20 夜の喧騒——いつのまに、そんな手癖の悪い戦い方覚えたのよ!
大都市ノアの石畳を踏みしめ、ようやく帰還した二人は、街門で別れを告げた。
ジョシュアは外勤員としての報告に向かい、ミカサは足を迷わせたのち、ふと懐かしい旋律を思い出す。
あの夜――乾杯し、吟遊詩人の歌に聴き惚れた酒場。
店先から漂う香ばしい焼き肉の匂いと、樽を叩く音に誘われるまま、彼女は扉を押し開けた。
店内は熱気に包まれていた。揺れるランプの明かり、テーブルを叩いて笑う冒険者たちの声。鼻を突くエールの香りと、香草を散らしたシチューの匂いが渦を巻いている。
ミカサは窓際の席に腰を下ろし、注文したサラダと鮮魚のムニエルをつつきながら、一息ついた。
その時。
「おおっと! 見つけましたよ、我らが可憐なる後輩殿!」
朗々とした声と共に、金部理仁が現れた。いつも以上に金髪がボサボサしており、頭とともにフラフラと揺れる。肩には友人だと紹介していた吟遊詩人を抱え込み、二人とも上機嫌に笑いながら入ってくる。今日の吟遊詩人は正装している優雅な装いだったが、上半身をむき出しにして、お腹周りに落書きされていた。
「か、金部さん!? その人、大丈夫なんですか」
「はっはっは! 良いではないか、宴の後だ! 敬礼!」
金部は勢いよく手を上げ、声まで裏返るほどの敬礼をしてみせた。コバルトブルーのサングラスが鼻先にずれる。
赤らんだ頬に漂うのは、明らかに酒気。
「……酔ってるじゃないですか」
「ありがとうございます! 酔っているであります!」
堂々と答えるその姿に、ミカサは思わず呆れ半分で吹き出す。
隣で吟遊詩人も拳を震わせながら——
「自分も……拳が震えるくらい、酔ってやがります!」と、芝居がかった声で宣言した。
二人は顔を見合わせ、肩を揺らして声をそろえる。
「「歌だけに、ワハハッ!」」
ミカサは口元を押さえて笑った。何か良いことでもあったのだろうか。
楽しげな空気に引き込まれ、彼女は店員を呼び止める。
「じゃあ……良いことがあった、お二人にエールを一杯ずつ。私からの奢りです」
「おおっ!? こりゃまたありがとうござりやがれます!」
大きなジョッキを受け取ると、吟遊詩人は誇らしげに胸を張る。
「ごちそうしてくれた素敵な貴方に、一曲プレゼントしましょう!」
ルートを抱え直し、軽やかな指で弦を爪弾きはじめる。
朗らかな歌声が酒場を包み込み、客たちは手を打ち鳴らし始めた。
ミカサは少し恥ずかしさに頬を染めつつも、その響きに耳を傾ける。
そのとき。
「――やっと、みつけた!」
背後から聞き慣れた声が降ってきた。
弾む心臓を抑え、ミカサが振り返る。
そこには――先日、激しく争った三人の姿。
布木こぼれ、霧吹カケル、泡立のぼる。
夜の喧噪を押し分け、彼らがこちらへと歩み寄ってきていた。
霧吹カケルが前に出て、息を弾ませながら声を絞り出す。
「よかった……見つかって……」
その横で、泡立のぼるがちらと布木を気遣うように見やり、腕を組んで低く問う。声が何とも情けなくて弱々しい。
「……俺から言うぞ? 言うけどいいか?」
「む、むぐっ……」
布木は顔を真っ赤にして、のど元まで何かを押し上げながら口をぱくぱく動かす。腰まで伸びた黒髪が気持ちに押されて左右に揺れる。だが、どうしても言葉にならない。
「仕方ねぇな……」
泡立が息を吐き、勢いよく九十度に腰を折った。
「御笠ちゃん! 本当に、ごめん!」
床にぶつかりそうなほど深い頭の下げ方。続いて霧吹も両手を握りしめ、俯いたまま震える声で続けた。
「僕も、すみませんでした……。街中では怖がらせて、追い詰めたりして、ごめんなさい……」
泡立はその姿勢のまま、下から布木をじろりと見上げて目で急かす。
「ほら、お前も言えよ」
「わ、わかってるわよ! だ、だから……その……」
布木はさらに赤面し、唇をかみながら言葉を探す。
そして視線が、ふとミカサの腰にとまった。
貼りつくように輝きを放つ二冊の魔導書。
「あーっ!!」
布木の声が酒場に響いた――はずだったが、その瞬間、吟遊詩人の弦がかき鳴らされ、客たちの歓声が天井を震わせる。
音にかき消されながらも、ミカサは布木の指先が魔導書を差したのを悟り、苦笑を浮かべる。複雑で、困ったような、そしてどこか呆れたような笑顔だ。
「な、なんであんたはまた魔導書を増やして……! まるでわかってない……! そ、それ、早く捨ててしまいなさいよっ!」
布木は謝罪のことなどすっかり忘れ、早口でまくし立てる。
「いや……布木、今日は謝るっていってたじゃん」
泡立が肩をすくめる。
「うっさい!だから、私なりに、これは、あ、あや、うぐぐっ」
「え? これ……謝罪でいいのか……? いや、違うだろ……?」
