07.将来
なんかわかんないのは君の目線が私を見てたりあの子を見てたりあいつを見てたり定まってない。目だけでそんなに動き回ってる君の心はちゃんと君のお腹ん中にあるの。見せてよってなるけど見せてもらえるんだったらあの子もあいつも誰のことも気になんないし……みたいなのがサムイモアのキキキテレツという楽曲の歌詞で、この部分を踊る動画がちょうど今現在流行しているようだった。サムイモアは非常に有名なので僕なんかでも知っているが、キキキテレツはどんな曲か?と訊かれても咄嗟には説明できないし、フレーズも思いつかないし、とりあえず調べてみた。テンポは速め。まあゆったりした曲で踊ったりはあまりしないだろうから、ダンスにちょうど適した曲調なのかな?といった感じだった。天園さんと穂坂さんはこの曲に合わせて踊るのだ。
インフルエンサーが考案したダンスについても調べてみるが、僕からしてみると高難度に感じた。僕自身がダンスを何も知らないのとそもそも運動神経がないのとで、どんな振り付けなのかを口頭で言い表すことすら困難だった。手をうにょーって伸ばし回しながら足をバタバタさせている箇所がある……ぐらいにしか言いようがない。
今日は放課後、天園さんの部屋で天園さんの監督をやっている僕だけど、やっぱり純正ギャルはダンスの修得も早い。お手本の動画を眺めながら、自分を姿見に映しつつ、最初は大雑把だった振りをだんだんと完成形に寄せていく。なんか、プロのパフォーマンスを見ている気にすらなってくる。まあ、毎日毎日いろんなダンスを見ては真似をしているギャルなんて、もはやプロみたいなものなのかもしれないけれど。
僕がショボすぎるって線も捨てきれない。
「早くももう投稿できそうなレベルだね」
「まだ序の口っしょー。振り付け確認してるだけだし? あとはどう表情をつけてくかだなー。オリジナリティも入れたいしー。お腹チラ見せんとこをどうすっかだよなー」
「お腹ね」
一瞬だけだけど、服の裾をちょっとめくってお腹を見せるみたいな振り付けがある。本当にソフトなもので可愛らしいのは間違いないが僕なんかには刺激が強すぎる。天園さんがお腹を出しているときは僕の視線も自然と明後日の方を向く。
「ま、考え中」
「期間はまだあるしね」
「うん。うーん……」
「どうしたの……?」
「猫村くん来てくれて嬉しいけど、猫村くんいるときに表情とかつけて踊りたくねー。恥ず」
「えぇ、そう? お邪魔だったら帰るけど」
「あああ、あ、やーだー。やだし。帰んないで。そんなこと言われるとぴえすぎなんだけど。恥ずいけどいて」
「ふふ。恥ずかしがらなくても……投稿された動画は僕も見ていいんでしょ?」
僕が天園さんだったら躍りの練習をしているところも動画も恥ずかしくて見せられないけれど、天園さんは僕じゃないから大丈夫なはずだ。
「動画はガンガン見て。いいねいっぱいして」と天園さんは無茶な相談をする。「投稿された動画はもう完成された作品だから気にならないんだけどさー、やっぱ練習中の姿を見られるのはガチ恥ずよなー。動画になって世に出たウチはウチじゃないけど、今この場にいるウチはウチだからなー」
「そんなもんかな」
「そんな感じじゃね?」天園さんは伸びをしながら歩いてきて、僕の隣に座る。「ちょっと休憩」
「…………」
隣というか、ものすごい真横で僕は思わず息を呑む。最初、僕の肩に腰かけるつもりなのかと思った。それくらい密着するような感じで天園さんは座ってくる。まあそれなりに距離感は近い人なので、そういうことくらい別にありえる。
エナジードリンクを飲む天園さん。「ふ~汗掻いたあとのエナドリは美味ぇ……沁みる」
「……もう。いつもエナジードリンクばっかり飲んでるんだから。体に悪いよ」
「なんか不思議じゃね? エナジーなドリンクなのに体に悪いって。体を癒すために飲んでるんだけど?」
「なんでも摂取しすぎはよくないんじゃない?」
「猫村くんがくれたんじゃん」
「はは。まあね」でもそんなに次から次へと気軽に飲むとは思っていない。「僕が差し入れなくても飲んでたでしょ」
「バレバレの実」
「……それにしても暑いよね」
七月だし。天園さんが真横にいるし。天園さんはまだ制服姿だ。動きやすい格好に着替えたらいいのに。
