある魔導書と、自分の背負うリュックに入った“水色の魔導書”へと意識を向けた。
選択肢は、確かに目の前にある。
そして自分には、その中から選び取る――“力”がある。
物語の幕開けとしては、これ以上なく鮮烈だった。
第一章のあらすじや場面イメージをPixivに掲載!
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