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13.海

 穂坂さんが大差で負ける。天園さんのショート動画には穂坂さんの二倍近い『いいね』が付いており、圧倒的な大勝利だった。言い訳をさせてもらえるならば、天園さんのチャンネル登録者は若い女性が多く、彼女達はSNSのいろいろなコンテンツに対して『いいね』を押す習慣が比較的強く根付いている層だ。翻って僕のチャンネル登録者は若い男性やあるいはそれほど若くない男性ばかり。しかも陽キャではなく、ゲームを趣味としている、どちらかというなら陰の者。何が言いたいのかはもうわかると思うが、僕達に『いいね』を押す習慣はあまりないのだ。少なくとも僕はショート動画を視聴して内容に満足したとしてもいいねしない。ひねくれていてしないのではなく、終わるのが早すぎて、さて次は何の動画を見ようかなと考えている間に画面を閉じてしまっているのだ。したくないとか、し忘れるのではなく、するってことがそもそも頭にないのだ。そういう意識がない。これが勝敗を分けた大きな要因だと思う。完成度でいうならば穂坂さんの動画も負けていなかったし、二人の綺麗さ可愛さという視点で見たって甲乙つけがたいはずなのだ。公平な条件の勝負ならばこんなに差がつくはずがない。


「改めて宣言させてもらうけど」天園さんがギャルピースをする。「ウチの勝利ね!」


「…………」


 僕達は今現在、海に向かっている。ギャル達の親に自動車を二台出していただき、僕達はその二台のいずれかに分かれて乗り込み、輸送をしていただく形となっている。僕が乗せていただいた方は七人乗りのでっかい車で、僕と穂坂さんは最後部座席に座り、後部座席から顔を覗かせる天園さんに勝利宣言を食らっている最中だ。


「じゃ、ホサコは罰ゲームとしてウチの言うことをなんでもひとつだけ聞けし! わかった?」


 僕はポカンとする。「え、それだけ?」途中でルール変更した? してないよね? 「罰ゲームはそれだけでいいの?」


「いいっしょ。そんなんさー、勝った方が猫村くんをもらえるとか、ダメじゃね?」


「いや、初めに二人がそう言ってたからさ……」


「ウチも最初は少~しカチンと来てオコだったけど、ムキになるようなもんじゃねーと思ってさー。だって、ウチが勝つに決まってるっしょ。冷静に考えてさ。エビュウのダンス動画対決なんてウチが勝って当たり前じゃん」


「感じ(わる)」と穂坂さんがつぶやく。


「でも、そーじゃん? 煽ってるわけじゃなくって、ウチの得意で、ウチの舞台でやってんだから、勝つっしょ。ホサコもわかってたっしょ?」


「…………まあ」


「だから勝負がどうとかっつーより、楽しくやろうと思って。ホサコにも楽しんでもらいたくってさ。ダンスの動画を出すまでの流れってこんな感じなんだー面白ぇ!ってわかってもらいたくて、最後まで戦ってもらった。もち全力の本気で臨んでもらわなきゃ意味ねーけど。テキトーな気持ちだったらやっててもつまんねーし?」


「うん」


「ホサコはさー、なんか出会ったときからずっと楽しくなさそうで、ずっと怒ってる感じだったから……ウチはオマエの笑顔を見てみたかったんよ」


「笑顔って……別に笑ってたでしょ普通に」


「心の中では全然笑ってねーし!とウチは思ってた。違った?」


 穂坂さんはチラリと僕を窺う。穂坂さんが楽しくなさそうで怒っているように見えたんだとしたら、その責任は僕にもある。というか、大半が僕なんだろう。穂坂さんも「そうかも」と認める。


