表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

02.動画作成

 さすがだなあと思った。ネイルに関する専門用語はわからないし技術的な面についても僕じゃ判断がつかないけど、天園さんの生配信はただ話を聞いているだけでも面白かった。登録者数を鑑みれば同接も少なくなく、コメントも活発だった。僕でさえもがついうっかりネイルに興味を持ってしまいそうなほどのトークなのだから、その方面が趣味である人達からしたら楽しくて仕方ないんだろう。まあ天園さんだから僕が贔屓目(ひいきめ)に視聴しているというのもあるのかもしれないが、しかしああいった話し方や紹介の仕方は同じ配信者として学ぶべき点なのかもしれなかった。僕は恥ずかしいので動画に顔も声も載せるつもりは未来永劫ないのだけれど、それでも参考にはなった。


 顔といえば、面と向かっている最中の僕はほとんど天園さんと目すら合わせていられないのだけど、配信の場合、画面の向こう側の天園さんがこちらを視認してくることは当然ながらありえないので、問題なく凝視していられた。天園さん、普通にけっこう美人だった。第一印象としてはまつ毛が多すぎて野暮ったいなくらいにしか思っていなかったんだけど、改めてじっくりと見てみると、なんかメチャクチャ綺麗だった。鼻筋がスッと通っていて、唇はふっくらしているし、顎先もキュッとまとまっている。二次元のキャラと比較するとそりゃ見劣りはするだろうが、へえ、と思った。今更だけれども。


 翌日、学校へ行くと昨日桐哉が教えてくれた座席にたしかに天園さんがいる。天園さんはこちらに気付くとすぐさま手を振ってくる。爪は……昨晩の配信でデコっていた新作。

「おすー、猫村くん」


「おはよう、ございます……」


「すーーん」


「? なんですか?」


「タメ語で話せって言ってんじゃん」


「ああ……」難しい注文だ。「昨日の生配信見ましたよ……」


「マジ!?」天園さんは白けていた表情を一変させ、席から立ち上がる。「視聴者様じゃん。えー見てくれたんだ。逆にウケる!」


「僕の住む世界とは全然別ですからね……」


「コメントしてくれてた?」


「や、コメントは……」


「ネイルとかわかんなくてもテキトーにコメント投げてくれりゃいいよ。盛り上がるし! 猫村くん来てくれたのわかったら爆アガりしそう!ウチが」


「…………」

 コメントをすると僕のアカウントがバレる危険性があるからなあ。まあコメントしていなくとも天園さんが僕のアカウントに辿り着くことは不可能じゃないが、わざわざそこまではしてこないだろうと思っている。


 それよりも昨日の続きで僕は天園さんに謝罪をしなければと今も思っているんだけど、でもさすがにこのタイミングではないだろうなとも理解している。朝イチでこの流れから改まって謝罪というのもなんか違う気がする。見計らいたい。


 しかし、ともあれ、急にものすごい視線を感じる。無数の視線。当たり前だった。陰キャが登校直後にギャルと会話しているんだから、周囲からしたら世界が覆ったかのような動転感はあるだろう。それを自覚してしまうと、僕は(すく)んで動けなくなる。


 天園さんはまったく気にしない。視線に気付いてすらない。「猫村くん、今日もマジだりぃけど一日頑張ろ! 今日も学校終わったらウチ来る? なんだかんだ昨日は生配信しかできなくってさー。動画用の素材撮りから何から、なんにもできてねー」


「え、けっきょくやらなかったんですか……」


「胸いっぱいだったからなー」


「ああ、生配信で……?」


「生配信なんかどうでもいいから」と天園さんはちょっと不機嫌そうに言う。「生配信なんかウチにとったら朝飯前、夜寝前の通常業務よ。なんならメシ食っててもできるし寝ながらでもできるし」


