12.お疲れ様会
『可愛い』『かわいい!』『え、この子だれ?』『ここのチャンネルの主さんって女だったんか』『ゲームの攻略しろよ、と思ったが可愛いので許す』『いいぞ、もっと踊れ』『可愛すぎない?』『中の人は普通に男だと思ってた』『めちゃ美人。何歳?』『躍りがあんま上手くないのも含めて良い』『誰ですか?』『こんなチャンネル、登録なんてしてないのに?と思ったら』『攻略動画にも顔出しして』『可愛すぎん?』『この人の裏チャンネル知ってるけど、この人気持ち悪いくらいのフィギュアオタだよ』『落ち目のアイドルが脱ぐみたいなもんですか。でも普通に可愛い』『サムイモア好きなんで助かる』『女さんだったん?』『普通にクソ可愛い』『踊ってみたとか全然見んけどあなたはマジで可愛いですね』『キキキテレツ好き!』『お腹』『全部好み。付き合いたい』『陰キャ臭ある』『黒髪貧乳女子すき』『もっとショート出して』『キキキテレツの女子っぽい』『好き』
さすがにコメントだけは確認しておこうと思い、キキキテレツダンスのショート動画を眺めている。概ね悪くないコメントばかりで、みなさん温かい。まあ最近はネット上でも悪口が書きにくい時代になってきているので、というのもあるのかもしれないが……穂坂さん自体が上手く受け入れてもらえたという点も大きいんじゃないだろうか。ゲームの攻略チャンネルでどうして踊るの?とか、なんでわざわざ顔出ししてくるの?みたいなコメントはあったが、けっきょく穂坂さんが可愛いということでほとんど叩かれなかった。みなさんもなんだかんだ、三次元の美少女は好きらしかった。危惧していた通りなのは、やはり、このチャンネルの動画投稿者は女性なのだと勘違いされてしまったというところなんだけれど、これをスルーすべきか、あとでカミングアウトすべきか……迷う。騙しているみたいになっている状態は個人的にあまり好ましくないが、事情を明かしたら明かしたで、それこそ今度は叩かれそうだし……。何せ、キキキテレツダンスのショート動画を投稿してから、普通じゃない人数の登録者を獲得しているわけで、これって穂坂さん目当ての人達なんだろうなあと想像するとカミングアウトもまた心苦しいのだ。
「黙っとけば?」と穂坂さんが言う。「あたしは別に構わないけど?」
「まあ……久兎ちゃんに実害とかはないと思うけど」
「それで本介の動画の再生回数が増えるんなら、いいことなんじゃない?」
「うーん……」
外道とも言える稼ぎ方なのが僕の小さいプライドにスリップダメージを与えてくる。
「けど、投稿者が女子だってわかったら再生回数が増えるってのも可笑しな話だね。男性視聴者って普通にキモ……」
「まあ仕方ないんじゃないかな」
女子というより、穂坂さんだったからだと思う。
「ま、そのおかげで今日はごちそうだし? いっか」
そう。今日は穂坂さんと二人で町の中華料理屋を訪れている。穂坂さんのおかげで動画再生回数が伸びたので、それを還元したい。ダンス動画撮影のお疲れ様会も兼ねている。実はショート動画は収益率が非常に悪いのでキキキテレツダンスが僕にもたらしている利益は皆無と言っていいんだけど、ご覧の通り、穂坂さんの出演は登録人数や過去の動画再生数にも影響を与えてくれており、こちらは無視できない貢献なのだ。
穂坂さんはやはりバイトのシフトを変更していたので、仕事終わりの夕方を待ち、僕達は夕食として中華料理をいただく。昔からある、そんなに大きくない、ちょっと薄汚れた料理屋だ。幼い頃に親に連れられて食べに来た記憶がある。穂坂さんも引っ越しさえしなければ過去に一度は食べに来ていたはずだと考えると、なんだか不思議な気持ちになる。
僕はコメントを確認しながら穂坂さんに言う。「普通の動画にも出演してほしいってさ」
「……あたしゲームの解説なんてできないし」
「台本を用意したらいけそう?」
「それは……でも無理。なんか恥ずい」
「まあ冗談だけどね」
これ以上穂坂さんの力を借りるわけにはいかない。穂坂さんがやりたがっているなら話はまた別だけども。
