10 魔導に目覚める少女
── 一週間後 ──
草原での一角ウサギ討伐訓練から、ちょうど七日が過ぎた。
朝露に濡れた草が柔らかく光り、薄明るい森林の開けた場所に差し込む木漏れ日が、ゆらゆらと地面を揺らしていた。
小石や草むらを踏みしめる足音が静かに響くなか、ミカサは緊張の面持ちで敵の動きを見つめていた。彼女の手には、使い慣れたショートソードと、しっかりと腕に固定されたラウンドシールドがあった。
その視線の先、四足で這う蛇型の魔物が黒光りする鱗の胴体を小刻みに震わせながら、獰猛な目で彼女を狙っている。鋭く光る牙の隙間から、粘度の高そうな毒液が揺れていた。
魔物の呼吸に合わせて、空気がわずかに震えるのをミカサは敏感に察知した。
「右に回れ、毒液を吐くぞ!」
少し離れた場所から、冷静な声でジョシュアの声援が届く。その声には、訓練で培った信頼と的確な指示が込められていた。
ミカサは咄嗟に盾を前に突き出し、体の軸を安定させた。毒液が弧を描いて襲いかかるが、盾の堅牢な表面がそれを受け止め、跳ね返した。腐食性の液体が盾を伝い、熱を帯びたように彼女の腕をかすめる。
ーーまだまだ、下がるわけには……いかない!
息を整えながら、彼女は一瞬の隙を逃さず、ショートソードを振り抜く。刃が空気を切り裂き、冷たく光る鱗の隙間に鋭く食い込んだ。蛇の首元から鮮血がほとばしり、小刻みに震えていた胴体が急に激しく揺れた。
魔物は最後の毒液を吐こうと口を開いたが、ミカサはすでに立ち位置を巧みに調整し、攻撃を回避。素早い足さばきで回り込みながら、刃を再び振りぬいた。
「これで……終わりっ!」
冷静さと気迫が混ざり合ったその一撃で、蛇の首が切断され、魔物はのたうち回るように地に伏した。
緊張の糸が解け、ミカサは深呼吸をした。先日の一角ウサギ討伐訓練から、ジョシュアと理人の指導のおかげで、ショートソードとラウンドシールドの扱いにも少しずつ慣れてきている自分を実感していた。
「よし、午前はこれで終わり。午後は魔法の特訓だ」
疲労感を感じながらも、ミカサの瞳は新たな挑戦に向けて輝いていた。
午後、うっそうと茂る森から街道近くの草原へ移動したミカサは、水を生成する魔法の訓練に取り組み始めた。
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐きながら、掌にそっと魔力を集中させる。
最初はほんのわずかな透明の水滴が生まれ、まるで命を宿したかのように手のひらの上で揺れていた。
しかし、思うように水滴は増えない。何度も試行を重ねるうちに、ミカサの額からは汗が滝のように流れ落ちていく。頬を伝い、首筋を滴り、練習着が汗で重く張り付くのを感じた。
「もっと、もっと……集中……」
心臓の鼓動が耳に響き、深呼吸を繰り返しながら、焦りを必死に抑える。彼女は魔力を練り上げる感覚に没頭し続けた。
その様子を、少し離れた場所でジョシュアと理仁が静かに見守っている。
「水魔法の訓練を始めてから一週間か。もう少しで感覚を掴めそうな頃合いなのか、苦戦しているようだな」
ジョシュアは掌に小さな水球を生み出し、シャボン玉のように浮かべながら呟く。周囲をふわふわと漂う“呑欲の魔導書”が、その水球を嬉しそうに頬張っていた。
「炎魔法を見せたんだから、最初は炎魔法から習得させればよかったのに……君って結構スパルタだよね」
理仁はジョシュアと“呑欲の魔導書”の様子を横目にしつつ、苦笑を浮かべる。
「スパルタが何かわからんが、まぁ、水魔法は覚えておいて損はないからな。
魔力至上主義の学園都市の連中は、魔力を込めて火力を上げようとする脳筋ばかりだから、
本当の水魔法を見せたら度肝を抜くだろうさ」
