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第十二話 法王

 廊下の奥の方にあったエレベーターに乗ると、そのエレベーターは70階――つまりは最上階まで繋がってあった。ということは、このエレベーターに乗れば全ての黒幕――つまりは鷺月京谷に会えるという訳か。正直、彼に会うのは物凄く怖いが、この悪夢から脱出するまでに彼を止めないと、二度と平穏な日々は送られなくなるだろう。だが、その前に僕たちは白河からの話を聞かなければならない。彼はエレベーターのドアが閉まったと同時に口を開いた。


「2005 年12月6日――俺の人生が確実に崩れたのはその日からだな。つまり、俺がまだ小学生だった頃だ。その時は親父が出張中だったので家に、居たのは俺とお袋の二人だった。そういえば、その日の前から妙な夢を見ていたな。というのは、あの"顔無しの黒い化け物"に遭遇しては俺の家の周辺の全体が火事になる光景を見せられた、という内容だけどよ――あの夢が予言だなんて思わなかった。それが起こったのは、ちょうど、夕食の準備ができた時だ。

ところでお前らは"京崎区放火魔事件"については知っているか?そう、京崎区にあった建物が百軒以上燃やされたという一時期は世界中で話題になった事件だけどよ――それはある一人の放火魔によってやられた。あの紅い髪をした――女の様に狡猾で、男の様に凶暴な女――

 そいつが、一人で起こした事件だ。さっきの奴はあの女の名前を言おうとして殺された事には違いねぇが、よっぽどあの黒い化け物は俺にそいつの名前を言わせて欲しかったんだろうな。まぁ、さっきの奴を狂わせたのはあの黒い化け物に違いねぇと思うけどよ――俺はあいつの名を口にする度に溢れ出る様な怒りを感じる――つまり今でも恨んでいるという事だ。あの黒い化け物はその感情を弄んでいるに違いねぇ。

 話は戻るが、辺りが焼け野原だと気付いた時は俺がおふくろと一緒に外に出た時だ。俺は燃え盛る光景と突き刺さる様な叫びを聞いて、耳を塞いだ。だがよ、数え切れない程の声の中で――ただ一つだけ女の笑い声があったんだ。それに気付いたとき、何だろう、と思って声が聞こえる方を向いたら、そこに居たのは当時の俺と同じ位の歳をした紅い髪の女だ。その女の身体は燃えていたが、全く苦しそうには見えなかった。女が俺の方に気付くと、そいつはこっちに指を指しながら、見ていて身の毛が逆立つ程の形相で微笑んだ。

 その途端に俺の家がこっちの方に倒れ出してな――!お袋はそれの下敷きになって死んだんだよッ!俺が泣きながら助けようとした時にも女は笑い出したから、俺はその笑みに計りしれない程の怒りを感じた――そこで俺は、自分の中に悪魔が居る事を悟った。俺が夢見る者だったと気付いた時もその時だっけな。俺は悪魔を召喚して女をぶん殴ろうとしたが、女は自分の名を名乗った後に狡猾な笑い声を出しながらすぐに消えちまった。その時に名乗った名前が――"西園寺蓮"だ。

 俺はその後、火事から生き残ったが、その後の日も夢で西園寺の姿を見た。黒い化け物の正体が"ナイアルラトホテップ"だとも言ったし、そいつが常に俺を監視できるとも言った。俺はその事を他人に話して、そいつがお袋と同じ様な死に様になるのが凄く怖かった。だから俺はわざと人に嫌われる様な事をやって、親父とも話さなくなった。でも、そんな俺でも構ってくれていたのが坂東先輩だった。俺はあの人が居なかったら、恐怖に耐えきれなくなって自殺していたと思う。あの人は俺の過去を知った途端に、自分が俺への気休めになれる様に努力してくれた。

 さて――七十階まで後もう少しだな。おそらく、鷺月京谷は西園寺蓮と一緒に音楽堂に居る。いいか、覚悟して行けよ。あいつらは絶対に俺達をあらゆる手を使って弄ぶ筈だ――ごめんな。そして、ありがとよ。」


