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第九話 Othuum

 前に立っていた女性は紛れもなく坂東彰人の姉であり、先輩でもある坂東淳子だった。彼女はすぐに白河に近づき、悪魔の力を借りて白河の腹の傷を塞いだ――


「淳子ちゃん――こんな意味分からねぇ臭いがするガキと一体どんな関係があるんだ?」

「あら、おじさんじゃない。まさかこんな所で会うなんてね――という事はあんた達、彰人に会ったのね」


 風間が陰で「俺はまだ20代だぞ――」と呟いている傍らで、腹の傷が殆ど塞がった白河は倒れ込む体勢からしゃがみ込む体勢へと戻す。すると彼は唇を震わせながら小さな声で「だから言ったろ――」と呟いた直後に今度は強い口調で「俺なんかに関わるから何の関係もねぇあんたまでこうなるんだよ!」と言い放ちながら立ち上がった。

 その言葉の後に強い風だけが聞こえたが、羽嶋は容赦なく白河に「関係?一体、どういう事だ」と問い詰める――すると彼は息を漏らし、無口で不器用だった彼とは思えない程に口を動かした。


「もう天羽教会が大体どんな連中かは知ってんだろ?俺はそいつらのせい――いや、そいつらを暗黒に染めた奴らのせいで何もかもを滅茶苦茶に燃やしたんだ――あの寒かった日の事は今でも鮮明に覚えている。

 親父が仕事で遠くに行っている時にな、"紅い髪をした女"が俺とお袋を嘲笑いながらな――弄びながらな――何もかも燃やしやがったんだよ――!」


 自らの苦しい過去を無理にでも言いだそうとした白河の表情はとても辛いものだった。それを見兼ねた淳子は彼を落ち着かせるかのように白河の肩を優しく叩いた。白河は口を一旦閉じ、吐血した時に付着した口元の血を拭いた後に今度は比較的落ち着いた表情で口を開く。


「その時に俺を救ってくれたのが淳子先輩だった。誰にも危険な目にあわせねぇように先生からも友達からも親からにも嫌われるばかりの事をした俺を何度も守ろうとしたんだよ――何度も忠告したのにな」

「じゃあ、淳子ちゃんが言った昔の後輩ってのが――」

「そう、白河救介――彼こそ私がまだ中学生だった頃の後輩よ」


 すると稲見が「もう少し詳しく聴かせてもらえませんか?」と前を歩きながら白河と淳子に問いかかった。すると白河は「やめろ、あいつらはこの間にも俺達を見ている。もし俺がてめぇらに忌々しい過去を話したら、それこそあいつらによって本当の破滅に追いやられるぞ」と言い捨てた。

 しかし、彼の過去を知ると言う事は天羽教会の正体を知るのと同じだ。そして、この悪夢を生み出した黒幕の正体と目的も――


「もし、どうしてもそれを聞きてぇって言うんなら――あの鎧を着た奴を倒せ。あいつらが齎す恐怖を更に味わったうえでどうしても聞きたいなら教えてやる――仮に無理矢理吐かせても、時間は4時半を回っているぞ。俺なんかと呑気に話していたら、あっという間に夜だ」

「確かあの化け物は"蔵田の欲しい物に近い"って言ってたな。あんな悪生物が蔵田の求める者とは認めたくはないが、どうもあの言葉が引っ掛かる――とりあえず癒依と藍香が殺される前に行くぞ」


 そういいながら、すぐに羽嶋は車に乗ろうとしたが蔵田の「待ってくれ」という一言によって止められた。すると蔵田は顔を引き裂かれた男の体、燃え尽きた男の体――そして、二つに別れた市川の身体に苦しい表情をさらけ出しながら近づき、こう言い放つ――


「先輩――この人たちは白河の様に直せないのか?」


 それを聞いて、淳子は申し訳なさそうな顔つきをしながら「ごめん――傷は治せるけど、死人は治せないわ」と蔵田に告げた。余りに暗すぎる告発を聞いた蔵田は淳子に礼を言った後に近くにあった電信柱に血が出る程強く拳をぶつける。すると、その電信柱は折れた木の如く倒された。


「俺は絶対にアイツを許さねえ!恐怖とかそんなの関係ねぇよ――それを砕いてでもあいつの顔面を叩き潰してやる!」


 蔵田は強く地を踏みながら車に乗ろうとしたが、今度は蔵田が淳子に呼び止められる――


「ごめん――最後に一つ聞いていいかしら。彰人はどこにいるの?」

「――金岡工場街に居ます」

「ありがとう。白河は私に任せなさい」


 そうだ――これまで何度も僕達を支えてきた蔵田の悪魔であるホノカグツチはオトゥームによって首を破裂されたのだった。本当にそんな状態で――いや、こんな不吉なことを考えるのは止めよう。

