第五話 緊張
病院の庭にある草の茂みに隠れながら僕は蔵田と稲見と共に病院の中を見回していた。正面には円柱の形をした高い病棟があったが、少なくともそれは綺麗と言えるものではなかった。あちらこちらの塗装が剥がれたり、あちらこちらが落書きで描かれたと思われる黒い丸が書かれていたり、更には正面に見える窓が3つ程度しかない。ちなみにこの病院の階数は五階だ。それにも拘わらずこれしか窓がないのは少し不気味に思える。いや、それ以前にここの雰囲気の方が不気味だが。
それに、白い兵装を着けた怪しい兵士達が僅かにしか無い窓から時々見えていた。彼らを見るたびに、羽嶋の父親である博文の地下仕事部屋にあるメッセージが僕の脳裏を走り出す。
「あいつらが、あのメッセージに書いてあったグレートオールドワンか?にしても、何で羽嶋の親父さんが鬼原組にいるんだろうな」
「でも何も心配しなくていいと思いますよ。何せ坂東先輩が居ますから」
「そうかい、そうかい。…とりあえず、まずは建物の中を把握しておいた方がいいな」
蔵田は茂みの中から出て行き、壁の案内板に描かれてある地図を見つめた。
「どうやらこの病院はこのデカいドーナツ型の病棟に囲まれた部分の中にもう一つ病棟があるらしいな。ドーナツ型の病棟には東側病棟と西側病棟で分かれていて、それぞれ5階まであるぜ。中央病棟は下部と上部で二つに分かれていて、尚且つ東側病棟の3階からしか中央病棟の下部に入れないらしい。中央病棟の上部へは下部から直接エレベーターで行くしかないけどな」
という事は、中央病棟に癒依と藍香がいる可能性が高いという訳か…確かに羽嶋くんのお父さんがメッセージであれほど「助けてくれ」と頼んでいたから重要そうな所で監禁されているのかもしれない。
にしても、何で僕の妹が監禁なんてされているのだろうか。この冴川区の異変に巻き込まれた前にも言ったが、彼女らはこの病院に入院していた。あいにくあの時は学校の途中だったので彼女らが病気になった状態と病院に運ばれる所を直接目にしてはいない。
…やはり後で考えよう。まずはどうにかあの怪しい男達を避けながら3階まで向かうのが今向かうべきルートだ。
「じゃあまずはどっちから入ります?ここから西と東の病棟の入り口が一つずつありますが…」
そう…それが一番の問題だった。下手に入口から入れば怪しい男達に見つかってしまい、何されるか分からないだろう。だが、多少リスクは残るが比較的に安全に侵入できる方法ならある。
…周りにいる悪魔は全て弱い部類だ。これなら行ける…
「ん?葉月、お前なんかいい考えでもあるのか?」
蔵田と稲見に僕が考えた侵入方法を話した。
その侵入方法とはまず、なるべく強く窓を叩いて音を立て、見張りの兵士を引き寄せる。次に、その兵士が窓を開けた途端にその兵士を気絶させて兵装を奪い、それを使って変装して窓から侵入する。
多少強引な方法ではあるが、少なくとも真正面から入るよりは安全だろう。
「つまり一階の数少ない窓を叩いて中にある奴を誘導して、窓を内側から開けさせるのか…でも、もしかしたらすげー警戒しながら多人数で挑んでくるかもよ?」
「それは大丈夫だと思いますよ。だって、ここら辺にいる弱い悪魔が叩いたと認識すると思いますし。それに、もしあのあいつらが羽嶋先輩の言っていた集団の内の一人ならばそこまで警戒していない筈です」
「…ホントに大丈夫か?」
――◇――
蔵田は強すぎない程度の力で窓を"ゴンゴン"と叩いた。その時の表情を伺うと若干不安な表情をしているが、まぁ大丈夫だろう。叩き終えた後、すぐに僕達は壁に張り付き身を潜める…
……足音が近づいてくる。だが、逆に言えば足音以外ただ何も聞こえなかった。静寂の中から近づいてくる足音に圧倒されている内に"カチャッ"という音が響く。すると、今度は不快な金属音を鳴らしながらゆっくりと窓が開いた。僕の心臓の鼓動は段々苦しむように速くなっていく。
――………今だ!