 白河の語りが全て終わったと同時にエレベーターのドアが開いた。電子板にはきっちりと『70F』と表示されている。そして、正面に見えるのは音楽堂への大きい扉だけだった。扉の奥からは、まるで僕達を招いている様な雰囲気がする。と同時に、とてつもなく危険な気配もあった。逃げ出したくもなったが、僕たちはもう選択してしまったのだ。さぁ、これで全てを終わらせよう――

 扉の先には電気が一つもついていない薄暗い音楽堂、僕達を見守るかのようにそこを照らす星――そしてステージには一人の物優しそうな老人が居座っていた。老人以外には誰もいない――彼が鷺月京谷なのか?少なくとも、西園寺蓮では無さそうだ。すると、老人は僕たちの心を読んだかのように口を開いた。


「鷺月京谷に会いに来たのか?」

「あんたは――誰だ?」

「わしが天羽教会の教祖である"天羽勇生"だ」


 彼が天羽教会の教祖?ということは、この組織の頂点に立つ人物か――いや、彼からは中田忠義と違って、これっぽっちも恐ろしさが感じられない。本当にこの老人が天羽教会の教祖なのか?

 次に彼に問いかけたのは稲見だった。


「鷺月京谷は一体どこなの――?貴方の部下が死ぬ直前にここに彼が居るって言っていたけど」

「ああ、君達――いや坂東彰人くんが中田忠義を倒したのは見ていた。実際にとどめを刺したのは鷺月京谷だがな。私は彼に感謝している。あぁ、彼というのは中田忠義ではなく、坂東彰人くんの事だ。というのは、中田忠義こそが我々の一族が暗黒に染まったきっかけだからだ。

 私は元々、この教会を運営している資産家だった。しかしある日に、教会に中田忠義が入り込み、彼は他の物と類を見ない怪しい信仰を持ちこんできた。確か、その神の名を"ハスター"と言ったかな。その神は信仰する者に芸術的才能を与えてくれると言った。その言葉に惹かれたのか、一部の教徒が面白半分でその儀式の手伝いをしてしまった――すると、その教徒たちはどうなったと思う?脅しを掛けてまで他の教徒にもハスター信仰の儀式を迫ったのだ。やがて、それは確実に全ての教徒に行きわたり――天羽教会は呪われた組織になったのだ。

 さて、君の質問に答えよう。結論から言うと鷺月京谷はここにはいない、と同時にここには居る。これがどういう事なのか――君達は中田から、鷺月京谷はどの空間、時間、次元の本質などを全て理解しているからそこに同時に存在出来る、という話を聞いた筈だ。そこから推理をすると、完璧には理解できなくとも、大まかには理解できる筈だ。

 それと、私が必死に鷺月京谷が見せた悪夢の中で手に入れた情報だが――鷺月京谷は運命を弄ぶ事ができる。故に、彼にとっては運命すらも暇を持て余した時に使う玩具でしかない。つまりは、君達がここまで来られたのも、生き残ったのも全ては鷺月京谷による"運命操作"だ。だから、彼がその気になれば指一本動かさずに君達を消せる。だが、一人だけそれを免れる事ができる人物が居る。それは――」

「鷺月京谷の能力についてはもうどうでもいい!それよりも親父は何処だ!」


 そう怒鳴りこんだのは羽嶋だ。そういえば、博文の姿も藍香の姿も全く見えない――まさか、ここにはいないのか?天羽勇生は暫く羽嶋の顔を見つめると、途端に青ざめた。体も震えている――


「君は羽嶋博文さんの息子さんかね――?」

「ああ、それがどうかしたのか?」

「まさかとは思うが――君は博文さんと一緒にここに行った事はあるかね?」

「ああ、親父が倒れた日の前日だから――九日前に行った事がある」

「そこで ――きみは――博文さんを憎んだのか!?」


 青ざめた老人――天羽勇生の胸から余りに深すぎる暗黒が付き出た。その暗黒には紅い水が流れ込んでいる――天羽は「娘だけは――どうか救ってくれ――」と言い残し、その場で倒れた。それからはピクリとも動かない――

 僕たちはその光景に息を呑んで警戒をしたが、羽嶋だけは震えながら頭を抱えていた。


「音楽堂?親父に憎しみを抱いたって――?確か――この喋り方について止めるように、と親父に促されて――それで、俺は俺の事に着いて何も知ってない親父を初めて憎んで――いや!そんな筈は無い!だが、あの日から悪夢で黒い化け物――ナイアルラトホテップが出てきた――確かそいつは鷺月京谷の悪魔――

 そうだよ!俺は親父と一緒に音楽堂に行った時に、俺について理解してないのに、その口調を止める様に促した親父に『消えて欲しい』と思ったんだ!その思考が鷺月京谷によって願いとして、今叶おうとしているんだ!あの日から、何度も白河と同じ様に、顔が無い黒い化け物が夢に出てくる夢を何度も見たんだよ!