「あの自動で喋ってくれるやつでいいじゃん」
「音声読み上げのソフトね」
「あれすごいね。便利。ああいうソフト?があると本介みたいなのでも配信ができるようになるんだから」
「僕みたいなのでもって、ひどい言い方」
「モゴモゴ喋るじゃん?本介。配信だと声が乗らなさそう」
「最近はできるだけハキハキ喋るよう心掛けてるよ」
「ふうん」穂坂さんは頬杖をついていて、小さく笑っている。「そうなんだ。偉いね。どうして?」
「どうしてって……」
はっきりと思っていることを伝えたいからだ。それに、みんなの中で僕だけが自信なさげに喋っていると逆に恥ずかしい。
最近というなら、穂坂さんも変わってきている。知り合った頃はぼんやりとした表情ばかりだったが、最近は笑顔の頻度も増えた。もともと表情筋が弱いのかなんなのか、天園さんみたいな満天の笑顔ではないけれど、穂坂さんの慎ましやかな笑顔も僕は好きだ。
「ねえ、他にはどんなコメントがあるの?」と穂坂さんが訊いてくる。穂坂さんは自主的にコメントを見ようとしない。悪口が書かれていたら不愉快だからだそうだ。
「うん。可愛いってさ」
「嘘ばっかり」
「本当だよ? コメントの半分くらいは可愛いって褒めてくれてるよ」
「もう半分はブスでしょ?」
「ブスなんて誰も言わないよ。もう半分は……やっぱり『僕』が女の子だったことに驚いてる声が多いね。あとはサムイモアとかキキキテレツに関するコメントとか。サムイモアの曲と久兎ちゃんの雰囲気が合ってていい、とか」
「ふうん……」
「それと、さっきも言ったけど、動画に出てほしいとか……ダンスももっと見たいって言ってくれてる人もいるね」
「好評じゃん。あたし」
「だからそう言ってるじゃない」
「いいねは増えてる?」
「いいね数は……よくわからないっていうのが正直なところかな。僕はショート動画を投稿したことがないし、いいね自体も今まであんまり気にしたことがなかったから。再生数といいね数の適正比率がまったくわからない」
「ま、なんでもいいけど」
「うん……」
いいね数が多いか少ないかは勝負の際に判明するだろう。実際、勝負のときは迫ってきており、八月はもう目と鼻の先だ。そのときに僕達の関係には変化が生まれてしまうかもしれないのだが、それに関して僕はまだ何も答えを出せていない。自分の意思を固められていない。
「ダンスがどうだかはわからないけど」と穂坂さんが口を開く。「本介といっしょにまた何かやりたい」
「え、何かかあ……エビュウでってこと?」
「それもわからない。エビュウででもいいし、エビュウじゃなくてもいいし。なんでもいいから本介と何かしたいかな。あたし」
「漠然と何かって言われると難しいね」
「本介がやりたいことでもいいし」
「僕がかあ……」
なんだろう。今何かあるか?と問われてもパッとは思いつかないなあ。
「今回のダンスも嫌々やり始めたけど、意外と面白かったから。もちろん一人だったら絶対やらないけど、本介がいっしょにやってくれたから」
「…………」
「楽しかったんだよね。あたしは得意なことも好きなこともないけど、一応楽しいと思える気持ちはあるし。だから」
「うん。久兎ちゃんが楽しめることが何かあるんだったら、僕もいっしょに参加させてもらうよ」
「さっきも言ったけど、本介がやりたいことにあたしが協力するんでもいいし」
「わかった。考えてみるね」
町の小さな料理屋だからか、出てくるのが比較的遅いように感じた。料理がようやく出揃い、僕達は乾杯をして食べ始める。せっかくだからと注文しすぎたきらいがあるかもしれない。一品一品のボリュームも相俟って、完食できるか不安になる。
「美味し」とつぶやいて穂坂さんは勢いよく食べている。そんなにガツガツ食べている様子じゃないのだが、皿の上から料理が消えていくペースが早い。
「よかったね」
「こういう小汚ない店の方が美味しいってのはあるあるだよね」
「小汚ないって……」
口に出しちゃダメだ。僕も頭では思ったけれど。店の人に聞かれたらまずい。
