40 称賛に抗え
毒島が目覚めるとほぼ同時刻。
緩衝地帯では、ジョシュア達が喝采の禁書が激しく――。
閃光が、森を裂いた。
木々の影が一瞬で白に塗り潰され、次の瞬間には爆風が追い抜いていく。
「あの変態禁書、いつまで追いかけてくるつもり?!」
息を切らしながら、倒れかけたミカサを背負い直す。
セラの怒気が、夜気に叩きつけられた。
「さすがに……走りすぎて、吐きそうだ」
冗談めかしたジョシュアの声にも疲れが混じる。
足元では土が波打ち、木々の幹が音を立ててひしゃげていく。
背後から――禁書の詩が、追いかけてくる。
昼過ぎに遭遇してからというもの、ジョシュアたちは森を駆け抜け、ノアの街に続く街道を目指していた。だが、逃げ道を悟った禁書が詩を歌い上げるたび、地形が変異し、曲がりくねるのだ。
空が暮れ、西日が傾きはじめる頃には、ミカサはとうに限界を超え倒れてしまった。身体からは、なお白い靄が滲み続けており、気絶と覚醒のくり返し。
もう、何時間も前からセラが背負っている。彼女の頬には汗と血が混じり、息は荒い。
疲弊の色濃いセラに代わり、彼女に呼び出された魔導書が、警護のように周囲を旋回していた。
その先を駆けるのはジョシュアだ。
息を荒げながらも、振り返ることはない。
禁書に背を向けたまま、こちらの位置を悟らせぬように――
彼は進行方向と関係ない場所に、次々と建造魔法で妨害壁を生み出していく。
立ち上がった壁は『喝采の禁書』の讃歌の前に瞬く間に瓦礫と化す。
だが、それすらも利用してみせた。
散らばる瓦礫を起点に、爆ぜるような速度で新たな構造を組み、張り巡る蜘蛛の巣のような妨害壁。
繰り返し、繰り返し。
何時間にも及ぶ逃走劇の末、やがて――森の中に張り巡らされた瓦礫の長坂に、『喝采の禁書』が気づいた。
逃げ惑うだけではない。ジョシュアたちが、何かを仕掛けている。
その意図を察したかのように、地底を震わす重い詩声で――「暴風の被災」を歌い上げた。
烈風が奔り、森が、吠える。
瓦礫も、火災の残骸も、濁流のように巻き上げられ。
回避不能な暴力が横殴りにジョシュアを吹き飛ばし、夜空に叩きつけた。
『…………!』
万雷の拍手が鳴り響く中、無惨に放り出される。その近くで、夜光を反射する瞬き。
目を凝らすと、ふわりと浮かぶ――黒曜の欠片が、ジョシュアの周りに漂っていた。
それらはまるで意志を持つかのように、幾何学模様を描きながら走り出す。
傷を負った手が、素早く伸びて掴み取った。
「――いい加減、口煩いぞ」
静かな怒り。握りしめた瞬間、ひび割れた結晶が砕け、地面が眩く発光した、次の瞬間――激震が森を貫いた。
轟音とともに粉塵が舞い上がり、木々がなぎ倒される。
吹き飛ばすように視界が晴れ、顕現する。そこに現れたのは――森を割くほどの巨大な要塞。
そびえ立つ黒壁、複雑に組み上がる砲塔群。
魔導国の老兵が見れば畏怖を込めてこう言うだろう。
――“砦魔法”。
さすがの禁書も、息を呑むように詩を途切れさせた。その歌声が、止まった。
目も口もないくせに、まるで仰ぎ見るように頁をめくる。
紙片がばらりと宙に散り、かすかなざわめきが森を包む。
『……かの時代に迫る、豪壮よ……』
それは、詩ではなかった。
初めて“歌”以外の言葉が、禁書の中から零れ落ちた。
地を震わせ、空気が軋む。
等間隔に隆起する砲塔が、闇夜を切り裂くように姿を現す。
円環状に展開した戦地を囲むように、無数のバリスタが唸りを上げた。
迷宮のように入り組む防壁のあちこちから、
魔力を帯びた火器が次々と顔を覗かせ、光を孕んで脈動を始める。
短い合図に、砦全体が咆哮。弩砲が唸りを上げ、銃火が閃光の雨を降らせた。
怒涛の弾幕が、喝采の禁書へと襲いかかる。
禁書は、咄嗟に詩を紡ごうとする。
だが、言葉を発する間さえ与えられない。轟音と衝撃が重なり、頁がばらばらと四散。
詩を封じられた禁書は、再現の惨劇を描けず、もがくように空を漂った。
――見つけたぞ、突破口。
ジョシュアの双眸が狂気に昂る。
「離脱するわよ!」
ハッと気づき、セラの呼び声に視線を落とした。彼女の背には、白い靄をまとったままぐったりとしたミカサ。
