59 レ・レコンキスタ
毒島の視線の先、ウルヘルミナの背の向こう。
彼女ごと、毒島の腹を貫いた利剣。
「婚約者、じゃなかったのか?」
それを握るラース・ザインは、ニヒルに口元を歪めた。
「ようやく、この剣が届いた。素晴らしい」
湿った空気のなかで、ラース・ザインは狂喜に口をゆがませ、ケタケタと笑った。
握りしめた利剣に力を込める。刃がわずかに震え、毒島の腹部から、じわりと暗いシミが広がった。
血の匂いが、遅れて鼻を刺す。
「……このために、ウルを利用したのか?」
声は震えていない。
それどころか、地の底から叩きつけるような怒気が、静かに研ぎ澄まされていく。
はち切れそうな怒りが、剣心を伝って全身を侵食してくる感覚。
ラース・ザインは眉をひくつかせたが、その微かな揺らぎさえ、狂気で塗り潰す。
「君は隙がないですからね。廃村で彼女を見つけた時、私は天啓を得た気分でしたよ」
口から垂れるようにこぼれたのは、理性ではなく高揚だった。
刃をわずかに揺らし、傷口の感触を確かめる。そのたびに肉が擦れ、血が滲む。
絶対優位に立つ者の自信が、歯の奥から覗いた。
「さぁ、答えてください」
気配を失ったウルヘルミナの身体が、刃に串刺しにされている。
その延長線上で、毒島の腹部を貫く刃から、殺意が脈打つように膨れ上がった。
「私が、君のはらわたをえぐり出す前に──」
刃先が、わずかに沈む。
「喝采の禁書は、何処に在る?」
毒島は口を開きかけ、しかし止めた。
言葉を返す必要はない──状況が、既に全てを告げている。
念入りな計画ではない。
利用できそうで。扱いやすそうで。
機会があれば、使い潰す。
ラース・ザインは、そういう男だ。
かつての戦場での裏切りは数知れず。
その記憶をなぞるように、毒島は一瞬だけ視線を落とし、怒りを腹の底へ沈め込んだ。
──そのツケを、支払っていけ。
宙に、違和感なく手をかざす。
何もないはずの空間に、指が沈んだ。
次の瞬間、毒島は──
絶望の塊を、握りしめていた。
「──?」
ラース・ザインの喉から、短い疑問符がこぼれる。
理解が、追いつかない。
彼は知らない。
戦時中、毒島は常に武装していた。
眠るときでさえ警戒を解かず、武器を携帯していた男だ。
そんな男が慢心した。故に丸腰を好機と捉えた。
彼は知らない。
毒島は、常に警戒を怠らない、戦鬼の如き男。
──今の丸腰は、偽装だ。
だからこそ、油断した。
毒島が握っていたのは、″柄″。
その先に――空間を引き裂くように、紺碧の大剣が引きずり出される。
「──んな?!」
驚愕が、ラース・ザインの瞳を支配した瞬間。
そこに映り込んだのは、感情の一切を消し去った、冷え切った刃の滑り。
即断の一太刀。
反撃は、間に合わない。どころの話ではない。
速さの問題ではない。虚実の妙技を理解するより早く、死が迫った。
──ぐっ、剣が抜けな
思考が途切れる。理性を手放す。
ブシッ──
突き立てていた剣の柄を、反射的に手離した。
身をかがめ、辛うじて致命を避ける。
それでも。
顔から腿まで、空気を裂くような一線が走った。
遅れて、切り口から血が吹き散る。
ラース・ザインは、顔の半分を失った錯覚に襲われ、慌てて指を這わせて確かめる。
そして、ばらけそうになる緊張を縫い留めるように、奥歯を強く噛みしめた。
毒島は、狼狽する姿を気にもとめず、ゆっくりとウルヘルミナを横たえる。
乱れた白い息が、かすかに空気を震わせた。
それから自分の腹に手を当てる。瞬間、コマ割りの映像が切り替わるように、傷口が忽然と消えた。
