21 本音の再会——異世界転移した貴女へ
「まだよ! こんなもんじゃ、ないんだから。私が勝つのよ!」
布木は赤く染まった頬をさらに膨らませ、汗で滑る杖をぎゅっと握りしめた。
とぐろを巻いた水流が激しさを増し、酒場の天井近くまで膨張する。何て魔力量だ……と何人かの冒険者から感嘆の気配が伝わった。
「窒息しなさい、——アクア・サフォケイト!」
張り上げた声が酒場の梁に反響し、ざわついていた観衆の耳を打った。
布木から捻りを加えた呪文が詠唱され、6つに分裂した水球の大玉が不規則に揺れてミカサに迫る。水球は床ややテーブルを激しく打ち立て、しぶきを上げてミカサを飲み込まんと飛びかかった。歓声の中から緊張が伝わる。
水弾の迫力に一瞬身構えたミカサだったが、その胸の奥を過ったのはグラヴェル戦での恐怖ではなく、あの死地を越えた自信だった。彼女は息すら漏らさず、指先に水を集める。呪文を唱える声はない。だが次の瞬間、冷たい水流が大袋の様な形をなし、布木の水弾をいとも簡単に飲み込み打ち消した。
「無詠唱だと?!」
外野から驚きの声が爆ぜる。木の床を踏み鳴らす靴音、酒杯を倒す音が重なり、酒場は騒然とした。
「魔導国の住人か?」
「いや、見ろ、あのタグ――ブロンズ・メイトの冒険者だぞ!」
「チートだね!なんのチートだ?!」
ざわめきに煙草の煙と酒の匂いが渦を巻き、視線が二人に集中する。
詠唱に頼る布木と、研鑽を積み重ね地力を磨いたミカサ。その差は、もはや隠しようもなかった。
渾身の一撃さえ、淡々とした防御に弾かれ、布木は膝から崩れ落ちる。
「そんな、どうして……」
唇が震え、するりと抜け落ちた杖が床に当たり、乾いた音を立てた。
「魔法学校では、私の方が上だったじゃない!」
「そうね。あの頃、私は魔法の一つも使えなかった」
意地を張るように布木が杖を振り上げ、唱えた呪文が生む水流が、びしゃりとミカサの頬を打った。冷たい雫が顎を伝い、首筋を濡らす。
「冒険者ギルドだって、私の方が早く昇進した!」
「そうね。私はまだまだ駆け出しのブロンズ・メイトよ」
ミカサは胸元からタグを取り出す。金属のひんやりとした感触を掌に押し当て、観衆に見えるように掲げた。布木の瞳に揺れるのは、羨望とも後悔ともつかぬ複雑な色だった。
「高校では委員長、いつも頑張ってたもんね。なのに異世界に来て……」
「そうね。私は落ちこぼれたから、学校を追い出されたの」
布木は息をのむ。……やっぱり。そうだったんだ。胸の奥から押し出されるように、かすれ声がこぼれた。
杖を握る指先が小刻みに震える。
しばし沈黙のまま、布木は俯いた。周囲のざわめきが、やけにうるさい。
「なんで……追い出されるなんて……」
「魔法を使えない魔法使いはいらないって事かしら……。先生から長期のフィールドワークを言い渡されて。宿舎に戻った時には荷物も捨てられていて、何も残らなかった」
ミカサの声は静かだが重く、自嘲するように微笑むと濡れた腕を振った。肌に張り付いていた水がするりと離れ、透明な球体となって掌に集まる。淡い光が優しく返し、観衆は息をのんだ。
頭が真っ白になった。
私は何しに来たんだっけ……。
ミカサが学園から消えたことを知り、うぬぼれていた布木は、家出した友達を探すくらいの気持ちでこの街に来た。
路銀や栄光は霧吹や泡立と分け合い、順風満帆な異世界ライフ。ミカサがお金に困ってたら、助けてやってもいいかもね、と増長した。
だがこの街に来て失敗し、今や闇ギルドの奴隷のような生活。心の何処かで、そうじゃないと叫びながら、ミカサと対立するようになってしまった自分が情けなく、日増しに後悔が募った。
幼い頃から背中を見続けてきた友達に……次第に疎遠になってしまった委員長に、私は何がしたかったのだろう。異世界にきて絶望した彼女に私は……。
言葉が詰まって喉が上下する――でも出てきたのは涙だった。
それでも何とか声を絞りだして気持ちを吐露する。