霧吹が頭を抱え、右往左往。
そんな二人の戸惑いなどお構いなしに、布木は拳を握りしめ、勢いよくミカサを指差した。
「しょ、勝負よっ!」
その瞬間――。
吟遊詩人が歌声を一気に盛り上げ、酒場の喧噪が一瞬止む。
そして、静寂のあとに割れんばかりの大歓声。
「いいぞー!」
「やれやれ! ひょっこども!」
「若さって素晴らしいー!」
場内は一転、即席の舞台のように熱気に包まれた。
ジョッキが打ち鳴らされ、足踏みのリズムが床を揺らす。
ミカサは額に手を当て、ため息まじりに苦笑した。
――どうしてこうなるのよ。
酒場の荒くれ共は、日頃の冒険の賜物か、獣じみた勘が働き、手際よく動き出す。
「おい、片づけろ片づけろ!」
皿をかき集め、ジョッキを高く積み上げ、机と椅子をガタガタと脇に寄せていく。床が見えた途端、広間は即席の小さな闘技場に早変わりした。
「おいおい、マジか……異世界に来て女子高生のケンカ見られるとはな!」
「賭けるぞ賭けるぞ!どっちに勝ちが上がる!」
「やれやれーっ!ぶちかませー!」
酔っ払い混じりの野次が飛び交い、酒場は一気に祭りのような熱狂に包まれる。
金部は頬を赤らめながらも、ご満悦といった表情で両手を広げた。
「よし!二人ともやっちまえー!」
その勢いで霧吹と泡立の肩をがっちり抱え、ずるずると引き寄せると、ドカリッと離れた椅子へ腰を下ろさせる。
「うわっ、酒くっさ!」泡立が鼻をつまみ、うげっと顔をしかめる。
霧吹は頭を抱えながら、「なにこの超展開……僕らこの後、ボコボコにされてゴミ捨て場で朝日迎えるやつじゃない……?」と小声で現実逃避していた。
金部はそんな二人の不安を豪快に吹き飛ばす。
「心配すんな!言い出しづらい時はよ、周りが言い出しやすい空気を作ってやりゃいいんだ!」
その声には、酒臭さを吹き飛ばすような温かさが混ざっていた。
泡立は、思わず目を潤ませて「……おっさん……」とつぶやく。
直後、ごつん!と拳骨が飛び、頭を押さえて「いってぇ!」と叫んだ。
「誰がおっさんだコラ!」と金部が追撃するも、笑い声と囃し立てる声にかき消される。
場の熱気は最高潮。
即席のリング、その中央に――布木とミカサが向かい合った。
布木の頬はまだ赤く、視線は泳ぎながらも、口元だけはぎゅっと結ばれている。
一方のミカサは、ため息をひとつ、吐き出すように問いかけた。
「ねぇ、布木さん。どうしてそこまで私の魔導書に固執するの? 誰か、欲しがる人がいるのかしら」
布木は焦ったように即座に言い返す。
「必要ないわ! だって、もう失敗したのよ! だったら捨てるべき、関わらない方がいい!」
その言葉にミカサは眉を寄せる。
「……私だって、どうにかする方法があるなら教えてほしいくらいよ」
小さな声に、一瞬、布木の目に戸惑いがよぎった。
「そ、それは……どういう」
言葉に詰まる布木の喉が、ごくりと鳴ったのを、ミカサは聞き逃さなかった。やはり布木さん達は何か知っている。大都市ノアに示された執着の鍵はここだ。
その間にも酒場内は盛り上がり続け、酔っ払い賭け事が打ち切られ始めた、その時、誰かが鳴らした皿のカーンという音が、ゴング代わりに響き渡る。
――始まる。
ざわめきが止まぬままに、二人を囲む視線が一斉に集中した。
布木ははっとして懐から短いスティック型の魔道具を取り出し、即座に詠唱を唱えた。
「渦巻き穿て――アクア・ジェット!」
杖先から吹き出した水流は、渦を巻くように捻じれ、唸りを上げてミカサへ襲いかかる。
ミカサは素早く身をかがめ、足を滑らせるようにして横へ飛んだ。
水しぶきが頬をかすめ、髪を濡らす。冷たい飛沫が背筋を走らせるが、彼女は怯まない。
走りざまに空いていた椅子を掴み、そのまま横殴りに布木の杖へと叩きつけた。
「きゃっ! ちょっと!」
布木は悲鳴を上げながら、水流を自分に呼び戻し、渦を巻くように盾へと変える。
とぐろを巻く水壁が彼女を包み込み、光を屈折させながらきらめいた。
「いつのまに、そんな手癖の悪い戦い方覚えたのよ!」
「異世界に来て色々あったでしょ。……ちょっとお転婆になっちゃったかしら?」
観衆は興奮気味に割れんばかりの声援を送る。
金部はジョッキを傾けながら「ありゃ、こりゃまた」と苦笑する。隣で霧吹カケルが「だ、大丈夫なんですよね?」とオロオロし、泡立のぼるが「バイオレンスすぎね?!……仲直りできるのかこれは?!」と金部の腕にしがみついた。
「まだよ! こんなもんじゃ、ないんだから。私が勝つのよ!」
布木は赤く染まった頬をさらに膨らませ、汗で滑る杖をぎゅっと握りしめた。
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