「そ、そうなんですね……?」


 ものすごい小声。「猫村くんが家に来たからだろーが……」


「えっ」


「はい! もう自分の席行って! はいさようなら」と天園さんは僕の背後に回り、僕の肩を掴んで席の方へ歩かせる。なんか、いま気付いたけど、僕は男子としては背が低い方だから、スラリと長身の天園さんと並ぶと性差があるにも関わらず少し負けていて下って感じがする。


「じ、自分で歩くから……!」と抗議する頃にはもう自分の席に到着している。


「ねえ、猫村くん」僕を座らせてから、天園さんが言う。「今日、動画作るの手伝って」


「ええ、そういうのは自分でやった方が捗るんじゃないですか……」


「手伝えし!」と大声を出して天園さんは戻っていく。また顔が赤くなっていて……え、僕と遊んだから胸がいっぱいになって動画が作れなかったって……天園さんってやっぱり僕のことが好きなのか? いや、告白されているんだからそこは前提であるはずだ。はずなんだけど、なんかよくわからない。親しく接してもらえている自覚はあるが、これって友達同士ってだけで付き合っていることにはなっていないよな?もちろん。僕からすると天園さんは昨日話したばかりで友達なのかすら不明瞭だが……本当によくわからなくなってきた。距離感が謎すぎて天園さんが僕をどう思っているのか読めない。これが陽キャの有効射程範囲……。


 一人で戸惑っていると桐哉が通りかかる。「よ、おはよ本介」


「あ、おはよう、桐哉」


「天園と仲直りできたみたいだな」と一部始終を見ていたらしい桐哉が満足そうに頷く。「で、付き合うことにしたのか?」


「んなわけないでしょ……っ」


「わけなくはねえだろ」


「昨日初めて話したんだよ?」


「そんなの、気持ちが通じれば関係ねえだろ」


「そんなバカな……」僕は陽キャのスピード感にクラクラしてくる。


「まあいいけど。わだかまりが解けただけで充分だよ」


「うん……」謝れてはいないんだけれど。その一点に関してはメチャクチャ気が引ける。さっき、天園さんが挨拶をしてくれるまでは、ひょっともすると、僕と天園さんとの接触は昨日の時点でおしまいで、今日からはまた完全な他人同士なのかもしれないと考えてもいたので、天園さんがまだ僕に関わってくれる間は安心できるとも言える。謝るためのチャンスが十二分に転がっているわけだから。「桐哉、昨日はありがとう」


「あん?」


「僕に天園さんちの場所とか教えてくれて」


「ああ、別に? アニメとかゲームもいいけど、リアルのギャルも捨てたもんじゃないだろ?」


「いや、そういう話じゃないんだけど……」


「趣味はとことん楽しめばいいけど、本介は自己評価が低くていけねえよ。本介もリアルで誰かを楽しませられるんだってことを知れ」


「天園さんは誰といても楽しいんだろうなって思うけどね」


「ふん」と鼻を鳴らしてから桐哉は笑う。「まあそれでもいいんじゃね? 誰といたって楽しいんだとしても、その誰かの内の一人が本介じゃダメってわけでもねえしな」


「ふうん?」


「ま、頑張れや」

 ポンポンと僕の肩を叩き、桐哉は自分の席へ行ってしまう。


 桐哉を見送って視線を動かすと、天園さんと目が合う。僕と桐哉を見ていたらしい。唇を尖らせてムスッとしている。なに? あ、僕が桐哉にはタメ語だからとか? わからない。そうかもしれないし全然別のことかもしれない。


 というか、天園さんは桐哉に対しては何も思わないんだろうか。絶世のイケメンだし、陽の属性も一致しているし、どう見てもお似合いだ。幼馴染みだとそういうふうに見れないんだろうか? 漫画やアニメだと幼馴染みはそこそこ健闘する確率が高いんだけど。


