28 ノアの中心に、楔を打つ
——時は昼過ぎに戻る。
高級レストランの一室。
白布を掛けたテーブルに銀食器とワインが並び、窓から差し込む午後の陽光が燭台の金を照らしている。
ただ、この時、優雅であるはずの空間は、重苦しい沈黙に押しつぶされていた。
椅子に乱暴に腰を下ろした大都市ノアの評議会 ゼムント伯爵は、金の杖を握りしめ、顔を真っ赤にして苛立ちを隠そうともしなかった。政務に出勤しようとした矢先、半ば拉致同然にこの場へ連れてこられたのだ。
悪路を駆け抜けたのか、上等な服に皺が走り、撫でつけられた金髪は乱れていた。
「……一体、何の真似だ! 我輩をこのように呼びつけるとはっ」
苛烈な声の先には、赤髪を結った男の背中が見える。ゆっくりと振り返った男は、冷めた目つきで眉ひとつ動かさず、余裕の笑みを浮かべたままワイングラスを傾けけた。
「せっかく招待したんだ。昼過ぎの一杯というのも悪くないいだろう?」
「黙れ! 遊びに来たのではないわ!」
伯爵の杖がテーブルを叩き、甲高い金属音が跳ねる。皿に残された肉料理からソースが跳ね、怒りに蒸せられたようにローストされた匂いが不快に立ちのぼった。
伯爵の脳裏をよぎるのは、今朝から続く騒動だった。
冒険者ギルドと警邏隊が慌ただしく動き、街の一角が封鎖された報告に、叩き起こされたのだ。
本来ならば、都市国家を束ねる議員の一翼たる者として、急ぎ評議会へ出向き、事態を収めねばならぬ立場である。それだけではない事情もあった。
理由のひとつは——緩衝地帯での密猟について、ゼムント家の関与が疑われるからだろう。
雇った密偵の報告によれば、住民や異世界人がすでに指名手配され、数名は捕縛されたらしい。
——だがそれは、好都合だ。この件を逆手にとれば、密猟事業そのものを愚かな冒険者どもに押しつけられる。
ゼムント伯はニヤリと口角を吊り上げ、悪巧みを思案する。
——条件はさほど困難ではない。一度、闇ギルドを切り捨てるか? 社会の裏にはびこる有象無象の集団だ。自分の好きなように塗り替える機会でもある……しかし。
不快な頭痛の種が別にもあった。
ここ最近、魔導国の使役獣の密猟に向かわせた私兵や冒険者が緩衝地帯から戻らない。
さらに正体不明の黒装束どもが、ゼムント家の印章を掲げて成りすまし、魔導国の威力偵察部隊に潰されたとの報告まである。
——我輩を利用しようとするなど、舐められたものだ。しかし機はこちらにある。うまく利用すれば、闇ギルドを潰すための仕込みともなろう。
そう算段を巡らせ、評議会へ急ぎ出勤し、沈静化と謀略を両立させようとした——その矢先。
乗り込んだ馬車が襲われ、伯爵は半ば拉致同然に、この高級レストランへと連れ込まれたのである。
卓上に並ぶ豪奢な料理も、彼には毒の皿にしか見えなかった。
何が起きたか、予想はつく。
「……裏切ったな、闇ギルド……!」
怒りに任せ、伯爵は杖を振り回した。磨き抜かれた食器や、彩りのある料理が叩き割られ、辺りに飛び散る。だが赤髪の男は一瞥もせず、涼しい顔で、懐から一冊の帳簿を取り出した。
「裏切り、か。だが、ノアの評議会はこれを見れば、どう活用するかな?」
卓上に置かれたのは、黒々とした帳簿。ゼムント家と闇ギルドの取引を示す裏帳簿だ。
伯爵の瞳孔がぎゅっと収縮する。
「な……貴様、それをどこで……!」
焦燥を見せた瞬間、赤髪の男は柔らかく煽るような声を差し込んだ。
