02 転生者、貸出期限を守らず
魔導書が息づく幻想図書館。
外勤員ジョシュアは、魔導書に振り回される異世界人が騒動を持ち込む前に、足早に街へと向かった。
潮の香りを含んだ涼風が、ジョシュアの頬をかすめる。
石畳の大通りを歩いていた彼は、ふと立ち止まり、まばゆい陽光に目を細めた。
視線の先には、赤レンガで縁取られた街並みが連なり、その向こう、青く澄んだ運河が陽を反射してきらめいている。
雑踏に混じって、親しげな声が耳に届いた。
意識を向けると、警邏隊の制服をまとった男が、困り顔の旅人に話しかけていた。指さした先には、金属板の看板が強い日差しを跳ね返し、刻まれた文字が輝く。
『大都市ノア――水と交易の街』
この街には、異世界からの転移者や転生者が日々流れ着く。
目抜き通りから一歩外れた路地裏にさえ、異国語のやり取りが飛び交い、妙な看板がいくつも掲げられている。
多国籍な賑わいはノアの魅力であり、同時に、文化摩擦による事件が後を絶たない。
ジョシュアは、そんなノアの片隅にある一軒の店にたどり着いた。
異世界人が営む、洒落た喫茶店。日陰のテラス席に腰を下ろすと、店先のメニューが目に入った。色彩豊かな商品が、手書きで添えられている。
……柑橘ソースの冷製パスタ〜海の一噛み〜、か。さっぱりわからないが、美味しそうな響きだ。⋯⋯なんでパスタをパンに挟んでいるんだ?
銀髪を揺らしながらぼそりと呟き、注文を済ませる。
やがて運ばれてきた料理は、彩りの良い魚介と透明なパスタが冷気をまとい、香りとともに目を楽しませた。
スリットが入ったパンが添えられており、好みに合わせて挟んで食べるということらしい。
ジョシュアはゆっくりとフォークを取り、静かに口に運ぶ。
パンは後で食べることにした。異世界の文化は、よく分からないことが多い。
口いっぱいに磯の香りを堪能しながら、そういえばと、この間は、生卵に肉を浸して食べさせるという奇妙な小料理屋を見つけたのを思い出す。
ニヤニヤしながら異世界達が店の暖簾をくぐるのを目にし、とても気持ち悪いものを見た気分になったものだ。
……やはりパンは後で食べることにしよう。
風鈴が鳴り、水辺の反射が光を跳ね返す。
食後の珈琲の香りが鼻腔をくすぐり、今日はまだ何もしてないなぁと思いながら、こんな日があってもいいじゃないかと、深い味わいに身を沈める。
さりげなく食器を片付ける店員の気遣いに、素晴らしいじゃないか、と自然と頬が緩める一時、
穏やかな時間に包まれながら、しかし、近づいてくる喧騒の音に彼は思わず呟いた。
「……面倒事は、なるべく避けたいんだけどな」
──だが、その願いは儚くも、風とともに吹き飛ばされる。
「返却期限は十日前ッ!! 覚悟はできてるでしょうね、この魔導書クラッシャー!!」
怒声とともに空気が割れた。
次の瞬間、ジョシュアの視界の端で、何かが音速に近い勢いで閃いた。
片足を軸に滑らせた踵が地面を踏み砕く。
街路が割れるほどの力を乗せて、独楽のような姿勢から身体をひねったと同時、鞄が音速で振り抜かれた――!
それは、一人の男が通りを駆け抜ける中、
背後から豪快に――
ドゴォッ!!!