「エナドリ飲む?」
「エナドリは今日はいいや」
「エアコン入れる? 節電中なんだけど」
「ううん、お構いなくだよ。ただの雑談だし」
「貧乏金なし。こんだけ暑いとお金も溶けそうじゃね? そこに置いといた小銭消えてるんだよねー」
「それ絶対知らない間に使ってるやつだよ」
「何に使うかなー」
「……節電もいいけど、熱中症には気をつけてね。室内でもなるらしいから」
「エナドリあるから平気」
「なんにでも効くね、エナドリ」
「なんとか医学賞取れそうじゃね。こーゆうドリンク革新的すぎなんだが。美味いし」
「ふふ」
「……もうすぐ夏休み」
「うん。そうだね」
「でも夏休み来るとさー、なんかすぐ秋が来て、冬が来て、一年が終わりそうな気分にならん?」
「んー? そうなのかなー……どうなんだろ」
それは天園さんがリア充すぎて、ただ単に一年があっという間ってだけな気もするが。
だけど天園さんの思考は少し違ったところへ繋がっているようで「三年生になっちゃうんだよなーウチら」とつぶやく。
「まだ早いよ」と僕は笑う。
「でも一瞬で来そうじゃね!? ラストJKだ。やば! 自分がラストJKになる日が来るとは! 年月エグすぎ。マジ草も枯れるわ」
「そんなに急かなくても」
「いや、将来ってどうなるんかなと思って。猫村くんって将来のこと考えてる?」
「将来かあ……」
大学のこととか。この間、なんにも考えていないなあってことをようやく自覚した。そんなレベルだ。
「ウチ最近ときどき考えるんだ。ウチってどうなっちゃうんかなーっつって。高校終わったらどうなるんだろ?」
「大学は行かないの?」
「行けるかあ? ウチバカだからなー」
「でも芳日高校に入学してきてるじゃない。それなりに勉強しないと芳日高校は受からないよ」
「高校入試は簡単だったしー。でも高校の授業ムズすぎね? 急に温度差やばすぎ。なんもわからんのだが」
「……天園さんは、頭いいと思うよ」僕は率直に言う。「普段はふざけてるけど、配信のときとかの話し方……っていうか説明の仕方かな?……見てると、賢い人なんだなって感じるもん。人の心を惹きつけるみたいな、そんな才能あるよ」
「…………」
「あ、学校の授業とはあんまり関係ないかもしれないけど」
「や、もー! そんなこと言ってくれるの猫村くんだけだし! 猫村くんの心だけ惹きつけてるんかな?ウチ。全然それだけで充分なんだけど!」
「本当だよ。だから生配信も盛り上がってる」
「恥ず!ってか嬉しい! 猫村くんは人をおだてる才能あるくね? アゲチンじゃん。玄関の下駄箱の上に座布団敷いて飾っときたいんだが」天園さんはひとしきり笑顔を輝かせてから、それから少しうつむく。「でも、エビュウの配信もいつまで続けるんかなーって思ったり」
「ふうん?」
「猫村くんは動画配信をお仕事にすんの?」
「僕? それは無理なんじゃないかな。収益が雀の涙すぎるし」
「雀の涙の語感可愛すぎなんだが。……でも猫村くんのチャンネル、登録者いっぱいじゃん。続けてたらもっともっと増えるんじゃね?」
「登録者と再生回数のバランスが悪いんだよね」たぶんいろんなゲームの配信をしているからだ。登録者はおのおのがおのおので好きなゲームをプレイしているんだろうが、すべてのゲームをプレイしている人間なんて存在しない。そういうことだと思う。まあ僕がすべてのゲームの攻略動画を抜かりなく配信していけばいいだけの話なのかもしれないけれど、それは難しい。今現在は特に。「……僕は動画配信を仕事にしようとは考えてないよ」
以前は考えていたような気もする。いや、将来にそんな展望があったというよりは、ゲームをして、それを配信することしか僕にはできることがなかったのだ。だからそればかりをひたすらやっていた。それをやることが存在意義であるかのようにやり続けた。それしかできないから、それだけをやっていれば許してもらえないかと、そう思っていた。願っていた。
