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09.ライブ

 校門を出ようとしていると背後から声をかけられる。振り返ってみると、珍しい、桐哉が立っている。僕を見つけて走って追いかけてきたらしく、呼吸が荒い。「よ、本介」


「桐哉、どうしたの? 部活は?」


「今日は顧問がいなくってな。自主練になったんだけど、どうせなんもやらねえからこっそり抜けてきた」


「ありゃ。いいの?」


「いいんだ」桐哉は肩をすくめてから「なあ、たまには遊ばねえか?」と誘ってくる。「部活やってると本介と遊ぶタイミングなんてなかなかないし、こういうときぐらい遊ばねえ? ウチ来いよ」


「うん、いいよ。行く!」

 今日は穂坂さんを監督する日なので、夜までフリーだ。タイミングというなら、僕にとってもグッドだった。部活をやっている桐哉となんて、普通に学校生活を送っていたらなかなか遊べない。たしかに。


「久々にマルチしようぜ。欲しい素材があるんだ」


「いいけど、キャラ育ってる?」


「限界まで上げてる。準備万端だ」


「なら大丈夫そうだね」


 畦道家へと続く道を曲がる。

「ホントは本介んちにも行ってみたいんだけどな」


「僕んちは……やめといた方がいいよ」

 同級生には見せられないオタク部屋だ。フィギュアがいっぱいある。桐哉はそんなの気にしないかもしれないが、僕が気になるのだ。裸といっしょだ。桐哉は僕の裸を見てもなんとも思わないだろうけど、僕は見られて恥ずかしい。オタク部屋ってそんなもん。


 桐哉は軽く「残念だな。また今度だな」と言う。


「ははは……」

 あの部屋が解禁されることはあるんだろうか。なさそうだな。


「ところで、最近は本介の周りも賑やかでいいな。友達も増えてよかったな」


「あー……ギャルばっかりなんだけど」


「いいんじゃねえの?華やかで」


 賑やかで華やかで……まあ悪いことじゃない。桐哉が話しかけてくれるのを待ちながら寝たフリをして過ごすよりは絶対的にいい。

「桐哉、あの日、天園さんちの住所、教えてくれてありがとう」


「ああ? 全然。そのお礼、前にも聞いたし」


「改めてだよ」

 あれがなければ何も始まらなかったし、僕はジメジメしたまま、勘違いをし続け、天園さんを傷つけ続けることになっていたのだ。考えるだけで恐ろしい。桐哉は人生の恩人……かもしれない。


 畦道家にお邪魔し、僕達はゲームに興じる。マルチプレイを終えたら漫画を読み、PCで動画を見る。一人でやろうと思えばできることを桐哉と二人でやるのが楽しい。時間が溶けていき、なんだか贅沢な気分になる。


「おい本介。エビュウでもとうとうここまで卑猥な動画が見れるようになったんだぞ」と言って桐哉が規約スレスレの脱法動画を見せつけてくる。トイレットペーパーみたいな薄い紙で胸と股間を隠した女子が庭園らしきところを徘徊……もとい散歩している。ときどきベンチに座って休憩したりする。


 僕は顔を背ける。「いらないよそんなのは」


「こんなのは子供騙しだってか? たしかにな。レベル高ぇな!本介」


「いやそうじゃなくって……」というか、ああいう下衆な動画は生き残るのに、どうして健全なASMRとかはBANされてしまうんだろう。納得いかない。


「じゃあ趣向を変えて、こういうのはどうだ?」

 桐哉が次に見せてきたのは、そういう豆知識を教えてくれるチャンネル。保健体育の第三形態みたいな内容だ。


「桐哉……そんなのばっかり見てるんでしょ」


「おいおい、こういう知識は大事だぞ? 本介も女子と関わるようになったんだから、しっかり予習しとけよ。もしものときに命を救われるぞ」


「そんな……」でも、そんなのありえないし無意味だよとは言えない。知らないよりも知っておいた方がいいのは間違いないのだ。何も知らないからこそ、僕はこんなにも耐性が低い。脆弱なのだ。「き、桐哉はそういう経験、あるの?」


「ん? さあな。どうだろな」


「なんで隠すのさ……」


「別に? ミステリアスな方がいいかと思って」桐哉は含み笑いをしてから「本介はどうなんだ?」と訊いてくる。「実はこんな知識、もう不要なぐらいの達人だったりするのか?」


