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幻想のアルキヴィスタ 〜転生者溢れる異世界で禁書を巡る外勤録〜  作者: イスルギ
第一部 【落ちこぼれと空から堕ちた魔導書】

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31 衝撃戦——首なき天使像


 ——夕刻。


 市場区の外れ、人の気配が途絶えた路地を抜けた先。

 崩れかけた煉瓦の塀の向こうにある古びた教会に、薄明かりが灯った。


 割れたステンドグラスの欠片に西日が差し込み、赤い光が瓦礫の上をゆるやかになぞる。


 朽ちた壁を隔てた大部屋に、豪勢な食事が運ばれたのは、もう一時間ほど前のこと。

 長机の上の皿はすでにほとんど空で、湯気の代わりに冷えた余韻だけが残る。


 黒髪の少女——ミカサは、最後の一口をゆっくりと嚥下した。

 その動きに合わせて椅子がかすかに軋み、音が吸い込まれて消える。

 空になった皿をぼんやりと見つめる彼女の瞳には、焦点がない。

 恐怖も、食欲も、もうどこか遠くへ消えていた。

 残るのは、静かに訪れる“終わり”の気配だけ。



 彼女の正面に座る巨躯の男——闇ギルドのマスター、毒島ぶすじまは、時折、葡萄酒を嚥下する以外は、腕を組んだまま、石像のように動かない。

 その眼差しは、まるで被検体を観察するかのように冷たく、

しかし鋭い光の奥には、どこか“迷い”の影が沈んでいた。



 ——その気になれば、この男は私を殺せる。いつでも。



 そう理解しながらも、無情に時間だけが過ぎた。

その視線は、ただ、見極めるように、ミカサの腰元に貼り付いた魔導書と、近くの台座に放置された焦げた魔導書を、静かに往復した。

 呼吸の音すら遠のく沈黙。

 空気が凍りついたような静寂の中で、ミカサは、自分の鼓動だけがやけに大きく響くのを感じていた。


 夕暮れの光が教会の壁を赤く染めはじめた頃。

 黒肌の美女・レヴィが、幾度か様子を伺いに姿を現す。

 はじめは扉の陰から遠目に二人を窺っていたが、次第に焦燥を隠せなくなり、編み込んだ金髪を揺らしながら、毒島の気に障らぬよう問いかけた。



「マスター……警邏隊の動きが整いだしています。

 始末をするならお早めに——」



 毒島は一瞥するだけで、無言のまま手を振った。

 “下せない”のではない。“下さない”。

 軽はずみな言葉ひとつで部下を斬る激情の主が動かない——レヴィには理解できない線引きだった。

 女は唇を噛み、深く一礼すると音もなく去った。


 やがて、夕陽が沈みはじめる。

 教会の奥に影が伸び、空気が夜の冷たさを孕みはじめる。

 その静寂を破るように、外で靴音が響いた。

 金属の軋み、荒い息づかい、そして——扉が蹴り開かれ、光の粒が差し込む。



「——ミカサ!」



 駆け込んできたのは、幻想図書館の外勤員ジョシュアだった。

 声が、崩れた教会の空洞を震わせる。

 光が差し込み、赤く染まった破片が宙を舞う。

 床の割れ目を紅い線が走り、それがまるで血管のように脈打った。


 毒島は椅子に座ったまま、動かない。

その視線だけがゆるやかにジョシュアを捉える。



 「——ずいぶん時間がかかったな」



 低く、深く沈んだ声。微動だにしない巨躯。

だが、その目には、苛立ちと安堵が混ざった濁光が宿っていた。



 ——待っていた。



 ジョシュアは肩で息をしながらも、瓦礫を踏み越え、ミカサの隣へと進んだ。

 長い追跡の末にようやくたどり着いた、その眼差しには焦燥と安堵が同居している。



「……遅くなった、ミカサ。もう大丈夫だ」



 かすれた声に、ミカサは震える唇を噛み、かろうじて頷いた。

 頬に血の気が戻らないまま、ただジョシュアの姿を確かめるように見上げる。


 ジョシュアは彼女を庇うように一歩前へ出て、ゆっくりと毒島へ視線を向けた。



「幻想図書館の襲撃も、ギルドの一部を裏で動かしていたのも——

 すべて、お前達の仕業だな。