兵士が窓から顔を出した瞬間に蔵田は彼の胸元を掴み窓の外から強く引きずり下した。その力は兵士が悲鳴すらことすら許さないと言わんばかりに強かった。男は頭を強く打ったのか気を失っている…
「さっさとこいつから服を奪おうぜ。見た感じ葉月にピッタリ合いそうだけどどうよ?多分俺には小さすぎると思うけどな」
「別にいいですけど遠くでやってくださいね…」
「ヘイヘイ、分かってるよ」
――◇――
僕と蔵田は、稲見とは離れた場所で男から兵装を奪った。その兵装は、サイズから見ると僕と似ている様だ。
「いや、まぁ…確かにこの兵装がお前にピッタリ合いそうなのは把握できるけどよぉ…これじゃあ、一人しか侵入できなくねぇか?」
しまった!確かに彼の言うとおりだ。僕は思わず混乱したが、少し考えを落ち着かせると一つの案が浮かび上がった。東側病棟の1階の入り口の壁を叩くなりして合図を送ればいい。そうすれば、とりあえず3人一緒に入る事が出来る。
「はぁ?マジでそういう手しかねーのかよ…ったく、しゃあねぇなあ。早く着替えねぇといい加減、不審に思われるぜ。他の奴の指示で言ったかもしれねぇからな」
僕は溜息をつきながらもに私服の上から兵装を着た。
…ヘルメットを被っているからそうそうバレないとは思うが、着心地が余りにも最悪すぎた。確かに機能は充実しているし、それに同じ兵装を着ているので個人によって差が出る事も了承しているのだが、まさかこれまでに着心地に差が出るとは思ってもいなかった。
ぶかぶかしている上に重いという、色んな意味で救いようのない兵装だ。本当にこんな服で緊張感に満たされながら歩き続けるのかと思うと果てしない感じがする。
「…何かすげぇ着心地が悪そうだな。とりあえず、キツいとは思うけど……頼むぜ。コイツは俺が縛っておいてやるからさ」
文句も言う訳にはいかないので僕はただ頷きながら窓に入り、病院の一室に入った。思っていたよりも清潔感はあったが、恐らくこれは軽い精神病に掛かった時に使われた物だろう。ひび割れや埃とかは目立っていたので綺麗とは言い難い。
僕はそう思いながらゆっくりと扉を開ける…
――◇――
一室の扉を潜ると、宛も洞窟の様な薄暗い廊下の中に兵士が一人待ち伏せしていたかのように立っていた。一瞬にして心臓の鼓動が金槌で叩かれたかのように強く…そして早く波打つ。だが、よく見ると兵士は敵意を全く見せていない。
「どうした?怪我でもしたのか?それとも、幻覚が見える様になったのか?」
僕は波打つ心臓を少し落ち着かせた後に、そっと首を横に振った。
「本当か?最近は我々の間で“突然狂いだす病気”が流行りだしているからな…まぁ、いくら神の御言葉とは言え、今回のミッションは明らかに危険な物だ。鬼原組と激突する時までは生き延びろよ。その代わり、その時になったら命を捧げる気で戦え」
――危なかった
僕の心の中にはその気持ちだけが満たされていた。もし、あの兵士がフレンドリーな性格で無ければ恐らくバレていただろう。
にしても…またもや疑問が生じてしまった。彼らは『鬼原組』ではなかったのか?一体、いくつもの組織がこの悪夢に関わっているのだろうか?そして、彼らはどんな目的を持ってこの悪夢の中で組織を存続させたのだろうか?その答えを今知る方法は算数を知らぬ子供が数学の問題を次々とこなす事と同じ位に無理があった。
だが、今自分が目指すべき道はなんだろうか?そう、それは東側病棟で友人達に合図を送る事だ。さぁ、脚よ動け。少なくともこんな悪夢の中でうなされながら死ぬのだけは勘弁だ。
――◇――
兵装によって重くなった脚を動かしながらも僕はなんとか東側病棟の入り口前まで辿りつく事が出来た。すると、丁度そこにいた一人の兵士が僕の方を向くと片腕を上げながら近づいてくる。そして、彼は都合の良い事を言ってくれたのだ。
「おい、お前もう交代の時間はとっくに過ぎてるぞ。俺は仮眠室で寝るからここの警備は任せた」
兵士はあくびをしながら足早にこの場を去った。なんて僕は運がいいのだろうか。この状況に限って2度も幸運を手に入れるとは…さぁ、これが終われば最初の関門は終わりだ。僕は自動ドアのすぐ横にある壁をトントンと2回叩いた。すると、その自動ドアから蔵田と稲見が悠々と入っていく…さぁ、もうこんな服とはオサラバだ。僕は足手纏いとなった兵装から解放し、私服だけという快適な状態へ戻り、そして彼らを出迎えた。
「第一関門突破おつかれさん。よく頑張ったな葉月」
「それじゃあ次のルートは……そう、3階から中央病棟に入るんですよね。じゃあ、向こうにあるエレベーターに乗れば…」
