04 幻想図書館——魔導書が歩き回る書架の迷宮
昼下がりの陽光が、建物の影に濃淡を刻む。
市場区の喧騒を抜けると、湿り気を帯びた空気に包まれた。
やがて視界が開け、目の前に立ちはだかる不思議な建造物――幻想図書館の全容が姿を現した。
どこか荘厳で、それでいて幻想的。空にそびえる城のごとき様相。いくつもの小塔が建物と重なり合い、一番大きな塔の先端からは虹色の輝きが地上を照らしていた。
通りから見える入口の門。そこから先は、魔法が施されているのか陽炎のように揺らめいている。奥に見える木製の扉は大きく、押し開けることは可能なのかと思うほどだ。だが、門を抜けた瞬間、ミカサは思わず立ち止まった。
目の前に広がる光景は、まるで別世界だった。
そこは、すでに室内の景色に切り替わり、自分がいつの間にか、巨大な書架の空間に踏み入っている事に気がついた。
「……すごい」
吹き抜け三階まで届く書架の群れ。その先の天井の奥には違う書庫があるのだろう。
無数の書物が整地され、床から天井へと自動昇降する光の足場が縦横無尽に走っていた。
ページをめくる風の音、インクと革装の香り、低く囁くような声が混ざり合い、空間全体が生きているかのようだ。
木製・紙製の匂いが入り交じる棚の合間を行き交うのは、人間だけではない。
赤髭を蓄えたドワーフの老人が両手で巨大な古書を抱えて歩いている。金髪のエルフの学者が宙に浮くノートに筆を走らせ、スーツ姿の異世界人がデジタル端末と巻物を交互に読み比べていた。
視線を周りに回せると、まだ、ミカサが出会ったことがない人種も多く、ネット小説やTVアニメで見かけたような、本を抱える爬虫類型の人影や、眼鏡を押し上げて本を睨む、獅子のような顔立ちの鎧武者の姿まであった。
ひとしきり驚きと感動に圧倒されていると、大広間の中心に敷かれた、重厚なカーペット——その通路の奥から、一人の男が、ゆっくりとこちらに来たづいてきた。
灰色のスーツに身を包み、背筋の伸びた老年の紳士。髪は白く整えられ、眼鏡の奥の瞳は温かくも鋭い。
「お帰りなさい、ジョシュア殿、セラ嬢。そして……新しいお客様ですね」
心が落ち着くような、低く温かい声色だった。
「察しの通りだ。連絡が早いな……話が早くて助かる」
ジョシュアが笑みを浮かべると、男は軽く頭を下げ、
落ち着いた足取りでミカサの前に立つと、胸元に手を添え、丁寧に会釈した。
「リグレット=メモリウスと申します。ようこそ、幻想図書館へ」
穏やかな口調と深い礼で迎えられ、ミカサは思わず背筋を伸ばした。
メモリウスは微笑むと、「こちらへどうぞ」と背を向けて通路を歩き出す。
大広間を抜け、4人は人波に混ざりながら、書架が連なる通路の奥へと吸い込まれていった。
人々の声がだんだんと遠ざかるにつれ、書架の壁は、豪奢な調度品が並ぶ廊下にかわり、足音が反響しだした。壁に掛かった絵画や、装飾から緩やかに漂う魔力が囁くように耳をくすぐる、そのすべてがミカサの記憶に焼き付いた。
そして、視線の先に、絢爛な応接室が現れる。メモリウスが先立って入り一行を招き入れた。
金糸の刺繍が施された赤いカーペット、深い緑の壁紙、装飾の細かい木製の本棚。中央の円卓には陶器のティーセットが並び、淡く香る紅茶の湯気が、空間にやさしい温もりを添えていた。
花々の香りが静かに漂い心が落ち着く。扉の重厚な音から解放された空気がふわりと流れ込んできた。
メモリウスに促されるままミカサは着席する。
ほどなくして、それぞれの目の前に紅茶が注がれ、セラがさっそくカップを摘み、ミカサもそれに倣いそっと紅茶の香りを味わった。
湯気とともに落ち着いた香りが鼻腔をくすぐり、耳まで染み渡る安堵感があった。