「はあ……うま」
「よく食べるね」苦笑が出そうになる穂坂さんの食べっぷりだった。手足も細いし肩も小さいのに、そんなに食べて平気なんだろうか。それにしても美味しそうに食べてくれるので、僕としても連れてきた甲斐があった。美味しそうとはいっても表情は相変わらず乏しいんだけど、食べ方がなんか、活き活きしている。「……もしかして、普段はだいぶ節約してるの?」
「ん? それなりにね。仕送りしてもらってる身だし、バイト代は安いし」
「そっか……」まあ致し方ないよなあ。「いっぱい食べてね」
「うん」穂坂さんは食べるのを中断し、僕を見て微笑む。「美味しい」
「本当によかった」と僕も笑う。うん。穂坂さんのおかげで収入が増えたから……ということにして、これからもときどき食事に誘おう。たぶん再生数とかはすぐに頭打ちになると思うけど。
「これ辛っ」と穂坂さん。「本介、食べてみる?」
「僕は辛いのはちょっとなあ……」
「じゃ、なおさら食べてみな。はい」穂坂さんは料理をスプーンで掬い、僕の方へ差し出してくる。「口開けて」
「こ、これって……」
「早く。零れちゃうから」
「ん、うん……」あーんで食べる。穂坂さんのスプーンで食べちゃった……と思う間もなく「辛っ。辛いよ」
「辛いって言ってんじゃん」
「辛いのはダメだって言ってるじゃない」と僕は返す。
「はい、リンゴジュース」と穂坂さんがストローを向けてくるので急いで飲むが、これも穂坂さんのジュースじゃないか。もう飲んじゃったけれども。
「…………」
「間接キス」と穂坂さんはストレートに言う。「でもあんなのなんでもないじゃん? スプーンとかストローについてる唾液なんてほとんどゼロだし? 意識する方がどうかしてるよね」
「え、ま、まあ……」
でも赤ちゃんの虫歯は大人からの間接キスとかから生じるらしいし、ほとんどゼロかもしれないけれど、なんらかの何かは確実に受け渡しているのだ。別に強く主張するほどの話でもないが……。
「けど、差し出したスプーンで嫌がらずに食べてもらえるってのは、気持ちとしては嬉しいよね。そうじゃない?」
「そうだね……」それはそうかも。僕が差し出したスプーンを穂坂さんが躊躇わずにパクッてしてくれると、それはたしかに嬉しい。というかホッとする。「久兎ちゃんは大人だね」
「いや、子供だし」とすぐ言われる。「恋愛経験もないしね」
「…………」高校生になったら僕と再会する予定だったから、敢えて恋愛をしてこなかったのだ。しかし僕には穂坂さんの人生を制限するだけの価値があったんだろうか? もちろんそんなことは尋ねられないので「バイトして自炊してるだけで充分大人だよ」と言っておく。
デザートまで食べ終えて店を出る頃には夕日も沈み、空の赤みもだいぶ引いていた。これから夜が始まるといった、ちょうど区切りの時間帯だった。
バイト後の穂坂さんを送っていた時間と比べるとまだまだ早く、明るいとさえ言える頃合いだったので、ちょっと誘ってみる。「神社に行かない?」芳日駅の向かいに大きな神社があり、強力なパワースポットとしても有名で、海外からの観光客も多い。「夏の間はライトアップしてるらしいし」
「ふうん」と穂坂さんは鼻を鳴らす。
「面倒臭そうって思ったでしょ」
「だる、いいから帰ろうよ……って普通だったら思ったけど、あんたといっしょにいてそんなこと思うわけないじゃん」
「え……」
「行こっか」穂坂さんが僕の手を引き、歩き出す。
「う、うん」と僕も引っ張られるままに続く。
食事のお誘いは事前にしていたから、穂坂さんはきちんとした服装をしている。黒くて短いタイトスカートに、白いふわっとしたブラウスを着ている。いつものスウェットとかではないので、これから神社を参っても浮いたりはしないだろう。
「そうだ。ねえ、本介」歩きながら穂坂さんが呼んでくる。
「なに?」
「みんなで海行くじゃん? そのあとあたし、一回宇羽の実家に帰るから」
