44 夜明けの戦火へ。彼の背中
時刻はすでに深夜をとうに過ぎていた。
喝采の禁書との遭遇、息を呑むような猛追――そして、魔導国の猟兵グラヴェルの助太刀。
死に物狂いで走り抜け、ジョシュア達はようやく大都市ノアの外門へとたどり着いた。
ぐったりと意識を失ったミカサを背負うセラは、汗に濡れた前髪を額にはり付かせながら、それでも決して足を止めなかった。
ジョシュア自身も、気力も体力もすでに底をついている。呼吸をするだけで肺が焼けるようだ。
外門の衛兵は規則通りに小言を並べたが、その横顔はどこか気遣いを含んでいた。
こっそりと通してくれたのは――おそらく、警邏隊ヤコートン隊長のはからいだろう。
市街区へつながる内門は夜明けまで開かない。
「今日はここで休め」と、詰所の休憩場所へと案内される。
そこで初めて、三人はようやく窮地を脱したのだと実感した。
ミカサを簡易ベッドへ横たえ、セラが手際よく体調を確かめるように手を伸ばす。まぶたの震え。
意識はあるようで、ミカサは弱々しくも感謝を伝えようとした。
「休んどきなさい」
汗を拭うと照れをごまかすように顔をそむけ、けれど指先だけは優しく黒髪を撫でる。
一息つき、傷口の応急処置を終えたところで、ジョシュアとセラのふたりはようやく異変に気づく。
ミカサの腰に取り憑いた魔導書が、くすぶったまま数冊、燃え落ちていた。
「……激しさが伝わるようね」
西の緩衝地帯では今も魔導国の猟兵グラヴェルが、喝采の禁書を相手に激戦を繰り広げているのだろう。
セラが厳しい表情で呟き、ジョシュアも黙ってうなずいた。
ミカサに取り憑いた魔導書は、もはや形を保つ余裕さえないのだ。決着は近い――そう直感できる兆候だった。
そんな緊張の空気を和らげるように、ミカサがおずおずと体を起こし、ぽつりと漏らす。
「……あの、すこし……お腹がすきました……」
おずおずと、小さく笑みを浮かべる。
その表情を見られただけで、ジョシュアとセラはほっと胸を撫でおろした。
笑顔を向け合える――それだけで、今は十分な吉報だった。
ミカサは腰元にくすぶる勝色の魔導書に気づき、残りの三冊がおそらく燃え落ちたのだと察した。
――私は助かったのだろうか?
戸惑いを見せるミカサに、ジョシュアは燃えくすぶる魔導書に視線を落として静かに言う。
「まだ、終わってないない……。だが、魔導国のあの男は善戦してるようだ」
思えば、ずいぶん色々な事が起きた。どれも想像を超える出来事ばかり。そうだったと、ここにきて改めて実感する。
――私は異世界にいる。
ミカサは、気持ちを整理するために、これまでの出来事を振り返った。
今回の事件――空から落ちた魔導書――とは、喝采の禁書が、自身の頁に新たな悲劇を記すための生贄さがしだった。
異世界転移に巻き込まれて。落ちこぼれになった私は、そうとも知らずに一冊目の水色の魔導書を手に縋りつき、現状を克服する事が出来ず絶望した。
――ジョシュアさん達、幻想図書館の皆さんと出会い、魔法まで使えるようになったけど。
成長こそ実感するが、世界は、少女の想像を簡単に踏み越えてくる。
力を、強さを得るほど、死の危険が近づいてくると錯覚するほどに。
そして、闇夜を祓うように現れた炎の剣士――少し前まで自分を殺そうとしていた魔導国の猟兵グラヴェルが。間接的にではあるが、今度は自分を守る行動に出たことで、ミカサは善と悪の境目が、視点によって変わるものということを身をもって理解した。
力が欲しいわけではない……立ち向かう強さが欲しいと自分を変えた気でいた。だけど……自分には信念がないことも知った。
魔導国の戦争の英雄グラヴェル。
かつて英雄と呼ばれた闇ギルドの首魁、毒島。
――私を救ってくれた幻想図書館のジョシュアさん。
彼らからは強烈な芯のようなものを感じたのだ。苦難に遭っても、折れない矜持。
――だからといって。私が信じる、私の理想。
酒場であこがれを口にした英雄像は変わらない。
英雄。……英雄は、誰が決めるのか。
――私は、まだまだ弱い。困難に立ち向かう強さが欲しい。
これは渇望。分不相応なのかもしれない、理想の導。
憧れだけでは片付ける事ができない羨望が混じり合う。
ミカサの血色が少し戻っていることに気づいたセラは、わざと怒ったふうに眉を寄せた。
「はいはい、さっきまで倒れてた娘が何を息巻いてるんだか。
鼻穴開いてるわよ。引っ込めて、寝てなさい」
「せ、セラひゃん、鼻を摘まなにゃいでぇ」
恐縮するミカサを見てジョシュアの肩から力が抜けた。
安堵に似た温かさが胸をゆるめ、思わず微笑んだ。
ふと、視線が窓の外へ向く。
街道の先、森の向こうで強大な力のぶつかり合う、空気の震えをかすかに感じる。
「……グラヴェルは、俺たちを逃すために喝采の禁書を挑発していたんだ。……五冊目と聞こえたのは気の所為じゃない」
立ち上がるジョシュアの袖を掴みもうと、躊躇いがちにセラの指先が伸びる。しかし、触れる直前で止まり、自らの手のひらを包んだ。
「今から行ってどうするっていうのよ。言いたくないけど、あんたの建造魔法は喝采の禁書と相性最悪だったわよ」
痛いところをついてくるなと、ジョシュアが眉毛をハの字にして苦笑した。
たしかに長時間かけて作り上げた黒城の砦魔法すら簡単に破壊された。確実な対策はない。しかし、突破口たる兆しは見えた。
「やるだけやってみるさ。俺たちの仕事は、魔導書、禁書を回収し封じることだろう」
――だめなら、その時は、別の手段を見つける他ない。
ジョシュアは気を取り戻したミカサの護衛をセラに託し、再び戦地に駆け戻った。
唇は固く結ばれていた。セラは、ジョシュアの背中を見送り、声に出さずに祈りをぶつけた。
――ばか。
次回――いよいよ決着です




