08.ダンス
シンプルに気色悪いなと思う。僕は天園さんの柔らかみや体温を何度も思い出してしまう。体が勝手にそれを再現してきて辛い。だけど、さらにもっと気色悪いなと思うのは、今の僕は女の子に触れたり触れてもらったりできる環境に身を置けているのだと自覚している点だ。なんだ?それは。思い上がりもここに極まれりだ。少し前までの僕だったら、女の子と接触しようものなら小動物のように弱々しく震えるばかりだったはずだ。そこに意思はなく、ただただ硬直してぶるぶる震えていたはずだ。天園さんが僕を前向きな気持ちに変えていってくれたこと自体はありがたい。僕も天園さんには感謝している。でも、僕の中から湧き起こってくる邪なこの感情だけはなんとしてでも叩き潰し、封印するべきだ。天園さんや穂坂さんの友達として恥ずかしい。
夜の十時を回っている。天園さんとは異なり、穂坂さんのダンス習熟度は良好だとは言いがたかった。運動神経が悪いようには見えないんだけど、手足を同時に、かつ別々の動きで操るのは慣れていないと困難そうだった。まだ日にちはあるが、天園さんの進捗を把握しているがゆえに焦る。穂坂さんは間に合うんだろうか……。
屋上での練習を終え部屋に戻ってくる。穂坂さんはベッドにごろりと横になる。部屋でも近所迷惑にならないよう少し練習すると言っていたのに……。しかし疲れているんだろうなとも思う。学校へ行って、バイトをして、それから余分に踊らなくちゃいけないなんて……冷静になると可哀想になってくる。
とはいえ、スケジュールは進めていかなければならない。穂坂さんが休んでいる間、僕は他人のキキキテレツダンス動画を視聴してカメラワークの研究をする。こういうのってだいたい基本型が決まっていて、オリジナルをリスペクトしている感じだ。中には大幅なアレンジを加えているパターンもあるが、だいたいはもとの動画の雰囲気に準じている。だったらやりやすい。センスはあまり必要なく、オリジナルの空気感を再現できればそれでいいんだから。
この場面は撮影者が左から右へカメラを振らないといけないのか。オリジナルはぎゅーんと動いているけど、動かない動画も多い。たぶん一人で撮影している人は動かさないんだろう。天園さんもおそらくカメラを固定するだろうし、僕もここは固定でいいかな。この『ぎゅーん』もなかなかの慣れ感が必要そうだ。僕にこんな滑らかな振り方はできなさそう。カチコチになるんじゃないだろうか。
「……あれ?」そういえば穂坂さんが身じろぎもしない。寝てしまったんだろうか? 僕は振り返り、黒いスウェット姿の穂坂さんを呼ぶ。「ほ……久兎ちゃん。起きてる?」
「んん……うるさ」
「うるさくないよ。そんなに大きな声出してないし」どうやら寝落ちていたらしい。「水分摂った方がいいよ。そのまま寝たら脱水しちゃうよ」
「水」
「水はないよ。麦茶にするね」
「水道水」
「お腹壊すから。麦茶ね」僕は冷蔵庫からペットボトルの麦茶を取り出しコップに注ぐ。「飲んでね」
「飲ませて」
「寝てたら飲めないでしょ」
「口移しで」
「も、もう……」
どちらにしても寝ていたら飲めないと思うが。僕はあきらめてベッドに背を向け座りなおす。
また動画を見ていると、しばらくして穂坂さんがもぞもぞと起きてくる。「だる」
「お茶飲んでね」
「ありがと」穂坂さんはコップに手を伸ばし、ベッドに腰かけて一気飲みする。「ふう……」
「さ、どうする?」
「寝る」
「寝る?」
「明日は朝からバイトだし」
「そうだったね」
明日は土曜日。穂坂さんは夕方までバイトか。
「てか、あたしダンス無理かも」
「…………」そんなことないよ、なんて適当な返しはしたくないけれど、ここでやめるという選択肢もなかなか取れないだろう。「……前のショート動画のダンスは上手だったよ」
「あれは手の振り付けだけだから。上手も下手もない。誰でもできる」
「誰でもって、僕はできないけどね……」
手だけの動きだとしても技術差は出るだろう。それを簡単に言ってのけるんだから、穂坂さんにもダンスセンスはありそうなものだが。
「本介も練習したらできるから」
「だったら……」
キキキテレツダンスも練習すれば穂坂さんならできそうじゃない?って言いそうになるけれど、言わない。言って、穂坂さんが『それもそうだね』なんて納得するはずない。
「あたしってなんにもできないからさ」
「そんな……」
「アマゾンにも言ってたけど、得意なものとか好きなものとか、なんにもないし」
「趣味も?」
「趣味も。本介みたいにゲームもしないしさ」
「……身近に何か、楽しいと思えるものがあるといいよね」