俺は――なんて馬鹿な事を――」


 後悔の渦に呑みこまれた彼を嘲笑う単調なフルートが部屋中に響く――  そのフルートは下台区突入の時に聞いたものとは違い、ある所から一つだけ吹いてあるのが聞こえた。そう、胸を槍に突かれて死んだ老人が座っていた椅子の後ろから。少しの時間が経った後にそのフルートは椅子の後ろから前に回った。そのフルートの持ち主は――天羽教会の兵士が着ていたアーマーを着ていたので、すぐに天羽教会の兵士かと思ったが、明らかにそれらの兵士とは雰囲気が違う――というのは、ヘルメットについてあるアイガードのせいで顔は見えないが、中田忠義を食いつくしたネズミと同じ恐ろしさを感じるのだ。その兵士はフルートを口元から外した後に、思ったよりも若々しい声で――しかし、僕達を全否定する様な恐ろしい声で口を開いた。その言葉は羽嶋の耳元に塩酸の様にじわじわと入り込んでくる。


「ついに気付いたか、羽嶋浩二。ああ、そうだ、貴様らにとっての全ての始まりは、羽嶋が実の父親に向かって失礼極まりない――そして、その優しさを無視した様な思考をしたからだ。だが、それでもそれは貴様の願い――故に鷺月京谷はその願いを叶えようとしているのだ。さぁ、喜べ――もうすぐ、貴様が願いを唱えたこの場所に鷺月京谷が現れ、貴様のその願いを叶えてくれるぞ」

「そんな――そんな!俺はそんなこと思ってないぞ!」

「どうした?たった今、自ら言ったではないか?ここで実の父に消えて欲しいと思った、とな。五番目のフルート"ハイエロファント"と名付けられた私の前でつまらぬ事はほざかぬ方が良いぞ」


 五番目のフルート"ハイエロファント"――その名を聞いた途端に白河は何かを思い出したかのように驚きの声をあげた。


「五番目にハイエロファント――そして、フルート、か。気を付けろ!あいつは鷺月京谷直属の部隊であるAFTアフトゥの兵士だ!常に全力で掛からないと絶対に殺されるぞ」


 "ハイエロファント"――その名前の意味そのものは"法王"だが、その言葉と5番目という数字を結び付けて、むかし、自分がタロットカードに興味を持っていたのを思い出した。

タロットカードとは大アルカナにあたるカードと小アルカナにあたるカード――合わせて78枚あるカードの種類や方向で様々な占いができるカードの事だが、これから話す推測に出てくるカードの種類に恐らく小アルカナは出てこないだろう。なので、これから大アルカナについて説明しよう。

 さて、大アルカナとは――全部で22枚あり、一つ一つが個性的な意味を持っているカードだ。カードの絵柄なども、トランプの様な、1,2,3――などの数字の連続ではなく、マジシャン(魔術師)、フォーチュン(運命)、などの、何気なく覚えようとすれば、覚えるのが困難になるカードの連続だ。

 その中の、ハイエロファント(皇帝)は大アルカナの内の5番目に当たるが、そのカードが正位置の時には『落ち着いて物事を見る事によって、新しい道を見つけ出したり、広い視点と人のつながりを尊重したりする』という意味が込められている。いくつか、羽嶋に当てはまる節が見受け当たるが――自らの過ちに気付いた自分に立ち直れない羽嶋は、むしろ法王の逆位置の時の意味である『不安定な状況に視野が狭くなり、悲観的な立場に立ってしまう』という言葉に当てはまっていた。

 つまりは、鷺月京谷は自分の軍隊に大アルカナと同じ名前を付け、それが当てはまる者を付け狙っているというのか?だとしたら、本当に羽嶋は危ない。このまま、ハイエロファントに追い込まれたら、間違いなく、羽嶋は強い後悔を抱きながら殺されてしまうだろう。本当は羽嶋の危険な人格が、精神的に追い込まれたが故に表へ出ただけだと僕は信じている。

