表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

01.嘘告白?

猫村(ねこむら)くん、ウチの彼ピにならん?」


 昼休みに友達と弁当を食べていたら見知らぬ女子にいきなり連れ去られ、中庭で変なことを言われるが、染めた髪をゆるふわにして他にもいろいろデコっている派手なその女子を僕はホントに知らないし、これってたぶん今流行りの罰ゲームで陰キャに嘘告白するヤツだ!とピンと来たので、何も答えず歩いて教室に戻る。「あーれー?」とか「おーい?」などと背後から聞こえてきていたが無視した。マジでなんなんだ。僕の心臓は痛いくらい脈打っているけど、それは恋の予感にドキドキしたからじゃなくてわけのわからないギャルに拉致されて恥をかかされそうになった恐怖と憤怒からだ。僕はたしかに暗くて情けない男だし友達も少ないが、だからってどんなふうに扱ってもいいってわけじゃない。童貞心を挑発するかのように偽りの希望をちらつかせてからかって笑い者にしようなど言語道断じゃないだろうか。クラスのみんなの邪魔にだけはならないようできるだけ静かにしておくから、僕のことなんて放っておいてほしい。


 というかあのギャルは誰なんだ。チラッとした見なかったが、キンキンのセミロングで、目もでっかくてまつ毛も長かった。ピアスとかネイルとかも進学校の女子とは思えないくらい豪勢だった。ギャルの定義はよくわからないけれど、ギャルに分類して差し支えない強烈なビジュアルだった。間違いなくカースト上位の陽キャ。僕とは対をなす存在。そんな陽キャギャルが僕に接近してくる動機は(いじ)り以外にありえない。一瞬の判断で、ノータイムで中庭に置き去りにしてやったが、我ながらすばらしい判断力だった。僕だってただただ陽キャにされるがままの雑魚なんかじゃないんだぞってところを見せつけられたんじゃないだろうか。


 でも報復されないだろうか? すぐに恐くなる。恐くなってくる。いや、報復も何も、そもそも向こうから仕掛けてきたわけで、それを交わしたくらいで恨みを買うようなことはない……よね? 論理的に考えてそんなのありえないが、ギャルなんてバカだろうから何がきっかけでどういう思考回路でキレるかなんてわかったもんじゃないのでは? 陰キャが陽キャをシカトしたってだけで充分、報復の理由になりえるのでは? もとはといえば僕をバカにして嘲ろうとしていたことなんて向こうにとっては無関係だし、なんなら既に覚えていないかもしれない。単に僕に生意気な態度を取られた、としか認識していないかもしれない。やばいぞ。


 しかし特に何事もなく放課後を迎え、僕の緊張感も緩む。ま、まあ僕達は高校生だしね。しかも高校二年生だ。いじめだとか仕返しだとか、そんな子供じみた真似からはもう卒業していなくちゃならない年齢だろう。大人になっていかなくてはならないのだ。


 我が身は無事だったみたいだし、帰ろうかなと考えていると、「本介(もとすけ)」と呼ばれる。顔を上げると畦道桐哉(あぜみちきりや)が笑顔で寄ってくる。


 友達なのかはわからない。桐哉は僕なんかとは人種が違うんじゃないのかってぐらいイケメンで、学年全体から慕われているような陽キャ。芳日(ほうび)高校二年生の顔。代表。本来僕となんか交わる運命にないはずの男子なんだけど、桐哉は僕にも優しくて、ときどき話しかけてくれる。高一の頃から知り合いだが、二年に進級してクラスも同じになった。