「……ない」
「うーん……」
「アマゾンとか、あいつらと喋ってるのは楽しいよ。でもあそこがあたしの正しい居場所なのかはよくわからない。あたしは、アマゾンに気に入られてなんとなくグループに入っただけだから」
「そうなんだ」
「うん」
「……離れたいと思わないんだったら、正しくない居場所ではないのかもしれないね」
「え、なに?」
「いや……ほ、久兎ちゃんが嫌だと思わないなら、そこは久兎ちゃんにとっていい居場所なんじゃない?」
「うん」
「……友達のことが好きってだけでも充分だと思うけど」
「うん」
「…………」
僕だって何も取り柄なんてないし……って言うと、でも、動画配信ができるじゃないかと言われそうだしな。だけど動画配信なんて、ただ手間をかけてやっているだけのちょっとした作業だ。もちろん、手間だけではどうにもならない、いろんな工夫を凝らして熱意を込めて動画を作成している人もたくさんいる。僕はそうじゃない。本業の配信者を僕は尊敬するが、僕はそれには近づけない。僕のは本当に小作業なのだ。穂坂さんが毎日やっているバイトの方がよほどすごいし、僕からすればそんな真似ができるだけでそれは取り柄だ。
「本介のことも好き」
「…………」
「……ずっと嫌ってたクセに、って思ってる?」
「思ってないよ。照れ臭いだけ」
「………一年のとき、あんたに会いに行ったんだけど、覚えてる?」
「え、覚えてない」
「やば、こいつ」穂坂さんはさすがに信じられないといった表情をするが、僕なんて四六時中ビクビクオドオドしていたからなあ。一年生の、入学したてのときだとしたらなおさらだ。一度話しかけたぐらいでは記憶にも残らないだろう。「あのとき、あたしは穂坂久兎ですけどあなたの生き別れの運命の女なんですって無理矢理自己紹介すればよかったかな」
「それは……そんなことされたら忘れられなくなるだろうけど」
「そうすればよかったかも、って今は後悔してる」
「でも、僕は見る影もない没落男子だったんでしょ……?」
「全然。そんなことない」
「…………」
「あたしがバカだっただけ。本介もきっと覚えてて喜んでくれるって、勝手に期待して……自分の思い通りにならなかったから怒ってただけ」
「今はまた仲良くしていられるから、僕はよかったと思ってるよ」
「うん……」
「ねえ、久兎ちゃん」僕は提案する。「天園さんに言って、勝負を白紙にしてもらおうか」
「…………」
「僕が独断でお願いする。天園さんも別に全然怒ってなさそうだし、ノーカウントにしてもらえると思うよ」
「それはダメ」と言われる。「勝負にしっかり応じておいて、負けるわけでもなくなんとなく降りるなんて……そんなダサいことはできない」
「で、でも……」ダンスは無理そうだって言うから……。
「勝てそうにないから降りるなんてありえないでしょ。それなら負けた方が全然マシ」
「だからって、負けたら……」
「あーもう。あたしは負けません」
「えぇ……!? 練習もあんまりできてないし……」
「わかったわかった。練習する。練習します」
穂坂さんが立ち上がる。自分のスマホ……は画面がバリバリなので僕のスマホでお手本動画を流す。音量は小さめで。
「無理しないでね。明日のバイトは長いんだから……」
「本介代わりにバイト行ってきて」
「む、無理……」接客なんて僕にはできない。
「じゃ、代わりに踊っといて」
「そっちの方がまだ可能かな……」意味はないけど。
そうして、負けん気で少しモチベーションを上げた穂坂さんはなんとか練習を再開してくれる。ただ、僕としては不安だ。穂坂さんが負けなくても、天園さんが負ける。要するにどちらかは必ず負けるのだ。負けた方は僕と距離を取ることになるんだろうか? 勝負のルールに沿うならそういう話になる。それは、天園さんや穂坂さんが構わないんだとしても、僕は困る。僕はどちらと特に仲良くしたいんだ? どちらのことが本当に好きなんだ? 天園さんのことは天園さんのことで好きだし、穂坂さんも穂坂さんとして好きだ。同じ『好き』ではないんだろうけど、それは内訳が異なるだけで総合的に見るならどちらも同じくらい好きなのだ。でも必ず選ばなければならない。二人の内、どちらかが離れていくなら、なおさら、早急にだ。だけどそうなってくると、この勝負自体の意味はまったくもって皆無なのだった。僕が好きな人は僕が決めるわけだから、ダンスの勝敗に影響されることがない。勝負に負けた方を僕が選んだ場合、僕はその子を追うから、勝者の特典は失われてしまう。勝ち負けを設ける意義がない。そうじゃない?