稲見が指を指した方には、すぐ近くにエレベータがあった。僕はこの病院のセキュリティレベルの低さに目を疑う。だが、それは確かにあった。僕は恐怖からの解放に喜びながら蔵田と稲見と共にエレベーターに入る。
「ん?何でこんなに嬉しそうなんだ?葉月」
「先輩はクラスメイトの親友の気持ちすら理解できないんですか?敵と戦わずに済むのは嬉しいでしょ」
「あぁ、そりゃあ確かになぁ」
――◇――
エレベーターは3階で止まり、扉はエレベーターを小刻みに震わせながらゆっくりと開く。エレベーターを出ながら首を軽く回して辺りを見回した。だが、見えたのは相変わらず薄暗いトンネルだ。中央病棟への入り口を探さんと後ろを振り向けば、エレベーターの真横にそれはあった。
「おっし、このあたりに見張りはいねぇ様だな――んじゃ、早く中に入っとくか」
蔵田が引き手に指を掛けて横に引こうとするとそれは石像の様に動かない。「あれ?おかしいな…」と呟きながら、扉を押したり引いたり上げたり――遂にはストレスを解放させるように扉を殴るが、それは扉のその頑丈な材質の前には彼自身の痛みを生じさせる事しか能が無かった。
「いってぇ…こんなボロ病院にしては硬すぎるだろ…」
――そこでなにをしている…
その途端に後ろから声と共に恐ろしい覇気を感じた。どうやら見張りの兵士に日本刀を突き付けられているらしい。
僕は心の中で呟く事すら困難だった。何故なら、僕は恐ろしく力強い恐怖に身体、精神共に削られる様に削られていったからだ。間違いなく僕は死の対面にいる…
「……」
兵士は沈黙していた。ただ、沈黙していた。余りの恐怖の前に最早、僕は死を覚悟する余裕すらない…時間が経つに連れ、気持ち悪くなる程に息が荒くなっていく…
「“天羽教会”の奴じゃなかったら俺を恐れるな。俺はやつらのスパイだ」
それはあの兵士が言った言葉だ。天羽教会――それは京崎ショッピングホールにて春山が言っていた言葉だ。つまり見張りの兵士が天羽教会の連中でこの男だけが違う――少しは気が安らかになったが、それでも余りにも気が動転しているが故に安心する余裕すらない。
「天羽教会の連中以外に俺達の敵は居ないが――第三の組織という可能性もある。お前がここに来た目的を言え。答えによっては手を組んでやる」
ここに来た目的――それは自分の妹を救う事と、ここから医療道具を奪う事のみだ。
その時、男はハッと息を呑んで驚いた。もしかして彼は癒依と藍香についてしっているのか?
「妹だと?お前らは彼女達の兄なのか?――名を名乗れ」
――葉月彰二
僕はただこの名前だけを呟いた。すると、男は何やら考え込む――今の僕の頭にはこの男に対する願いと恐怖しかなかった。とにかく、何としてでも戦闘は避けたかったのだろう。
何分たったのだろうか――いや、5秒くらいだった気もする。男は遂に口を開いた
「やはり協力し合った方が良い」
その一言にとても安心した。この状況で仲間が増えるのならとても心強い。…だが、好条件を出してくれればの話だが
「条件はただ一つだ。"そいつを大切にしろ"」
「……」
僕たちは戸惑いながら黙っていた。何で赤の他人である彼がそんなに、癒依や藍香を守ることを強要する?不可解だ。あまりにも不可解すぎる。
「返事をしないという事は条件を承諾としたとみていいんだな?」
「…本当にこれだけなのか?」
緊張混じりの蔵田の声が彼の耳に届いた。すると納得したように…
「分かった。じゃあ、俺が協力する内容を伝えておこう。一つは、この"ロックの解除方法"だ。もう一つが"安全なルートの確保"…いいな?」
「…分かりました」
「じゃあ、ロックの解除法を教えてやろう。この中央病棟は奴らの実験の場であるが故に、迷惑なセキュリティシステムがある。まずは西側病棟3階にある管制室にあるレバーを引け。すると、全てのエレベーターが止まって更にはブザーも鳴る。だが、階段を使ってフロアの移動ならできる。だからお前達は東側病棟の階段を使って5階にある院長室まで行け。すると、壁に鍵付きの制御ボードがある筈だ。制御ボードの扉に鍵を使って開けた後、そこにパスワードがあるからそれを入力しろ。そうすれば、中央病棟へ行けるようになる。
普段ならばお前達は鍵とパスワード何かしらの形で手に入れなければ行けないが、俺は鍵とパスワードのメモを既に手に入れた。それを使って制御ボードを操作しろ。…それと、制御室へ行く前に院長室へ行っても意味がないぞ。鍵穴のシャッターが閉まっているからな」
男から鍵とパスワードをメモした紙を貰った。パスワードにはこう書いてある…