 僕たちは車に乗り、京崎水族館まで向かった――



――◇――



狂気に満ち溢れたフルートの音が響き渡る音楽堂があった。23人の兵士が狂気の旋律を作り上げ、観客席にただ一人座っている黒いコートを着た男が嘲笑うかのように目を瞑りながらそれを聞いている。

 暫くの時間が経ち、男が瞳を開けた途端に二十三のフルートは音を止め、男は声を放つ――


「感じたか?我が二十三のフルートよ――」


 すると、フルートを吹いていた23の兵士達は歌うように言葉を呟く――


「旧支配者の力を曝け出ししはクトゥルーの騎士オトゥーム――」

「だが、彼の様な力では事足りぬ――」

「彼ら旧支配者の齎す恐怖はこの程度ではあらず――」

「もし、彼らが真に齎す恐怖を見せつけぬならば――」

「我々がそれを見せつけよう――」

「自らの感情に怯えし子を葬るは4番目のフルート"エンペラー"――」

「愛から逃げるが故に自身を滅する子を葬るは5番目のフルート"ハイエロファント"――」

「恐怖と孤独に怯え泣く子を葬るは2番目のフルート"ハイプリエスティス"」

「恨みを全てへと放つを恐れる子を葬るは12番目のフルート"ハングドマン"――」

「運命に縛られしを知らずに恐れる男を葬るは21番目のフルート"ワールド"――」

「自らが愛する者を恐れる女を葬るは18番目のフルート"ムーン"――」

「愛する者を失うのを常に恐れる男を葬るは19番目のフルート"サン"――」

「己の非力を恐れる男を葬るは1番目のフルート"マジシャン"――」

「そして、彼らが"愚かなる戦慄の夢"去りし時には11番目のフルート"ジャスティス"――15番目のフルート"デビル"がそれを妨げよう――」


 その言葉を最後に黒コートの男の嘲笑う声が空間全てに響いた――



――◇――



 京崎水族館――車を全力疾走で走らせてなんとか夜までに辿りつく事ができた。僕たちが車を出た後に、風間は「俺はここで若からの連絡を待っている」と言い、そのまま車の中で待機する――

水族館の入口で僕らを出迎えたのは沢山の悪魔の死体だ。まるで殺戮的な快感を堪能したかの様に殺されている。僕は当然この酷い光景を生み出した犯人の強い気配をもっと先の方から感じた。水に囲まれる広い通路をその気配によって引きつけられるように歩く。そして、フルートの音が一瞬と一瞬の狭間の間で聞こえた時に前方から黄金の鎧を着たオトゥームの姿と圧倒的な恐怖が僕達を出迎えた。


「よく来た。人の子よ――此処に来て、未だに怯えるという事は恐怖に対する耐性は無くとも、それに屈せぬ力は持っていると見ていいのだな?」

「誰がてめぇなんかに負けるかよ!癒依ちゃんと藍香ちゃん――そして、あの3人を返して貰うぜ!」

「まさか、そこまで大きな口を開けるとはな。ならば、その勇気に免じて貴様らが求めている"3人の人間“を貴様らの元へと返そう」


 すると、左の方の水槽から音と共に3人の人影が姿を現す。しかし、その人影はまじまじと見つめると人間の物では無いと気付く――オトゥームは笑った。


「約束通り返したぞ――だが、私が預かっている間は好き勝手にさせてもらった」

「――!まさかてめぇ!」


 僕たちが助けようとした3人の男は全員、人間の面影を多少残していていたが両生類と魚を思わせる緑色の人型の怪物へと変貌していた。


「う、うそ――?」

「貴様――ふざけるな!まさか、あの2人もああなったんじゃないのだろうな――」

「癒依はともかく藍香はああする訳にはいかん。もし生きて取り返して欲しければ水が満ちるまでに私を殺して見せるが良い!」


 オトゥームが指を指した方向には水が段々と満ちる巨大な水槽の中で癒依が助けを求めながら吊るされている光景が見えた。しかし、藍香の姿は見当たらない――

その一方で蔵田は何かを思い出したかのように動揺していた。彼はオトゥームの力に恐れているのだろうか――それともオトゥームからの圧倒的な恐怖に怯えているのだろうか――