「ああ……」と僕は応じる。桐哉と話すときは今だに背筋が伸びる。「桐哉、部活は……?」


「部活は行くけどな」桐哉はサッカー部。「本介は帰って動画作りか?」


「あ、いやあ……」僕は趣味でエビュウに動画投稿をしている。メインチャンネルはスマホゲームの攻略動画で、ほんの少しだけ収益もある。「しばらくは休憩かな……」


「そうなのか? 最新クエストのオススメ編成、待ってんだけどな俺」


「それはこのあいだ口頭で話したでしょ……」


「本介の動画で改めて確認するのがいいんだよ」


「もう旬を逃しちゃったからなあ……。他の配信者が紹介しちゃってるし」


「残念だな。じゃあ次のイベントは最速攻略して動画出してくれよ」


「できたらね……」


 正直、二年生になったばかりで新しい環境に慣れておらず、動画作成の方に集中できないというのが本音だ。メンタルが弱すぎる。神経質なのだ。


 桐哉とはスマホゲームを通じて知り合ったわけではないのだがゲームの話をよくする。オタク趣味しか持たない僕にとっては桐哉と話を合わせられる唯一の共通点なんだけど……しかし桐哉なら他にゲーム仲間くらいいるだろうし、わざわざ僕に話しかけなくたっていいのに。不思議な人だ。動画まで見てくれて、ありがたい。


 桐哉は少しぼーっとしてから「天園(あまぞの)、昼に早退しちゃったな」と言う。


「天園?」誰?


「天園雨理(あめり)だよ。そこの席に派手なギャルいるだろ?」


「? いないけど」


「今はいないよ。昼に帰っちゃったからな」


「ふうん」ギャルか。ギャルといえば、タイムリーだ。「あ、ねえ、桐哉……」


「お、なんだ?」


「昼休みに、ギャルみたいな人に告白されたんだけど」


「え、誰が」


「いや、僕が」


「えっ、マジか」


「ああっ、でも嘘告白だよ。ほら、罰ゲームとかでよくあるでしょ?」


「あー……そういうのよくねえよなあ。誰だよそんなことするヤツ。ギャルみたいな人って、知らねえヤツか?」


「うん。キンキンの髪で、耳とか指先に武器みたいなアクセサリーが付いてる……」


「んん? それってそいつじゃねえの?」と桐哉は『天園雨理』の席を指差す。


「いや、いないからわかんない……」


「本介って天園の顔知ってる?」


「知らない……」


「知らないのかよ。一応クラスメイトだぞ」


「や、まだ二年生になったばっかりだし……」他人の顔と名前なんて興味ないし。


「うーん……あ、でも嘘告白なんだっけか。じゃあ違うな。ありえねえ」


「うん……」うん? よくわからない。「嘘告白だったらありえない?」


「ああ。本介は嘘告白かまされたんだろ?」


「あ、えっと……たぶん嘘告白」


「『たぶん』ってのは?」


「いや、ギャルが僕に告白してくるわけないでしょ? だから嘘告白だって判断してそのまま黙って逃げてきたんだけど……」


「えぇ……じゃあ種明かしがあったわけじゃねえってこと? 嘘告白かわかんねえじゃん」


「嘘告白に決まってるでしょ」


「いやいや、なんでだよ」桐哉が僕の肩に手を置いてくる。「なんでそんな自己評価最低なんだよ。そうなってくると話も変わってくるんじゃないか? たぶんそれ嘘告白じゃなくて普通の告白だぞ。そんで本介に告白したのはそこの席の天園雨理だ」


 はああ? 「な、なんでわかるの……」


「本介にフラれたからショックで帰ったんだろ」


「えぇ……!?」そんなことある?


「こんな髪型で、こういう三角の危なっかしいピアス付けてるヤツだろ?」と桐哉が身振り手振りで昼休みのギャルの再現をする。


「あ、うん。そんな感じ……」


「それ天園だぞ」


「え、よくわかんない」僕は混乱する。「天園さんが僕に嘘告白をして、それで……」


「嘘告白じゃねえ」


「なんで断定できるの?」僕に嘘じゃない告白をする女子を想像できないんだけど。


「天園とは中学もいっしょだった」と真面目な顔で桐哉は言う。「あいつはバカみたいなギャルだけど、他人をバカにするような真似は絶対にしない」


「…………」嘘だ。それこそ嘘みたいな話だ。どうしてギャルが僕に告白なんてするんだ? 意味がわからない。何か理由があるのか? でも罰ゲームじゃないんだとしたら……いや、もしかして桐哉もグルで僕を騙そうとしていて……いやいやそれこそありえない。桐哉は本当に僕なんかにはもったいない人格者で、話しかけてもらえるだけで僕はありがたいんだけど……あ。「ね、ねえ、桐哉」


