第十三話 崩壊
なんということだ――私は坂東淳子という化け物女に見つかり、奴の目を眩ませる為にあの冒涜的で名状しがたき兵器である線香手榴弾を全て使ったが、それでもあの化け物女の強靭なる精神力によって全てが水の泡になった。
だが、不幸中の幸いだった……坂東淳子は捕まえた私に丁度、後ろから着いてきた若い男を見張りとしてよこしたのだ。その見張りの名は風間将十というが、あの太宰治が書いた『人間失格』の内容を全て暗記できるまでに朗読し尽くした私なら分かる。あの見張りの男は"ダメ人間"だ。話さなくとも分かる。私には極限までに熟された魔術的才能があり――そう、人からオーラーが見えるのだ!そのオーラーを見ることによってあらゆる人物の能力が分かる!
……というのを坂東彰人に話すと、鼻で笑われながら「人間失格を暗記をする必要ないだろ」と言われるのだ。馬鹿言え!読み尽くしたからこそダメ人間オーラーの見分けがつくのだ!愚か者め!
とまあ、私はあのダメ人間になんと言って躍らせてやろうか――いや、考えるまでも無い。わたしの頭が自動的にその答えを導き出してくれるからだ。
「おい、そこのお前。いい話があるんだが・・・まずは私を開放してくれないか?そしたら、それを教えてやる」
「あんたを逃して淳子ちゃんにぶっ殺されるよりはマシだろ。それに、あんたは淳子ちゃんに300万円も借りっぱなしなんだって?しかも、1年半もその状態らしいなぁ。そりゃあ、淳子ちゃんにぶっ殺されて当然だろ。諦めな、春山さんよ」
くそっ――やはり、淳子からの制裁は免れないか。だが、せめてあれだけは――!
「じゃあ、ここで話してやろう。お前は天羽協会の教祖である天羽勇生の"娘"のことを知ってるか?恐らく、天羽勇生自身は天羽協会を吸収した目的がハスターを復活させるためだと思っているだろうが、それは大きな誤解だ。鷺月の本当の目的は天羽勇生の娘そのものだからな。何故なら、彼女は地球に幽閉された神を運ぶ器となれるからな」
わたしは得意げな表情を見せながら、それを言った――が、風間は笑う所か、無表情――つまり、失笑の表情を浮かべた。そして、彼は私にこう言った。
「あのなぁ、自分では格好つけたような気分で話していると思うけどな――お前の言ってることさっぱりわかんねぇから。頭が良い発言とか、頭の悪い発言とか、そういう意味じゃなくて」
……笑えない。流石に、笑えない。ここまで言われると、流石の私でも失笑する。あまりの喪失感に――
「――とりあえずだ。理由は話せないが、天羽勇生の娘を探さないと鷺月京谷の思い通りになるという事だ。監視はつけても良いから、彼女を救出する手助けをしてくれないか?」
「分かったよ。とりあえず、お前の後を付いて行って適当なところで止めればいいんだろ?それなら、まぁ大丈夫か」
説得は終わったが、それでも私はあまりの喪失感にため息を吐かずにはいられなかった。まぁ、あとは天羽勇生の娘を探すだけである。
さて、私の探知能力によると――彼女は私から見て右手の方にある廊下の突き当たりにいる。まぁ、これだけの距離ならばあのダメ人間にうるさく言われる心配は無いだろう。一言、二言のやかましさは出ると思うが。とにかく、善は急げだ。早くそこへ向かって天羽勇生の娘を助けてやろう。と、私は風間を連れるように一刻も早く廊下の突き当たりの壁まで向かい、そこへ立ち止まった。
「間違いない、ここにいる ――」
「はぁ?ただの壁じゃねぇか――ついでに言っておくけどなぁ、俺をなめねぇ方がいいぞ。俺を引っ張りまわして、その隙に俺から逃げようとしても無駄だぜ?俺はこう見えてもな、数々の伝説を残してんだよ。例えば……淳子ちゃんが健康診断の時に背中の四次元ポケットにあの刀を入れっぱなしにしていたせいでいつもの体重より8キロも加算されてしまった事を突き止めたとかそういう例だなーぁ。んと、ついでにそれをあんたも知ってる若の――」
なんということだ……面倒くさい!ウザい!というか、この仕打ちは酷すぎる!
天羽勇生の娘探しの途中で坂東淳子から必死で逃げ惑い、挙句の果てには、伝説と書いてレジェンドとか――そういう話を聞かされる羽目に・・・もう、ここは論より証拠だ!