 桐哉は人気者で忙しいから毎度必ず僕と話しに来てくれるわけじゃないし、数少ない他の友達に関してもゲームをしていたりと暇じゃないので、ぽつりと孤独になる学校の時間が僕はあまり好きじゃない。一人ぼっちの時間は長く感じて、陽キャ達の会話は永遠のように聞こえてくる。しかし、今日はなぜだかあっという間に過ぎて、すぐさま放課後になった。帰り支度をしている僕のもとへ天園さんがやって来る。


「やっと終わったー。午後の授業だる。昼まででお開きにしたらいいと思わん? 給食食べたら解散でよくね?」


「小学校低学年じゃないですか……」あと高校は給食ないし。


「ウチらJKはマジ時間ないからさー。授業なんてやってられないっすよ」


「でも寝てたじゃないですか……」天園さん。五時間目も六時間目も寝ていたけれど。


「みっ!?」と天園さんは変な声で鳴く。「見んなし!」


「やっ!?」僕も変な声で鳴いてしまう。「座席の関係上……黒板を見てると嫌でも目に入るというか……」


「嫌なら見るなし……」


「嫌ではないですけど……」


 二人して顔を赤らめてしまう。


「で、でも」と天園さんが気を取り直す。「二時間眠って回復したからバンバンよ。バンバンマンって感じ? 作業が捗りそう! 昨日はなかなか眠れなかったし~」


「…………」

 それって胸がいっぱいだったからなんだろうか? ちょっと訊いてみたかったが、僕にそんな度胸は無論ないのだった。もしも訊いたらまた照れるのかな?と思うと……思うと? あれ? なんなんだろう? 天園さんが照れたら僕はどうするんだろう? また天園さんに怒られるだけなのに。


「ねえ、ウチ、寝落ち通話とか作業通話したい」


「んんん?」


「動画作ってるときとかに猫村くんにダル絡みしたいんだけど。そしたらさらにもっと捗りそう! 五兆倍くらい」


「通話してる方が気が散って集中力落ちると思うんですけど……」


「そんなことないし! 喋ってた方がテンション上がる! てかトイペキのアカウント教えろし」


「トイペキやってないんですって」


「絶対やってるし」


「…………」まずいな。エビュウの動画概要欄に思いっきりトイペキのIDが載っている。メインチャンネルがバレるくらいならいいかなと思っていたけど、ひとつバレると一網打尽にされてしまうおそれがある。こうなったらもうリアル用のアカウントを作ってしまうか。「というか、スマホの番号じゃダメなんですか? メッセージも簡単に送れるし……」


 天園さんがおののく。「い、いいんですか!?」


 僕もおののく。「え、なに……ダメなんですか?」


「いや、いいんだけど。ホントにいいん?」


「いいですよ」

 命を預けるわけでもないし。重要度でいえば、SNSのIDもスマホの番号もそんなに変わらないはずだ。僕からするとSNSの方がよっぽど晒されたくない爆弾だが。


「じゃ、あとで教えて。とりまウチ行こ。動画作んなきゃ」


「あー、ホントに僕も行くんだ……」


「あたりま。約束したっしょ」


「したっけかなあ……」要請された覚えしかない。「でも、他の人と遊ばなくてもいいんですか? 僕ばっかり家に呼んでたら、よくないんじゃ……」

 今日一日天園さんを見ていたけれど、やっぱり友達が多い。短すぎる休み時間をフル活用して何やらよくわからない話をたくさんしていた。あの様を見ていると女子高生が暇じゃないってのは言い得て妙だと思うが、だったら放課後に集まればいいじゃないかとも思う。動画もみんなでワイワイ作ればいいんじゃないか? 僕自身にはとても実現できない案だが。