だけど今、僕は天園さんと駄弁っていて、本来だったらゲームをして配信準備をしていなければならないのに、やっていない。やらなくたって構わないと思っている。数ヵ月前だったら、ゲームをプレイする時間、配信準備をする時間が少しでも削られればストレスでおかしくなるほどだったのに。どうでもいいと思ってしまっている。どうでもいいと思えるようになっている。僕は一人で何かをやっているよりも、天園さんや穂坂さん、それから桐哉といっしょにいる時間の方が好きなのだった。
たくさんのゲームを網羅して旬に沿った配信がしたいなら、そういった外部からの誘惑を冷静に跳ねのけられるようなストイックな精神がなければきっと務まらない。僕はそんな強靭な人間にはなれないし、だから僕は動画配信を仕事にはできない。今はそう思っている。向いていなかったのだ。僕自身知らなかったのだけども。
「ウチも」と天園さんが言う。「こんなお小遣いレベルじゃ仕事にならんし、他の仕事始めたら配信なんてしてられないだろーし。じゃ、意味なくね?って最近思ってて。ウチの配信、いらんくね?って」
「…………」
「猫村くんと知り合ってから配信もっと頑張ろって思えたけど、いきなり冷静になって、そんなに頑張ってどーすんだろ?とかっても思い始めてさ。……どお思う?」
「うーん……僕は天園さん、楽しいから配信してるんだと思ってたんだけど。この前も言ってたもんね。『好きなものを動画にしてみんなに見てもらってるんだ』って。そういう気持ちで配信するって」
「あ、うん……」
「収益を増やそうとか有名になろうと思って配信してて、それが叶わないんだったら無意味だって感じるなら、たぶん本当に無意味だと思う。だって僕達は有名になれないし収益も増えないから。ビックになれる人って、限られてるもん」
「うんうん」
「天園さんは『いつまで続けるんだろう?』なんて悩まなくていいんじゃない? 続ける必要がなくなったらそのときにやめればいいんだよ。だって天園さんは今、好きでネイルをデコったりダンス踊ったりしてるんでしょ? 全部天園さんの自由でいいんだよ。天園さんが楽しければそれでいい」
「…………」
「お小遣いなんて関係ない」社会人になったら、やっぱりお金にならない動画作成なんて無価値だと思うようになってしまうんだろうか? わからない。社会人なんて僕の想像の埒外だ。でも、それならそれで、そこがやめどきなんだと思う。楽しくやれなくなったならやめていい。自由でいい。「……まあ僕は天園さん、有名になる才能あると思ってるけど。そんな無責任なことは言えないしね」
「言ってるし!」と天園さんは僕に体を傾けて重量を加えてくる。「そんで猫村くんメッチャ喋ってくれるし! 早口すぎだし」
「オタクだからね。聞き取れたかな……」
「聞き取れたしー。滑舌よ! 配信者の才能あるんじゃね?」
「僕にはないよ」
天園さんの耳が僕の声に慣れただけだ。猫村耳。
「……猫村くんありがと! わかった! つまんねー話ししちゃったかも! ごめん!」
「ううん」
「楽しくやる! 楽しいはずなのにさ、この楽しさは将来どうなっちゃうんだろ?って考えてたらわけわからんくなってきて、今も楽しめんくなってた!」
「うん」
「大学は……猫村くんとおんなじとこ行けんかな。無理かな!」
「大学……」僕も将来への考えをぼちぼち進めていかなくちゃいけない。しかし今この瞬間においては思考をまとめられない。天園さんが僕の手に手を重ねていて、ついにはぎゅっと握ってくる。「あ、天園さん……!?」
僕もだろうけど、天園さんも既に真っ赤だ。「ね、猫村くん……もういっこ訊きたいんだが!」
「は、はい……」
「その、ほ、ホサコといつの間にか親友みたいになってるのは、あれ、その、なんなん!?」
「あ、いや……」
「いや! 猫村くんが他の子と仲良くなるのはウチも嬉しいし猫村くんが好かれんのもトーゼンと思うんだけど……どーなっとん? なぜにホサコ?」
「や、ほら、この間も説明したけど、穂坂さんのバイト終わりにたまたま会って……」
「あ、き、聞いたけど、なんで? なんか、最近アイツ、猫村くんに超ベタベタしてるんだが」
「それは……」
穂坂さんの引っ越しエピソードについては話していいものなのかわからないし、何も弁明できない。というか、どんな説明をしたところで穂坂さんがベタベタである理由は僕にもわからない。