「うん?」


「もしも……もしもなんだけど、万が一、天園さんが僕に本気で告白してくれていたんだとしたら、僕、とんでもなく失礼なことしてるよね」一言も発せず天園さんを置いて帰ってしまった。僕は青ざめる。僕はなんてことをしてしまったんだろう。陰キャのクセに、陽キャ様に対して……それも悪意のない陽キャ様に対してだ。罪深い。それこそ報復されても同情の余地がないぞ?


「あー……」桐哉も苦笑している。「落ち込むようなタマじゃないと思うけど、実際帰っちゃってるからなあ。どうなんだろうな」


「…………」脂汗が出てくる。


「そうだな……天園んち行って謝ってきたらどうだ?」


「え!」嘘。ハードル高。


「天園んちの場所知ってるから、地図アプリに入れてやるよ。心配しなくても徒歩圏内だから」


「え、え……」僕が一人で行くの?って桐哉にすがりたいけど、これは僕自身が犯した罪で、けっきょく他人を傷つけたのはギャルの天園さんじゃなくて僕の方だったのだ。天園さんが本当に僕に告白したんだとしたらだけど。そこが信じがたいんだよなあ……。


 僕のスマホに天園さんちの住所データを送り、「大丈夫だよ」と親指を立てる桐哉。「悪いようにはならねえ」


「不安……」と僕は短くコメントする。


「あいつ、見た目は派手派手しいけど、ヤンキーとかじゃないから。はっきり言って、そこら辺の女子よりずっと優しいぞ」


「…………」


「本介は陽キャって嫌いだろうけど、本当の陽キャって誰にでも優しいからな。安心しろ」


「……まあ、桐哉もそうだしね」


「俺は陽キャじゃねえよ」なんて桐哉は(うそぶ)く。「俺は本介が好きで話しかけてるだけだ。誰にでも優しいわけじゃねえよ……ってぼちぼち部活の時間だ! 俺もう行くから、本介も天園のとこ行け」


「うーん……」行きたくない……。


「ちゃんと行けよ?」


「桐哉、楽しんでない……?」


「楽しかねえよ。俺は本気だぞ」桐哉は真面目ぶった顔で僕を見る。


「本気って……」


「応援してるぜ」と言い残し、桐哉は走っていってしまう。


 僕は取り残され、行きたくないんだけど、でも行かなきゃならないよなあと追い込まれた気分になる。


 桐哉が天園さんと幼馴染みなんだとしたら、桐哉に連絡を取ってもらって謝罪するという作戦もよく考えればありだったわけだ。でも桐哉はもう行ってしまったし、僕が直接天園さんの家へ赴く流れになってしまっている。昼休みの天園さんの真意がよくわからないし、いろいろと不確定なので今日一日は様子見でもいいような気もするんだけど、桐哉と約束してしまった以上、もう退路はないと考えた方がいい。僕自身、桐哉の親切心だけは無下にしたくない。明日桐哉にがっかりされるようなことがあってはならないのだ。僕は本当に陰気な腰抜けだけど、数少ない僕と仲良くしようとしてくれる人を裏切ることだけはしたくない。


 学校から自宅までは徒歩数分の距離だけれど、僕は桐哉や天園さんとは学区が異なるため、案の定、天園さん宅へ向かうには自宅とは反対方向へ歩かなければならなかった。歩みは鈍い。だけど少しずつ確実に、僕の体は天園家へと近づいている。


 とりあえず謝罪するのか? いや、まずは事実確認をするべきか? だって、まだ本当に『天園雨理さんが』『僕に』『本気で告白したのか』が定かじゃないから。返す返す、言葉にしてみるとありえない話だよな……と思ってしまう。ギャルが、陰キャに。しかも面識もないのに。一応、桐哉と天園さんは幼馴染みらしいけど、そんなの知り合いの知り合いってだけの関係性で、都市伝説みたいなおぼろげさだ。


 あと、家に行って謝罪するという話になっているが、連絡もなく強引に押しかけたら天園さんは迷惑するんじゃないだろうか? 天園さん以外にも家族が既に帰ってきているかもしれないし、不審な男子が訪ねていったら気味悪がるんじゃないか?