「でも、ちょっと変わったんじゃね? ダンスは好きになれなかったし得意でもなかったんかもしれんけど、なんか掴んだものはあるんじゃね? そんなふうに見えっけど?」


 また穂坂さんは僕を見てから「うん」と頷く。「ありがと、アマゾン」


「お、素直。少しキモいな」と天園さんは茶化す。


「うるせー」と穂坂さんも少し笑う。「あたしの気持ちはあたしだけのものだけど、あんたが吹っ掛けてきた勝負のおかげで手に入れられたものもあるよ。きっとそれは、そのタイミングでしか手に入らなかったものだから。だから、ありがとう」


「よし! この勝負は終わりね!」


 僕は……なんだろう、どうすればいいんだろう? 天園さんと穂坂さんの関係性が変わらなくて安堵している……のが、とんでもなくダサい。自分の気持ちと向き合えず、この先どう動くのかすらも決めかねていた僕は、しかし天園さんの慈悲に救われてラッキー助かった!サンキュー!ってそんなのでいいのか? いいわけがない。いいわけがないけど勝負は終わってしまったし、自己嫌悪しながらもやはりまだ何の結論も出せていない僕はけっきょくラッキーサンキューと思っておくしかないバカ者なのだった。


 穂坂さんの件はたしかによかった。穂坂さんは以前よりもたくさん笑ってくれるようになったし、声にも多少の張りが出てきた気がする。まだはっきりと固まってはいないようだが何かをやってみたいという気持ちもあるそうなので、僕としては喜ばしい。たぶん、穂坂さんからいろんなものを奪ったのは僕だ。僕はそれを返していきたいし、僕では既に返せないものがあるなら別のところから補給する手伝いをしたい。


 天園さんは前々から穂坂さんのそういうところに気がついていたのだ。穂坂さんは引っ越してきた経緯を誰にも話していないふうなので、天園さんは日頃の穂坂さんの様子からそれを見抜いたんだろう。一年間いっしょにいるとはいえ、逆に、友達同士仲良くしているにも関わらずそういった点に気付けるのはすごい。日常的に親しくしていたら、段々となあなあになってわからなくなっていきそうなものだが……もちろんこれは陰キャである僕の貧相な想像だけれど。


 ぼけーっとしていると目的地の海に到着する。僕と穂坂さんは車内でほとんど会話をしなかった。シートの下で穂坂さんがこっそり手を繋いできたのにはもちろん気がついたけれど、受け入れもせず拒絶もせず、特に何も言わなかった。


「おーし! 水着に着替えて浜辺に集合な!」

 天園さんは今にも波打ち際まで走っていってしまいそうな勢いだ。テンションが高い。


 僕は言う。「天園さん、ちゃんと集合場所を決めとかないと、迷うよ。このビーチ、かなり広そうだし」


「集合場所っつったって、来たの初めてだしわかんなくね? どこでもいいじゃん! テキトーで! じゃ、ウチはそこの海の家で着替えてくっから!」

 浮かれすぎていて雑になっている天園さんは本当に走っていってしまう。大丈夫だろうか。すごく危なっかしい……。


「バカじゃん」と僕の隣で穂坂さんが嘆息する。「海に来るんだったら、水着は下に着てくるでしょ。普通」


「え、そうなの?」僕は着てきていない。着る必要があったら、天園さんみたいにどこかで着替えるつもりでいた。「久兎ちゃんは着てきたの?」


「着てきたよ」と穂坂さんはショートパンツをずらして黒いビキニをチラ見せしてくれる。


「わっ」と僕は照れてしまう。


「なに」


「いや……」

 ビキニの水着なんて下着と変わらない。見ていられないよ。水着なら見せてもよくて下着はダメみたいな風潮にはまったく論理性を感じない。どちらも下着だと思う。


「さて、鷹座ではしばらく遊べないから、今日は羽目を外そうかな」と穂坂さんはストレッチなんかをしている。


 その前に「久兎ちゃん」と僕は改まる。「勝負の話なんだけど……天園さんがあんなふうに言うって、久兎ちゃんは読んでたの?」


「あんなふうって?」


「あんなふうっていうか、ルール変更したでしょ? 最初はほら……僕を取り合うみたいな感じだったじゃない?」


「うん。ああ……」穂坂さんは納得したように僕を見る。「別に読んでなかったよ。でも……もしもアマゾンが勝って、あたしにあんたから手を引くよう言ってきても、無視した。そんだけの話」