「やはり動揺しているな――?蔵田明義。貴様に知性すらない深みの者へと変貌した憐れな人間共を殺せるか?」


 癒依が入れられている水槽の中の水はあっという間に満ちるだろう。これだと後5分持つ程度だろうか――

 とにかくオトゥームは同じ種族の悪魔であるグラーキを遥かに圧倒している力を持っている筈だ。無駄な時間は一切掛けられない。ならば僕は思い出そう、風間から貰ったオトゥームの情報を――



――◇――



「オトゥームの能力については春山の研究データを見た俺と若が予め把握している。エンジン全開で走っているから簡単に言うぞ。アイツは"強力な超能力者" だ。1秒も経たない内に並の人間の精神を崩壊させたり、ビルすらも手を使わずに持ち上げたり、分子レベルで物体を破裂させる事ができる。しかもそのテレパシーの範囲は冴川市全体まで広がっているかいないか位はあるからな――お前らも見ただろう?何度も悪夢を。まぁ、ここ自体が悪夢なのに更に悪夢を見せられると気持ち悪い感じはするけどよ」


 悪夢――という事はさっきまでみていた悪夢もオトゥームの仕業か――だが、そんなこの世の物とは思えない程の力を持った敵を倒す手段はあるのか?


「あいつにもちゃんと欠点はあるさ。それは――"視力が極端に悪い"事だ」

「極端――って、言われてもな――」

「10m先が辛うじて見える位だ」

「――は?」


 一瞬、僕は五感の全てを疑った。目を擦り、耳を彼の方へ向け――そして、言葉を聞いた。


「10m先が辛うじて見える位だ」

「――マジかよ」

「だが、気を付けろよ。アイツは"音"にはかなり敏感で、更には"悪魔"を持つ奴を探知する事ができる。つまり――」


 悪魔を亡くしたお前がオトゥームへ接近しろ――蔵田明義



――◇――



 まずはあの3匹の化け物――いや、人間だった生物を殺さなければならない。次々と飛びかかってくる化け物の攻撃をかわし、イザナギで彼らに斬りかかったが ――途端に全身が麻痺した様な感触が走った。唯一動かせるのは顔だけだが、攻撃しようとした途端に殺されるのは目に見えていた。だが、羽嶋と稲見は何とか動ける様だ――


「深みの者どもをやるのは貴様らごときではない。蔵田明義、貴様だ」

「何で先輩にここまで絡むのっ!?」

「絡む?確かに悪く言えばそうなるな。私は奴の過去に興味を持っただけだが」

「てめぇが俺の何を知ってんだよ!」

「とぼけるな。私が父なるダゴン、母なるハイドラ、そして大いなるクトゥルーから授かった大いなる力を用いれば貴様らの醜き過去なぞすぐに知ることができる」


 蔵田は黙り込んだ。それに危機感を感じた稲見は「先輩!あいつの言葉を聞かないでください!じゃないと――」と叫ぶが、その続きを言おうとした途端に彼女も僕の様に全く動けなくなった。


「――やれ。深みの者どもよ」


 オトゥームがそう言い放つと、3匹の人間だった怪物は蔵田に飛びかかった。彼は戸惑いながらもなんとか怪物を一匹ずつ殴り飛ばしたが、明らかに本気で殴った様には見えなかったので、怪物は次々と襲いかかってくる。羽嶋が「辛い気持ちは分かるが、もうあいつらは化け物だ!本気で殴れ!」と言い放つも蔵田は未だに戸惑いを見せた。


「やはり未だに後悔していたか」


その一言に対して羽嶋は「あいつに代わって聞くが――どういうつもりだ」と聞くと、オトゥームは笑いながら答えた。


「いいだろう、貴様らにも教えてやる。自らの感情を憎んだ蔵田明義の過去をな」

「――止めろッ!」


 そう叫んだ蔵田はオトゥームを殴ろうと拳を向けながら走りかかった。それに対し、オトゥームはゆっくりと蔵田に掌を向けた。


「不覚だったな。オトゥーム」


 その途端に、オトゥームの背後からは強い風が音を立てながら吹き始めた。オトゥームは自らの余りに敏感な聴覚により思わず後ろを向いた。


「これで終わりだ!」


 その言葉と共に蔵田の拳がオトゥームの皮膚が剥き出しになっている後頭部に強く命中した。一瞬、オトゥームにかなりの衝撃を与えられたと思われたが、オトゥームは蔵田の腕を強く掴んだ後、こちらを向いた。その僅かに見える目は明らかに笑っていた。


「甘いな、私の皮膚の強度はこの金には劣るが拳や銃器など通りはせん」


 完全に震えた蔵田の額に手を向けたオトゥームは「見せてやろう!蔵田明義――貴様の恐怖を!」と叫んだ――



――◇――



俺は小学生の時もムードメーカーなのは変わっていない。しかし俺は喧嘩が弱かったのでいつもボコされる。俺はそれが悔しかったので小学校を卒業した後はひたすらボクシングジムに通い、中学に入った後もボクシング部に入った。