「んなわけないでしょ……」思わず笑ってしまうほど非現実的だ。「少しは知っておくべきなんだろうし、知りたいけど……」


「じゃあいっしょに見ようぜ」


「い、いっしょには、いい! 遠慮しとくよ……!」


「なんでだよ。こういうのもいっしょに見た方が楽しいだろ」


「恥ずかしいよ……」


 桐哉はポカンとしてから「はは!」と笑う。「なんだよそれ。面白ぇなあ。そりゃギャル達に好かれるわけだよ」


「な、なんでギャルが出てくるのさ……」


「いいや。本介は本当にいい奴だよ。そのままの本介でいてくれ」


「うう……なんなんだよー」


「はは……お、天園がライブやってる。気付かなかったな」桐哉が言い、画面をスクロールさせる。オススメ動画の中に天園さんのサムネが出ている。「見てみるか?」


「うん、そうだね」

 性教育を施されるより遥かにいい。天園さん、生配信をしている余裕があるということは、ダンスの方は順調なんだろう。まあ、この準備期間はどちらかというと穂坂さんのために存在するものだ。一般的なダンスのショート動画は投稿がスピーディだし、天園さんにしても本気を出せばたぶん一日で配信まで持っていける。


 画面が切り替わり、見慣れた天園さんの顔が映し出される。配信開始が一時間前だから、僕達がここで遊んでいる間に天園さんはなんらかのトークをしていたわけだ。


「既に一時間喋ってるのか」と桐哉も言う。「もう終了間際かもな」


「うん。たいてい一時間ちょっとで終わるしね」


「前に四時間やってたときはびびったけどな」


「あったね」桐哉も意外と天園さんの配信に関して詳しいな。「……桐哉もよく見てるの?天園さんの動画」


「いや? ネイルとかコスメになんて興味ねえし。ときどきライブやってると見るくらいかな」


「そうなんだ」


「投げ銭もしてやったことあるぜ」


「へえ!」僕はない。「……仲いいんだね」


「仲は別によくないけど。同じ中学校(オナチュウ)だしな。腐れ縁っつーのか? ……あ、おい、ライブ終わっちゃうんじゃねえ?」


 PCのディスプレイを見ると、ちょうど話を一区切りさせたふうな天園さんが呼吸を整えているところだった。終了するのか、まだ続けるのか。


 続けるみたいだった。画面の向こうで天園さんが言う。「こっからはどーでもいい雑談するよ! クールダウン的な? 暇な人は付き合って! 恋バナすっから恋愛マスターの人は残って! んでウチにアドバイスして!」


「恋バナか」と桐哉がつぶやく。


「うん」僕の心拍が上がっていく。


「前々からちょくちょく話してっけど、ウチ、好きピがいるんだよね。あっ、ガチ恋勢の人すまん! ウチには好きピがいんのよ。前に絶対聞いてるっしょ。何回も言ってるもん」天園さんは少し笑って「今から好きピの紹介をするわ」とアナウンスする。


「いきなりギャル男が出演してきて『オタクくん見てる~?』っつったら面白ぇな」と桐哉が笑う。


「面白いのかな……」

 わからないけれど、脳髄に響く衝撃はあるかもしれない。


「まあ、本介のことだろ?これ」


「…………」


「ウチの好きピは、幼稚園の頃から仲良しだった付き合いの長い……とかじゃなくって、マジで最近知り合った、この間まで赤の他人だった子なのよ。あ、ちな男の子な。ま、男っつっても、ウチの周りにいるような男とは全然違うっつーか、特別なのよ」


「…………」


「ウチを引っ掛けようとしてくる男って、『こーゆうノリで行っとけばいいっしょ』みたいな、ウチのことが好きってゆーより、『ウチみたいなのをとりま引っ掛けとくか』って感じなんよね。騒いどけば乗ってくるんじゃね?みたいな。そーゆうテキトーな気持ちって、伝わるし、わかっからね? あ、カラダ狙ってんなーとかね」