「えぇ……」ルール違反……。


「たしかに最初はそういうルールで始めたよ? お互い、ムキになってたし。だけどあたしの大事な人生を、そんな勝負で台無しにされるわけにはいかないから」


「…………」


「本介はどうなの? 勝った方と付き合うつもりだった?」


「いやいやいや、僕の気持ちは恥ずかしながら定まってなかったから……」


「そうでしょ? あたしとアマゾンの勝負って、けっきょくダンスなんかじゃないんだよ。あんたなの。あんたに愛してもらえるかどうか。だからダンスで勝とうが負けようが関係ないの。あんたがダンス勝負で勝った方と付き合うって言ったんだったら話は別だけど、あんたの気持ちはふわふわしてるじゃん?」


「うう……」ふわふわしている。「で、でも、天園さんがルールに則って本気で久兎ちゃんを僕から引き剥がそうとする可能性もあったでしょ?」


「そしたらあたしはアマゾンと絶交する。本介にも近づかない」


「そんな……」


「そしたら本介はどうする? あたしにはもう関わらない?」


「そんなの無理だよ」僕はかぶりを振る。「天園さんには悪いけど、僕は久兎ちゃんとも仲良くしてたいから……たぶんこっそり会いに行ってると思う」


「でしょ?」と穂坂さんは得意そうに言う。「本介ならそう言ってくれると思った。本介にしてみれば、あたしかアマゾン、どっちが本当に好きな相手なのか、まだ全然わかってないもんね。だからさ……だからどんな結果になっても同じなんだよ」


「同じじゃないよ」と僕は言っておく。「久兎ちゃんが天園さんとケンカにならなくてよかった。仲良しのままでよかった」


 穂坂さんは鼻を鳴らす。「アマゾンのことは好きだよ。アマゾンの気遣いもありがたく思ってる。でも、どちらか選ばなくちゃならなくなったら、あたしは本介を選ぶ」


「そ……!」

 そんな、簡単に……。僕は驚愕してしまう。僕は天園さんか穂坂さんか、おまけに桐哉かすらも選べないのに……穂坂さんはいとも容易く、僕なんかを……。


「あたしはその辺、ビシッといくから」


「すごいね……」本当に。「ありがとうね、久兎ちゃん。ごめん……」


 僕は判断が遅くて……まだ選べていなくて……。穂坂さんを見ていると自分が情けなくなってくる。申し訳なくなってくる。


「本介。選ぶのに時間がかかったって、気にしなくていいから」


「…………」


「アマゾンもいい女だからね、仕方ないんじゃない? あたしら、知り合ってまだ二ヶ月とか三ヶ月くらいだし、何もわからなくて当然だよ」


「そうなのかな……?」


「そうやって強引に決めちゃわず、真面目に真面目に考えてるあんたが……あたしは好き」


「…………」


「アマゾンもたぶん、あたしとあんたのどちらか一人を選べ、って言われたら迷うと思う。あいつも情に厚いから」


「天園さんも……?」


「だからあんたもそんなに悩まなくていいよ。あたしは恋愛脳だからビシッといけるだけ。本介やアマゾンには、そういう優しさを大切にしてもらいたいかな」


「…………」


「いつかきっと、心のままに決められるようになるから」


「心のままに……」


「うん」穂坂さんは小さく笑う。「その相手はあたしだと思うけど」


「え、ふふ……そうなんだ?」


「あたしが勝つって、ずっと言ってるでしょ?」


「……あれはダンス勝負の話じゃなかったんだね」

 僕は肩をすくめるしかない。


「ダンスもさ」自分の頬を両手でパシ、と張る穂坂さん。「負けたくなかった。正直。本介と一生懸命に作った動画だったし、デキ自体もよかったはず。アマゾンは自分が勝って当たり前って言ってたけど、あたしはそうは思ってなかったし、アマゾンにそう言われたことも含めて悔しい」