 だが、この推測には一つだけ矛盾点があった。それは、大アルカナの総数が22枚なのに対して、AFTの総勢は23人だということだ。トートタロットというものでは、普段の大アルカナに、ユニバーサル(宇宙)、エターナル(永劫)、の二つのアルカナが加えられているが、そしたら24枚――逆に1つ多くなってしまうのだ。

 だが、どちらにせよ、羽嶋が危険なのには変わりがなかった。戦闘中の余計な推測はやってはいけないのだ。その推測で油断が生まれれば、それこそ本末転倒だ。 僕はさっそく、あらかじめ持っておいた鉈で、ハイエロファントと名乗るその素顔が見えない兵士に、今にも斬りかかろうとした。が、彼はそれに勘付いたのかこちらをそっと振り向いた――そう、ただこちらをそっと振り向いただけだ。瞳すら見えぬのに、そのヘルメットを被った顔からは、空間を捻じ曲げる程の勢いの悪意と殺意を感じ、僕は思わず硬直した。オトゥームのそれすらも退けた蔵田でさえも、息を呑んだ後にその場で立ち止まった。


「鷺月京谷の従者に過ぎぬ存在でも、私を侮ってくれるなよ?この四次元宇宙の守護神である――ベテルギウスに住んでいた"旧神"のありかさえ見つければ、私一人でもこの宇宙を滅ぼすことは可能だ。鷺月京谷が出るまでもない。もしも――次に私の邪魔をしたら、私の手にある、この槍で胸を貫かれると思え。そう、あの老体のようにな」


 改めて見ると、ハイエロファントの、暗黒そのものと思える程に黒い槍には、所々に赤色が混ざっていた。やはり、天羽勇生を殺したのは、彼だったのだ。だが、本当にこんな恐怖の前で、僕たちは羽嶋をどうやって助ければいい?今まで出会った敵は、確かに人の心の弱みに付け込むような者ばかりだった。しかし、今回の敵であるハイエロファントは、鷺月京谷直属の兵士であるが故に――圧倒的な貫禄と強さを誇っていたので、人を追い込むことに関しては隙も与えなかった。


「貴様は、他人が勇気を出してまで言い放った――愛、という本意をあしらってきた。それも何人もだ。しかも、それから逃げるかの如く己を醜く変貌させ、挙句の果てには恋人からも逃げ、最大の理解者である親にまで嫌悪感を抱いただと?しかも、それまでは少しも罪の意識は感じなかった、とな。貴様はさぞ、独善的な性格をお持ちのようで」


 ただ、そんな敵だからこそ勝てる方法は一つだけ思いついていた。それは――犯した罪、過ち、そして、汚点によって生じた恐怖を受け止め、全力でそれに抗うことだった。蔵田もそうしてオトゥームに勝った筈だ。だが――そうするには、そのきっかけを羽嶋に与えなければならない。だから僕は全力で抗おう。これは賭けではない、恐怖への抵抗だ。そもそも、そうするしか助かる道がないのだから――

 僕はすぐに自分の心の中に溜まっている恐怖を全て振り払い、ハイエロファントに鉈を振り下ろした。が、頭に届く直前に、槍でその攻撃を受け止められた。彼は「言った筈だ。次に邪魔したら槍で胸を貫くとな」と言い放った間際に、すぐに僕の胸を刺そうとしたが、槍の矛先がそこに触れようとした直前に蔵田は左手でそれを受け止めた。そのまま、彼は槍を折り曲げようとしたが、槍のあまりの硬さによって、それは不可能だった。ハイエロファントは蔵田の頭を強く掴み、そのまま地面に強く叩きつけた――よって、彼は頭から大量の血を流したようだが、なんとか意識は失ってないようだ。しかし、ここでハイエロファントが、蔵田にとどめをさそうと槍の矛先を彼のほうに向けた。が、稲美が悪魔――アメノウズメを召喚したおかげで、ハイエロファントの、槍を持っている方である右肩を凍らせて、ある程度の隙を作ることができた。肩を覆っている氷は、すぐに割られたが、白河はその瞬間に悪魔 ――スサノオを召喚し、剣で後ろから彼の背中を貫いた。