 などといろいろ気を遣っているフリをして、僕はなんとか逃れられないか、時間稼ぎをしているだけだ。この期に及んで。とうとう天園家の前に到着したが、僕はインターホンのボタンを押せないどころか、玄関のドアから五メートル以内に近づけないでいる。圧を感じる。勝手に感じている。


 だけど逃げ帰ることはできない。なんなら留守であってほしいんだけど、留守かどうか確かめるためにはインターホンを鳴らさなければならない。きつい。やはり陰キャには厳しすぎるミッションだ。こんな、喋ったこともない異性の家のインターホンなんて押せないよ……。


 心の中で唸りながらおろおろしていると、「あれ? 猫村くんじゃーん」とあらぬ方向から声がする。


 「っ……」僕はこわばる。


「学校終わったん?」などと言いながら僕の正面へ回り込んできた声の主は……桐哉の推察した通り……昼休みに告白してきた派手派手ギャルだった。早退したのにまだ制服姿で、笑っている。「ウチになんか用?」


「あ、天園さん……?」


 僕の確認するともない確認に、「ハイ!天園でっす!」とデカい声でギャル……天園さんは応じる。


「…………」

 なんだろう。僕は昼休みに失礼なことをしてしまったから謝りに来たんだけど、天園さんはあんまり気にしてなさそうというか、なんかもう既に忘却していそうな雰囲気だ。いや、ひょっとして昼休みに告白してきたのは天園さんじゃない? あのギャルはたしかに天園さんだったと記憶しているが、僕にギャルの見分けがついていないだけの可能性もある? ないよな?


 ぼんやり考えていると、「ウチ来る?」と天園さんに腕を掴まれ、僕は確信する。昼休みのギャルも天園さんで間違いない。腕の掴み方とか引っ張っていき方がおんなじだ。僕は昼休みと同様に天園さんに連れ去られる。


 玄関で靴を脱ぎ、そのまま二階の天園さんの部屋へ連れていかれる。部屋も派手で、ピンクと白の二色を基調としたインテリアになっている。


 僕は天園さんの手から解放されたが、所在なく棒立ちになっている。「…………」


「すごー。猫村くんが遊びに来るなんて、夢みたいじゃね?」


「遊びに来たというか……」


「なんか飲み物持ってくるね。なに飲む?」


「あ、大丈夫です……お構いなく」


「ウチセレクトでなんか持ってくる! 待ってて」


「あー……」

 どうしたものか。本当に居心地の悪い空間だ。キラキラしているし、なんかほのかにいい匂いもするような。陰の者を退ける結界ではないのか?これは。消えてしまいそうだ。


 ドタドタドタと遠ざかっていった足音がすぐに戻ってくる。「エナドリしかなかったー! 猫村くんエナドリ飲む人?」


「あ、飲めます……」


「よかった!」天園さんはエナジードリンクの缶を二本、ミニテーブルの上に置く。「どうぞ! 召し上がって!」


「う、うん……」謝罪に来ただけなのにおもてなしをされて、なんだか心苦しい。天園さんがそういうテンションだと、話を切り出すことすら難しく感じられる。


「どこでも座って。立っててもいいけど疲れるっしょ」


「うん……」


 僕が永遠にまごついていると天園さんは笑い、「じゃ、そこ座って」とミニテーブルを挟んだ天園さんの向かい側を指す。


「は、はい……」失礼します、と腰を下ろす。


 天園さんも座り、向かい合ってテーブルに着いたような形になる。「何する?」


「何するというか……」


 謝りにきたんですけど、と言うよりも早く「猫村くんていつも何して遊んでんの?」と質問される。


 僕はぼそぼそ話す上にテンポも遅いから、トークに勢いのある天園さんにどうしても主導権を握られ、被せられてしまう。ましてやここは天園さんの結界内で、僕は罪悪感と心細さでより萎縮してしまっているからなおさらだ。