「私兵団でもない黒装束が、私兵と噂される風評被害……。しかし、ここには密猟事業に“貴家が積極的に携わっていた”と見える記録がある。対抗派閥が嗅ぎつけば……お前の収集癖と、我々との過去の取引に、いつくつか整合する点が見えてくるだろうなぁ」
「違う! その支払いは貴様達が卑しくも抜き取った金額だろう。あ奴らは私兵団では……っ!」
伯爵は口を滑らせ、自らの関与を認めてしまいそうになり、言葉に詰まった。いや、ほぼ認めたというところだ。自分の言葉に気づいた瞬間、嵌められたという思いから、怒りを爆発させるように赤髪の男を罵倒した。
「この、日陰の巣窟者共め……国家権力を舐めるでないわ! いいか、我輩を裏切ればどうなるか思い知らせてくれる! 必ず後悔させてやるぞ!」
怒声は怒涛のように響く。額に浮かぶ汗は怒りか、それとも恐怖か。大きく出張った腹を揺らしながら席を立ち、尚も金杖を辺り構わずに振り回した。言葉を短く刻むように、調度品や家具を破壊し凄むように暴れまわり、粉砕された破片がバラバラと壁を打つ。
「貴様らの、身辺を、爪の垢、そう、一片まで探り尽くし、友人も、知人も、一族郎党まとめて根絶やしにしてくれる!」
ゼムント伯爵の顔には、良い方法を思いついたのか、復讐の着想を得た者特有の、ねっとりとした凄みが宿っていた。
「貴様らが先に裏切ったのだ、取引は終わりだ!」
吐き捨てるように言い放ち、杖を乱暴に鳴らしながら退出した。ドスドスと足音を立て、乱暴な音が遠ざかっていく。
赤髪の男は慇懃無礼に頭を下げ、外に控える部下に小声で告げた。
「ゼムント伯のお帰りだ。外に馬車を待機させておけ。目印は“紫”……そうだ、眺めの良い位置にな」
軽く指を弾く仕草で、部下をすぐさま走らせる。
それを見送ると、赤髪の男は扉を閉めて反転し、壁際に立てかけた燭台をねじり曲げた。仕掛け扉が音もなく作動し、滑らかな動きで、からくりの通路が現れる。赤髪の男は何事もなかったような足取りで通路を抜け、そして、隣室へと足を踏み入れた。
その部屋もまた、先ほどの会食の場と同じく、金銀の装飾品や絹の調度で飾られていた。卓上には、まだ湯気を残す料理が惜しげもなく並んでいる。
——それほどの贅を尽くしていながら、空気は妙に冷たく、華やぎよりも緊張が漂っていた。
窓辺に腰かける影が一つ。
大鷲の尾羽根をあしらった外套を肩にまとい、壮麗な衣服を完璧に着こなす紳士。だが、その優雅さの裏に潜む鋭さは、場を支配する刃のようだ。
優しく包むような太い声色で、赤髪の男を快く迎える、彼こそは、大都市ノアの評議会に名を連ね、ゼムント伯と幾度となく政争を繰り広げてきた男——
アイゼンヒュート伯爵であった。
「待ちわびたよ、新たな友よ……なるほど、全貌が見えたな」
猛禽類と見紛う雄々しい表情と低い声に喜色が混ざる。
ゆるりと振り向いたその瞳は、陽のように暖かくも、冷たく研がれた刃のように光っていた。
「かつては解放戦線で肩を並べた、古き友よ、ゼムント──」
指先をゆっくりと広げ、天井の照明をなぞるように視線を巡らせる。
「政敵ではあれ、なお、この国の礎を担う一人だと、お前ごときを尊んでやった」
アイゼンヒュート伯は、わずかに間を取り、口元を釣り上げ、冷ややかな笑みを浮かべる。
「お前の息子には娘を娶らせ、血を分け、恩を施してやったというのに、だ……」
言葉を切って、手の甲で額に軽く触れる仕草が芝居がかっている。そこに居ない客席を見下すように視線を落とし、苦悶の表情で身体を搔き抱いた。