だけど、再びやる気になって踊っている穂坂さんを眺めていると、そんな理屈っぽい話はできないし余計な思考も飛ぶ。せっかくだから上手く踊れるようになってもらいたいし、穂坂さんは天園さんと違って優良ダンサーではないから僕が役立てる余地もまだあって監督し甲斐もある。
足音を立てず、とりあえず体に覚え込ませることを意識して踊る。やはり手足をバラバラに駆使しなければならない難所でつまずく。ややこしそうだなあと思うけど、慣れる他ない。
「できない」と穂坂さんはまた言う。
「できなくはないはずだけど」
「右足と左手をこうして……次の右足が出ない」
「うーん……」
僕は何かブレイクスルーがないかと穂坂さんの正面に屈んで考えてみるけど、ない。僕程度が打開策を閃くなんてことありえない。
「しかもこのあと服をまくってさりげなくお腹を出すでしょ。これを自然な感じでやるのも難しいし。どうしてもガバッてなる。見せます、みたいな感じになる」
穂坂さんが急にスウェットの裾を親指で上げてお腹を見せてくるもんだから、真ん前にいた僕は目を逸らすこともできず思わず「うわ」と短くおののく。お腹、白っ。スウェットの黒と対比されて驚きの白さ。
「なに」
「なんでも……」
「ああ……お腹?」
「いや……」
「そんなの、動画でさんざん見てるじゃん」
「うん。いや……」
たしかに。いろんな女の子のキキキテレツダンスを見ているから、それと同じだけのお腹も見ているはずなのだ。天園さんの言う通りか? 動画として投稿されているものはいわば作品だからお腹も作品の内で、作品であるならばお腹はもうお腹じゃない……のか? いや、違う。知らない女の子のお腹なんて僕にとってはどうでもよく、穂坂さんのお腹が特別なのだ。だから見てはいけないような気になるし、見てしまったなら声も出るし、白かったら感動してしまうのだ。
そこに思い至って恥じ入っている僕を眺め、「アマゾンのお腹も見てるんでしょ?」と穂坂さんが訊くともなく訊いてくる。
「見ないようにはしてるよ」
天園さんといえばお腹よりも床ドンの方がセンセーショナルすぎて、思い出した僕は頬を熱くする。
「ふうん?」穂坂さんは首を傾げる。「アマゾンとはどんなふうに過ごしてんの? あいつは協力しなくても勝手に自分で踊ってるんでしょ?」
「あ、うんうん。僕はいるけど、ぼーっとしてるよ。サポートはできてないね」
「そうだろうね」
記憶と感覚が甦ってくる。僕は単純すぎる。振り払い、僕も躍りの研究に精を出す。穂坂さんが僕のスマホを使っているので、僕は穂坂さんのダメージスマホで動画を視聴する。ディスプレイの破損具合は致命的だが動画は問題なく再生される。それにしても、穂坂さんはスマホをいとも容易く僕に委ねてくれる。僕だったらスマホを他人に操作させるなんて死んでも勘弁なんだけど、まあ穂坂さんは見られて困るものが何もないってことで健全そうですごい。僕もなんだかんだ穂坂さんにスマホを渡しているが、それはSNSを事前にクリーンにできているからこそだ。抜き打ちだったら暴れ回ってでも渡さないだろう。
「あ、ほさ……久兎ちゃん。ダンスのこの部分って、こうしたらできない?」僕はスマホを置き、立ち上がる。「右足がピッて出てるときに左手がこうスゥーッてなってるけど、これらは同時に完了するわけじゃないから、次の左足は右足の動きだけに合わせるの。右足を出したら、左足を動かし始める。左手のスゥーは完了してないけどそのままでいいんだ。そして次の右手右足は、左手の完了を合図にする。次の部分もまるごとおんなじような感じ。そしたらお腹を見せる場面もそんなにシビアに感じなくない? こんな具合……」
僕が動いて見せると、穂坂さんは口をすぼめてからうつむく。「もー……ウケるんだけど。本介のダンス」
「え、的外れだった?」
「違くて。ウケる」
「ウケるって……」