 が、僕は決して油断をしなかった。彼は口元から血を吐いたが、くすくす、と笑いながら、その場で立ち上がった。そして、彼はまるで満足したかのような体勢で立ち上がり、致命傷を追った後のものとは思えない程、震えがない声で口を開いた。


「さすがだな。さすがは、鷺月京谷が目をつけた事だけはある。私という存在は地球が生まれる年すらも、最近と思えるほどの太古から生まれたが、私に傷を付けられた者は久しぶりだ。

 ――さて、久しぶりに面白くなりそうだ。なので、私は心をこめて――死ね」


 ハイエロファントが妖しく、そして気味の悪い呪文を淡々と唱えると、辺りの雰囲気は一変し、あらゆる所に人間のものと思われる沢山の腕と眼球が生えた ――あらゆる所というのは、床にも生えていたし、壁にも生えていたし――更には何もない空間にも、生えていたのだ。その気味の悪さに僕は思わず、息を止めたが、気味の悪い腕はそれすらも許さなかった。何もない空間に生えていた腕は稲美の首を強く絞めた。それに気付いた蔵田は彼女の名前を叫びながら、すぐに助けようとしたが、途端に腕に足首を掴まれ動けなくなった。しかし、掴まれた後も、彼はとっさの判断で悪魔――ウィツィロポチトリを召喚し、ビー玉程度の大きさしかない火の玉を複数創り出した。が、一つだけテニスボール程度の大きさの物が混じっている。ビー玉程度の火の玉はまず、稲見の首を掴んでいる腕と自分の足を掴んでいる腕を貫通させてから、他の腕や眼球も貫通させた。その中で、一つだけあるテニスボールほどある火の玉はハイエロファントに向かった。が、それはあっさりと彼に掴まれた後に粉々に粉砕されてしまった。


「なるほど、この火の玉が“トリコ石の蛇”か。親である女神コアトリクエが兄弟によって殺されそうになった時に、兄である月神コヨルシャウキを八つ裂きにする為に使った武器――確かにその名の通りの立派な代物だが、貴様らが少しでも私に怯えている時点でそれが通じる訳が無いのだよ」


 いつまでもやられるわけにはいかない、と思ったので、僕は後ろからハイエロファントの首に狙いを定めて、そこに鉈を振った――しかし、その結果として、最悪の事態が起こってしまったのだ。というのは、確かに鉈はハイエロファントの首に――届く筈だった。が、下の方に顔を向けると、暗闇に混じって鮮血が飛び散っているように見えた。残された意識の中で、じっくりと目を凝らすと―― 僕の左胸には――心臓には――ハイエロファントの黒い槍が刺さっていた。

 そう、僕は心臓を貫かれた――つまりは、全てが敵の思い通り、か。僕はなんて、情けないのだろうか――

 白河はその時に、僕を助けようと全力でハイエロファントを殴ろうとしたが、それもすぐに勘付かれて先に腹を殴られてしまった。


「愚か者め。貴様らは恐怖を目の前にしたが故に、まだ気付いていないのか。あの無数の眼球が何を意味するのかをな。あれらは、私の眼球でもあり、私の眼球でもない。というのは、あの眼球の視界は全て私と共有しており、触覚や痛覚は共有してないから、そう言っているのだ。つまり、この目が行きゆく空間の全てが私の視界だ。もっとも、あの眼球と腕が大量に行き渡る範囲に制限はないがな」


 そうして、話している間にもハイエロファントは腹を殴られた痛みによって全く動けない白河に、ゆっくりと近づいていた。稲美は彼を助けようとハイエロファントを突き飛ばそうとしたが、彼の周りから何とも言えぬ禍々しい気配がし、彼女はそれに突き飛ばされてしまった。


「まさか、宇宙を混沌へ還す魔術を食らって、本来ならば消え失せる物を突き飛ばされるだけで済むとはな。本当に貴様らを殺すのは惜しいが、これも鷺月京谷からの命令だ――」


 蔵田のすぐ近くにハイエロファントが立った後、彼はすぐにでも槍を構えて蔵田の心臓を貫こうとしていた。



――◇――



 俺はハイエロファントに怯えながら――自分の過ちを悔いながら、ただ、見ていた。葉月や蔵田たちが、ハイエロファントに抗いつつも、殺されそうになるところを――だが、その痛々しいほどに悲惨な光景は俺のずたずたになった心を動かすきっかけとなった。確かに俺は親父を無意識に呪ってしまい――結果的にはこの様な悲劇を生み出すきっかけになった。