「……僕は読書したり、ゲームしたりです」

 面白味のない当たり障りのない趣味。だけど取り繕う気にもならない。余裕がない。


「ウチもゲームするよ」と天園さんが素早く反応する。「『ねこくうかん』っていうゲームなんだけどー、メッチャ可愛いから癒される。あと『饅頭パズル』もさー、クソムズいしわけわかんないんだけど、これも可愛いし。脳トレになりそうじゃね?と思って。ウチバカだからさ。脳みそ半分死んでね?ってよく言われっし。ひどくない?」


「え、あ、ああ……」ギャルもゲームをするのか、と僕は意外に感じる。別にゲームぐらいするのかもしれないけれど、まったく別種の生き物だと思っていたから、自分と同じ文化に触れていることに驚いてしまう。「ね、ねこくうかんはシンプルな放置ゲーと思いきや、いろんなやり込み要素とか隠れステータスとかがあって奥深いですよね。家具を上手く組み合わせて配置して誘導しないと奥側まで入ってきてくれないねこもいますし。あ、あと饅頭パズルも、ふざけた見た目に反してゲーム性は高いので、世界大会まで開催されてる定番ゲーだし、パズルやるなら饅頭パズルで間違いないと思いますよ」


「…………」


「……はっ」

 しまった。天園さんに押されてばかりだからと何か喋ろうとしたら、勢い余って需要のないゲーム解説をしてしまった……。ゲームの話なら頭が空っぽでもやってのけられる僕だけど、それを披露する場所は明らかにここではない。


 天園さんはしばらくぽかんとしてから、笑う。「ウチマジでバカだから猫村くん何言ってんのか全然意味不明だったけど、猫村くんすげー。評論家になれんじゃね?将来」


「あ、いや、すみません。早口で喋ってしまって……」


 失敗した……と反省する間もなく、「猫村くんホントにゲーム好きなんだね」と天園さんは会話を続ける。両手で頬杖をつき、僕を眺める。「なんでも知ってんじゃん」


「や、なんでもってことはないんですけど……」大好きなゲームの話題なのに、こんなに居心地が悪いのは初めてだ。自分の趣味を面識のない相手に晒すのって、すごくそわそわする。「あ、あの、天園さんの趣味は……?」


 いたたまれずに話題を変えると、天園さんはすぐに対応してくる。足元に置かれていたエコバッグ的な袋をミニテーブルにポフ、と載せる。「ウチはいろいろー。今日はこれ買ってきたんだー。ネイル系の~……ネイルチップとデコパーツと」


「ふうん……」全然わからないけれど、たぶん天園さんの派手派手な爪をカスタムするアイテムなんだろう。「え、今さっき買ってきたってこと……?」


「そだよ。今日『81』でネイル系の新作入荷があったからさー、売り切れる前にマジフラインゲットだよね。あそこ昼イチで新作並ぶから」


「……あ」だから早退したのか? え、じゃあ僕のことでショックを受けて帰ったのではなく、新商品をいち早く入手するために学校を昼で切り上げたってこと? な、な、なんだよ……よかった。僕は少し、いやだいぶ安堵する。「ふ、フライングゲットは、店に並ぶよりも早く手に入れることを言います」


 調子に乗って誤用を指摘させてもらったが天園さんは理解しておらず「ウチ動画配信もしててー、『81』のネイルシリーズはマジでずっと追ってんのね。だから発売日に全種類ゲットしねえと配信者の名が廃るんだわ」と喋り続ける。


「ど、動画配信? 天園さんもやってるの!?」びっくりしすぎた。タメ口になってしまったので訂正する。「や、やってるんですか……?」


「美容系の配信やってるよー」天園さんは少しだけ照れ臭そうにピースする。「全然ショボいチャンネルだけどね。弱小っつーか? でも見てくれてる人はいるしー、ウチ自身楽しいからずっとやってる」