血も、裂け目も、最初から存在しなかったかのように。
異常な現象を見据えたラース・ザインの口元が歪む。
苦渋と理解がせめぎ合い、やがて皮肉だけが残った。
「回復力では説明がつかない……チート能力、ですか」
短く息を吐く。
「酷い男だ。刺された時に、彼女を先に助けてやればいいものを」
返答はない。毒島は視線すら向けなかった。
その沈黙が、刃よりも鋭くラースを追い詰める。
毒島はおもむろに地面に左手を突き立てる。
指先から力が流し込まれ、大地が呻いた。
隆起。
割れ上がる土塊を割いて。噴き上がる熱とともに、禍々しい圧が磁場を歪める。
地中から引きずり出されたのは、紺碧の大盾だった。
重厚な盾面に走る紋様が、鈍く光を反射する。
「……なんだ、その力は」
わずかに掠れた、恐れを込めた声。
繋ぎ留めきれぬ緊張を、毒島は見逃さない。
「そんなに俺の異能が気になるか」
盾を構えながら、低く言い捨てた。
大盾を前に突き出し、身体は半身。
「好きに、想像してみろ」
背に回した大剣が完全に死角へ沈み、
彼我の間合いは──二重に消えた。
殺意を宿した瞳が、盾の縁にゆっくりと隠れる。
「死んだあとでな」
──刹那。
視界を覆い尽くす、巨大な壁。
距離を詰められたと気づいた時には、既に遅い。
突き出された盾が、ラース・ザインの全身を、空気の層ごと押し潰す。
「──ドロップ・バッシュ」
その声を、耳で拾うことはできなかった。
だが、声に混ぜ込まれた魔力の“練り”は、大盾の衝撃そのものを歪め、桁違いの威力へと増幅する。
「言霊、魔ほ……なぜ、使え」
折れた歯が宙を舞い、鼻から血しぶきが噴き出す。
ラース・ザインの顔が怒りに歪み、理不尽な圧力を、血走った眼で睨み返した。
たたらを踏む。
後退する足に力を込め、崩れた体勢を立て直そうとする。
──だが。
その一歩で生まれた間合いは、すでに毒島のキルゾーンだった。
慣性を殺さぬまま、体躯の流動を乗せて、紺碧の大剣が滑るように落ちてくる。
「──雷撃ち」
豪速の刃が、空間を刺し抜いた。
体の半分を削り取るような刺突。
およそ有り得ない轟音が背後で炸裂し、意識が引き剥がされそうになる。
視線を下げては、死ぬ──
極まる緊張のまま、間一髪で身を交わす。
……だが、左肩先の感触が、ない。
宙に放り出された左腕が、無情にも毒島の大盾に弾き飛ばされ、視界の外へ消えた。
「ふっ、ざける──ぬぁああ?!」
視界が、がくりと傾く。
次の瞬間、両脚が横一文字に刈り飛ばされた。
その事実を理解するより先に、左耳をなぞるように、大剣の刃の冷たさが触れる。
「────」
声にならない声を残し、
ラース・ザインだった“それ”は、数十メートル先まで、斬り飛ばされた。
毒島は、血糊を払うように大剣を振り降ろし、背を向けた。
振り返る素振りはなく、ドサリと崩れ落ちる音に反応するものはなかった。
視線の先には、横たえられたウルヘルミナがいる。
乾いた涼風が吹き抜け、縞模様の髪を、そっと撫でた。
「腹の傷は塞いだ」
風の間に告げる。感情を載せるには、短すぎる言葉。
「……俺を殺しに来るなら、闇ギルドに来い」
それは決別か、約束なのか、判断はできない。
短い一瞥に言葉を仕舞う。
次の瞬間、毒島の姿は陽炎のように揺らぎ、疾風のように、その場から消えた。
次回予告――踏み出す意思が、すべてを壊す。
少女の世界は、いつも優しくない。
だが、夜明けは、覚悟の先にある。
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