 しかし――それ故に、ただ後悔するだけの傍観者となって、後はどうする?この様に、更なる後悔を生み出すだけではないのか?そうだ、俺は罪を犯したから、その罪を償わなければならない筈だ。なのに、なぜ、俺はこの光景を黙ってみていたのだろうか。あの兵士に抗う事が命を捨てる事になっても構わない――

 さぁ、あの恐ろしい恐怖を全て払い除けた俺からはオモイカネが自らの所へと還り――代わりに天空の神"ケツァルコアトル"が、俺の身体に宿すことになるだろう。絶対に逃げるものか。絶対にこいつを倒し、親父に謝りに行ってやる。

 覚悟を決めた俺は、この場で立ち上がり――ケツァルコアトルの名を静かに呟いた。俺が悪魔――ケツァルコアトルを召喚すると、ハイエロファントは動きを止めてこちらを振り向いた。その悪魔の姿は、蛇を思わせる胴体に翼が生えており ――顔は白かった。その姿は自分ですら圧倒するほど、雄々しい姿だったが――恐ろしさは全く感じなく、この悪魔から勇気を貰った様な気もした。ハイエロファントはその姿に圧倒するかと思った。が、彼は更に満足したかのような笑い声をあげた。


「面白い――面白いぞ!まさか、こうして立ち上がるとは私も思わなかったぞ!いいだろう――お前には私と一対一で臨む権限をくれてやろう!」


 彼から放たれる、恐怖を生み出す雰囲気の強さが更に増したのを感じると、俺は彼が本気を出したのを察知した。もう、後戻りはできない。まだ使い慣れてない、この悪魔で抗うしかなかった。ハイエロファントがこちらに指をさすと、気味の悪い腕は全てが俺の方へ向かっていった。しかし、俺は少しもその勢いに怯まなかった。むしろ、余裕すら生じたのだ。というのは、ケツァルコアトルはアステカ神話で、学問や文化の創造神であり、人々にとうもろこしの栽培を教えた農耕神であり、雨をもたらす風の神であり ――そして、生と死の神だからだ。

 ケツァルコアトルはこちらにむかってくる腕を囲むように、黒い結界を張った。すると、その結界が消えたと同時にそれに巻き込まれた腕も消え去った。それを見たハイエロファントは感心したかのように、口を開く。


「生と死の神であるケツァルコアトルだからこそできる、死を与える結界か――だが、その結界の限度は私には分かるぞ?半径5mの円形がその結界の限度のはずだ。それ故に私の身をそれで朽ちさせるのは不可能だ。結界を描いてから消すまでの3秒間に、私はあらゆる脚と反射神経によってすぐに避けられるわ。完全に不意をついてもな」


 ただでさえ、強力な力を持っているのに更には能力解析――か。彼の力はどこまで行き届いているのだろうか?にしても、闇の結界を避けられるとしたら、近接戦闘でまともにやるしかないということだ。オモイカネを身体に宿していたときの、風圧を操る能力も残っているが、武器は金岡工場街で拾った鉄の棒だった。それ相手に、漆黒に染まったように黒い槍に抗うのは心細かった。が、代わりに武器となるようなものはなかったのだので、それでハイエロファントと決着をつけるしかない。

 俺は稲美に葉月の心臓の治療をするように指示をした――もう、自分の意思がきっかけで他人を傷つける事になるのは嫌だったのだ。

 さて、問題はどうやって彼に接近するかだ。下手に近づけば攻撃をする前に、槍によって心臓を突かれるだろう。それだけは避けておきたかった。何故なら全員、ハイエロファントと戦える状態ではなかった。というのは、白河も腹が殴られた時の衝撃がよほど強かったのか、未だに苦しくて立ち上がることができないし、蔵田も未だに無数の腕と奮闘しているからだ。

