05 万年駆け出し先輩冒険者。今日も誤認逮捕帰り
メモリウスに見送られ、夕焼け色に染まる通りを歩いていたジョシュアたちは、やがて賑やかな飲食街へと足を踏み入れた。
セラに案内されて立ち止まったのは、古びた木の看板が軒先にぶら下がる一軒の居酒屋。
『酒と肴 わだつみ』──墨で書かれた文字はところどころかすれて、不思議な温もりを醸し出している。
いざ行かん、とセラが鼻を鳴らして引き戸に手をかけた。
ガラガラ、と戸が音を立てた瞬間、ふわりと濃密な香りが鼻をくすぐった。
炭火で焼かれた肉の香ばしさ、じっくり煮込まれたスパイスの芳香、そこに酒の甘やかな発酵香が加わり、一瞬にして別世界がそこにあった。木板の壁にはメニューが所狭しとならび、酒場の奥方らしき婦人がビールジョッキを手にニカリと笑いかけてくる大きな絵画が目に入る。
圧が……と思わず足を止めるジョシュアの横でミカサが呟いた。
「うわ……いい匂い」
店内からは仕事帰りの冒険者たちの笑い声や、杯を打ち合わせる乾いた音が賑やかに響いてくる。木の床を歩く足音、食器がカチリと鳴る音。時折、「乾杯!」と陽気な声があがる。
壁際のテーブルでは、旅人たちが今日の報酬を一枚ずつ並べて数えていた。
セラが空いた席を探してきょろきょろと見回していると、奥の演奏スペースの近くから、どこか聞き覚えのある声がかかった。
声に反応して振り返るセラは、顔をしかめて「げ……万年駆け出し先輩冒険者」と反応する。
ミカサは気になり、揺れるツインテールの先に顔を向けると、店の奥から声の主が手招きしていた。
「もう、あだ名みたいなもんだな」
セラの返しが痛いところを突いたのか、男は困ったように笑いながらジョシュア達を招く。
「キモいわよ」とセラは片眉を持ち上げて受け流し、ジョシュア達はにぎわいを縫うように店の奥に進んだ。ミカサは彼の特徴にどこか見覚えがあるようで、控えめに観察する。
ゆるくパーマのかかった金髪は染めたもので、根元から黒い地毛が覗いている。涼やかな顔立ちを、コバルトブルーの丸いサングラスが隠しているが、その笑顔には不快さがない。異世界人であることをすぐに見抜けるほど、黒のシャツに黒のジャケット、細身の黒パンツと、スタイリッシュな装いだ。
「あっ」とミカサは小さく声を漏らした。ここノアの街に初めて来た折、道案内をしてくれた先輩冒険者だった。
促されるまま席に着いたジョシュアは、男の身なりを見て、からかう様にニヤリと笑う。
「理仁、今日も拘置所帰りか?」
理仁と呼ばれた男は目を泳がせた。
「なんでだよ、仕事帰りだよ。にじみ出てるだろ?1日の苦労と汗のきらめきが」
よく見ると、袖口が泥や煤で汚れていて、テーブルには棒のような武器が無造作に立てかけられている。
「そうね。醸しだしてるわ。商業区でバカスカと木箱を破壊して中身を物色する異世界人を、注意したら殴り返され、やってきた警備員には現行犯と勘違いされて連れて行かれたくらいの切なさを感じるわ」
セラが、ジョシュアと同じ様な笑顔で引き継ぎ、理仁の笑顔がピタリと止まった。
「え、全部当たってるんですけど、一部始終なんですけど。これなんかのドッキリ?まだ続いてる感じ?」
理仁はジョシュアからセラ、ミカサまで見渡し、誰も答えないと見たところで「いや、ドッキリじゃないんかい!」とツッコミを入れてテーブルに突伏した。
「知人が無実の罪で連れてかれるのに誰も助けてくれない現実が辛い」
ボヤきながら肩を震わせる理仁。ジョシュアはなだめながら、そろそろ紹介させてくれ、切り出す。
そだな。と理仁は笑顔を取り戻し、お嬢さんとは久しぶりだな、と前置きして、ミカサに手を差し出した。
「異世界ぶらり旅を満喫中の金部 理仁だ。親しみを込めて兄貴と呼んでくれ」と自己紹介する。
目の前の手に、ミカサは少し恥ずかしそうに手を乗せて、「ミカサです。金部さん」と返した。セラはからかうように「警戒されてるわよ」と理仁の脇をつつく。
金部は眉を下げて笑い、照れ隠しのように、近づいてきたウェイターにテキパキと注文を伝えると、ジョシュアに向けて問いかけた。
「それで、今日はどんな集まりなんだ?」
「……仕事を手伝ってもらう。今日は歓迎会だ。」
ミカサの過去には触れずに経緯を説明するが、理仁は何かを察したようで、ふぅん……とミカサを観察し、彼女のまだ気丈になれない姿に同情のような笑みを送る。だが視線は、ミカサの身体の内側に向けられていた。
(――体内の魔力が外に向かって堆積している。はち切れそうなほど膨らんでいるが、苦しくないのか?……おそらくは誰かに抑え込まれている……)
ミカサの首から下げた冒険者ギルド所属の証が目に入った。
初級の証、ブロンズメイトだ。細かい傷がところどころに見て取れた。
「……冒険者ギルドに加入できたんだな。まぁ、頑張んなよ」
理仁は、先輩からのエールだ、と添えて、ポケットから、繊細な細工が施された銀のバングルを取り出し、そっとミカサの前に差し出した。彼女は戸惑いながらも手を伸ばしかけ、ふと、ジョシュアの顔を見る。
ジョシュアは黙って彼女を見つめたまま、わずかに頷いた。
その仕草に後押しされるように、ミカサは小さく息をのみ、両手でバングルを受け取った。
「……ありがとう」
囁くような声に、感謝と、少しの照れがにじんでいた。
ミカサがバングルにそっと指を添えた瞬間、小さな音とともにパチッと見えない何かが弾けた。
「……っつ!」
反射的に手を引き、バングルを見るミカサの隣で、理仁が悪戯っぽく笑う。予想通り作用したようだ。
「ふはっ、やっぱり反応した」
「……ちょっと、何したの?」
セラが訝しげに訊くと、彼は首をすくめてみせた。
「いや、まあ……静電気でも走るかなと」
ゴンッ
セラが振り下ろした鞄の角が理仁の後頭部に炸裂した。テーブルにめり込んだか?
「……静電気の衝撃の比じゃないな」
引き気味に笑うジョシュアの声に、情けなくうずくまる後頭部が縦に揺れた。
「……まったく」
呆れるセラに、ミカサが笑う。バングルを見直しながら、今度はそっと手首に装着した。
──わずかに体が軽くなったような気がした。
理由も理屈もつかめない。ただ、張りつめていた何かが静かに解けていくような、奇妙な開放感。
(……なんだろ、これ)
ミカサは曖昧な違和感とともに、ふと息をついた。何も変わっていないようでいて、どこかが軽くなった気がする。
しかし、それを言葉にするには確信がなさすぎた。
ジョシュアは静かに理仁へと目をやる。
「……随分と回りくどい」
低く呟いたその言葉に、理仁は肩をすくめて笑った。
「お互い様だろ?」
会話の意図に気づいた者は、この場にはほとんどいない。
ジョシュアの目だけが、わずかに緩んだ。
第一章のあらすじや場面イメージをPixivに掲載!
閲覧いただけますと幸いです!
→ Pixivリンク
https://www.pixiv.net/artworks/134540048