私が壁紙を引っぺがすと、独り言のように自慢話を繰り広げていた風間の口が止まった。そう、壁紙の中には常人が見れば吐き気を覚える程の黒い肉壁が剥き出しになっていたからだ。
「はぁ?」
――◇――
ふと気が付くと目の前に恐ろしい雰囲気しか感じない、黒いコートを着た男が見える・・・いや、待てよ。確か僕は、ハイエロファントに反撃しようとしたら心臓を貫かれ――死んだはずだ。だが、貫かれたはずの心臓は塞がっている。羽嶋にも腹に槍を貫かれた事を表すかのように、そこの服だけ破れているが傷跡は一切見当たらない。これはどういうことだ?
「貴様らの様な者はここで手放すにはもったいなさ過ぎる――故に私は、あの絶対に癒せない傷を癒してやった。グラーキはともかく、まさか、オトゥームやハイエロファントまでやってくれるとは思いもしなかったぞ」
鷺月京谷は常に笑っていた。僕たちを見下すように――嘲笑うように――その笑いからは殺気以上に恐怖を感じるものがあったのだ。しかし、二人だけその恐怖の前にも胸を張って、鷺月の前で立ち上がっているものがいた。
それは蔵田と羽嶋だ。その内、羽嶋が震えたような声で鷺月に問いかける。
「お前が鷺月京谷か?」
「ああ、そうだ。私こそが鷺月京谷――邪神"ナイアルラトホテップ"をこの身体に宿した者だ」
「じゃあ、俺の質問に答えろ……お前は何が目的だ?」
「鈍いな。貴様らはまだ気づいてないのか?この世界に恐怖と絶対なる破滅を与えるという目的をな。正確には宇宙の全てを混沌に返すということだが――」
「お前こそ気付いている筈だ!俺はお前が親父を殺そうとする目的を聞いているんだ!」
「……フッ。それを望んでいたのはお前だぞ。だとしたら、憎むべき相手が違うのではないのか?私は願いの一つや二つを叶えようとしているだけだ」
「確かに俺はあの時親父を憎み……そして消えて欲しいと思ったよ……でも俺は……!」
震えたその唇からはそれ以上声は出なかった。そんな羽嶋を見て鷺月は更に微笑む。
「だったら、実際に試してみるか?お前の父親――羽嶋博文を、今ここで殺したらどうなるかを」
鷺月は右腕の袖を捲くった後、その腕を横に伸ばした。が、その後の光景にはこの短い時間の間に何度も修羅場を乗り越えてきた僕――だけでなく、彰人や白河ですらも目を丸くせざるを得なかった。
鷺月の右腕は人間的な肌色から何もかもを全否定するかのように禍々しい黒色に変色し、ぐちゃぐちゃという気味の悪い音を立てながら、雫の様な肉片をポタポタと床に落とした。彼がその右腕を元通りの肌色に戻した後に、捲くられた黒いコートの袖も戻す頃には床に落ちた黒い肉片はどんどんと形と色を作っていき、最終的には十字架に架けられた博文の形になった……
「おやじ……いや、父さん……」
羽嶋の小さな叫び声で僕は確信した……間違いない――黒い肉片によって形作られた目の前にいる形は間違いなく、博文の形ではなくて、博文そのものだったのだ!
博文は目蓋を閉じたまま、口を開いてこちらに語りかける……
「すまない、孝治――僕はお前の気持ちすら考えてやれずに、厳しい言葉をかけてしまった。そんな些細なことで僕だけではなく、お前まで巻き込むことになって……
孝治、僕は死ぬかもしれないが絶対に諦めないでくれ。そして、せめてお友達の妹さん達だけでも救ってくれ――それが今の僕の願いだ」
「父さん……そんなこと言わないでくれ!絶対に……絶対に俺が助けてやるから!」
喉を振り絞ったように掠れた声で放った言葉の後に、羽嶋は鷺月に目掛けてハイエロファントの槍を刺した――が、腹を貫通させても鷺月は平然とした顔だった。赤い鮮血すらも出てない……彼は羽嶋を蹴飛ばした後に、貫通した槍を取り上げ、博文の正面に立った。
「ハイエロファントの槍――どうしてこの槍が癒せない傷を生み出せるようになったか知っているか?そう、ハイエロファントはこの槍で恐怖に染まった者を何人も葬ってきたからだ。恐怖に染まった怨霊は、仲間を増やす為に傷を決して癒せないようにする――だが、もし彼らが恐怖に屈せぬ強い魂を目の前にすればどうなる?答えは簡単だ……」
鷺月は博文の心臓を黒い槍で貫いた――その光景に羽嶋は叫び声すらあげなかった。
「平凡な槍へと変わる――」
鷺月は博文が胸から血を流し、完全に死んだのを確認すると彼の胸から槍を抜き、それを羽嶋の方へ投げ捨てた。
「この悲劇はまだ序曲だ。だが、その先の悲劇を完成させるには余りにも人数が多すぎる」
そういいながら、鷺月は満月が覗く窓から下を見渡した。下にはまだ戦いの戦火が広がっている……。
「やはり少々熱くなりすぎたな。だから冷やしてもらおうか。天を制する者"イタクァ"にな」
彼が軽く指を鳴らすと、途端に全身から寒気を感じた。だが、その寒気はこの悪夢で何度も感じた物とは違う……。だが、窓に突然張り付いた氷で分かった。
恐怖を味わったから寒気が生じたんじゃない、本当に寒いんだ!