「……それを見たいわけね」
理仁は苦笑いしながら、視線をミカサに戻した。
「もっと精度を上げていかないと……」
彼女は集中を切らさず、水滴の動きをじっと見つめ続けた。
── ジョシュア曰く、魔法とは──
自分自身が持つ魔素と、自然界に存在する魔素が反応して生まれる現象であるという。
「魔素っていうから、てっきり元素みたいなものかと思ったけど……」
ミカサは、ジョシュアや理仁から初めて魔法の本質について教わったあの日のことを思い返していた。
ーー
「ミカサ、魔素というのは、自然界に存在し、そこにある目に見えない力のことだ」
柔らかな陽光が差し込む草原の一角で、ジョシュアが穏やかな声で魔素の仕組みを解説し、隣では先輩冒険者の理人が経験談を交え、身振りをまじえながら補足していた。
「ミカサちゃん、自分が持つ魔素は“魔力”と呼んだほうがイメージしやすいと思う。自然界の魔素は、空気や水のような微細な粒子で、あらゆるものに影響を及ぼす“気象因子”のような存在だよ」
理人の説明にジョシュアは満足そうにうなずき、さらに付け加えた。
「戦場で魔法を使うなら、魔素の主導権を握ることが生死を分ける。つまり、魔法を構築するスピードが何よりも重要だ」
「相手にバレないように、魔力を練り上げることも大事だよ」
「何手も先を読んで、常に準備を怠らないこと。備えがあれば憂いなせしだ」
「おお…ジョシュアが異世界用語を使いこなしている。そうだね、不意打ちに備えて、複数の魔法を同時に使い分けられるようになるよ良いと思う」
「防御魔法もいずれは習得しよう」
「攻撃は最大の防御、というのも忘れちゃいけない」
二人がかりの濃密な説明と、経験に裏打ちされた助言に、ミカサは額に汗をにじませながら必死に理解しようと苦笑いを浮かべ、言葉を頭に叩き込んでいた。
ーー
記憶が別の記憶を揺り起こすとはこういう事か。
ふと、よみがえる半年前。この世界に来て、ミカサは魔法学校に入学し、幾多の授業を受けてきた。
だが、学校の教えは抽象的で詠唱の暗記に重きを置き、魔力を知覚できなければ魔法すら発動できなかった。
だからこそ、魔法を使えなかったのかもしれない。
毎日の訓練では暗記した詠唱を繰り返し、魔法発動に集中する日々。
教科書を穴があくほど読み込み、図書館で本を漁り、幾つもの仮説を立てては失敗を重ねたが、決して考察をやめなかった。
しかし今や、苦渋の経験が功を奏し、ミカサはすでに魔法の理解に向けたスタートラインに立っていた。
あの日、酒場で理仁から受け取ったバングルをつけてから、体の調子が良い。今から思えば、押さえつけられていた、不快な感覚がなくなった。
魔法の生成はわずかに成功するようになった。
ミカサは、掌に生成した水滴をじっと見つめる。
「魔法の生成、その初動は、自分の魔力量から込める質量で変わるはず……」
ほんの少しずつ、水滴の数が増え、ぽたぽたと手のひらから零れ落ち始める。
「魔法の生成、その大きさと密度は、自然界の魔素量をどれだけ自分の魔力量と混ぜるかで変わるはず……」
だが、水滴の量は変わらなかった。
そもそも自分の魔力と自然界の魔素を混ぜる方法が、ぼんやりとしていたのだ。
「魔法の生成、その大きさと密度は、自然界の魔素量を、どれだけ自分の魔力量と反応させるかで変わるはず……」
水滴の量は依然として変わらない。
“反応”とは一体何なのか?
ミカサは水という存在についてのイメージがまだ定まっていないことに気づき、ジョシュアの言葉を思い返した。
ーー
「ミカサ、覚えておくと良い。火炎魔法の本質は燃焼と持続だ」
ーー
火炎魔法の本質とは何か。では、水魔法の本質とは何なのだろう?