「僕も悪くなかったと思ってるよ。少なくとも負けて当たり前だったとは思わない。久兎ちゃんのダンスは可愛かったし、図らずもキキキテレツにマッチしてた」ただ、視聴者層で明暗が分かれた。「それに、知ってる? 再生数では大幅に久兎ちゃんが勝ってたんだよ」


「え、そうなんだ……?」


「うん。まあ僕のチャンネル登録者数の方が多いわけだからそういう結果になる可能性はもともと高かったんだけど、もしも視聴者全員がいいねを押してくれてたら、勝ったのは久兎ちゃんなんだよ」


「…………」


 僕は精一杯の明るさを込めて言う。「だから引き分けみたいなもんじゃない?この勝負」


 これが、引き分けに持っていくもうひとつの方法だ。要するに再生数で上回っておき、いいね数で負けたとしても駄々を捏ねて無理矢理引き分けに持ち込むという作戦。僕はこれを切り札として隠し持っていたのだ。天園さんが勝って穂坂さんとの関係性が悪化しそうになった暁には、僕はこれを切るつもりでいた。いいね数で勝っても再生数でこんなに負けてるんだから天園さんはこんな結果を勝ちだなんて言わないよね?と言うつもりでいたのだ。ルール違反ではある。再生数は今回の勝負において価値を持たない。いいね数だけが絶対だ。しかし、配信者のプライドを持つ天園さんは、だからこそ再生数を無視できないし、僕の言葉を跳ねのけられない。けっきょく天園さんの人間性のおかげで、こんなつまらないことを言う必要性はなくなったわけだが。


 そういう天園さんだから、僕は彼女が好きなのだ。


「スッキリした」と穂坂さんは頷く。「本介、遊ぼう」


「うん、そうだね」


 天園さんの姿はもう消えてしまったけれど、僕と穂坂さんも波打ち際まで駆ける。ダンス勝負は終わったのだ。別の勝負は続いているのかもしれないが、とりあえず遊ぼう。


 穂坂さんは水着姿にはならず、波打ち際で適当に過ごす。僕はそれをぼんやり見ているのだが、他のギャル達が乱入してきて水掛けバトルやら無法ビーチバレーなどが始まる。僕は逃げておく。


 平和がいい。平和が一番。僕は波打ち際を離れて熱々の砂浜まで戻る。そこで改めて屈み、みんなが遊んでいる様を眺める。穂坂さんの水着も見たいなあと何を思ったか、自然とそう思ってしまうのだが、穂坂さんはシャツを着てショートパンツを穿いたままで一向に脱ぐ気配がない。そして、そういえば天園さんは海の家へと入っていったっきりまだ姿を現さないのだけれど、やはり迷ってしまったんだろうか? 戻ってきそうな感じがしない。


 探しに行くことにする。ビーチには水着の女の子……特にギャルが大量にいすぎて、パッと見で天園さんを探し当てるのはなかなかに難しいかもしれない。天園さんはおそらく先日購入した白いビキニを着ているはずなのでそれを目印に……とはいっても白ビキニの比率もそこそこ高い。白ビキニギャルはメチャクチャ数がいる。


 天園さんの行方にばかり気を取られていると、ドン、と誰かにぶつかる。

「てめえ! どこに目ぇ付けてんだあ!?」


 うわ、ヤンキーの人か?と僕の心臓が割れかけるが、その声の主は小さな女の子だった。おかっぱで背の低い女の子。なんかすごい金髪だけど……高校生じゃないな。中学生……でもないかもしれない。小学生? この辺りの女子の年齢が僕にはさっぱり予測もつかないんだけど、まあ子供だ。たぶんイケイケな親の影響でこんなふうになってしまったんだろう。自分からぶつかってきたのに、ひどい言い草だ。僕は急に立ち止まってもいないしただひたすらまっすぐ歩いていたのに、この子が背後から追突してきたのだ。しかも手にはコーラを持っていたらしく、追突した衝撃でそれが零れ、僕の背中を濡らしている。