「動画が出来上がるまでは遊ぶの我慢」と天園さんは鼻息を荒くする。「……動画作りも遊びの内だけど。動画はウチ単独の趣味だから。他の子は関わらせないって決めてる」


「僕は……?」


「猫村くんは同業者じゃん!?」


「ど、まあ……」


「はい、嫌なら嫌、嫌じゃないなら嫌じゃないで決めて。どうするん?」


「べ、別に嫌とは言ってませんけど。却って邪魔になるんじゃないかと思ってるだけで……」


「邪魔になんてなるわけないじゃん」天園さんはにっこりし、僕の腕を掴む。「猫村くんなんて超アロマだから。いるだけでチルいし。じゃ、行きまっしょい」


「ちょ、引っ張らなくても歩きますから」


「ん」僕の腕を掴んだまま、天園さんは立ち止まり、振り返る。「逃げない?」


「逃げませんて……」

 まだ謝れてもいない。バックレるわけにはいかない。


「…………」天園さんは掴んでいる僕の腕をしばらく眺めてから、パッと離す。「行く?」


「はい。帰りましょう」

 こうして僕は二日連続で天園家へお邪魔することになる。


 生配信で使ってしまったアイテムは開封前の状態を念のため撮影しておいてあるとのことで、そういうところはしっかりしていた。しかしそれ以外の作業は一切していないということなので、まだまだやらなければならないことは山積みだった。


 そんな話をしていると……僕は聞いていただけだが……天園家が見えてきて、僕達は昨日と同じような感じで玄関を抜け、どこへも寄らずに天園さんの部屋へ行く。昨日と同様なピンクと白の部屋。でも少し慣れてきたからか、昨日よりも落ち着いていられる。


「さ、やるぞ」

 天園さんは制服のまますぐさま作業を始める。予想通り、僕に何かを指示することもなく一人で撮影や音入れをやっている。そりゃそうだ。自分の動画は自分で作った方が早い。天園さんの動画は僕の方でいうとサブチャンネルのフィギュア紹介とかに近しいので、参考になるところはないかなとぼんやり見学させてもらう。


 声がいいよな……と思う。大きいしハキハキしているし聞き取りやすい。それに、いかにもギャルって感じの声質だけど元気があるし、聞いているだけでポジティブな気持ちになれるんじゃないだろうか。説明も上手いんだよな、台本もないのに……。いろんな知識が頭に入っていて、なおかつそれが大好きでないとこんなふうには喋れないだろう。


 僕も音声読み上げソフトじゃなくて自分自身の声で収録できれば痒いところに手が届くようになるだろうか? けど僕の声は暗いし(こも)るし、最悪なんだよなあ。


 そんなことを考えていると、「猫村くん、エナドリ飲みなね」と天園さんが声をかけてくる。


 ミニテーブルには編集用のPCとエナジードリンクが二本置いてあり、僕と天園さんは今日も向かい合って座っている。


 缶の封は開いているが、まだほとんど飲めていない。「……エナドリばっかり飲んでると体によくないですよ」


「動画が完成するまでだし。エナドリでキメて最高の動画上げるよー」


「まあ……無理はしないでください」


「うぃ~~まだまだ余裕!」

 天園さんが僕から目を離し、再びPCの画面を見据える。僕も邪魔にならないよう黙る。


 そろそろ僕も新しい動画を投稿したいところだけども。思っているだけでなかなか行動に移せそうにない。二年生に進級した際のストレスと、それに加えて今現在は天園さんの存在によって、僕の意識はまったく動画に向かわない。浮わついているというか乱されている。まあそんなのは言い訳で、天園さんなんて『胸がいっぱい』になったり『眠れな』かったりするのにちゃんと配信している。僕のメンタルが弱々しいのだ。ホントに。陽キャなんて毎日毎日をのほほんと過ごしているばかりだと思っていたのに、僕なんかよりもずっと頑張っているじゃないか。どこにも勝ち目がない。なんだかなあ。すごいよなあ。