 ハイエロファントの後ろに回っても、上に飛び込んで攻撃することができても、恐らくは反撃されるだろう。だから、最初の一発は、せめて攻撃を受け止められる程度に抑えておきたかった。だったら、その方法が一つだけある筈だ。それは、ハイエロファントが槍を動かした途端に風圧で、彼の腕の動きを少しだけ狂わせることだった。彼のことだから、余り効果は期待しないが、少なくとも心臓を刺されるということはないだろう。

 俺は鉄の棒を構えながら、彼の方へ走り出した。


「つまらんな――後悔から立ち上がったと思えば、正面から走り出すという愚考に走ったか。いいだろう、この暗黒色に染まった、この槍で貴様の心臓を貫いてやろう」


 興が冷めた様な声を放ちながら、向けられたその槍は今にでも、俺の身体を貫通しそうだったが、怯えていては勝てない――俺は走りながら、槍がこちらを貫こうとする瞬間をずっと待った。

  ――5m程度近づいた途端に、槍がこちらに向かって動き出した。その瞬間に俺は風圧操作により、ハイエロファントの正面に突風が吹くようにした。すると、彼に一瞬だけの隙ができた。そこから、俺は全力で鉄の棒を振り落とす――が、やはり予想通り、槍で受け止められてしまった。


「考えたな――羽嶋孝治。しかし――私と接近戦で臨むとは無謀すぎるとは思わなかったか?この槍は、いままで多くの、恐怖に追い込まれた後に心臓を貫かれた者の血を吸ってきた。そんな恐怖に溺れた怨霊を宿した槍の前で――貴様はどこまでいけるのか――

 そういえば、私にも一つだけ不覚を取った点があったな。この槍は恐怖に溺れた音量を吸い過ぎたが故に、悪魔によって治療しても怨霊が邪魔するぞ?つまり、その僅かな治療は単なる寿命稼ぎにしかなるまい」


 そこから暫く、暗黒の槍に変哲もない鉄の棒が抗い続けていた。状況はもちろん、暗黒の槍を持つハイエロファントが圧倒的に優勢だった。しかし、俺もその強大な力に抗い続け――それは永遠に続くのかと思われた。が、やはり強大な存在に、微々たる存在が勝てるわけ無かったのだ。鉄の棒は暗黒の槍によって、ぽっきりと折られた。

 その瞬間を見て、ハイエロファントはにやりと笑う様子を見せた後に、俺の首を強く掴んでそこから壁まで強く投げ飛ばした。俺が痛みに耐える中、あの禍々しい雰囲気を纏った兵士は言い捨てるように罵声を浴びせながらこちらへと近づく――


「強大な存在からすれば、微々たる存在は海に浮かぶ泡に過ぎない。本当に罪の償いの気があるならば、もう少し持ったはずだが――しょせんは貴様もその程度か。それでも、まだ抗うのか?ならば、痛みという恐怖に塗れながら死ね」


 ハイエロファントはこちらに矛先を向けている。反論は全くできなかった。そういう気力が無いだけかもしれないが、恐らく永遠に反論できないと思う。結局、俺は自分で無意識に犯した罪さえ償えずに死ぬのか――だが、死の覚悟は立ち上がったときからもう出来ていた。

 ――それ故に、自殺ともいえるほど無謀な抵抗が、今の俺には出来た。さぁ、俺の身体に矛先を向けろ――ハイエロファント(法王)!

 俺の身体を槍が貫いた――そう、身体をだ。しかし、貫かれたところは心臓ではなく――腹の右中央辺りだ。俺は刺される直前に、心臓を貫かれるのだけは避けるために腕で、槍の行く先をずらしたのだ。しかし、本当の抵抗はこれからだ。俺は焼けるような痛みに耐えながら自分の身体を貫いたその槍を、ぎゅっ、と握り締め、そこから更に自分の方へと槍を潜り込ませたのだ。


「きっ、貴様――まさか!」

「そうだ。俺はお前の槍をこれから奪ってやるんだ。俺はお前に罵倒され、そして仲間が俺を全力で助けたのを見て、死の覚悟も、自分の犯した罪も、全部受け止めてやったさ。だから、死の覚悟を受け止めた微々たる抵抗の恐ろしさをお前に教えてやるよ――!」


 俺は、慌てながら槍をこちらに戻そうとするハイエロファントを蹴り飛ばし――もはや、何が痛覚で、何が触覚なのかが分からない状態の中、叫びながら―― そして、血を吐きながら槍を背中から抜いて、それを我が物にした。そして、ハイエロファントが腹を押さえた後に正面を見た時には、こちらの勝利は完全に約束されていた。