見ると穂坂さんは口を隠しながらも笑っていて、別に今までにも穂坂さんが笑ったことはあったはずだけど……あったかな?……なんか新鮮で可愛く感じる。いや、単に僕自身が安心しただけかもしれない。穂坂さんが笑ってくれて。
「踊れたの? 本介」
「踊ったことはなかったけど、僕もかなりの回数キキキテレツダンスの動画見てるからね。さすがに脳に染みついてたよ」
「ちょっと上手くてやば。あんたが踊る動画出したら?」
「僕は出さないけど」需要皆無。案外僕みたいな変な奴ヤツが踊った方がバズるというのはあるあるだけども。「それより、どう? 僕の言った通りにやってみてよ」
「本介の言うことなんて、当たり前じゃん。右足が出てて左手が出て、右足が出るなんて……見てればわかるし」
「まあそうなんだけどさ……」
「できた」
「できた!?」
やった! よかった! 見ると、たしかに穂坂さんはつまずかずに通せている。壁を越えた。一度踊れたのならどうとでもなる。
「足は足、手は手でひとまとめに考えればいいわけか。右手左手右足左足って考えるからダルくなるんだ」
「さっきそう言ったじゃない」
「言ったか?」穂坂さんは首を傾げる。「まあいいけど。最初から踊ってみる」
「うん!」
僕はホッとしている。穂坂さんが踊れなくて動画すら撮影できなかったらどうしようかと内心不安でたまらなかったのだ。別に僕の問題ではないのでそんなにプレッシャーを感じなくてもいいと言われればそうなんだけど、天園さんの完成度を知っているもんだから、この天と地ほどの差異に穂坂さんが打ちのめされないか心配だったのだ。しかしネックになっていた部分を突破できたので、もう差異は天と地ほどもない。どれくらいかはわからないが、同じ舞台に立ったはずだ、これで。
ふと気付くと僕はベッドに背中を預けてカーペットの上で寝ている。穂坂さんに覗き込まれている。「おはよ」
「えぇ……朝?」
「まだ夜中。十二時になりそう」
「びっくりしたあ……」
十二時ならほんの少し意識が飛んだくらいか。なんだかんだ言ってて穂坂さんよりガッツリ寝落ちしかけていて不甲斐ない。
「寝る?」
「うん」
「じゃ、シャワー浴びてきて」
「えぇ……眠たいんだけど」じゃない。僕は姿勢を正す。「ここ、穂坂さんちだったね。寝ちゃダメだった。帰らないと」
「久兎ちゃんち」と真顔で訂正される。
「あ、久兎ちゃんちね……」僕は寝起きで頭の働きが鈍い。「帰るね。もう寝る時間だ……」
「泊まってけば?」
「え」
「明日は土曜日だし」
「や、ダメだよ」
「平気」
「親が心配するから……」って言うけど、僕が夜中に出掛けても親はあんまりなんにも言わない。友達が出来たことに気付いていて、なんか喜んでくれているのか、特に苦言を寄越したりなどしてこない。よくない友達だったらと危ぶまないんだろうか?と疑問だが、どうやら内向的に引きこもっているくらいの息子なら不良である方がまだいいと思っているらしく、放任されてしまっている。
穂坂さんもわかっているようで「今さら心配もされないでしょ」と言う。
「っていうか、久兎ちゃんに悪いから」
「あたしは全然。泊まっていきなよ」
「いや、だけど僕男だし……」
「なに」
「久兎ちゃんは女子だし」
「別に変なことしないから。安心して」
「うん……」ってなんか立ち位置がお互いおかしい気もするが。
「それにどうせ帰れないから」穂坂さんが窓の外を指し示す。
雨音だ。梅雨の最後っ屁だろうか。いつの間にか盛大に降っている。僕は当然傘を持ってきていない。「あ、でも久兎ちゃんが傘を貸してくれれば……」
「無理。バイト行けなくなるじゃん」
「ああ……」一本しかないのか。
「あきらめてシャワーしてきて。なんでそんなに抵抗するんだろうね。他の男だったら何も言わなくたって泊まろうとするのに」
「他の男って……」
「例え。いないから。他の男なんて」
「うん……」
