24 鎖を伸ばし、糸を切れ
——早朝。
市場区の入り組んだ路地を抜けた先、荒廃した区画に取り残された古い教会が、朝靄の中に黒ずんで佇んでいた。
湿った石畳には夜露がまだ残り、足音を立てるたびに冷たい水滴が跳ねる。空気は鉄と煤の匂いで重たく、どこか焼け跡を思わせる苦みが喉に絡んだ。
崩れ落ちかけた外壁には蔦が絡み、ひび割れの隙間から差し込む光は弱く濁ってか細く消える。
視線の先には、首のない折れた翼の女神像が、半ば瓦礫に埋もれるように立っていた。その残骸が落とす影は薄闇に沈み、石壁の割れ目を抜ける風が時折小さく甲高い音を鳴らしている。
編み込んだ鮮やかな金髪をフードに隠し、潜伏向きの外套をまとった黒肌の美女——レヴィは、そこで足を止めた。
ただの廃墟であれば鳥や鼠の鳴き声が響いてもよいはずなのに、この場には不気味な沈黙しかない。だが、耳を澄ませば——
周囲の景色に溶けるように、闇社会の大物たちが息を潜ませている。空気を、支配していた。
視線を横にやれば、赤髪を後ろで結った男が鋭い目を光らせている。背を壁に預け、顎をわずかに上げた——それだけで、周囲の空気は一段と張り詰めた。彼の傍らには、無表情の巨漢の護衛二人と黒服の部下たち。
その対極には、東国風の忍び装束を纏った小柄な少女が一人。珍しい者を見た様子でレヴィは顔をしかめた。小柄な体躯に大量の暗器を隠し持つ彼女は、闇ギルドの参謀を務める読書野郎——黒兵衛の部下だ。主の前では慎ましく従順を装うが、裏では無遠慮に人を小馬鹿にする、レヴィはその態度を苦手にしていた。
黒兵衛の姿はここにない。召集の命が出た時点で既に動いている、との報告が入った。本人は暗い蔵書庫の中に居たまま、今回も影武者を動かすのだろう。参謀らしいことだ。
最後に女神像の台座の下に顔を向ける。そこには、薄暗がりの椅子に腰を下ろす巨躯の男——闇ギルドの支配者、毒島。
崩れかけた教会を「玉座の間」に変えてしまうかのように、静かな威圧感があたりを満たしていた。
目に入るのは鍛え抜かれた分厚い筋肉と、それを包む、黒と紺碧の具足だ。鉄板には禍々しい紋様が刻まれ、見るだけで皮膚の下を冷たい針が這うような圧を覚える。
噂では、複数の悪魔の素材で鍛造した鎧だという。初めて目にした時、レヴィは「呪いそのものを纏った」と錯覚した。
だが当人は平然と着こなし、静かに腕を組む。その姿に、レヴィは畏怖混じりに「やはり、この方は人の域を超えている」と思わずにいられなかった。
毒島は通信の魔法具を手に、低い声で何者かとやり取りを終えると、顔を上げる。
静かに解かれた威圧がビリビリと空気を震わせた。
ゴキリと首を鳴らし、沈黙を破る。
闇の中で光を灯すように双眸が開かれ、心臓に響くような声色で、集った幹部へと指令を告げた。
「これより警邏を動かし、街を閉ざす。
条件は二つ――鎖を伸ばし、糸を切れ。
幻想とゼムントを堕とし、讃美を絶つ。
……ノアの中心に、楔を打つぞ」
言葉が落ちた。その瞬間、室内の空気がぞわりと膨らむ。
忍びの少女が片膝をつき、両手を床につける。
「御意に」
声と同時に残像を残し、一瞬で姿を消した。
黒服の部下たちも各自の目標地点へと散開し、赤髪の男は護衛を連れて頭を下げると、音もなく姿を消す。
レヴィもまた一礼し、教会を後にした。
扉を出た途端、湿った朝の風が頬を撫で、わずかに土の匂いを運んでくる。
外で待機していた自らの部下に、他の幹部たちの動向を探らせるよう指示を出すと、レヴィは貴族街へと足を向けた。
——同時刻。
闇ギルドの一員とおぼしき黒髪黒目の巨漢が、冒険者ギルドの門と、警邏隊の詰所へと入る姿が目撃された。
その姿は陽炎のように滲み、輪郭をおぼろげにしていたという。片手に分厚い本を持ち、読み耽るようであった。
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交易都市ノアの商業区に位置する冒険者ギルド。そこから何本か通りを挟んだ先に、駆け出しを卒業した冒険者がよく利用する宿屋がある。
年季の入った木製の家具は軋みを帯びてなお頑丈で、窓から差し込む朝日はその表面を柔らかく照らし出していた。