「へえ……」


「今日は新しいアイテムの紹介動画撮ってー、夜はライブ配信しようと思ってんだよねー。こーゆうのって鮮度が大事じゃん? 紹介し損ねると一瞬で時代遅れになっからね」


「…………」すごくちゃんとしている。その理屈はゲームの動画にしたって同じだ。天園さんがよく考えて配信と向き合っているのがわかる。「じゃ、じゃあ僕はいない方がいいんじゃないですかね」


「ん?」


「動画配信はスピード勝負だし、もちろんクオリティも大事ですけど……僕が今ここにいたら邪魔になるのでは……」

 夜に生配信をやった上で別個に紹介動画を上げるなら、撮影は今やるべきだ。そうしないと最速にならない。僕が同じ状況で動画作成をするなら、少しの時間も無駄にしたくない。


 天園さんは目を丸くしてから「ううん」と首を振る。「猫村くんと喋ってる方が楽しいから。動画の素材撮ったりは夜にすればいいし? 別に今猫村くんといっしょに撮っても楽しいかもしれないけど、ウチはそれより今は猫村くんと喋ってたいから。どう考えても今は動画の時間じゃないじゃんね。猫村くんとの時間でしょ」


「で、でも……」


「ウチはウチが楽しいと思うこと優先してやってるだけだし。気にすんなし。配信にはマジで取り組むけど、他に大事なことがあればそっち優先だよ。こーゆうのプライオリティっつーんだよ」


「…………」

 それはそれでいいんだけど、僕といて何が楽しいんだとは思う。ほとんど天園さんが一人で喋っているだけだ。


「エナドリ飲んだら?」


「あ、は、はい……」とりあえず缶のタブを開ける。「いただきます……」


「猫村くんも動画配信してんの?」


 何の前触れもなく訊いてくるからエナドリが僕の気管に入る。反射で液体を吹き出してしまう。なんで気取られたんだ? 僕、なんかそれらしいこと言ったっけ? 動画配信……あ。天園さん()やってるの?と訊いたかな?


 天園さんは爆笑している。「もー猫村くんマジスプラッシュじゃね? SDPのアトラクションよりもスプラッシュなんだが」


 見ると、正面に座っていた天園さんはエナドリまみれだ。僕は血の気が引き、パニック状態に陥る。慌ててズボンのポケットからティッシュを取り出し、残っている分すべてを引っ張り出して天園さんを拭う。「ご、ごめんなさい……! 大丈夫ですか? すみませんすみません……」


「アハハハ! くすぐったいくすぐったい! 自分で拭くから!」


「ああ……!?」大混乱の中、僕は天園さんの顔やら肩やら胸やらを無造作にティッシュで触っていた。胸? 頭がホワイトアウトしていて意識がなかったんだけど、たしかになんか、指先にぽよぽよとした感触が残っている。冷静になってから目をやると、天園さんの胸はかなりのボリュームを誇っており今まで何も感じなかったのが信じられないくらいの立派さだった。「ごご、ごめんなさい……っ!」


「いいから」天園さんは僕を制してから、ふうと息をつき改めて自分でエナドリを除去する。


 僕は恐る恐る天園さんの顔色を窺うが、少し赤らんでいて、やっぱりやってはならぬことをしてしまったと悟る。

「ごめんなさい」


 僕が謝罪を繰り返すと、天園さんも「いいから」と反復する。まだ少し顔が赤い。「ひょっとしたらエナドリを肌から吸わせたら健康にいんじゃね? アハハ! こーゆうのも経験だよ。全然気にする必要なし!」


「…………」

 なんか、本当に心が広いというか、優しいんだな、と思う。桐哉の言っていた通りだ。僕なんかにここまで寛大にできる人はなかなかいないと思う。僕は天園さんに謝りに来たのに、さらに罪を重ねてしまって不甲斐ない。


