37 天変地異
灰と死の谷へ——。
ジョシュアは、セラとミカサを伴って街を抜け、西の大森林へと入った。
商隊がいききする街道を離れると、空気の湿り気が変わる。土の匂い、木々の滴る水音、鳥の影が枝葉をかすめて飛び去っていく。
森の中に踏み入れてしばらく歩く。ミカサの腰に貼り付いた魔導書は、今も息を潜めるように沈黙を保ったままだ。
『真言の魔導書』の予言通りなら、この先に騒動の黒幕がいるはず。
何度も不安を飲み込むほどに、足取りが重くなっていく。
森全体が何かを警戒して、引き返せと訴えてきているよう。
緊張に喉を鳴らし、前を向けば——。
セラが、木陰から飛び出す牙獣をアタッシュケースで豪快に殴り飛ばしていた。
「よっ、と!
まったく、道案内がわりね」
鈍い音とともに獣が転がり、セラは軽く息をついて笑う。
笑顔が、奇妙なほどに頼もしい。胸中に広がる不安が、少しは晴れた気になる。
だが、森が深くなるにつれ、空気が変わった。
風が止み、音が吸い込まれる。葉擦れひとつ聞こえない。
遠く、霧の向こうに荒野の地肌が覗く。そこが——魔導国との緩衝地帯。
ジョシュアが目を凝らしたのは偶然だった。不可視の異変を感じると同時に、全身に戦慄が走る。
緩衝地帯の手前で、何か大きなうねりがモゾリと動いた。
続いて、強大な魔力の波が、足元の大地ごと震わせる。
ミカサは異能——【魔力の流れを可視化する力】の効果を得て、地面から伸びる地脈のような魔力のうねりを追いかけた。その先、遠くの木々の向こうを見上げて愕然とする。
「うそ……こんなの、前まで無かったのに」
ミカサが呆然と呟く。
彼女の瞳には、見えざる魔力の渦がはっきりと映っていた。
「見える……。あれ、渦の中心にいるの、まさか——」
風が止んだ。
鳥の声も、木々のざわめきも途絶える。
——森が、息を潜めている。
思わず立ち止まり、胸の前で手を握った。
冷たい風が頬をかすめた気がしたが、それは風ではなかった。空気そのものが、歪んでいる。
次の瞬間——。
待っていたかのように、突風が森を裂いた。
抜け根の木々が宙を舞い、錐揉みした牙獣が、見えざる力に弾き飛ばされるように林の奥から飛来してくる。
地面が跳ね、土砂が雨のように降り注いだ。
「下がれっ!」
ジョシュアが即座に魔法壁を展開し、セラが前に出てアタッシュケースを振り回し飛来物を弾く。
風の轟音の中で、ミカサは目を開けられずに俯いた。
——何が、来るの? 鬼か、悪魔か。
しかし、土煙から浮かび上がり、視界が捉えたのは異形の影ではなかった。
嵐の中心、静寂の渦の中。
それは浮かんでいた。
宙に舞う塵ひとつ触れぬまま、純白に輝く装丁の魔導書。
淡い光が頁の隙間から零れ、森の影を白く染め上げていく。
賛美の悪魔ではない——だが、場違いな異物感が警鐘を鳴らす。
「こんなところに……魔導書?」
思わず声を漏らした。
その瞬間、魔導書はひとりでにバラバラと頁をめくり始め、純白の装丁から荘厳な光を放たれる。
『其は天美な惨劇の産声であった——』
響くのは、テノール歌手のような、落ち着きと威厳を湛えた歌声。
場違いなほど美しく、冷たい空気の中に溶けていく。
「気を緩めちゃだめよ、ミカサ!」
セラが叫ぶ。
ジョシュアもすでに構えていた。
——なぜ——、どうしてそんなに焦っているの?
状況の急変に、身体が反応できず、硬直する。
ラウンドシールドを装着しないといけないのに、握りしめた手が動かない。
『母なる大地は裂け、吹き上げる喜びは天を焦がした——』
歌声に呼応するように、魔導書から奔流のような魔力が噴き上がる。
さながら、天へと逆巻き昇る光の柱だ。
木々が震え、新緑の葉が舞い上がり、空が鳴った。
釘付けになる。目が、離せない
「セラ、防御だ! ミカサ、俺を見ろ!」
視線を戻す、定まらない焦点。
ジョシュアの手がこちらに伸びていた。
時間が引き延ばされる感覚に全身が浸かる。
夜の聖堂で感じた、あの嫌な予感。
背後に、ゆっくりと“それ”が立ち上がる。
『さあさ、読者の皆さま——ご一緒に。 喝采!』
その瞬間、世界が裂けた。
断崖絶壁を思わせるような熱波が地面から噴き上がり、視界を白く塗り潰す。
木々が爆ぜる音、燃え上がる牙獣の悲鳴。
炎が天を舐め、音が、光が、空気が——煉獄と化した。
そして。
それらすべてを讃えるかのように、
どこからともなく、万雷の拍手が轟いた。
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