朝は、焼きたてのパンとスープの匂いで多くの冒険者が目押さますのだが、今日は階下の食堂から騒がしい声が反響し、目を覚ましたミカサはその喧騒に、枕元で深く息をついた。
腰元に視線を落とすと、三冊の魔導書が貼り付くように浮遊している。今日は何か変化があるかと、パラパラとページをめぐるが、どの本も白紙であった。
——今日は幻想図書館に行き、この魔導書の扱いをどうするのか、もう一度相談したい。
自分を巻き込もうとする、二つの執着についても、その後、何かわかったことがないか伺いたかった。
騒がしい中で食事を摂るのは嫌だなと、おっくうに部屋を出て階段を降りる。食堂にいる給仕の婦人に挨拶し、朝食を頼もうとした時、騒いでいた男がミカサを呼び止め無遠慮に近づいてきた。
それは、冒険者ギルドからの呼び出し。
「魔導国緩衝地帯で密猟に関わった疑い」——身に覚えのない嫌疑だった。
「誤解です。罠を見つけて解除しただけです」
むしろ正義感で動いただけのはずだ。たしかに、密猟者と鉢合わせしたのは関わった……と言えるかもしれない。だが、その直後に、彼らは魔導国の猟兵に倒された。なぜ、それが罪になるのか。
「ここで噂が立つのはお互いに嫌だろう? 詳しいことは冒険者ギルドで話してくれ」
そう言われては仕方がなかった。見知らぬ異世界の地で、身元保証のない駆け出しの冒険者だ。せっかく見つけた常宿で肩身が狭くなるのは避けたかった。
ギルド員に連れられ、不安を押し隠しながらギルドに到着したミカサを待ち受けていたのは、髪を油で撫でつけたような嫌味なギルド員だった。報酬査定で何度か難癖をつけてきた事がある、苦手な相手。
——最悪……。嫌な予感しかしない。朝から気が滅入るな……。
横柄な態度を隠そうともしないギルド員に案内され、上階の別室へ通される。
狭い部屋の空気は重く、こもった湿気が肌にまとわりついて気持ち悪い。
「さて、ブロンズ・メイトのミカサ君。昨日の件について説明してもらおうか」
「……昨日の件、ですか?」
「とぼけないでくれよ。西の緩衝地帯で密猟行為を確認した、そう報告が上がっている」
「……私は罠を見つけて解除しただけです。その時、密猟者らしき集団と遭遇しました。でも彼らは魔導国の猟兵に討たれました」
「ふむ。君が“ただ通りがかった”とでも?」
「事実です!」
苛立ちを抑え込むように、ミカサは声を張った。だが相手は鼻で笑うばかり。
「君のような新人が“偶然密猟者に遭遇した”と? 出来すぎているな。むしろ共犯だったと考える方が自然だろう」
「違います! 当日は私の他に幻想図書館のジョシュアさんも同行していました。彼が証明してくれるはずです!」
「信じろと? 証拠もないのに?」
机を叩く音が狭い部屋に響き、胸の鼓動が痛いほど早まる。
——どうしよう、説明すればするほど、疑いは濃くなっていく。
その時、外からざわめきが広がった。
窓の外で兵靴が打ち鳴らされる音、そして怒鳴り声。
扉が開かれ、警邏隊の詰所から来た兵士が告げる。
「冒険者ギルドの職員に告ぐ! 駆け出し冒険者のミカサ、そして幻想図書館の外勤員ジョシュア。両名を密猟行為の容疑で指名手配する!」
「な、なにを……!」
ミカサの声が震えた。
髪を撫で付けたギルド員が、待ってましたとばかりに叫ぶ。
「聞いたな! 即刻逮捕だ!」
しかし周囲のギルド員たちはすぐには動かず、ひそひそと声が漏れる。
「ブロンズ・メイトだぞ……」
「査定に誤りでもあったのか?」
視線が交錯し、場に奇妙な緊張が漂った。
ミカサは冷静になろうと深呼吸する。けれど、喉がつかえ、うまく息が入らない。
異世界の警邏隊に捕まるなんて、助けはほぼ期待できない。
逃げるにしても宛てはなく、金部さんや図書館の皆が助けてくれる保証もない。
「……おとなしくした方が、怪我をせずに済むぞ」
横に回った兵士が、殺傷力の高そうなハンマーを片手で回し、かすれた声で脅してくると、腕を取った。
視界の端で、あのギルド員がにやりと笑う。
それが妙に気にかかり、ミカサの喉の奥で、息が苦く引っかかった。
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