その姿を一瞥したジョシュアは、息を吐いて怒気を静めると、砦に手をかざし。自動防衛するよう組み替える。
魔力の紋章が走り、砦の機構が低く唸りを上げた。
無人のまま、銃火の砦が禁書に狙いを定めて暴れ始めるのを横目に、ジョシュアは踵を返した。
砕けた瓦礫の上を、セラの導く方角へと駆け出す。
背後では、なおも砦が咆哮し、夜空を焦がす。
疾く走り、林間を切り裂くように進むのだ。
早く。背後からはまだ禁書の詩が嗤うように追いかけてくるぞと。予感は的中。轟音とともに背後が爆ぜた。
ふと、空に異様な怪音が伸びるのをジョシュアは感じた。
振り向いてぎギョっとする。砦の一角が吹き飛び、破片と鉄の塊が噴火したかのように打ち上がっていたのだ。
さながら、森を裂いて噴き上がる瓦礫の逆流。全方位へと弾け飛ぶその塊は、やがて雨のように降り注ぐだろう。
心で舌打ちとともに、どこか感心めいた予感が胸をよぎる――ここまでやるのか、と。
だが猶予はない。降り注ぐ瓦礫に晒されれば、ここにいることが一瞬で露見する。立ち止まるわけにはいかない。汗を拭い、思考を素早く組み立てる。
「……っ」
タイミングの悪さに歯噛みする。先日の毒島戦で開いた裂傷が疼き、じわりと体力を削り始めた。腹の下に力を込め、ジョシュアは短く命じる。
「呑欲、――来い」
命令と共に、彼の周囲の空気がねじれ、呑欲の魔導書が軽快に現れた。
渦巻き模様の魔導書が、ジョシュアの呼び声に応じ、
ひとりで勝手に喜びを爆発させる。
『お呼びですかな、ジョシュア様。
ははぁ……本日の晩餐は、星降る岩石の群れに鉄屑を添えて、でございますなぁ!』
空一面に迫りくる瓦礫の群れが、夜空を覆う。
轟音とともに光の尾を引きながら落ちてくるそれは、まるで隕石雨。
「周囲一帯、全部頼めるか?」
『軽くひと呑み、でございますとも。……塩気が欲しいところですがねぇ』
呑欲の魔導書がぐるりと渦を巻く。
その中心から、闇色の気流が噴き上がり、空気を巻き込んだ。
降り注ぐ瓦礫と鉄の雨を、音もなく吸い尽くしていく。
とてつもない吸引力――風圧に押されながらも、セラが思わず息を呑んだ。
渦の中心から漏れ出す気配は、まさしく“飢え”そのもの。
『お裾分けだ』
ジョシュアに向けた甘えた声色ではない。
ゾッとするほどの重い濁音に乗せて、呑欲の魔導書が喝采の禁書の方角へと口を開く。
飲み込んだ全てを、弾丸のような速度で吐き出した。
『…………!!!!』
喝采の禁書が悲鳴のような音を立て、残骸の奔流に呑まれていく。
その衝撃で距離が一気に開いた。
ミカサの身体にまとわりついていた白い靄が、ふっと消える。
セラとジョシュアは視線を交わし、同時に走り出した。
だがその瞬間――
視界の先、地面が、爆ぜるような音とともに崩れ落ちた。
『この私に、吐瀉物など寄越しおってぇ……!!』
闇の底から響く声。
地鳴りとともに、砕けた大地の隙間から黒い頁がぞろぞろと舞い上がる。
「――まわり、こまれた……だと?!」
前方の空が割れた。
そこに、喝采の禁書がゆっくりと浮上していく。
頁の束が舞い上がり、黒い羽のように散りながら、その中心に白金の輝きが集まる。
見下ろすように、禁書の声が響いた。怒りを帯びた美声が、夜空を裂く。
『──天は哭き、地は讃を乞う
審判の譜よ、楽歌を鳴らせ
叩き落とせ、四柱の鉄槌
街を穿ち、祈りを踏みにじれ──』
詩が終わると同時に、天上からどす黒い閃光が降り注いだ。
大地を砕きながら、四本の巨大な腕が落下する。
――ズシンッッッ
それはまるで天罰――街を壊し、踏み荒らす異形そのものだった。
囲まれるように、濛々と立ち上る煙。
その中から、ぼやけた輪郭をした巨大な腕が現れる。
天から伸びた巨大な四本腕。
一本が大きく振りかぶって……視界いっぱいを、ひと振りに薙ぎ払った。
空気が裂け、地を抉り、周囲の森が爆ぜた。
大気を震わせて、拍手の大音量とともに突風が迫る。
「っ……建造、大関門!!」
ジョシュアは反射的にセラとミカサをかばい、
魔力を叩きつけるように地面へ。
脈打つように辺りが隆起し、鋭い角が生え揃った堅牢な外門が生成、斜めに突き上がる。