 天園さんはけろりと話を戻してくる。「で、猫村くんは何の配信をしてるん?」


「…………っ」


「やっぱゲームとか?」


「は、はい……」

 メインチャンネルでゲームを、サブチャンネルでフィギュアなんかの解説をしている。が、サブチャンネルのノリなんて一般人からしたら気持ち悪すぎて誰にも胸を張って教えられない。


 天園さんがテーブルを回り込み、「見たい見たい。どのチャンネル? 見せろしー」と迫ってくる。


「い、いや、僕はPCで編集してるから……」


「スマホでも見れるだろうがー。相互登録して登録者増やそ! ウチも猫村くんの動画見たいし!」


「僕の動画はっ、僕が喋ってるわけじゃないから……っ。音声読み上げのソフトでやってるし……」


「別にいいから。ウチは猫村くんが作った動画見たいだけだし……!」


 すごい体をくっつけてくる。なんで? そんな圧迫してきても僕はスマホを出さないぞ。「だ、恥ずかしいからダメです……!」


「ちえー」天園さんはあきらめて体を離す。


「はあ、はあ……」と僕は肩で息をする。女子とこんなに密着したのは人生初じゃないだろうか。びびりすぎて何も感じなかった。情報が完結しないまま、離れられたことでけっきょくすべての情報が遮断されてしまった。


「ウチのチャンネルは見ていいから」

 天園さんはスマホに自分のチャンネルを表示してそれをテーブルにポンと置く。チャンネルよりもデコレーションがすさまじすぎるスマホ本体の方が気になって仕方がない。天園さんはどうやらピンクと白の組み合わせが好きなようだ。スマホのデコレーションもそういう色使いになっている。


 アメリチャンネル。登録者は一万人ちょっと。

「ふうん……へえ」


「あ、そうだ」と天園さんはスマホを回収しつつ言う。「SNSやってるっしょ。トイペキとかソサリとか! 連絡取り合えるようにしとこ!」


「え、あ、いやあ……SNSってやってないんですよね……」


「嘘つけし!」また迫られる。「動画配信しててSNSやってないわけないだろ案件じゃね? 教えろし。教えとけしー」


「や、や、ホントにやってなくて……」

 SNSのノリはサブチャンネルよりさらにワンランクやばい自覚がある。リアルアカウントではないので桐哉にももちろん教えていないし、知られたら不登校になる自信しかない。


「ウチのアカウント」と言って、また天園さんはトイペキのプロフィール画面を開いて見せてくる。テーブルに置く。「フォローしといて」


「…………」無理な相談だ。今ここで別のアカウントを作ってそれでフォローするか? それが一番安全策って気がする。


 僕が縮こまって座っている隣に、天園さんがくっついて座ってきている。女子にこんなに密着されるのは人生初だ……とまた思いきや、しかし一方で、なんだか懐かしい気持ちにもなってくる。ありえないんだけれど、僕の妄想上の改編された記憶の中に、仲の良かった女子とこんなふうに並んで座ったみたいなシチュエーションがあるのかもしれない。いや意味不明だ。僕は小学校時代から既に陰で生きていた。


「……なんで無視したし」


「無視じゃなくって、SNSやってないんですって、僕」


「そうじゃなくって……あのとき」


「はい?」


「なんでもないですー」と天園さんは立ち上がる。「トイレで花を摘んできます」


「ぞ、造花……?」


「マイネームイズ、アメリアマゾノ」


「え」


「猫村くん何言ってっかわかんないから、英語かなと思って」


「いや、英語じゃないです……」


「とにかくトイレ行ってきます。お腹痛い。マジポンペ。ストレス社会かな」


「は、はい……気をつけて」


「サンキューベリーマッチ」


 天園さんは出ていき、またドタドタドタと音が遠ざかる。足音が大きい。僕は無心モードに入ろうとするが、天園さんのスマホがまだ画面を表示していて、いったい何分の放置でタイムアウトするよう設定しているのかが気になる。こんなに長時間画面を表示しておく設定だとバッテリーの消耗も早いだろうに。