「ギャアアアアアア!!?」
重く響く衝撃音。
男の後頭部に重厚な鞄がフルスイングで炸裂し、彼は縦に一回転しながら地面を滑った。
「貸出期限を過ぎた魔導書は勝手に歩いて逃げ出すのよ! つまり、それを持ち歩くあなたは脱走教唆の現行犯!魔導書に喰われるくらいなら私が倒す、即制裁っ!」
その後ろから現れたのは、銀糸を織り込んだ外套に、深紅の装束を翻す、金髪ツインテールの少女。
その戦闘装束は、ジョシュアとよく似ているが、どこか軽やかで鮮烈だった。
セラ=アーカイブ。幻想図書館の外勤司書であり、
ジョシュアの――やや過激な同僚である。
「……周りの人達がすごく引いてる」
ジョシュアはそっとナプキンを畳み、席を立った。
「その鞄は、魔導書を縛るための道具であって、鈍器じゃないって言ってるだろ」
「あら、現場で最も信頼できる武器なのよ? 魔導書もぶん殴ればおとなしく言う事聞くし。さすが図書館謹製、ちょうど振り回しやすいのよね!」
自慢げに傷ついた鞄を背負い直すセラ。
その赤い装束には、白い翼を模した意匠があしらわれている。
彼女はそのまま煙をかき分けジョシュアの元へと歩み寄り、鞄の中から二冊の魔導書を取り出した。
「ほら、忘れ物。あんたの」
渦巻く魔力を漂わせた一冊が、ぺたりとジョシュアの手に吸い付く。
『おお⋯⋯脳天に揺れる直撃とはまさにこの事⋯⋯まだ数十ページが震えておりまする。セラお嬢様は、本当に⋯⋯容赦がない』
装丁の表紙がふわりと揺れて、深く低い声が漏れた。
『⋯⋯ん? あっ、なにやら美味しそうな香りがしますぞ?ちょっと、ジョシュア様、私に黙って何か食べてませんか!?』
マイペースに食欲を掻き出す魔導書を遮るように、黒光りする革表紙のもう一冊が、ガバっと勝手に開いて言葉を発する。
『チッ、また俺様を置き去りにして……。ジョシュア、ほかに忘れ物はねぇだろうな? ハンカチ、ティッシュに撃墜はセットって、いつも言ってるだろ!て、それじゃぁ落としたみてぇだな!』
「……また母親に親父を混ぜたような小言を」
2冊の魔導書に押されるように後退するジョシュアに
セラはくすっと笑って、少し口調を緩めた。
「図書館でこの二冊が騒いでたから縛ってきたのよ。貴方が必要になるって思ってたのかもね」
「助かる」
「べっ、別に私が気を利かせたとかじゃないから! 私はメモリウスからの指示で、これを届けに来ただけ!」
急に話題を変えるように、セラは右耳の栞を模した装飾に手を掛ける。すると、装飾から銀色の粒子がキラキラと漂い、1枚の用紙をかたどった。
そこには任務が表示されている。
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《件名:共同任務・交易都市ノア》
《送信者:上級司書 リグレット=メモリウス》
《内容:“空から落ちた魔導書”を巡って異世界人が市場区にて暴走中。即応されたし》
《指定職員:ジョシュア=モンテスト/セラ=アーカイブ》
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「……市場区か、そう遠くはないな。空から魔導書が降るなんて、そんな現象、今までに記録は?」
ジョシュアはどこからともく取り出した、牢屋の模型をもて遊びセラに視線を送る。
セラは、左耳につけた翼十字の装飾に手をかけ考え込んでいる。
「ないわ。でも……“想定外”って、異世界人絡みじゃ当たり前でしょ」
肩をすくめてセラがニヤリと笑う。
ジョシュアの両腰に移動した魔導書達が嬉々として続いた
『なぁに、目障りな奴がいたらいつでも撃墜してやるぜ』
『撃墜が荒らしたゴミは私が美味しく丸呑みしましょう』
「異世界人よりも俺の魔導書達が暴走しそうな件⋯⋯」
何やら気合十分な魔導書達から不穏な気配を感じて苦笑いのジョシュアに、セラは不満げにツインテールを揺らすと、ひときわ近づいてきて、声を落とした。
「貴方の相棒は私でしょうが……まぁ、私も暇ではないけど?でも共同任務だし?貴方が一人で無茶するのは、見てて嫌だから。
しっかりフォローしてあげる」
「ああ……、はい。」
セラの気遣いを静かに留め、しかし、彼女が先走って町中を破壊してしまわないか、少し心配になる。
魔導書二冊が、それぞれの思念を纏いながら周囲を縦横に浮遊する。
牢屋の模型が弱く発光し、足元に展開された魔方陣が街路に淡く輝いた。
「準備完了。行こうか、セラ」
「了解。空から降ってきた魔導書は、私がもらうわ」
銀と金の髪が風を切り、ふたりは市街区へ向かった。
──空の彼方で街を見下ろす魔導書が静かに輝いていた。
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