で、僕はあきらめてシャワーを浴びる。ユニットバス。トイレの真横にバスタブがある。すごく不便そうというか違和感が強烈なんだけど、これが一人で暮らすってことなんだろう。穂坂さんはよくやっているなあと感心させられる。
ささっとシャワーを済ませて穂坂さんと交替し、ベッドで並んで寝る。カーペットで寝ますと強くお断りしたが、「絶対に何もしないから」と諭されてベッドに上げられた。僕の方が何かをしてしまいそうで恐いんだとは主張したかったけれど、それはそれでなんだか話が複雑化しそうだったのでやめておいた。それを言ったからってカーペットで眠れる保証はないし。
親に連絡を入れて消灯する頃には土曜日の最初の一時間が過ぎようとしていた。もう本当に寝ないと。
友達の家に泊めてもらって寝た経験なんてないから眠れるかわからないけれど「おやすみ」ととりあえず言う。
「おやすみ」と穂坂さんも言う。壁際で僕に背を向けて寝ているのがなんとなくわかる。
「…………」
眠れるわけないよなあ。自分のベッドではないし、自分の家ですらないし、近くに女の子の気配がするし。三十センチ隣だろうか? 五十センチも離れちゃいない。
暗闇の中、雨音に混ざって声が浮かぶ。「アマゾンとエッチなことした?」
「し!? してないよ……!?」
「反応早」
早すぎたか。「なんでそんなこと訊くの。唐突に」
「したでしょ」
「してないったら……」
していない。あんなの客観的にはなんでもないことのはずなのに、しかし僕の精神が幼いせいでとてつもなく猥褻な出来事のように感じてしまう。頭ではわかっている。カップルだったらもっと濃厚なことをしている。だけど心が納得しない。だから過剰に反応してしまう。
「さっき、変な顔してたから」
「さっき?」
「アマゾンのこと訊いたとき。お腹見せてもらったの?って」
「……お腹は見えたかもしれないけど、でもホントにそういうことはしてないよ」
「ふうん」
「信じてない?」
「ううん」
「!?」布団の中に入れている手の甲に冷たいものが当たり、何かと思ったら穂坂さんの指だった。穂坂さんの指が僕の手の甲を確かめるみたいに一本、二本、三本と触れてきて、やがて包み込むようにして握る。手を繋いだような形になる。恐る恐る目を凝らすと、穂坂さんがこちらに寝返りを打っている。「な、何もしないって言ったのに……」
「乙女かよ」あきれたような、あるいはからかうような声。暗闇は声色も不鮮明にする。「こんなの、何かした内に入らないんだけど」
「…………」
「ダメだった?」
「……別に大丈夫だけど」と言うしかない。強がるしかない。
「心配しなくてももう何もしないよ」穂坂さんは僕の手を少しだけ強く握る。「眠たいし。早く寝てバイトに備えないと」
「うん。ホントだよ」
穂坂さんはもうだいぶ疲れているはずだ。僕は眠れなくても構わないので、穂坂さんだけでも朝まで熟睡できるといい。
「……今日、楽しかったね」
「久兎ちゃん、寝ないとダメだよ」
「今日が終わるのがもったいなくて、本介には帰ってほしくなかったんだ」
「うん」
「本介は楽しくなかった?」
「僕は……」
「ま、本介は付き合わされてるだけだから、そこまでか」
「いや、僕は今日じゃなくたって、いつも楽しいよ?」
今日ももちろん楽しかったけど、だいたいいつも楽しい。それはいっしょにいてくれる誰かのおかげだ。
「あーそういうこと? ごめん」
「ううん。久兎ちゃんが楽しかったならよかった。僕も余計に、いい気分だよ」
「……いつもありがと」
「いや、全然全然」
僕なんてただいるだけだ。ほとんど何もしていない。でもそれはさっきの僕自身の気持ちに返ってきて、穂坂さんがいっしょにいてくれるだけで僕は楽しいんだから、もしかしたら、穂坂さんも僕がただいるだけでもそれなりにありがたいと思ってくれるのかもしれない。それだけでは申し訳ないので、僕は僕にできることをできるだけやりたいのだけれど。