ミカサは改めて水を見つめ直す。
水滴は丸い。表面張力によって球体を保とうとする。
水滴が手のひらに触れると付着し、細かなしわに沿って広がっていく。
凝集からの付着。力の引き合い。そして毛細管現象――濡れるという現象の正体だ。
水滴が集まると形を変え、溜まる。
つまり、互いを引き合うことが水の本質なのだ。
ミカサの手のひらで魔力を練り上げる様子を、理仁は持ち前の魔導具で観察し、舌を巻いた。
ジョシュアは理仁に視線を向け、説明を促す。
「集中力もそうだけど、ミカサちゃんの魔力の練り上げる速度が速い。魔力と魔素の反応が、日増しに安定してきている。可視化できているからだね」
理仁の言葉が脳裏の片隅で響くなか、ミカサは水の本質をジョシュアのようにモデル化しようと試みる。
「水の……水の本質は“付着”と“凝集”……」
ーーその瞬間——
ミカサの手のひらに、水球が急速に形成され、またたく間に巨大化していった。
球体は回転しながら膨れ上がり、直径五メートル近くまで広がる。
「あ、アクア……サフォケイト……!?」
ミカサは、詠唱も無しに自身が生み出した巨大な水球に驚愕し、しばらく動けなかった。
先日、同級生がジョシュアに放った小さな水球とは比べ物にならない、巨大な水流の檻がそこにあった。
胸に込み上げる歓喜と興奮を抑えつつも、芽生え始めた自分の力を確かに感じていた。
ジョシュアが短く息を吐き、低く命じる。
「集中を切らすな、ミカサ」
大粒の汗が頬を伝い落ちる。巨大な水球を維持するだけで、腕も脚も鉛のように重い。
その時、不意に理仁の姿が見えなくなった。――と思った瞬間、森の奥から陽気な声が響く。
「ちょうどいいのを見つけたぞ」
理仁が引きずってきたのは、一軒家ほどの巨体を持つ赤毛の牛のような魔物だった。赤々とした剛毛がざわめき、地面に踏み込むたびに土塊が跳ね上がる。
「……お、大きい……!」
思わず両目を見開くミカサに、理仁は気軽な調子で言った。
「ほら、せっかくだし練習の成果を見せてくれ」
理仁に尾を鷲掴みされた巨牛は、その手を引きちぎるように暴れ、蹄が土を抉る。
――こ、怖い!
「む、無理無理無理ですっ!」
悲鳴を上げるミカサを、ジョシュアが落ち着かせるように諭す。
「大丈夫だ、ミカサ。この水牢なら、衝撃を与えて気絶させるもよし、頭を覆って窒息させるもよし。重要なのは……イメージだ。」
――イメージだなんて……。
水の衝撃って何?!水の檻も見たことがない。
水球を保つだけで精一杯のミカサには、形を変えて攻撃する方法など想像もつかなかった。むしろ、どうやってここから水球を放ればよいのか教えてほしい。
理仁が肩をすくめ、補足する。
「じゃあさ、空中に見えないトンネルを作るイメージはどうだ? 水球をその中に転がして、牛の額で止めるんだ」
ミカサはごくりと唾を飲み込み、目を閉じて思い描く。
――大きな滑り台……その上を水球がゆっくり転がっていく……。
巨大な水球がふわりと動き、見えない軌道をたどって赤毛の巨牛に迫る。そして――。
どぼん、と音を立て、牛の上半身が水に包まれた。必死にもがくが、次第に動きは鈍り、やがて全身が飲み込まれる。
その瞬間、空から影が落ちた。
「――ッ!?」
巨牛よりも、さらに巨大な怪鳥が、奇声を上げながら急降下し、水球を噛み砕くように破壊。そのまま牛をくわえ、翼を大きくはためかせて飛び去った。
呆然と立ち尽くすミカサ。理仁がぽつりと呟く。
「あ……そういえば、ここ、魔導国との緩衝地帯だったな」
ジョシュアが腕を組み、納得したようにうなずく。
「なるほど、牛がでかければ鳥もでかいわけだ」
二人が笑い合う横で、脱力したミカサの頭上には疑問符が浮かんでいた。
「……魔導国って、こんな大きな魔物ばかりなんですか?」
ジョシュアはニヤリといたづらに笑う。
「生き物が大きくなってきたら、それだけ魔導国に近いってことだ。魔導国と大都市ノアは緊張状態が続いてるからな。いつ衝突するか、こちらが襲われるかわからない」
「ここ何年かは、異世界人狩り何ていう物騒な噂もあるからね」
理仁が、悪そうな笑顔で軽く付け足す。
ミカサは顔を引きつらせた。
「……え、私たち、襲われるんですか!?」
ミカサの背筋に冷たいものが走った。視界の端で木々の影が濃くなったように錯覚する。
「まぁ、用もなく近づかなければ大丈夫だよ。大抵はノアの冒険者が魔導国で悪さしてるだけだから」
「……わたしも冒険者なんですけど」
ジョシュアと理仁はお互い顔を見合わせる。
そして、あっさりと言い切った。
「うむ。……出くわしたら全力で逃げよう」
――無策!
ミカサの心の叫びが、夕暮れの草原にこだました……ような気がした。
笑い合いながら帰路に立つ三人。その後ろで、
傾いた陽を受けて木々が長い影を伸ばす。赤く染まった草原が、これからの訪れる危険を静かに告げているかのようだった。
第一章のあらすじや場面イメージをPixivに掲載!
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