そうして俺は今の様に喧嘩が強くなり喧嘩を売られても返り討ちにする事ができたが、同時に悩みができてしまった。


――それは段々部活に入るのが面倒になってきた事だ。


 中2の時までは何とか耐えられたが、中3になってもう嫌になってしまった。



――◇――



 寒い冬の日に朝のチャイムと共に俺は羽嶋と一緒に学校に着いた。


「あー、今日もかったりぃなあ」

「――最近、ずっとそれを言ってないか?蔵田」

「ん?そうだっけ?」

「こっちの身にもなってくれ、少なくとも10回は言ってるぞ」

「あー、そんなに言ってたっけ。俺は覚えてないや」

「ずっと前からお前は放課後になると憂鬱な気分をした様な顔になるんだが――」

「たぶん授業がだるいからなのかな――」

「本当にそれだけなら別にどうでもいいが」

「まぁ、疲れてるのは多分いつもの事だから気にすんなって」


 でも本当は気にせずにはいられない。もう部活をやめたいんだ。退部届けも持ってきた。ウザい後輩も多いし、顧問も何かとうるさいし――でも一人だけ一生懸命にやっている友達が居る。そいつのおかげで今まで止めなかった。でも、もう限界なんだ。今日はあの顧問と面倒な事になるが、これでかったるい生活から逃れられるのなら、もうどうでもいい。あの友達だけには会いたくないが――



――◇――



 俺は退部届けを顧問に出そうと誰もいない廊下を夕日に照らされながら歩く――その時からあいつに出会いたくなかったが、運命ってのは残酷な奴だ。


「おっ、蔵田!なにやってんだ?紙なんか持って」


 声が掛かってきたのは後ろからだ。急いで振り向くと、後ろにあいつの姿が見える。気まずさを感じた俺は返事をすぐに返せなかったが、その時に吉田に紙を取り上げられた。


「おい!勝手に取り上げんなよ!」

「んっと、退部とど――」


 すると、今まで笑みを浮かべていた友達の顔は突然しかめ、荒い口を開く。


「おい!蔵田!これはどういう事だよ!」


 遂に俺は口から何も出なくなった。なんで、こんな都合の悪い時に――!


「おい、答えろよ!蔵田!」

「――疲れたんだよ。後輩もうぜぇし、顧問もうるせぇし――俺はやめてぇんだ。こんな部活をな」

「ふざけんなよ!俺とお前で今まで頑張ったじゃねぇかよ!もう一度考え直せよ!くら――」


 不意に手が出てしまった。その強い力に友達は吹っ飛ばされてしまった――そう、俺が殴り飛ばしてしまったんだ。あいつは頬を抑えながら俺を見つめる――それが嫌になったのか、俺は頭の中が真っ白のままこの場を足早に立ち去り、ゴミ箱に退部届けを強く投げ捨てた。


「クソっ!クソっ!」



――◇――



「その後にお前はこう思った。『友達を殴って後悔したくない』とな。私は私が羨ましいと思ったのだろう?平気で、笑って、単純に誰かを殺せる私をな」

「違う!ただ俺は――!」

「何故未だにそう言い逃れる?ずっと殴られた過去を持っていたお前は、自分が殴った友の姿を見て自分の姿を重ねたのだろう?だからお前はあの時、強く悔やんだ。そして、自分の感情に怯えた。

 お前の過去は面白すぎるぞ」


 蔵田は跪きながら歯を食いしばった。それを全て聞いた羽嶋は少し唖然とした表情を見ていたが、それでも冷静に物事を見ていた。


「あれが蔵田の過去か――道理であの日の後、あいつがやけに暗い顔をしたわけだ」


 確かに学校の時はいつも、ムードメーカーを担当していた明るい彼がこんな過去を持っていたなんて予想もついていなかった。ただ、本当に恐ろしかったのは蔵田が戦意を喪失した事ではなく、癒依を覆う水槽の中に入ってある水の量が彼女の胸の辺りにまで達したからだ。今、動けるのは羽嶋だけ――最早、彼の行動が僕たちに有利な状況を作る事を願うしかない。


「だが、人の弱みを突きつけるには弱すぎたな。オトゥーム」


 その後、羽嶋は蔵田に顔を向ける――


「蔵田!」


 羽嶋に呼ばれた蔵田は顔を下げたまま動かなかった。


「俺はあの人間だった化け物がどうしても“アイツ”と重なって見えて本気で殴れなかった――でもよ――殴る度に、あの時のみたいな重てぇ物がずっしりと、乗っかってくるんだよ――」