「あ、そうなんだ? まあそうだよね……夏休みだもんね」親に顔を見せに行くべきだし、実家にいれば自炊もしなくて済む。電気代等も浮く。「お盆過ぎには戻ってくるの?」
「んー……たぶんギリギリまで戻ってこないかも。親からはできるだけ実家にいろって言われてるんだ」
「あー……親からしたら心配だろうしね。女の子が鷹座で一人暮らしなんて」芳日町は鷹座の中心からは外れているのでまだ静かな方だが、それでも心配は心配だろう。学校が休みの期間はなおさらか。「……寂しいなあ」
「え」
「あ、ごめん。そんなこと言っちゃダメだよね。仕方ないんだし。久兎ちゃんを困らせちゃう。寂しいのは僕の感想だから、気にしないで」
でも海へ遊びに行くのは八月に入って勝負後すぐだから、本当に丸々一ヶ月近く会えなくなるのだ。いや、宇羽県に戻るなんて考えもしていなかったし、休み中にはまたときどき遊べるんだろうと思っていたから予想外にショックだった。
「あたしも寂しい」穂坂さんが僕の手をよりしっかりと握ってくる。「でも親にはもう充っ分にワガママ聞いてもらってるから、あんまり反抗できないんだよね」
「うん」
芳日町で高校生活を送るのだって、簡単に納得はしてもらえなかったはずだ。それを考えると、できるだけ親のお願いは聞いてあげたいという穂坂さんの気持ちには同調できる。聞いてあげるべきだ。本来なら、僕は二度と穂坂さんと出会えなかったはずだから。そういう運命を塗り替えたのは穂坂さんであり、穂坂さんを許してくれた親御さんなのだ。
「ま、連絡するから」
「うん」僕も自然と、穂坂さんの手を強く握る。「それにまだ時間もあるしね。海にもいっしょに行けるし」
「別にお別れじゃないから。そんなに寂しそうにされると申し訳ない」
「…………」
そうは言っても、穂坂さんなんて、今となっては僕という存在の三分の一ほどを構成する要因なのだから、しばらく見えないだけでも僕はかなり寂しい気持ちになる。ましてや夏休みというフリーダムな期間にいなくなられると余計に強く感じてしまう。
わりと重要な話をしながら歩いていたからそうでもなかったけれど、料理屋から神社まではそこそこの距離があった。そりゃあ穂坂さんもダルいし帰ろうと普段なら言うわけだ。しかもライトアップ中だからか夜なのに人がメチャクチャ多い。甘く見ていた。地元民的な軽いノリで、ちょっと覗いてみようかぐらいの感覚だったのに。
だけど穂坂さんはそれなりに感動しているふうだった。「おお、キレイじゃん」
「あ、よかった……足とか疲れてない?」
「平気。もっとショボいライトアップかと思ってたら、なかなか本格的なんじゃない?」
「去年は来なかったの?」
「来てない。あんまり興味なかった、っていうか知らなかったし。こんなイベントがあるって。アマゾンとかも知らないんじゃない?」
「知らないのかもね」
知っていたら来たがりそう。まあ観光地なので、地元でのPRには力を入れていないのかもしれない。手近で集客しなくても全国からわんさか集まってきてくれるから。
「写真撮ったらソサリに上げてもいい?」と穂坂さんが訊いてくる。写真投稿型SNS。
「え、いいよ」と僕は笑ってしまう。
「は? なに?」
「いや、ううん」
普通に女子っぽいなと思って可笑しかったのだ。穂坂さんがSNSをやっているのも知らなかった。
いろいろと写真を撮りつつ進んでいく。鳥居が既にライトでピカピカなんだけれど、それを潜っていくと下から上まできらびやかな光を放つ大階段が現れ、その向こうには普段以上の存在感でたたずむ装飾された本殿が見える。本殿かな? おそらく本殿だ。しかし人が多すぎて美しい写真を撮るのは困難そうだ。必ず人だかりが写り込んでしまう。
「はあ……あっち行かない?」
穂坂さんに引っ張られて本殿から離れると、それに合わせて人口密度も下がってくる。ライトアップされていない鳥居の道は暗がりで、参拝者もまばらだ……というか今現在においては誰もいない。誰もがライトアップを目当てに訪れており、なんというか、神様の御前なのに現金だ。