 勝ち目がないにしても、負けないようにはしたい。負けない努力ぐらいはしたい。同業者だと言ってくれた天園さんに恥じないくらいの活動はしたい。


「だる。休憩」と天園さんは天井を仰ぐ。片膝を立ててのけぞるような姿勢になる。「猫村くんごめん。全然喋ってあげれんくて。ウチ空気になってた」


「や、空気っていうなら僕こそが……」

 僕も天園さんに合わせて少し力を抜いてリラックスする。と、ミニテーブルの下から天園さんが見えて、でもテーブルの下の天園さんは天園さんの下半身で、天園さんは膝を立てているもんだからただでさえ短いスカートががっつりオープンになっていてピンクのパンツが非常にまずい角度で丸見えになってしまっている。僕は息を呑み目を剥く。ぎょっ!という音が全身から発せられるんじゃないかというくらいにぎょっとする。


 天園さんも僕の視線と様子に気付いたのか、「わっ、すまん!」と慌てて膝を閉じる。


 しかし慌てすぎていたためかミニテーブルの足を蹴り飛ばすような形になり、軽量級のミニテーブルは大地震に見舞われたみたいに揺れてズレる。エナジードリンクの缶が倒れそう、というか倒れつつある。天園さんが飲んでいた方は当然で、まだたくさん残っている僕の缶までもが倒れようとしている。やばい。PC! PC! PC! 僕の頭にはそれしかない。商売道具であるPCは断固死守! 腰を上げてPCに手をかけ、持ち上げる。やった。我ながら素早い。だけど僕も慌てすぎていたらしく、立ち上がった勢いでミニテーブルに突っ込む。ミニテーブルの足は天園さんの蹴りで既に折れていたのか、僕がとどめを刺したのかはわからないが、傾き、崩れ、ストッパーのなくなった僕はそのまま天園さんの方に倒れる。視界がスパークする。


 猫村だけに猫みたいに空中で体を丸めてPCは保護。自分の体の方も、暖かくて柔らかいものがクッションになって全然痛みがない。よかった。よくない。僕は天園さんに飛び込むように倒れていて、天園さんが僕を抱きしめている。ふ、と顔を上げると眼前に天園さんの顔があって時間が止まる。


「ご、ごめんなさい……」僕は謝る。「ぴ、PCは無傷です。エナドリもかかってないし、どこにもぶつけてません」


「あ、ありがと……」天園さんの頬がだんだんと紅潮してくる。「てか、てかてかてか!」


 僕を体から離し、天園さんは部屋の隅まで後退する。あ、エナドリが床に零れて……カーペットに染み込んでいてやばい! 僕はズボンから昨晩再補充したポケットティッシュを取り出して、またそれを全部使い液体を吸い取ろうとする。


「わっ……大量すぎて全然足りない」僕は天園さんを見遣る。「部屋のティッシュも使っていいですか?」


「う、うん……」


 了承を得たので使用させてもらい、なんとかエナジードリンクをあらかた拭い去る。カーペットは洗濯した方がよさそうだ。


 改めて「すみませんでした」と僕は頭を下げる。


 天園さんはまだ部屋の隅に座り込んでいて、また足を開いているもんだからパンツが丸見えになっている。「あ、ご、ごめん……!」閉じる。「こちらこそ、お見苦しいものを……」


「あ、いえ……」全然お見苦しくはないんだけど、ともあれ。「天園さん、足とかにもエナドリかかってるでしょ。その、ぱ、ぱ、ぱ……」

 パンツにも。今しがた目に入った天園さんのパンツには先程はなかったエナジードリンクの染みが刻まれていた。


「や、全然全然」と天園さんは首を振る。「エナドリの皮膚からの吸収はマジ健康にいいから。アハハ……!」


「…………」


「…………」


「…………」こんな未曾有の体験……僕は自分がどんな顔をしているのか見当もつかないが、天園さんが真っ赤になって引きつった笑みを浮かべているのはわかる。この目にそう映っているわけだから。「天園さん、大丈夫ですか……?」


 僕が不安いっぱいに尋ねると、天園さんはハッとなり笑って立ち上がる。「大丈夫大丈夫! めちゃビクッたね! 猫村くん素早いんだもん。アレみたいじゃね? 百人一首の。ウチ子供んときやったことあるけど!」