「だからって、なにも言わずにいなくなるなんて!」
「何もできなかったの。……突然、荷車に縛られて連れ去られたときは、もう絶望しかなかった」
布木の瞳に涙がにじみ、ポタ、ポタと杖を濡らす。
「そんな……そんなの、私……知らなかった……っ」
声が震え、嗚咽が混じりはじめる。肩が上下し、抑えようとしても次々に涙が頬を伝った。
酒場のざわめきは消え、視線を逸らしながら杯をあおる客。椅子のきしむ音だけが、気まずく響いた。吟遊詩人が気を利かせ、静かな旋律を奏でる。柔らかな音が涙をすくい取るように空間を包む。
だが布木の心は、もう堰き止められなかった。
「……心配したんだから!!」
甲高い叫びが裂ける。ミカサは驚いて一歩退いた。手のひらの水球が砕け、光る雫となって宙に散った。
「だって……ミカちゃん!」
堰が切れたように、布木は幼い頃の呼び方で叫んだ。
息を整える間もなく、嗚咽で途切れ途切れになりながらも、胸の内を伝える。
「異世界に来て、元気がなくなって! いつものミカちゃんに戻ってほしくて……だから、私、魔法頑張ったんだよ!」
霧吹が「ええー……」と呆れ混じりに声を漏らし、泡立と顔を寄せてゴニョゴニョ言っては金部に拳骨を落とされる。
「今度は、今度は私が、ミカちゃんを引っ張るんだって思ったの! でも、居なくなって……どこにもいなくなって、怖かったんだよ!!」
嗚咽に混じる言葉は、震えながらも途切れ途切れに絞り出される。涙で濡れた頬が光を弾き、杖を握る指はもう力なく震えていた。
「ノアの街でやっと見つけたのに……そしたら、ヤバい魔導書に手を出したなんて聞いて! 怖かった……! ミカちゃんが危ないよ!!」
酒場の空気を一瞬にして張り詰めさせる叫び。野次馬の中には魔導書の噂を知っている者もいるだろう。ミカサという少女が腰に身につけた水色の魔導書に視線を送る者もいる。金部のサングラスの奥の目が冷たく周囲を探り入れたが、不審な動きを見せる者はいない……、そう確認すると、酔っ払った表情のまま、ただ黙って酒をあおった。
「どうしたらいいのよ……わからないよっ……! この前はごめんなさい、偉そうにして、ごめん……なさい……怖かったの……」
布木はついに力尽きたように泣き崩れ、嗚咽で声を詰まらせる。
「……ミカちゃんは、魔法だって、もう使えるよ」
酒場の奥で、誰かがごくりと唾を飲む音がした。さっきまで酔いに任せて囃し立てていた荒くれたちも、見守るように様子をうかがっている。吟遊詩人がそっと旋律を弱め、静かな空気が布木の嗚咽を包んだ。
「……ここにいなくていいんだよ……だがら、うぐっ、一緒に帰ろう! ねぇ」
涙で濡れた顔を上げ、必死に訴えるその瞳は、子供の頃に戻ったかのように真っ直ぐだった。ミカサは思わず息をのむ。胸の奥に、かつての放課後の校庭や、一緒に笑った帰り道の光景がよみがえる。
「戻っでぎてよ……ミカちゃん!!」
叫びは悲鳴に近く、酒場の木壁に反響して震えた。布木の声に押されるように、場の空気はひりつき、誰一人として冗談を差し挟むことができなかった。
ミカサは戸惑いながらも膝を折り、「布木ちゃん……」——柔らかく声をかけて布木の肩を抱き寄せ、背中を優しく撫でた。布木は顔を埋め、子供のように泣きじゃくる。
その静けさを破ったのは――。
「ちゃんと謝れたな!良かったな!」
「どうなるかと思ったぞ、俺も泣けた!」
どっと湧いた歓声は、木壁を震わせるほど。ジョッキが打ち鳴らされ、椅子を蹴る音が太鼓のように響く。
「二人の友情に乾杯!」
「帰る場所は違っても、ノアはいつだって歓迎する!」
酒と汗と木材の匂いが渦を巻き、重苦しさを吹き飛ばすように祝祭の熱狂が広がった。吟遊詩人が明るい旋律を奏で直し、観衆は歌い踊り始める。
ミカサは小さく息を吐き、涙に濡れた布木の髪をそっと撫でた。
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