 僕は一応「ごめんね」と謝る。「大丈夫だった?」


 女の子がものすごいメンチを切りながら見上げてくる。「大丈夫なわけねえだろが! そんなとこに突っ立ってんじゃねえよ! コーラも弁償しろや」


 すさまじい形相だが、幼女は幼女だ。しかし、なんという口の利き方なんだろう。まあそれは百歩譲るにしても、自分の非を認めないのは幼女としていかがなものか。ろくな少女にはなれないよ。

「僕は突っ立ってなかったよ。歩いてた。君の方こそ、周りも見ずに走ってたんじゃないのかな。ものすごい勢いで激突してきたけど。だからコーラも零れたんじゃない? 君が普通に歩いてたんだとしたら、そんなにコーラは減らなかったと思うよ」


 その通りだと思ったのか、幼女は「ぐっ……」とのどを鳴らし、しかし「は、早口でうるせえんだよ! なんて言ってっか聞き取れやしねえ!」と悪態を吐く。「殺すぞ!てめえ!」


「可愛い女の子がそんな言葉使っちゃダメじゃない」


「は、はあ!? ざけんな!」


「君のために言ってるんだよ。そんな態度だと、大きくなったときに苦労するんだから。僕は君と正反対でメチャクチャ暗いヤツで、まあ今もそれなりに暗いけど、だから全然友達ができなかったんだよ。一人ぼっちになるのは嫌でしょ? 自分を偽って生きろとは言わないけど、もう少し周りを気遣って生きるべきだと思う。可愛らしいのにもったいないよ」


「て、てめえはなんなんだよ!」


「わかったの?」


「…………」


「わからないの?」


 幼女は最後の一睨みをかましてから「わかりました。ごめんなさい」と謝ってくれる。


「よかった。偉い偉い」僕は幼女の頭を撫でてやる。「君はまだ全然大丈夫だよ。周りに疎まれながら生きてくのはツラいからね。お互い気をつけようね」


「な、撫でるな……撫でないでください」


「コーラはいくらだったの? 僕お金持ってるから、もう一回買ってきたらいいよ」


「え、マジ!?……ですか……?」


「うん。いくら? 五百円くらい?」


「さ、三百円……です」


「そっか。じゃあ、はい」僕は百円玉を三枚、幼女に渡す。


「……オレが勝手にぶつかったのに」


「『オレ』?」


「わ、私! 私がぶつかったのに、いいんですか……?」


「いいよ。こういうこともあるよ」


「つっ……あ、ありがとうございます」


「ううん。ちゃんと前見て走るんだよ。気をつけてね」


「あ、は、はい……」

 幼女は向こうへ走り去っていく。たくさんの陽キャに紛れて、やがて見えなくなる。


 僕は息をつく。なんか説教臭くなったかもしれない。モラハラっぽかっただろうか。だけど、幼女が放つ痛々しさというか、将来的に絶対失敗しそう感が僕をついつい饒舌にさせてしまったのだ。僕みたいに孤立してほしくない。けれどこの子はこのままだと孤立するだろう。そんな直感だけが僕を駆り立てていた。大人げなく思われたとしても、あの幼女のためになるならそれでいい。


 らしくないことをしてしまったかもしれない……と、あとになってだんだん思えてくる。あの幼女がもしも親を呼んでいたら逮捕されていたのは僕だった。危ない。ああいうのには本来関わらない方が吉なのだ。天園さんに影響されて僕の積極性も上がってきているんだろうか? まあ……間違いないだろう。僕は自身の最近の行動を振り返りつつ、一人頷く。人は身近な人間と似てくる。僕の周りには絶対的に人が少ないので、天園さんに似る確率は相対的に高いんだろう。