「体……」と僕はつぶやく。


 桐哉が応じる。「ちなみに天園はマジで身持ち堅ぇから。軽そうに見えてちゃんと自分を大事にしてるよ」


「桐哉はホントに詳しいね」


「中学んときにも、付き合ってたけどやれなかったって嘆いてる奴ヤツ、メチャクチャいたからな」


「メチャクチャいたんだ……」


「たぶん天園はずっと探してるんじゃねーの? 心も体も許せるようなパートナーをさ」


 天園さんは小さく咳払いをする。「けっきょく男子ってそんなんばっかじゃねー?って疲れてたときに、友達に教えてもらったんだ。こーゆう子がいるんだけどオススメだぞっつって」


「オススメ?」僕は首を傾げる。「誰かが天園さんに薦めたの……?」


「ふうん。誰だろうな」と桐哉は画面を見つめたまま、次の言葉を待つ。


「第一印象は……物静かな子だなって思った。ま、第一印象だし? いきなりなんでも見抜けるわけじゃねーし? でもずっと目で追ってると、なんかその子ってすげー気配りとかできるんだよね。小さなことだよ? 他の生徒の邪魔になんないように道譲ったりとかさー……メチャメチャ小さなことなんだけど、ウチには超新鮮だった。ウチの周りは、自分を前に出して自分を見せつけてやろうってヤツばっかだったからさ。その子は自分が後ろになるよう後ろになるよう、努めてる感じだった」


「それは自分が目立ちたくない、小心者だからなんじゃないかな」


「でも本介は周りをよく見れてるぞ。俺のこともよく気遣ってくれるじゃんか。天園も言ってるけど、自分自分自分!っていうヤツらに囲まれてると、本介みたいなのが存在してくれてるだけで癒しになるんだよ」


「まあ天園さんが今してるのは僕の話じゃないかもしれないけどね」


「んなわけねーだろ」


 二人で苦笑し合っていると、天園さんがまた口を開く。「実際に仲良くなると、余計によくわかった。ウチにオススメしてくれた友達が言ってることにも完全に納得できたし。優しいの。優しいっつーと安っぽいなあって思われるだろーし、表現力ねーなって言われるかもしれないんだけど、他に言いようねーし? いっつもウチらのこと考えてくれてんのがヒシヒシ伝わってくんの。自分は二の次で、いつもウチらのことをなんか考えてくれてるっぽいなーってのがわかるのね。ちょっと申し訳ないなーっつか、ウチらがグイグイ行きすぎ?って不安にもなるんだけど、それよりもやっぱ、嬉しいんだよなー。感謝。大事に思われてんのがマジわかる。あ、ウチは好きピと付き合ってるわけじゃねーんだけど? 片想い中の、友達関係って感じ? その子は友達のことメチャメチャ大事にすっから、まあウチだけが特別扱いされてるわけじゃないんだけど。でも良し! ウチの好きピがみんなに優しくてみんなに感謝されてると、ウチも嬉しくなるし!」


「…………」


「もしもウチが失恋して、その子が他の誰かと付き合ったとしても、ウチはマジ全然オッケー。その子はきっといつもみたいに真剣に真剣に考えて答えを出したんだろーし、日頃から優しくしてもらってた分、今度はウチが優しく受け入れてあげるべきじゃね? そー思う! そんくらい好き」


「…………」


「もう、よくねえ?」と桐哉が言う。「天園と付き合ってやれよ」


「……それでも僕はまだ、天園さんのことを知り尽くせてないから」

 天園さんだけじゃない。穂坂さんのことも。


「俺の友達はみんな身持ちが堅すぎてヤキモキするな。そんなに下調べしなくてもいいんじゃねえの? もっと自由な気持ちで向き合ってみたらどうだ?」


「僕自身の気持ちも見つけられてないし」天園さんの言葉はすごくありがたい。実際の僕はそんな人間じゃないかもしれないけれど、そんなふうに受け止めてもらえているだけで救われたような気になる。いてもいなくてもいいような最下層の陰キャだと、僕は自分をずっと見なしていたから。だからこそなのか、僕の積極性は深いところに沈んでいて、なかなか発露してこない。


「ま、本介の良さはそういう誠実なところか。俺がどうこう言って意思を変えさせようとするのは違うな。すまん」


「ううん。ノロノロするのも僕の悪いところだと思う。本当は桐哉の言う通り、もっと行動してみるべきなのかも……」


「かもしれないし、そうじゃないかもしれないし。わからないな。ただ、本介が本介のまま成長して変わっていくのは悪いことじゃないと思うけどな。俺は全肯定で、本介を応援するよ」