「ふふっ……いい匂い。これ、手製のブレンドでしょ?」
「さすがセラ嬢、お見通しですね。花々の香りを基調に、フルーツを少々絞りました」
セラがカップを口元に運び、再び、ミカサもそれに倣う。思わず、目を細めた。
騒がしかった朝とは別世界のようだった。
「……おいしいです」
「それはなにより」
メモリウスが満足そうに頷き、優雅に紅茶を口にした。
ほっと息を吐いたタイミングで、ジョシュアが口を開く。
「そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったな。
俺はジョシュア。
この幻想図書館で司書をしている。脱走する魔導書の回収や、貸出期限を守らない客を取り締まったりする、街の図書館員だ」
普通の街には、そんな図書館員は居ないわよと、突っ込みを受け、苦笑いしつつも、そんなジョシュアに目配せされた先、セラが悪ぶった笑顔で続ける。
「セラよ。同じく幻想図書館の司書をしているわ。さっきボコった連中の後始末も、私の仕事。魔導書関係、外で暴れる奴は基本全部担当してるわ」
セラの自己紹介に図書館の司書とは……とジョシュアが若干引きつつ、目配せする。すると、メモリウスが頷き、ミカサの視線を誘導した。
「そして私は、幻想図書館の管理役を務めておりますリグレット・メモリウス。貴方のような来訪者を迎えるのも、我々の大切な仕事なのですよ」
少し間を置いて、ミカサが恥ずかしそうに視線を落とした。
「……ミカサ。さっき言った通り、ただの冒険者……です」
胸元には、ずっと離さずにいた水色の魔導書。
「その“ただの”が、どれほど重いものか……外から来た人にしかわからぬものですね」
メモリウスが微笑みながら、セラのカップに紅茶を継ぎ足す。
紅茶の香りに包まれた空間は、しばしの静寂を与えた。
突然、セラが「うわっ」と叫ぶ。
「なんだい、ジョシュアくん! 冷蔵庫の奥になんて良いものを隠してるのかしら。 ほら、見てこのスイーツ! フワッフワのクリームに――!」
「なぜ俺のだとわかったんだ、いや何で食べ始めてるんだ、あっ、こら、俺の癒し――!」
メモリウスはその光景をやさしい笑みで見守りながら、静かに紅茶のカップにお茶を注ぎ足す。
じゃれ合うふたりを見て、ミカサは小さく笑った。ほんの少しだけ緊張が解けた気がした。
談笑が落ち着いた頃、メモリウスは紅茶を一口飲み、静かに語り始める。
「幻想図書館は、世界各地に出入口を持つ魔法建築です。ここでは古今東西、あらゆる書物――珍書や、魔導書をも保管しています」
ミカサは頷きながら静かに聞いた。
「魔法学園の人たち、ここを“書架の迷宮”って呼んでました。ダンジョン扱いされてるかも⋯しれません」
学園都市の魔法学校での記憶が蘇る。
異世界転移された、まだ間もない頃、他の街の様子や文化が気になり、一時期は脱走者が続出した。
そして、彼らが学校関係者に連れられて戻ってきた時、見たこともない服装や武具を誇らしげに身につけていたことを思い出す。
彼らは、幻想図書館に来たのだろうか。
それとも、問題を起こして叱りを受けたのだろうか。
思考を読み取ったかのように、セラが身を乗り出して、ぷいっと頬を膨らませる。
「勝手に図書館の書物を持ち出そうとする異世界人いるのはそういう事かしら。戦利品とでも思ってるんじゃないの」
「ふむ、ダンジョン扱いとはまた……だが、あながち間違いでもありませんな」
メモリウスは、苦笑いとも諦めともつかないような表情で、紅茶の豊かな味わいを堪能した。
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