 建ち並ぶ海の家々から離れるにつれてだんだんとビーチで遊ぶ人の数も減少してくる。まばらになる。やはり海の家付近にいる方が利便性も高いようで、遠く離れたなんにもないエリアは人気も少ない。僕としてはこういう落ち着いた場所の方が好ましいのだが、うちのグループにはナンパ待ちの子もいるのでやっぱりこんな寂れたエリアは嫌なんだろう。


 いた。砂浜だけれど大小様々な岩がゴロゴロしている波打ち際がある。天園さんはそこで一人で遊んでいる。荷物を砂浜に置いて、白ビキニ姿で海を歩いている。けっこう深いところまで進行していて、腰ぐらいまでが海水に浸かっている。


「天園さん」と僕は呼ぶ。「一人でそんなところにいたら危ないよ」


「おー!猫村くん! ここメッチャ楽しいよ! 人は少ねーし、魚がメッチャいんの! 超キレイ! 穴場じゃね?」

 天園さんは一人だけど楽しそうだった。


「そんな綺麗な魚いる……?」僕はズボンの裾を上げてそのまま入水する。


「いた! さっきいたんだけどなー、猫村くん来てから全然いねーや。アハハ! それとカニもいたし! メッチャでかいヤツ! 捕まえようかと思ったけど、よく考えたらやっぱキモ!と思ってやめた! 実際に生きてるカニが近くにいるとキモくね? 食べると美味いんだけどねー!」


「食べれそうなカニだったの?」


「いや、黒くて……なんか藻が生えてるみてーな気持ち悪ぃカニだったよ」


「はは!」と僕も笑う。「じゃあ逃げなきゃ」


「逃げたし! キモかったー」


「はは……あ、魚だ」

 僕の足元を魚の群れがすり抜けていく。銀色の小さな魚だった。日の光を受けて輝いていた。


「いたっしょ? けっこういろんな魚がいて面白ぇんだ! さすがに捕まえれんそうだけど」


「うん」なんか……なんにもしていないのに、ここでこうして天園さんと話しているだけで楽しい気持ちになってくる。「天園さん、ときどき休憩しなきゃダメだよ」


「んー? 泳いでるわけじゃねーし」


「まあね」


「でも猫村くん来たから一回休憩すっか」天園さんが波と共にこちらに向かって戻ってくる。「どーーん」


「え、ちょ……!」天園さんに体当たりされて僕は転ぶ。海水が腰の上辺りまで一気に浸食してきて呼吸が止まる。「も、も、もう………天園さん」


 天園さんもいっしょに倒れたまま笑っている。「アハハ! ごめんごめん! 着替えあるっしょ?」


「海パンしかないよ」


「えーそんな手薄な準備じゃダメじゃーん。ウチらと遊ぶんだったらさ」天園さんはイタズラっぽく目を細める。「脱いで乾かしとく?」


「そうするしかないね」


「じゃ、脱いだ脱いだ」


 天園さんがシャツを捲り上げようとしてくるので「じ、自分で脱ぐから」と僕は暴れる。水着姿の天園さんは刺激的すぎて、近くで見るともう、たわわな胸が頼りない布から溢れ出そうでハラハラする。あと、鎖骨とか! 普段は見えていない天園さんの出っ張りと窪みが今日は惜しげもなく晒されていて、特に今は僕の目の前にあり、僕はもう目線をどこに合わせればいいか惑う。