「……もしかして、天園さんに僕を薦めたのって桐哉?」


「え、全然? 知らねえけど?」


「そう?」


「まあ教室の隅でひっそり静かに過ごしてるのはもったいねえよ。本介は俺だけじゃなく、もっといろんなヤツの癒しになるべき男だ。本介がただの陰キャ扱いされてるのが、俺は我慢ならなかったんだ。前からな」


「…………」

 僕としては誰とも関わらずに暗く生きていくのも悪くはないと思っていた。それは寂しいことなのかもしれないけど、傷つかずに済む。心を使わずに済む。だから楽ではあるんだろうと思った。僕は引っ込み思案なので。だけど僕はもう、その生き方が本当に寂しいだけだと感じるようになってしまっている。いずれ傷つくことがあったとしても、桐哉や、天園さん、穂坂さんの近くで僕は自分の時間を使いたい。心を使いたい。


 天園さんはまだ話を続けている。「ウチの好きピ、わかると思うんだけどガチピュアでさー。男子っておっぱいとかお尻とかが目の前にあったら秒で触るじゃん? そーゆうこともしてこないからさー、なんかウチも影響されてきたのかだんだんピュアになってきてさー。こんな見た目だけど。マジで。なんか全然好きピのこと触れないんだよねー。触るときメッチャ勇気いる! いや、変なとこは触ってねーし! そんなんじゃなくてフツーに触るときの話してんの。マジ触れねー。心臓バクバクんなる。やばくね? ウチも超ピュアになってんだけど。こんなピュアなの生まれて初めてだし。赤ちゃんときの方がまだ汚れてたまであるわ。マジで。そんくらい好きピが大切ってゆーか……違うな。尊いんかな? よくわかんね。可愛いなーってのは思うよ! 超可愛い。ホントはいつも抱きしめてたいくらい可愛いのよ。でもできねー……まあ付き合ってないのもあるけどさ。でもこんなままじゃダメだとも思ってんだよねー。いくらなんでもピュアすぎるっしょウチら。こんなピュアだったら少子化んなって人類滅びるわ。ウチは人類にも存続してほしいからさー」


 桐哉がため息をつく。「なんかだんだん下世話な話になってきたな」


「天園さんは僕らが見てるとは思ってないんだろうね……」


「俺のPCで見てるから、俺が見てることには気付いてるんじゃねえの? その辺ってどんな感じなんだ? あ、本介はライブやらねえからわかんないか?」


「パッと見でわかるのは視聴中の人数が減ったか増えたかくらいだと思うけど。通常の動画は誰が視聴したかまでは調べられないんだけど……生配信はどうかな。桐哉の言う通り、僕はやったことがないからわからないよ。たぶん配信しながらの確認は無理だと思うけどなあ」


「まあ俺達が見てるのを知ってたら本介の話なんてしてこねえか……? でも天園なら敢えて話すってこともありえそうだな……」


「あるかもね……」


「あと、わかったことがあるぞ」


「え、なに……?」


 桐哉はニッと笑う。「やっぱり保健体育の知識は備えておいた方がいいってことだ」


「それか……」力が抜ける。「僕は人類が滅びても構わないからさ……」


「そんな悲しいこと言ってねえで人類に貢献しろよな」


 より厳密にツッコむなら、それは男女の交際がスタートしてから考えるべきことだと思うので、やはり今すぐ必要というものではない。いずれ知るべきなんだろうけど、知りたいけど、知ってしまうことでそれがより身近になってしまう不安はある。ピュアでいたいわけではないが、責任が発生しかねない行動には注意を払いたい。


 天園さんや穂坂さんを傷つけることはしたくない。天園さんは僕を他の男子とは違うと言ってくれているが、僕も間違いなく男子で、抗いがたい気持ちとしてそういう汚らわしいものを内包しているのだ。今まで、外部からの直接的な刺激を受けたことがないからそれはおとなしくしているだけで、この先どうなるかはわかったもんじゃない。自覚を持って爆発を遠ざけていこうとは思っているけれど。


 天園さんはまだそんなに話すことがあるのかというほど活発に、今もなお口を動かし続けている。天園さんの生配信はアーカイブとしてチャンネルに残るはずだから、自宅でまた改めて視聴させてもらおう。

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