「我が才女ラナリエを、奴隷の如く扱うとは──到底、許し難い」
はらりと閉じた両目を滲ませると、ギラリと見開き、視線を鋭く上げる。
「貴様の、欲に塗れたその腹を――ノアの光が裁き尽くす。財と名声を刈り取り、残るは屈従のみ」
右手を胸に当ててから、腕を大きく振り上げる。強弱に揺れる言葉が壁に反響した。
「そして最後に──おまえの家を、我が派閥の犬へと落とし込むのだ……」
アイゼンヒュート伯は赤髪の男へとゆっくりと視線を戻す。
短く会釈するような合図を送り、わずかに微笑んだ。
赤髪の男は静かに頷き、目の端で控えの部下を指し示す。そこには既に、次の一手が用意されているのが伺えた。
「今日、盤上に揃った証は、その第一歩に相応しい」
アイゼンヒュート伯は食卓に着くと、指先でテーブルを軽く叩き、音を残す。
赤髪の男は、音の誘いに付き合うように、席についた。
「さあ──じっくりと、粛清を執行しようではないか」
伯爵の口元に浮かぶ笑みは、満足というより、残酷さを愉しむ者のそれだった。
赤髪の男は肩を竦めて、悪い笑顔で調子を合わせる。
グラスに注がれた赤ワインを回しながら、その目は笑っていない。
「お役に立てたなら何より。愚か者の末路を手伝いましょう。伯爵にとって都合の良い舞台を整えるのが、我々の仕事。……ご理解いただけたかな?」
「ふむ。その用心深さは買おう。その殺伐とした威圧も、広い心で許す……だが」
アイゼンヒュートは鼻で笑いながらも、その言葉の裏に潜む悪意を嗅ぎ取っていた。
「……忘れるな。駒は所詮、駒だ。主を出し抜こうとすれば、いくら切れ味があろうとも盤上から弾き飛ばす」
赤髪の男はにやりと唇を歪める。
「ご心配なさるな。駒も、王も、我々は得意分野でしてね。……いずれ伯爵の采配が試される時が来るでしょう」
わずかな沈黙の後、アイゼンヒュートの瞳に冷たい炎が宿った。くつくつと笑い声が雄々しい髭から漏れ出る。
「ゼムントの一族は徹底的に潰す。骨の髄まで追い詰め、私の下へ這いつくばらせる……粛清の味を知っているか?」
粘り気のある怨嗟のとろみが、言葉と共に室内に垂れ込める。
赤髪の男はなみなみと注がれたワインを飲み干し、ゾッとする様な美しい顔立ちで楽しげに囁いた。
「ああ……復讐も支配も、甘美な毒のようなものだ」
この一瞬、互いの悪意が絡み合い、黒い盟約が結ばれた。
ここに、闇ギルドとアイゼンヒュート家の結びつきが生まれたのである。
アイゼンヒュート伯爵は満足げに外を眺める。
窓の下には、紫の飾りを施した馬車が停泊していた。
馬車の御者と揉めながら金杖を振り回して乗り込む男を一瞥する。なるほど、と赤髪の男の準備に、満足げに頷いた。
「では……敗者には盤面から退いてもらおうか」
指を鳴らす。乾いた音が壁を打った。
直後、外で爆炎が弾け、馬車と共に凄まじい悲鳴が響き渡った。
荷台が炸裂し、炎と破片が宙を舞う。
赤い残骸と金属が石畳を転がり、紫の煙が貴族街から緩やかに立ちのぼる。
血煙の向こうで何が残ったのかを見た者は、まだいなかった。
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第一章のあらすじや場面イメージをPixivに掲載!
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