「もはや、私に抗う者は貴様らだけで十分だ。だが、貴様らはわざわざ苦痛を味わってまで私に抗う必要は無い。下台総合通信塔へ行けば、こんな悪夢からすぐに出られるぞ……、それでも私に抗う気があるなら――"日が明けるまでに" 金岡火力発電所"にいるイタクァを倒し、"冴川市役所"に向かえ。さすれば、貴様らを完全に敵と見なすと共に葉月癒依を返す機会を用意しよう」
鷺月京谷はそう言い終えた後に、全身の肉体を漆黒の禍々しい色に変え――そして、身長4メートル程の3本足で立っている顔の無い人型の怪物へと姿を変貌させた。
その怪物は……最早、口では言い切れないほどおぞましい姿をしており、あまりの恐怖に全身がギプスで固定されたかのように動かせなかった。が、恐怖の裏側には微かに罪悪感と絶望、そして憎悪という三つの感情が心の内を駆け巡っていた。
――◇――
気が付いていたら、僕たちは音楽堂から出ていた。とても寒いし、皆が何かを喋っているというのは分かるが――視界が歪んで廊下の細部は全く見えないし、耳からはノイズがとても大きい音で聞こえた。
「この様子からすると――風間さんも……あの借金野郎も氷漬けになったのね……」
唯一はっきりと聞き取れた声が、それだった。その声は涙声だったので、声の主を突き止めるのには少しの時間がかかったが、その声は間違いなく淳子のものだった。
正直僕は驚いた――あの人にも泣くという事があるのか……。
ぼんやりした思考の中で僕が思ったのはこれが最後だった――
――チーン……
その音と共に僕の意識は全てがはっきりと戻った。そう、目の前のエレベーターのドアが開き出したのだ。その中に入っていたのは――"春山学"と黒い服を着たショートカットの若い女性を抱えた"風間将十"だった。
「はぁ?」
「やっぱり生きていたのか……、すまないな。実はこのダメ人間、私が大活躍するところを見せたら『はぁ?』しか言わなくなってしまったものでな。それで、なんで泣き顔を私なんかに晒しているのだ?まさか、ついに借金をチャラにするという話を――」
春山がそう言おうとした時に、彼の喉元に刀の刃先が当てられた。どうやら、調子に乗った春山の言動が淳子の逆鱗に触れたようだ。刀を向ける淳子の目は殺気に満ちていた。
「って、おい……、私が何したって言うんだ。そうか!分かったぞ!ついに利子として私の魂を要求するようになったか!ついでに私は知ってるぞ!お前の持っているその刀のせいで、お前の体重が普段よりも8キログラム加算されてしまったこともな!」
「……調子に乗るのも大概にしろよ……」
「ひいぃ!まさか、私を本当に殺すつもりだなっ!だが、私を今ここで殺したら、鷺月京谷に本当に勝てなくなるぞ!」
「鷺月京谷に勝てなくなる――?」
その言葉と共に、血走ってた淳子の瞳が治まった。春山が安堵の息を漏らすと、淳子はまた目を鋭くさせて「まさか私を油断させようって思ってないでしょうね ――」と彼を疑った。
「いや、春山の言ってる事は信用していいと思うぜ」
そう言ったのは、風間だった。そういえば、彼らはどうやって氷結を免れたのだろうか?生きているに越したことは――まぁ、無いが。
「とりあえず、あんたらの言ってることを信じてみるからよ――下に降りてから話してみねぇか?これ以上、ここにいるのはアブねぇ気がする」
蔵田の一言によって、この場での話がつき、僕たちはエレベーターを降りることにした。
エレベーターの窓から見えるのは――都会の夜空にしては不自然なほど多い星や明るい満月……そして、その光に反射する魔性の氷河――その景色は確かに美しかったが、同時に禍々しさも感じた。僕はこの美しい氷河が許せない。だから、絶望を超えて再び立ち上がるのだ。
オリオン座に属する星であるベテルギウス――その星はいつもより輝きを増しており、恐怖への抵抗の時を告げていた……
END Before Part story...
and to be continued...