剣山のような防壁が突風を跳ね返し、悪鬼の腕に噛みつく――が。
――轟音。
次の瞬間、防壁は叩き潰され、粉塵と破片が嵐のように飛散した。
「我ながら情けないな! 脆すぎるにしても程があるだろ。
セラ、後退だ!」
風圧で髪をなびかせながら、セラが怒鳴る。
「これ……もうノアまで戻っても手に負えないんじゃないの?!」
頭上では、なおも禁書が詩を紡ぐ。
その一節ごとに、夜が軋み、星が鈍く明滅した。
喜悦にも似た濁った響き。その声は美しく、そして酷薄さを帯びる。
『──英雄が鬼を討った。だが街には誰もいない
讃えられる声もなく、沈黙の怨嗟が積み上がる
故に、捕らわれ責を負う。その鎖こそ、讃歌の証──』
詩が終わると同時に、空気が震えた。
天から伸びる巨大なよつ腕が苦悶の叫びを上げ、灰のように崩れ落ちていく。
だが、沈黙の代わりに、どこからともなく響く鎖の軋む音が夜を裂いた。
「っ、まさか……!」
セラの目が見開かれる。
視界の端で、ジョシュアも気づかぬ間に、その身体に――半透明な鎖が絡みついていた。
音もなく、しかし確実に巻き付き、骨を軋ませるほどの力で締め上げる。
「ぐっ……!? これは……!」
抵抗しようと踏み込むセラだったが、その手は鎖をすり抜けた。
霧のようでいて、確かな質量を持つ不可視の束縛。
触れられない。壊せない。
「ジョシュア、待って、これ……魔法じゃない!
禁書の歌そのものが、現実を縛ってる!」
ジョシュアの喉がかすれる。血を滲ませながら、低く笑った。
一瞬、敗北の記憶が蘇ったのだ。間に合わなかった友の死。
縛り付けられ、頭を垂れる後ろ姿に手を伸ばした。苦い記憶。
身体から何かを抜き取られる感覚が過ぎり、視線を落とすと、灰色の魔導書が取り憑いていた。
「……なるほど、これが白紙の魔導書の正体か。
詩の中で英雄を捕らえた……俺の記憶を盗み見たな、喝采の禁書!」
禁書の頁が風に踊り、月光を反射した。
その佇まいは、まるで嘲笑する観客のようだ。
鎖が一斉に鳴動した。
大地が震え、ジョシュアの身体が地面へと叩きつけられる。
その瞬間、地の底から漏れ出すように、無数の詩の断片が彼の周囲を取り囲んだ。
繋がれたジョシュアの頭上で、喝采の禁書が狂おしいほどに歌い上げる。
その声は祝福のようでいて、断罪の鐘の音だった。
『──敗北の英雄は、約束の明日を見ずして、処刑された。
さぁさ、皆様、お待ちかね――喝采!』
立ち昇る拍手の音に合わせて空が裂ける。
闇の帳の彼方から、巨大な剣刃が――ぼやけた輪郭のまま、ゆっくりと滑り降りてくる。
光を失った鏡のような刃面が、月明かりを跳ね返し、森のすべてを白く照らした。
ざわり、と胸を打つ。恐怖が心臓を叩いた。
その瞬間、ミカサの瞳がわずかに開く。
薄れゆく意識の中で、降り落ちる刃を見上げ、掠れた声を上げた。
「……やめ、て……!」
セラがミカサを寝かせ、即座に駆け出す。足音が土を蹴り、風を切る。
彼女は鎖の中へ身を投げた。
だが、ぼやけた巨剣の刃は彼女をすり抜け――まるで存在を否定するかのように通り抜けて。
ジョシュアの目に、セラの驚愕と恐怖が映る。
その視線をまっすぐに受け止め。
「コツは、否定だ――」
怒りに滲んだ、誰かの声が鼓膜を打った。
「――称賛に、抗えッ!!」
爆音にも似た一喝が、空気を叩いた。
刹那、ジョシュアの全身から爆発した殺気が迸り、鎖を這うように逆流していく。衝撃波が狂刃とかち合い、ぼやけた刃が堪えきれず、ひび割れた。
バキリ、と音を立てての崩壊。刃の幻影が光の屑となって四散していく。
夜空が裂けるように風が吹き抜け、星屑のような残光が闇を晴らした。
その奥から――現れたのは。
腰につるした符具が、乾いた音を立てた。
灰色の外套が夜風にはためく。
強靭な体躯の隣には、炎に濡れた快剣が滴るように燃え滾る。
握りしめるは『英雄狩り(イェーガー)』。魔導国の猟兵――グラヴェル。
燃え盛る剣をひと振りするだけで、荒れ狂う炎が裂け、瓦礫が吹き飛び道が開く。
舞い上がる火の粉の中、獰猛な笑みが浮かんだ。
「借りを返しに来たぞ、図書館員」
次回、グラヴェルは、どちらなのか!