「い、いーんだよ!? ホサコがどーしようが。ホサコの勝手だし。今まであーゆうことしなかったからバビっただけで、そんだけ猫村くんのこと好きなんじゃん?てだけだし。なんかキャラじゃねーなって思うけど!」
「う、うん……」
「もも、も、問題は……ウチが猫村くんにあーゆうことしてもオケなん?ってことなんだけど」と口走る天園さんは僕の手をぎゅっとしたままこちらに体を向けており、目は血走っており今にも獲物に飛びかかりそうな肉食獣のよう。
「そ、それはどうなんだろう……」
「猫村くんはホサコが好きなん……?」
「や、僕は好きとかわかんなくて、天園さんのことも穂坂さんのことも、もっと知りたいなって思ってて……」
「じゃ、じゃじゃじゃ、じゃあ! う、ウチのこと、もっと知ってよ……!」
天園さんがメチャクチャどもりながら僕の側面に抱きついてくる。全身が柔らかくて温かくて、僕は薄い膜に包まれたようになる。そのすぐあとに僕の上腕がより柔らかいものを察知して神経を尖らせる。天園さんの全然慎ましやかじゃない胸が思いきり押しつけられていて、僕の腕のせいで形が変わっていてふんわりと潰れている。僕は失神しそう。穂坂さんはしなだれかかるのが上手で体がぶつかり合うような感じはあまりしないのだが、天園さんは力任せに抱きついてきているふうで胸が潰れようが鼻先が僕の顔に当たろうがお構いなしだ。
僕は呼吸もままならない。「あ、あ、天園さん……!」
「な、なんかホサコばっかりズルいじゃん! ズルいズルい!」
天園さんは何がしたいのか、さらに体重をかけてきて、こらえきれずに僕が体を逃がしてもまだ迫ってきていて、僕は逃げきれず床ドンされてしまう。短いスカートから伸びる生足が僕の太ももを押さえつけており感触が生々しい。
「ちょっと……天園さん!」って僕は名前を呼んでばかりでそれ以上の言葉が出てこない。天園さんの胸は今度は僕の胸部で形を変えており、天園さんの顔が眼前にある。天園さんが僕に最大限の接近をしている。つまり隙間なく密着している。僕の体が反応してくる。
「猫村くん……」
天園さんは切なげに目を細めて僕を見下ろしている。だけど固まったまま動かない。何をすればいいのかわからないのか、躊躇っているのか、僕の行動を待っているのか……どれなんだろう。
「…………」
普段の天園さんは香水のような……お店で嗅げるようなよくある香りを纏っているんだけど、汗を掻いて、かつ僕の目の前にいるこの状況だと、いつもと違う甘ったるい匂いが鼻孔に入り込んでくる。人工的な甘さとは異質の甘ったるさ。これが天園さんの本来の匂いなんだと思うと、僕はいけないものを嗅いだ気になる。
汗がぽたりと僕の顔に落ちる……と、我に帰ったらしく「ごめん!」と天園さんは体をどける。「猫村くんマジごめん! ウチ……」
僕は頭も鼻も太ももも……全身がまだ天園さんの感触を欲しがっていて、「大丈夫だよ」って言ってあげないといけないのに、この展開が口惜しくて、離れた天園さんを追いかけて手を握り返す。もっと天園さんの近くにいたい。
「…………!」と天園さんは少し身を引く。
それで僕も遅ればせながらに熱が冷める。僕は何をやっているんだろう。綺麗な女の子に好きだと言ってもらえて調子に乗っているんだろうか。愚かしい。身のほどをわきまえた方がいい。そう思うと楽になれる。
「天園さん……」
「猫村くん、マジ。マジで」と天園さんは両手を合わせて『ごめんなさい』のポーズを取っている。「き、嫌いにならないで。ホサコが羨ましくて……」
「うん、うん……平気」
僕はそれよりも自分自身に驚いている。
「あ、汗やば。暑っ……」
「あ、あの、シャワー浴びてくるとか?」
「そうする……っ。ごめん! 待ってて!」
天園さんが頬を押さえながら退室し、僕は脱力する。艶かしい。感触も表情も体臭も、すべてが艶かしい。女の子ってみんなああなんだろうか。あんなの反則すぎる。僕の心臓は骨を揺らすほどダイナミックに伸縮していて痛い。
天園さんがいったん抜けた部屋で、僕は所在なくて寝転がる。体を丸める。こうしていると覆い被さってきた天園さんの感触が思い出されて気持ちがいい。だけど、そんな僕自身の存在が客観的にだいぶ気持ち悪いので、天園さんがサッパリして戻ってくる前には体を起こしておくようにしたい。