 槍をハイエロファントの左胸のほうへ向け――俺は無言で彼の心臓を貫いた。彼は胸から血を溢れさせながら、夜景を背に音楽堂のステージの上で倒れた。その姿はまるで――

 俺の意識はここで遠退いてしまった。



――◇――



 羽嶋がハイエロファントに勝利し、気を失ってしまった後に、坂東彰人と淳子――そして、癒依が駆けつけてやって来た。彼らはこの光景に驚いたようだった。そして、坂東彰人はハイエロファントと天羽勇生の倒れこんだ姿に目を配った後、口を開いた。


「風間は姉貴に、捕まえた春山の見張りをやらされているから心配するな。それよりも――白河。ここで何があったか説明してくれ。AFT戦闘員と天羽協会教祖――こいつらは絶対に見過ごせるような奴らではないぞ」


 俺はここでの経緯を全て説明した。天羽勇生が中田に踊らされていたことや、彼がハイエロファントに始末されたことや、葉月の心臓が貫かれたこと――そして、羽嶋の無意識に出た人格が彼の父親を危険に晒してしまった原因だという事もだ。


「誰がきっかけだった事はどうでもいい――鷺月に利用されていただけなのは目に見えているからな。それよりも姉貴――羽嶋の腹の傷の治療をすぐにやってくれ」


 淳子が「言われなくともそうしているわ」と答えながら、すぐに羽嶋の治療に取り掛かった。


「まずはお前らがAFT戦闘員に勝てたことを祝福してやろう。あいつらは敵を散々弄んだ後に、紙を丸めるかのように、敵を殺すような奴だからな。

 さて――本題に移ろうか。俺が天羽協会が中田によって操作されていることは薄々と感づいていた。何故なら、あいつが天羽協会を動かしている所を見たからな。にしても、"ハスター"信仰、か。ここであの旧支配者の名前が出てくるのは予想外だったな。まぁ、予想外だという事に特別な意味はねぇが――そいつについては知っているか?知らないなら俺が教えてやる。

 実は旧支配者っていうのは、水・風・火・土の4大元素のどれかに属しているのが多いんだ。稀にどれにも属してないやつが居るけどな。例えば、お前らが倒したオトゥームは水に属していて、ナイアルラトホテップは土に属している。その中でハスターは風に属してあるが――そいつはそれの筆頭だ。あいつは人を狂気に陥れることに関しては誰よりも達者らしいからそうなったんだろうよ。だが、ハスターには大嫌いな奴が居た。それが、水の旧支配者の筆頭である"クトゥルフ"――オトゥームの主だ。

 だから俺は危機を感じるんだ。まさか、天羽協会との戦いはそれを表しているんじゃないかってな」


 その時に、淳子は彰人を呼びかけた。その様子は酷くあせっているようだ。


「これはかなりの重症よ――羽嶋の傷に沢山の怨念が混ざっているから、それが邪魔して治療が出来ないわ!このままじゃ――絶対に死ぬわ」


 その時に死んだ筈のハイエロファントは突然笑い出した。彼は口を開いた後に独り言のように言葉を呟く――


「実に面白い――これが死を覚悟した微々たる存在の抵抗とはな――さあ!もうすぐ、鷺月京谷が貴様らを祝いに姿を現すぞ!そして、貴様らは恐怖を知れ ――」


 彼の言葉が終わると、とつぜん、彼の姿が無くなり――代わりに、黒いコートを着た男が姿を現した。こいつは――誰だ?その姿は間違いなく人間だが、その気配は全く人間のものとは思えない――


「悪夢への抵抗に祝福を捧げ――そして、貴様らに我が名を教えよう――」


 そう言いながら、黒いコートを着た男はこちらを振り向いた――そして、名前を呟いた――間違いない。この男が、悪夢の中で何度も遭遇した、黒いのっぺらぼうの化け物――


「鷺月京谷――」


まとめ


 謎のヒント


* 紅い髪の女について(白河との会話)

* 鷺月京谷について(天羽との会話)

* 天羽教会の正体(天羽との会話)



 新たな謎


* 坂東彰人の不安(彼との会話)

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