 警邏隊がもうすぐ来る。観念するんだな、闇ギルド」



 毒島は鼻で笑い、ゆるやかに立ち上がった。

 床板が軋み、その重みが空気ごと揺らす。

 薄暗い教会に、その影だけが巨大に伸びた。



「……その口ぶり。ずいぶん走り回ったようだな」



 口角が吊り上がる。獣が笑うような、凶悪な笑み。

けれど、その奥に一瞬、言葉ではない感情が滲んだ。

迷いか、諦めか、あるいは——覚悟か。


 ジョシュアの眉がわずかに動く。

その一瞬の変化を、毒島もまた見逃してはいなかった。



——何か、隠しているな



 「一連の騒動で——お前たちは、何を掴んだ?」



 毒島の声が、低く空気を震わせた。

その響きは、まるで地下から湧き上がる警鐘のように重い。



「……さて、今回は予想外が起きすぎた。

 都市国家ノアは、ずいぶん前から腐り始めている……。

 傷んだ部分は取り除かねば、俺たちにも害が来るのでな。

 お前たちは、良い演者だったが、邪魔になった、それだけのことだ」



 ジョシュアの眉がわずかに動く。

 言葉の中に潜む意味を測りかね、息を呑む。



「演者……だと?」



 夕陽が沈みかけ、教会の内部に伸びる影が二人を分断した。

毒島はわずかに目を細め、その影の中でゆっくりと息を吐く。



「本来なら——ここで黒髪の少女の亡骸を前に、取り乱した貴様を撃ち抜くはずだった。

 ……だが、計画は少々、狂ったようだな」



 その声は淡々としていた。

だが、横目でミカサを一瞥するその眼差しは、どこまでも冷たく、鋭い刃のように光を帯びていた。



——違う。この男は、最初からミカサを殺す気じゃなかった



 ジョシュアはゆっくりと呼吸を整え、声を落とす。



「なぜ殺さなかった。

 ミカサと……あの魔導書。お前は、一体何を狙っている?」



 毒島はゆっくりと顎を上げ、教会の高い天井――崩れかけた十字架の影を見上げた。石壁に映る影は波打ち、夕陽がその輪郭を朱に染める。彼の唇がわずかに震え、祈りにも似た低い声が漏れ出した。



「——容易く得られる情報だと思うな。

 俺の “野望” のために、貴様はここで朽ち果てろ」



 言葉が床に落ちると同時に、場の空気が変わった。湿った煤の匂いがぐっと濃くなり、息を詰めるような圧迫感が胸を襲う。床に散らばった瓦片が振動し、空気の層が微かに歪むのが視界の端に映った。まるで、世界の輪郭が毒島の声に合わせて引き伸ばされていくかのようだ。


 ジョシュアは一歩前に出た。ミカサを守るように身体を寄せ、目を細める。外套の裾が砂をかき、微かな金属の匂いが混じった。



「狙いは、俺か……」



 短い沈黙が落ちる。ジョシュアは背後に目をやり、ミカサと視線を合わせた。彼女は震える唇をかみ、目に決意のかけらを宿していた。ジョシュアは安心させるように優しく微笑む。



「大丈夫だ、少し待ってくれ」



 毒島はゆっくりと歩き出した。鎧の継ぎ目がきしむ音すら、不気味に響く。

その先——かつて祈りの場だった広場に、首なき天使像が立つ。

光を受けたはずの翼は煤にまみれ、祈る手は砕けている。


 毒島は台座の前に立ち、天使像に向けて黙祷した。

振り返りながら、立てかけた大盾を片手に、突き刺した大剣をもう片手に軽々と持ち上げる。


 まとう気配が、暴威のように激変した。

空気が震え、小石が音を立て転がる。


 それを見たジョシュアが瞬きをした——瞬間。


 鎧に覆われた毒島が、驚くべき速さで間合いを詰めた。


 大盾が空気の層を圧縮し、目に見えぬ衝撃波が押し寄せる。


 言葉より先に、衝撃が視界を裂いた。


 ジョシュアは大盾の衝撃を半身をのけぞって回避したが、軸足を踏み抜かれ顔をゆがめる。

急ぎしゃがんだのは、眉間をあった場所を大剣が一閃したためだ。

耳を打つ切り裂き音が心拍を引き上げる。


 間髪なく放たれる前蹴りは身を丸めて防いだが、斜め下から滑るように迫る大剣は防げない。

背骨が抜け落ちたと錯覚するほどの強烈な一撃に苦悶する隙はなく、鈍く光る刃が至近に迫る——!