 画面を消しておくかと天園さんのスマホを手にし、僕は固まる。スマホには天園さんのSNSのプロフィール画面が映っているのだが、同時に最新の投稿も見えてしまっている。


『さっき勇気出してコクったけど好きピにフラれて草枯れて冬。ぴえ泣涙』


「…………」

 なんでなんだろう?と思う。おそらくこれは昼休みのあの件について言っているんだろうけど、なぜ僕なんだろう? 僕は天園さんに何かしたっけ? いっさい記憶にないし、そもそも僕は今日まで天園さんの存在すら知らなかった。しかし、天園さんの気持ちはやっぱり嘘じゃなかったし、全然ノーダメージかに見えたけれどしっかりショックを受けていたのだ。文面はぶさけてはいるものの、それでも。


 正直、天園さんが見た目とは違って普通の人なんだってことはもうわかった。普通どころではなく、僕なんかに対しても気さくで、きっといい人なんだろうと思う。陰キャにも優しい陽キャ。だけど、だからってあの告白を受けられるかというと話はまた変わってくる。僕は天園さんのことを知らなさすぎるし、それ以前に女子に耐性がなさすぎるし、ゲームキャラとかフィギュアにばかり熱が向かうオタクなのだ。とてもじゃないけど天園さんの気持ちは受け止められないし、あの元気さというかテンションも……数時間くらいなら耐えられるが……毎日となるとキツいものがありそうだ。恋人同士、付き合うなんて、夢のまた夢……想像もできない。ただ、昼休みの僕のあの対応の仕方は最低だったなと改めて思う。改めて反省させられる。あれに関してだけでも謝りたい。


 またドタドタ聞こえてきて、天園さんが戻ってくる。「あ~、きもちぃぃぃ!」などとトイレの感想を述べている。「猫村くんいたからつい我慢しちゃってさー。殿方の前であまりにもはしたないとお嫁に行けないっしょ? でもマジでお腹も膀胱も決壊寸前よ」


「トイレははしたなくないので、我慢しないでください。体にも悪いし……」はしたなさはそこじゃないと思う。


「タメ語でいいです」とまたいきなり天園さんは言う。「実際タメだし、ウチらの共通言語はタメ語っしょ」


「い、いや、僕はこういう感じなので……」


「畦道にはバリバリタメ語じゃん」


「あぜみち……」桐哉か。あ、そうか。幼馴染みなんだったな。


「ウチにもタメ語でいいから」


「でも……」


「タメ語じゃないなら口利かない」


「それは……」

 天園さんと話すことなんて滅多にないだろうからそれで困ることはないんだけど、それより僕は早く天園さんに謝罪をしたい。実際、天園さんには感服してしまう。僕によって傷つけられたはずなのに、訪ねてきた僕をこんなふうに迎え入れてくれるなんて。僕が天園さんの立場だったら、勇気を出して告白してあんな対応をされたら、反転アンチと化してしまい、憎んで憎んで憎んで、毎夜毎夜呪詛を唱え始めるだろう。本当にだ。だから天園さんはすごいし、だから僕は天園さんに誠意を持って謝らなければならないのだ。


 しかし天園さんは昼休みのことなんてどうでもよさげで、僕にタメ語で話すように云々などと緩い話題を展開している。罪悪感で張り裂けそうな僕は早く天園さんに謝りたいんだけど、今の話し方だと天園さんに却下されてしまい謝罪どころじゃない。でもタメ語って、引っ込み思案な僕には難易度が高い。相手は女子だし、ほぼ初対面だし、そして何より強制されると余計に話しづらくなってしまう。


 けっきょく……忸怩(じくじ)たる思いだが、僕は天園さんに謝ることができないまま時間を過ごし、十八時頃に帰路に着くこととなる。


「メチャ楽しかった」と天園さんは最後も笑顔だった。「また遊ぼーね! 明日学校でね!」


 僕は気がとがめすぎていて、せめてものという気持ちで、夜中に配信された天園さんのライブだけは見させてもらった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