17 闇ギルドの大幹部たち——薄氷の駆け引き
予期せぬ来訪者の登場に、室内は静まり返った。
灰色の外套に身を包んだ男は、静かに室内へ足を踏み入れ、そのまま歩き出す。
「最近、魔導国の緩衝地帯で密猟が行われていてな。監視ついでに異世界人を駆除しているんだが——面白い集団がいてよ。黒装束の集団だ」
獰猛な表情を隠そうともせず、毒島へ直接話しかけた。
「奴らが手引きしているようなんだ。その関係者がここの地下に案内してくれてよ……この屋敷は情報屋の本部と聞いたぞ。だから、動向も含め、情報を買いに来た」
毒島は薄く笑みを浮かべ、背もたれに寄りかかる。
思考は一瞬で整える。誰を切り捨て、誰を裏切るか、勘ぐられる前に動く。
「なるほど、客か」
自然に、滑らかに口を動かし、少しもったいつけるように唇に笑みを刻む。
「……初回サービスだ。お探しの黒装束の奴らはノア評議会——好事家のゼムント議員の私設部隊だな」
都合よく情報を流す毒島の態度に、灰色の男は訝しげに口をゆがめた。だが、毒島が嘘をついている様子はない。勿体つけた仕草が懐かしい……何かを企んでいる様子だ。
「俺の掴んでいる奴の密猟ルートは3つ。北の丘陵地、西の緩衝地帯、西南の干潟地帯だ」
刺客の目が一瞬、鋭く光る。
「冒険者ギルドも噛んでいるようだったが、……お前達はどうなんだ?」
灰色の男は、部屋の隅に移動したレヴィへ意味ありげな視線を送る。その視線に、レヴィの背筋が僅かに緊張する。
「気にするな」
毒島は手を軽く上げ、遮るように言った。
誰に向けての言葉か。毒島の声に冷ややかな余裕が混ざる。
「こんな社会だ。仲介の一枚くらい、あるだろ」
灰色の男もこれ以上の追求する気はないようだ。
毒島の言葉に短く頷き、情報のやり取りを受け入れる。レヴィはその様子を見据えながら、心中で改めて毒島を評価する――誰が味方で、誰が敵か。この闇の世界では、信頼など瞬時に裏切られる。
評議会は都合が悪くなれば闇ギルドを切り捨てるだろう。
そうなる前に、協力者のゼムントを先に切り捨てたのだ。
今この瞬間、密猟事業ごと。
レヴィが視線を下げれば、気配を消して縮こまっているサイモンが顔を伏せて歯噛みしていた。
——あの密猟部隊は俺の下部組織じゃねぇかよ……。
マスターの野郎、ゼムントの私設部隊に仕立て上げて押し付けやがった!!
サイモンは自分の部下たちが即座に切り捨てられたことに怒りを見せまいと必死だ。殺気こそ漏れていないが、恐らく魔導国からの来客にどう報復するか思考を巡らしているのだろう。
重苦しい沈黙のなか、魔導国からの来客——灰色の男が再び口を開いた。
「……それから、ノアに来てから、妙な噂を耳にした。空から“魔導書”が降った、と。――覚えているだろう、毒島」
その言葉に、談話室の灯火が一瞬、陰を深めた気がした。
毒島は目を細め、椅子に深く身を預ける。懐かしむ響きではない。冷たく抑え込んだ声音で唸り、過去を引きずり出された苛立ちが覗く。
灰色の男は気にせず、低く続けた。
「戦前に起きた災厄だ。魔導国も人間界も震え上がった、“賛美の悪魔”をな」
談話室の空気が重く沈む。赤髪の男がピクりと反応したが、聞いたことのない悪魔という魔物の名にレヴィやサイモンの反応は鈍い。
毒島は目を閉じ、口を開いた。
「……もう十四年になるか。異世界人なんぞ、寿命は短い。使い潰され、湧いては消える。あの事件を覚えている奴は、そう多くは残っていない」
灰色の男は頷きもせず、ただ毒島を射抜くように見据える。
「だが俺たちは知っている。忘れられるものか」
毒島は、机の上の書類に目を落としながら、心の奥底で渦巻く記憶を振り払おうとした。
しかし、奴の姿が脳裏に滲み出す。
「……気に入った者に“白紙の魔導書”を貼り付けて、逃げ場を与えぬよう追い、追いついたところで喰らう……。悪趣味な悪魔だったな」
灰色の男が静かに頷く。
「討ち滅びたはずだ。だが、ノアの都市に入ってすぐに魔導書の噂を聞いた。――蘇ったのか?」
談話室の空気が軋む。サイモンが訝しげに眉を寄せ、赤髪の男が鋭い視線を交わす。しかし毒島は誰も顧みず、灰色の男を見返した。
「……まだ、調査段階だ」
淡々と放たれた言葉。だが、その瞳の奥には、抑え込んだ感情が滲んでいた。懐古、怒り、後悔、そして拭えぬ苦痛――濁り切った色。
灰色の男はそれを真正面から受け止め、己の眼差しを返した。そこには同じように揺れる複雑な色が宿っていた。
使命と過去、そしていまだ果たされぬ因縁。