「海パンに穿き替える? 下も脱がしてあげる……」


「あ、天園さん!」


「アハハ! それはジョーダンジョーダン! 恥ずかし!」と天園さんは一人で恥じらって海から上がる。


 僕はまだほとんど遊んでいないのに、遊び以外で体力を減らされてぐったりしてしまう。シャツを脱ぎ、岩陰で水着に着替えてから濡れてしまった諸々を干す。


 天園さんは日陰で腰を下ろしている。僕もそこへ行き、隣に座る。「はあ……楽しかった」


 天園さんにツッコまれる。「まだ全然午前中だから! まだまだ遊ばねーと、せっかく来たのにもったいないしょ」


「あ、いや、そうだね」僕は肩をすくめる。「じゃなくって、天園さんと知り合ってから今日まで、楽しかったって」


「へ? お別れみたいなこと言わないでよ。なんか泣けてくるし」


「ああっ、そんなんじゃないんだけどね……」なんとなくだ。「あの日からずっと楽しかった。だから天園さんに、ありがとうって言いたくて」


 天園さんのことを勘違いしてしまっていたり、穂坂さんに睨まれていたり僕が忘れてしまっているいろいろがあったり、悩みというか心労はそこそこあったけれど……まあ僕は今も絶賛、迷いの渦を漂っているんだけど、それでも『楽しかった』が先に来る。そういう生活をありがたく感じる。けっきょく、何がどうあったとしても、それが先に来なければ、なんだかんだ遣る瀨ない。


「ウチもありがとうだし!」と天園さんが言う。「猫村くんと出会ってからマジ世界変わった! 全世界がキラキラしてっし、どこにいて何をしててもなんか、胸が弾む! んで、朝起きたときに、やったー!また一日が始まるじゃん!って思うの! すごくね? こんなんウチ無敵じゃん!」


「そうだね。天園さんでもまだ世界が変わったりするんだ?」


「ウチでも、ってどゆこと? 失礼じゃね?」


「あ、いや……」

 天園さんみたいにもともと世界が輝いて見えていそうな陽キャでも、そこからさらにまだ世界が光放つなんてことがあるんだなあと、僕は意外だったのだ。そう思うと、陰だの陽だの、そういう線引きって矮小だなと感じてしまう。みんな、自分の世界に閉じ籠っていて、ただキラキラを求めてさ迷う孤独な個人なのかもしれない。


「アハハ。別にいーけど! ウチってもともと能天気だと思われてっし、実際能天気だし? でもウチの世界だってまだまだ変わるんだよ?」


「うん……」


「あの日、猫村くんが勇気を出してウチんちまで来てくれたとき……あそこでマジ光った。猫村くん後光出てたもんね」


「あれは……」

 桐哉のおかげだ。そもそも僕が天園さんの告白を真剣に受け取っていたら……いたら、どうなったんだろう? でもあの段階だったら僕は丁重にお断りさせていただくだけだったろうから、こんな展開にはならなかったかもしれない。それは考えるだに恐ろしい話だ。僕達はギリギリのところで巡り会い、わずかな揺らぎの積み重なりで今に立っている。そう思わされる。


「ここで一人で遊んでたのもさー」天園さんがニヤニヤしながら言う。「猫村くんが探しに来てくれるんじゃないかって期待してたからなんよね」


 僕は苦笑する。「探しに来ちゃったね」


「また世界が一段とキラッちゃったし!」と笑顔を弾けさせる天園さんは、誰のどんな世界よりもキラキラしている。


 そういうのが、僕の世界。


 だから、こうも思う。天園さんとしか出会っていなかったら……もしくは穂坂さんとしか出会っていなかったら。それはありえない仮定でしかないんだけど、どちらか片方としか出会っていなかったとしたら、僕はこの気持ちを愛情だと見なして、そのままその子と付き合っていたかもしれない。だって、天園さんがいなかったら穂坂さんは僕の中で飛び抜けた女の子だし、穂坂さんがいなかったら天園さんは僕の中で飛び抜けた女の子なのだ。一人しかいなかったら、僕はその子を選んだかもしれない。だけどそれは失礼な話でもあって、二人いるなら選ばないのに、一人だったら選ぶのか?ということになる。それは穂坂さんの言う『真面目に真面目に考えてる僕』ではないということだ。手を抜いていて、楽な道を進んだだけの僕にならないか? わからない。正直よくわからない。だけどそんなふうに仮定して、一人だけだったら簡単だったかもしれないなどとチラリと思ってしまう僕はやっぱり愚かだし、いつまで経っても二人にやましい。

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