「人混みに疲れたときにはちょうどいいね」
僕達は薄暗い鳥居の道を少し進み、ちょっと開けたところで立ち止まる。本殿のカラフルなライトがわずかに届く位置だが、それ以外の光源はなく、これより先は何も見えない真っ暗闇だ。本物の夜の神社という感じがする。
「ここって何の神社なの?」と不意に穂坂さんが訊いてくる。
「狐じゃないのかな」
「じゃなくって、健康運とか金運とか、そういうの」
「あー……なんだろうね」
何かあるはずだけど、知らない。地元民あるある。こういうのも、外部の人間の方が詳しかったりするんじゃないだろうか。
「恋愛運も上がるかな」
「有数のパワースポットだから。全体的になんでも上がりそうじゃない?」と僕は無責任なことを言う。「久兎ちゃんはそういうの興味ないんじゃないかって思ってたんだけど」
「興味ないよ」と穂坂さんは認める。「恋愛なんて、あたしが努力するかどうかだから。あたしが行動するかしないかだから」
「……そうかもね」
他でもない穂坂さんが言うと重みが違う。行動力という点で穂坂さんの大胆さを上回れる高校生はなかなかいない。それと、思い出の人と再会したいなんて乙女力も、なかなか……。僕が言うことじゃないが。
「でも、話のタネくらいにはなるかも。行動のきっかけくらいにはなるかも」穂坂さんは依然として手を繋いだままだが、僕と向かい合うようにして僕を眺めている。少しだけ僕に体を寄せてくる。「例えば、ここでキスをしたら思いが叶うとかさ」
繋いでいない方の手を僕の胸に置き、穂坂さんがスッと顔を寄せてくる。流れる水のような動作でまったく反応できなかった。三秒間ほど、僕の唇に穂坂さんの唇が当たり、離れる。
「そ、そんな言い伝え、ないよ……たぶん」
唇は離れたけれどお互いの体はまだ密着したままで、僕は穂坂さんに抗議がしたいのになんとなくできないままでいる。目の前に穂坂さんがいて、穂坂さんはまだ僕を解放してくれていない。眠たげな、もしかしたらうっとりとしたような、そんな目線で僕を釘付けにしている。「……中華料理の匂いがする」
「あ、ごめ、さ、さっき食べたから、ね……」
僕がまごついていると、また口付けをされる。穂坂さんの薄い唇がやんわりと僕に触れる……だけじゃない。口の中を穂坂さんに舐められて、僕はびっくりして力が抜けてしまう。「!? 危な……っ」
僕が尻餅をつくと、穂坂さんもいっしょになって体勢を崩す。腰に力が入らないけれど、穂坂さんが膝を打ちつけたりしないよう僕は体全体でなんとか穂坂さんをカバーし守る。「……大丈夫?」
暗がりだからよかったものの、こんなところを誰かに見られたら写真に撮られてSNSに上げられてしまいそうだ。
「やば……」と穂坂さんは小さく呻いている。
僕は穂坂さんにのしかかられたような状態のままだ。「どこかぶつけた? 痛くない?」
「平気……」
「ならよかった……」
「……本介は?」
「僕も平気」
腰が抜けただけだ。僕の腰はすぐに抜ける。いや、そんなことより……してしまった。穂坂さんの、さっきまで活き活きとごはんを食べていた口が、僕に密着してきたのだ。ほとんど一瞬だったけれど、なんか、穂坂さんの舌が入ってきたときのお尻のぞわぞわする感覚がまだ続いている気がする。
穂坂さんは僕の胸に顔を埋めたまま「ううーん……」と声を漏らしている。
「体、打ったんじゃない?」
「大丈夫だから」穂坂さんは顔を上げ、僕を見る。「もう一回してもいい?」
僕は当たり前のように「いいよ」と言いそうになるけど、ハッとなり「だ、ダメだから」と首を振る。
「わかった。しない。ごめん」
「あ、やっ、謝らなくても大丈夫!」
「痛っ……」
「体どっか痛むの!?」慌てて確認するがそうではなく、僕がすごい力で穂坂さんを抱きしめてしまっていただけだった。僕は穂坂さんの腰辺りに腕を回し、穂坂さんの背中に思いきり指を立てていた。「あわ、ご、ごめん……!」
「ううん……」
「と、とりあえず立とうか……」
「このままがいい……」
「さすがに誰か来そうだから……」