 しかし刃が届くより早く、ジョシュアは地を踏み鳴らし、魔法陣を展開した。



「——建造フォージ!」



 瞬時に召喚された鉄格子の牢獄が毒島を包み込む。

金属の格子が高速で組み上げられ、悲鳴の様な装着音が響き——


 ——だが、大剣は失速せず豪快に振り抜かれた!


 激しい爆砕音——鉄格子が、ものともせず粉砕し、巻き上がる。

破片が閃光のように飛び散り、風を切ってジョシュアの頬を掠めた。


 その隙に、なんとか大剣の間合いから離脱する。

散らばる鉄片が視界を高速で遮る間に、ジョシュアは呼吸を一度だけ整えた。



 ——これが、闇ギルド最強——毒島直弥ぶすじまなおや

   苛烈で、無駄がない。

   剣も盾も、どちらも本命。

   まさに、一撃が、必殺……!


 ほんの一瞬の余韻。

しかしその一瞬の間に、危機感が跳ね上がった。


 ジョシュアは後退して距離を取りつつ、何処からともなく取り出した魔法具を起動し、二冊の魔導書を召喚した。

渦巻き模様の魔導書と、黒光りする魔導書が、光の螺旋を描いて顕現する。



「——呑欲どんよく撃墜げきつい



『『——あいよっ』』



 ジョシュアはさらに手元から小型の模型を落とし、建造魔法を発動。

瞬時に『鉄筋製の砲銃付きの防御陣地トーチカ』を出現させ、榴弾を放つ。


 最短の動きで盾を構える毒島——その側面、

死角の間合いから、撃墜の魔導書が見えざる魔法弾を撃ち放った。

可視と不可視の十字砲火が巨体を飲み込む——。


だが毒島は短く息を吸うと、まるで風の抵抗を拒絶するように一歩で間合いを詰め、主導権を奪った。



「——リポスト・パリィ」



 盾の表面と縁を使い分け、榴弾を受け流す。

その流れを断たずにトーチカに肉薄。



「——ブレイク・カウンター!」



 撃墜の魔導書の動作から推測し、着弾の瞬間に体をねじり盾を滑らせる。

不可視の魔法弾が弾き返かれ、逆流する魔法が魔導書を吹き飛ばした。


 それを見もせず、毒島は動きを止めない。

大盾が唸りを上げて持ち上がると同時、トーチカを粉砕した。


 瓦礫と閃光が飛び散る中、大盾の一歩は予備動作を生み出す。

床を蹴り割るように踏みしめた先に、トーチカの陰に控えるジョシュアへと——大剣の重みを乗せた一撃が放たれた。



「——串刺クシザシ



 尋常ではない力を込めた刺突がジョシュアの胴に大穴を空ける——直前、至近距離で、呑欲の魔導書の魔法が間に合った。

大剣の“勢い”を渦を巻いて吸い上げる。


 それでいて豪速。ジョシュアは辛くも回避が間に合った。


 毒島の巨躯を活かした洗練された動きが恐ろしい。

慣性を乗せた大剣を片手で操る技巧。

それよりも——大盾を繰り出すタイミングとバランスが、天才的だ。


 ぶわりと汗が噴き出し、体の無事を確認したジョシュアの唇に苦い笑みが浮かぶ。



「……攻撃と防御の隙が……ない……!」



 毒島はその言葉に、低く喉を鳴らして笑った。

凶悪な笑みには、余裕と——長い実戦で完成した動作の静か。



「衝撃の差は、圧倒的だな。

 魔導書使いの図書館員。様子見していると、即死だぞ?」



 そう言いながら、毒島はほんのわずかに呼吸を整えた。

一瞬の静止が、かえって異様な迫力を放つ、恐るべき静寂。

——教会の床が、悲鳴のように軋んだ。


宜しければ評価/感想など頂けますと嬉しいです。


第一章のあらすじや場面イメージをPixivに掲載!

閲覧いただけますと幸いです!

→ Pixivリンク

 https://www.pixiv.net/artworks/134540048

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