『24793641』
面倒で中々覚えにくいパスワードだったが、今は覚えることを放棄して大切にポケットにしまう事にした。
「さて、準備はできたか?」
それに対し、全員がそっと頷くと男は「こっちへ来い」と言いながら制御室まで連れた。
――◇――
見張りの兵士に見付かることなく制御室の扉の前まで辿りついた。
「この部屋には監視カメラが付いている。変装してやり過ごそうとしても無駄だ。直ぐにレバーを引け。その間に俺は見張りの兵士共を片付けておく。
それと、連絡用に無線機をくれてやる。何かあったら連絡しろ。そして、俺からも何かあったら連絡をする」
男は無線機を渡す。いかにも普通の形をした長方形の物だった。
「では始めようか。俺は先に動くから、お前らは早くレバーを引け。いいな?」
「分かりました。ありがとうございます」
そう言ったのは稲見だった。どうやら、彼女は既に彼の威圧に慣れたらしい。
すると、男は無言で廊下を引き返していく…
「さぁ、早く行こうぜ」
その一言で僕は二人と共に扉に入り、制御室のレバーの前まで立つ。そこで深く深呼吸をした後、僕はそのレバーを下に下げた。
――ガシャッ
その瞬間にブザーが鳴り響いた。すると、兵士の声が聞こえる…
「さっ、こっからが本番だ!早く院長室へ行け!」
蔵田が叫んだ後には既に僕も稲見も――そして彼も東側病棟の階段まで向かっていた。ブザーの音が脳の奥まで鳴り響く。
――◇――
東側病棟の階段の傍まで辿りつくと何人かの兵士が血に濡れながら倒れていた。稲見は思わず目を瞑る――誰がやったかのなんて予想はついているが、死に怯えて立ち止まる訳にはいかなかった。
「…とにかくまずは葉月の妹を助けることを先決しよう。少なくとも今は怯える暇なんてねぇと思うな」
「はい…」
階段を上り4階まで辿りついたが、目の前に僕たちを絶望に陥れる様な光景が広がっていた…
「おい…これじゃあ辿りつけねぇじゃねぇか…」
そう、目の前に広がっているのは爆発物等で無残に壊された登り階段だ…
「観念するんだな…侵入者共!」
「誰!?」
振り向いた先に立ちはだかっていたのは3人の武装した兵士だった。
「俺達は"夢見る者"の資格すらない下等兵士だが、たかがガキ程度の使う悪魔だったら俺らでも…」
敵が舐めたような口調でしゃべっている間に僕はイザナギを召喚し、3人の兵士の内2人を矛で吹っ飛ばした。その途端に今まで舐め切った態度で話していた兵士はとてもひ弱な態度に移り変わる…
「えっ、あの、その――すいませんでしたァ!武器は全部置いていくので赦して下さいッ!」
兵士は武器を全部投げ捨てて逃げて行った。その武器の中に片手でも扱えそうな長いナイフとメリケンサック…そしてアサルトライフルがある。
「ったく…無様な奴だったぜ」
蔵田がそういうと、男から貰った無線機が鳴っていた。
「俺だ。4階の上りの階段が崩されているのはもう見たか?」
「ああ、もう見たさ」
「そうか。分かっていると思うが、俺はパスワードは覚えているものの鍵までお前達に渡してしまった。だから、俺は敵の殲滅に集中してセキュリティの解除はお前たちに任せる。だから、俺は5階の階段のすぐ傍の窓にロープを吊るしたからそこから5階にあがれ。俺はそのロープで1階まで下りたがお前達から言う事はあるか?」
言う事――といえば、アレがあった。羽嶋に『包帯とギプスと軟膏』を頼まれていた事だ。薬剤保管庫は1階にあるから丁度いい。僕はそれらを取ってくる事を頼んだ。
「そうか、分かった。ついでに取りに行ってやろう」
男はそう言い、無線を切った。
「アイツ確か、この階段の傍にある窓にロープを吊るしたって言ったよな?って事は…」
蔵田と共に僕は後方の右側にある窓を振り向いた。すると、そこには男が言った通りにロープが見えた。
「じゃあ、これを上って5階まで行けばいいんですね。行きましょう」
――◇――
僕たちはロープを伝って5階まで辿りついた。前には院長室に繋がる扉がある…
「フゥ…意外にあっけなく辿りつけたな。とにかく中に入ろうぜ」
扉に近づいた途端に、微かに誰かがいる気配がした。誰がいるのかは定かではないが、警戒は必要だ。僕は注意深く扉をあける…すると、広々とした部屋の中に誰かが本棚を漁っている姿が見えた。だが、それよりも驚いたのがその姿の主が見た事のある人物だという事だ。
「ん?誰だ――」
そういいながらさっきまで本を漁っていた姿がこちらを振り向くと、その姿は「あっ!」と声を上げながら驚いた。そう、本棚を漁っていた姿の正体は――“春山学”だ。
「また貴様らかっ!」