「…………」
「久兎ちゃん」
「……うん」
渋々、穂坂さんは僕から上半身を離し、腰を上げる。
僕も脇の岩に掴まりながらなんとか体を起こす。まだ足腰が不安だったのでそのまま岩に腰かける。「……ふう」
「ごめん。怒った?」
「え、怒らないよ。僕の方こそごめん」
「何が?」
「えっ」
「本介は何がごめんなの?」
「あ、いや……なんとなく」
穂坂さんにそういうことをさせてしまってごめん。そういうことをしたくなるような状況にしてしまってごめん。だけどそんな謝罪は的外れだという自覚もある。僕が謝るとしたらそこじゃない。
「ここが外でよかった。マジで」と穂坂さんはつぶやく。「あたしの部屋だったらやばかった」
「…………」
「もう絶対襲ってたから」
「あ、はは……あんまりひどいことしないでね」
「ひどいことはしないけど。ごめん」
「わ、わかってるから。冗談だよ」
穂坂さんは一息つく。「あたしさ、もう、なんていうかさ、わかる?」
「え、なんだろう。わかんないかな……」
「あんたのこと、メッチャ思ってるから。いっしょにいるとマジでカラダ熱くなるの。キモかったらごめん。でも本当のことだから。止められないんだよね……」
「全然キモくなんてないよ」
「あんたが優しいの知ってて、言ったりやったりしてるからね、あたし。超卑怯」
「僕だって卑怯だよ」
「どこが?」
「いや……」
「そうだ。ひとつ訊いてもいい?」穂坂さんが僕の隣の岩に座ってくる。
「いいよ」と僕は返す。
「『質問による』んじゃないの?」
「なんでも訊いてくれていいよ」
「じゃ」訊かれる。「今やってるダンス動画の勝負、あたしが負けたら本介はどうする?」
「…………」僕は「わからない」と答える。「なんにも考えられない。久兎ちゃんか天園さん、どちらかを選ばなくちゃいけないのに、全然選べてない」
ただでさえ優柔不断で愚鈍な人間なのだ。『わからない』と答えるしかないのに、そう答えることさえ逡巡していたら立つ瀬がない。正直に即答すること。これが今の僕にできる、最大限の誠実な対応だ。
穂坂さんは落胆するかと思ったが、「それでいいよ」と優しく頷いてくれた。
「それでいいって……」
いいわけないのだが、穂坂さんは何を考えているんだろう?
「大丈夫。あたしが勝つし」
「…………」
だけど、穂坂さんが勝ったところで僕の悩みは解消されないのだ。穂坂さんが勝ったら天園さんが僕から手を引き、天園さんが勝ったら穂坂さんが僕から手を引かなければならない。どちらにせよ、僕はどちらかを近々失うのだ。でも、勝ち残った方と僕が付き合うのかというと、そうではない。だって僕の考えはまだまとまっておらず答えが出ていないわけだから、もしかしたら僕は負けた子の方を好きになるかもしれないのだ。そうなったら僕は、勝った子を置いて負けた子のもとへ向かうこととなり、勝負自体の意味がなくなる。そう。この勝負に意味はないのだ。勝負の結果、僕や天園さんや穂坂さんの関係が少し歪んでギクシャクする……程度のことにしかならない。だから僕としてはこの勝負、なんとか引き分けに持ち込みたいのだ。引き分け。そのパターンは二つある。ひとつは、いいね数を同数にしてフィニッシュすること。しかしそんな奇跡的な展開がありえるだろうか? ありえるわけない。視聴者の人数もタイプも違うような二つのチャンネルのショート動画が同数のいいねになったりするはずがない。唯一チャンスがあるとすれば、穂坂さんのいいね数が天園さんよりもわずかに上回っている場合、僕が視聴者に呼びかけて直前でいいねを解除してもらい、数を調整する策……これだけだ。だけど僕の視聴者は、僕のチャンネル登録者ではあるが僕の友達ではない。きちんと指示に従ってくれる保証はないし、面白さ優先で土壇場で裏切る可能性がある。一人でも裏切れば、あるいは妨害する意思のある者がいれば、それだけで失敗する脆弱な作戦。条件がキツすぎて狙うのは無茶だろう。考えるだけ時間の無駄だ。
もうひとつは……