二人の間に流れる沈黙は、談話室の暗がりよりなお濃かった。
「そうか」
灰色の男は短く応じると、懐から数枚の硬貨を取り出す。
「臨時収入があってな、前払いだ」
机に置かれた金属音が響き、男は踵を返した。腰の符具が軽く鳴る。
戸口に差しかかったとき、すれ違いざまに囁かれたのか、レヴィがゾクリと身を震わせる。だが毒島は気にも留めず、その為、背後に控えていた赤毛の男もまた、無言で見送った。
気配が消えたのを確かめ、毒島が口を開く。
「さて……遠からず密猟事業は、魔導国の猟兵に駆逐されるだろう」
静かな宣告に、場の空気が凍る。
「よって計画を修正し、密猟事業は撤退する」
毒島は赤髪の男へ視線を向けた。
「さっきの指示は取りやめだ。代わりに——ゼムントの対抗派閥へ密猟の情報を売れ」
「情報を売る、のですか」
赤髪の男が眉をひそめる。
「ああ。『評議会の腐敗を暴く』協力の対価としてな。そこから接近の糸口を掴め。アイゼンフュート伯あたりが有力だ」
赤髪の男はしばし考え、やがて笑みを浮かべて頷いた。
「……承知しました」
そう言い残し、軽やかに退出する。
ここで息を潜めていた、ギョロ目のサイモンが、
自分の番が来たとばかりに身を乗り出す。
「ボス……これで密猟が潰れちまったら、闇市の実入りも減っちまう。補填はどうするんで?」
毒島は黙したまま、視線を返さない。
肯定と受け取ったサイモンは、にやりと口をつり上げ続けた。
「だったらよ……あの灰色の野郎を利用しちゃぁどうですかね。魔導国に揺さぶりかけて、用が済んだら殺しちまえば——」
言葉が終わるより早く、椅子に掛けてあった剣を毒島の手が掴む。
剛力により鋼鉄の鞘が悲鳴を上げると同時、
鍛え抜かれた剛腕による銀光の閃きは刹那。
まばたきする間もなく、サイモンの体が両断された。
絨毯に黒と赤の染みが広がっていく。
毒島は鬼の形相で、屍となったサイモンを睨み据えたまま、より一層、剣を握りしめる。
その口から、かすかな呟きが漏れた。
「……馬鹿が」
低い声は、血の匂いと共に談話室に木霊した。
後始末しとけ、と毒島は言葉を残して出ていった。
残されたのはレヴィと、本を読みふける男。血に濡れた空気と鉄臭い匂いだけが残り、沈黙が漂った。
男は、はじめから最後まで微動だにせず読書にふけっていた。
黒肌の美女レヴィが眉をしかめ、死体と染み込む絨毯と、男を見てため息をつく。
「……私、よね。掃除道具はどこにあるのかしら?」
小言を零しながら部屋を出ていく。
そそくさと後に続いて退出した、金貨を数えていた男には気づいていない。
一方、机に座ったまま本を読み耽っていた男は、誰もいなくなった室内でようやく顔を上げた。
「……そうじゃないだろ」
やや呆れを滲ませ、声を低くして呼びかける。
「おい」
天井から小柄な影がするりと降り立った。
「呼ばれやしたか、旦那」
降り立ったのは、忍びのような装束に身を包んだ、細目の少女。その場で片ひざをつき、顔をやや伏せて気配を伺う。
男は肯定し、淡々と指示を出す。
「サイモンはボスに黙って評議会と取引し、闇市の利益を一部かすめようとした」
「はいな」
「それがばれて、今、粛清された」
「はいな」
「そんな感じで噂を流せ」
「はいな」
「奴の闇市は俺が引き継ぐから、造反しそうな奴らを焚き付けて緩衝地帯へ送りこめ」
「はいな」
「他の幹部とは揉めないよう、利益配分については"集金屋"と話をつける」
「はいな」
一呼吸おいて、男は目を細める。
「……え、まじで、ちゃんとわかってる?」
「はいな。サイモンのバカは裏切ったので殺されたでありやす。噂を広めるでやす。
闇市は黒兵衛の旦那が引き継がれやす。
他の幹部方と揉めないように、集金屋の旦那にアポを入れやす。
最後に、黒兵衛の旦那に反目する連中を洗い出して、緩衝地帯でさっきの魔導国の猟兵野郎に処理してもらうでやす」
黒兵衛と呼ばれたこと男は、満足げに肩を落とす。
「マジで俺の部下が優秀。動かない俺、太るわぁ……」
「旦那が本に夢中になってる時こそ、あっしらが張り切ってる時、と自負していやす」
「マジで俺の部下が謙虚。働かない俺、恵まれてるわぁ……」
やがてレヴィが掃除道具を抱えて戻ってくると、黒兵衛はまた一人、静かに本へ没頭していた。
「……はぁ」
凛としながらも艷やかな深いため息が、再び部屋に落ちた。
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