「ああ……はは」僕はなんとなく力が抜ける。「天園さん、体ぶつけてませんか? 本当に大丈夫でした……?」


「それは平気! マジなんともない!」天園さんが僕の前まで来てしゃがむ。「その、びっくりしただけだし。ウチ、その、男の子とあんなふうにくっついたことなかったから、マジ頭トんだ。超テンパったんだけど。心臓死んでた」


「え」


「はあ……顔の熱やば」と天園さんは手で顔を扇いでいる。


 普段だったらそんなこと訊かなかったと思うんだけど、ハプニングの興奮に後押しされるような気分で尋ねてしまう。「天園さんって、男子と付き合ったことないんですか?」


「はああ!? あるし!」


「ありますよね、そりゃ」


「あ、で、でも、抱き合ったりしたことないっつーか」


「…………」


「チュウとかもないし」


「ふうん……」そんなことありえる?


 僕がよほど胡散臭そうな面持ちをしていたのか「ホントだし!」と天園さんは吠える。「コクられたからじゃあ付き合うかーっつって付き合ってたけど、全然そういう気持ちにならんし。なんかそーゆう奴らに触られるのきめえなって思ってて、無理ぽだった」


「ええ……意外」

 カースト最上位クラスの女子でそういうケースってあるんだ……。


 小声でつぶやいたつもりだったのに聞こえていて「ウチのことなんだと思ってんだよ……」とつぶやき返される。「猫村くんは!?」


「は、え? なに……?」


「付き合ったことあんの?」


 なんで半ギレ口調なんだ。「あるわけないじゃないですか……」


「なんで言いきれんの?」


「えぇ……」酔っ払いか何かなのか? 「見たらわかると思いますけど。暗いし、背は低いし、顔もこんなだし……!」


 天園さんは実際にまじまじと見てから「そんなこと全然ないし」と消えそうな声で言う。「可愛いじゃんか……」


「!」

 あれ、そうか……天園さんって僕のこと好きなんだっけ? ありえなさすぎて何回確認しても失念してしまう。好きなんだっけ、と思いながらも、そんなわけないよなと今も思っている。他の男子で満足できなかったのに僕のところへ来るのはおかしい。いや、僕が陽と対をなす天園さんにとっては物珍しい陰なる者だから気になっているんだとしたら納得はできるか。が、それは好きなんじゃなくてただ珍しいだけだ。別に全然好みじゃないはずなのに最高レアリティでフェス限だからなんとなく好きになってしまうゲームキャラと同じような存在だ。


「で、付き合ったことあるん?」と天園さんはしつこい。


「さっき言ったじゃないですか」


「なんか曖昧だったし」


「いや、ないですって。一切ないです。小学校に入学してから今まで女子と話したことすらないです」


「アハ! そーなんだ。マジ?」


「笑いたければ笑ってください」


「いや笑えねーし。純粋すぎ天使かよ」


「天使って……」

 僕なんてゴブリンとかホビットだろうに、せいぜい。自分で(たと)えていて可笑しくなってくる。


 天園さんは僕を見て小さく微笑んでから「やっぱパンツ替えてくるわ」と立ち上がる。「だんだんお股のチル度下がってきた」


「あ、じゃあ僕はそろそろ帰ります……」


「えー……でもまあもう夜な」


「テーブルとかカーペット、ごめんなさい」


「いや、全然猫村くんのせいじゃないし! テーブルはもともと足やばかったし、買い換え予定だったよ。カーペットも……ビンテージ感出ていんじゃね?」


「うーん……」


「PC守ってくれてあんがと」


「まあそれは大事に至らなくてよかったですけど……」


 PCを災難から救えたのだけが今日の僕の誇り。軽いPCでよかった。僕の腕力でもふわりと持ち上げることができた。


 さて、それで僕は帰宅するのだが、今日はよりたくさん天園さんと話したって実感がある。たくさん話したというか、緊張感なく落ち着いて話せたというか。だんだんと女子、それも陽キャで、ギャルの女の子と言葉を交わすことに慣れつつある。まあそれは僕がコミュ力を高めているわけではなく、天園さんが壁を作らずに喋ってくれるからなんだろうけど。桐哉もだが、天園さんも、ホントに人がいいよなあと思う。人間が出来ているというか。


 新作動画の予定もないのでお風呂から上がったら早々とベッドに潜り込むが、そういえば天園さんの動画は完成したんだろうか? 僕が帰るときにはまだ途中だった。とはいえ編集作業も進行中だったのでさすがにもう終わっていると思うんだけど……メッセージでも送って確認してみようかな? 天園家を辞する際に連絡先を交換したので、今の僕は天園さんとスマホで繋がれる状態にある。いや、しかし、動画が完成したかなんてエビュウを開いて確認すれば一発でわかるのだ。メッセージなんて送ったら変に思われるだろうか。天園さんとただメッセージのやり取りがしたいだけのキモいヤツみたいに映るだろうか? でも……。


 眠ってしまえばそんなことに悩まず済むのだが、今日はなんだか気分が高揚していて寝つけない。夕方に天園さんのパンツをしっかり見てしまったから……という理由だけではなく、僕はこれから天園さんとどうなっていくんだろう?っていう、全然予測のつかない疑問がふわふわと漂っているのだ。謝罪もまだできていない。ここまで来るとあの告白を蒸し返すのもなんだか気まずくて、罪悪感との板挟みになってしまっている。ちょうどよさげなタイミングも掴めないし……。


 悶々悶々としたまま、僕は『動画はできましたか?』とのメッセージを打ち、送信してしまう。エビュウで確認できるということには気付かなかったことにしよう……。


 十秒くらいで『既読』がつき、その直後に電話がかかってくる。あの質問に対して通話!? 心の準備ができていなかったので一瞬硬直するが、意を決して出る。


 もしもし……と言う前に「おつ~猫村くん」と夜中なのに元気そうな天園さんの声が聞こえてくる。


「あ、お疲れ様です……」


「うれぴ……うれぴゅい。ありがとね猫村くん」


「え、何が……?」


「いや、おつ~ってメッセだったんしょ? 動画上げて、一仕事終わったーってところだったから骨身に沁みた! ありがてぇと思ったよ! ホントにありがと」


「えぇ……」

 動画が完成したかどうかを尋ねただけのメッセージだったんだけど、でも尋ねてどうするんだ?って問われたら、やっぱり完成したならお疲れ様を言いたかったんだろうか? 正直、やり取りの流れを予想した上で送信したわけじゃなかったので、僕は僕の気持ちを想像することすらできないのだった。単に天園さんと話したかっただけなんだとしたらそれはかなり恥ずかしいぞ……。


「これで気持ちよく眠れそ」


「……それならよかった」


「ねえ、猫村くん」


「はい……?」


「いま何してるん?」


「あ、僕はもうベッドにいますけど」


「そっか。えへへ……ウチも」


「はあ……」


「ねね、このまま繋いどいていい?電話」


「え」


「寝落ち通話」


「……いいですけど」


「いえー。やった」


「静かに寝てくださいね……」


「アハ! そんなうるさくしないし。もー疲れたし。秒で寝そう」


「はい……」


「……ねえ、猫村くん。ウチさー」


 僕の方が瞬く間に寝落ちた。天園さんは何か喋っていたけれど、天園さんの声を耳に入れている間に意識が急降下し、内容を理解する前に夢の世界へ行ってしまった。ギンギンに冴えていてあんなに眠れなさそうだったのに、ちょっと状況を変えただけで安眠できてしまうんだから人間の体って不思議だ。『ちょっと状況を変えただけで』というのはいささかひねくれた表現だろうか? だったらもう、安心できる声を聞いただけで……と言う他ない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