「そいつからの伝言だ。『もし、蔵田がまた止めようとしたら言ってやって欲しい。俺と勝ってからやめろ』とな」

「――?」

「あいつもあの時のお前の事情や気持ちも良く知っているぞ。お前の部活の時の親友だからな。お前も確かに感情に怯えたのかもしれない。それよりも強く思ったのは親友を傷つけたことへの激しい後悔と反省だ。それは何年もお前と俺が腐れ縁だから言える事だがな――」


 すると、オトゥームは「こっちこそ何を言っているか聞きたいな。貴様が蔵田の何を知っているというのだ?こいつの過去は私の頭の内に入っているのだぞ」といつもより高い声で嘲笑った。


「なら、お前は蔵田の感情までは読みとれたのか?」


 その羽嶋の一言で鎧の中のオトゥームの余裕な目つきが大きいガラス玉の様に変わった。


「お前は『貴様らの過去なぞすぐに知ることができる』とは言ったが、"感情"まで読みとれるとは言ってなかったな。それでよくも、その後の他人の気持ちを勝手に解釈できたものだ」

「言い忘れただけだ――というと見苦しいな。ああ、確かに私は感情など読みとれん。貴様らの中に渦巻いている激しい恐怖を利用して葬ろうとはしたがな。

 さて――私の口を破ったのは認めるがこれからどうする?貴様らはじわじわと恐怖に浸らした後に聞くも残酷な方法で殺そうと思ったが、楽に死ねる代わりに寿命が短くなったぞ――」

「別にいいさ――お前がどんなに強大な力を持っていても絶対に負ける訳にはいかないからな!」

「なら私は貴様らに絶対的な絶望を与えよう」


 オトゥームが3匹の化け物に腕を向けた瞬間にそれらは全て全身が破裂した。その聞くも残酷な光景には声を漏らさずには居られなかった。声を漏らさなかったのは羽嶋だけだろうか――いや、たった今、誰かの拳がオトゥームの黄金の鎧を破壊しながら顔面にめり込んだ光景が見えた。そう、誰かとは他では無い―― 静かな怒りに満ちた蔵田だ。その拳がオトゥームの顔面から引き離されると、彼の拳からうっすらと骨が見える箇所がある事がまず僕の瞳に映った。思わず右手で顔を抑えたオトゥームを顔を見ると、茶色が掛かった緑色の不健康とも言える皮膚に、瞼が閉じられなくなる程に飛び出している目玉があるのが確認された。オトゥームはすぐに左手で蔵田の腹を貫こうとしたが、すぐに手首を強く掴まれ、更には鎧ごと手首のを林檎を割るかのように握りつぶされた。

だが、それでは癒依を救うのには時間がかかりすぎる。何故なら彼女の体を侵食するかのように迫ってくる水は彼女の鼻の所まで満たされたからだ。その不安が頭の中を巡った時に、蔵田は小さな声で叫ぶように口を開く――


「てめぇ――あんまり俺達を舐めてんじゃねぇぞ!」


 蔵田がそう言い放った時に突然何処からか声がした。



『恐怖に屈せぬ誇り高き魂を持つ者は何処ぞ――

我が名は南のハチドリ"ウィツィロポチトリ"なり――

我を求むなら我を呼べ――』



 蔵田は静かな怒りの表情を変えずに――そして、こう叫んだ。


「ウィツィロポチトリ!」


 蔵田の目の前には見た事もない悪魔が現れた。というのは、そこら辺に居る神話を象った妖精や小霊等ではなく、蜂鳥をかたどった頭飾りを付け、左足に蜂鳥の羽飾りを付け、五つの房のついた盾と槍を持った青い肌をした戦士の姿をしていたからだ。

と言う事は考えられる事は二つある。一つは元々持っていたが今気付いたのか、もう一つはホノカグツチを亡くした蔵田が新しく悪魔を呼び寄せたというのか、それが現時点で考えられる事だ。どちらにしろ、この見る者を圧倒する勇姿から見る者を圧倒する程の悪魔である事は間違いない。

 その時、ウィツィロポチトリ――蔵田がそう呼んだ悪魔は火の玉を自らの頭上に生み出した。オトゥームはついに観念したかのように腕を降ろし ――「イア、ダゴン――イア、ハイドラ――イア、クトゥルー――」の詠唱を延々と繰り返す。だが、ウィツィロポチトリの生み出した火の玉の怒りはそれすらも許さず、オトゥームの顔面を銃弾の様に貫通した。火の玉の運動はそれだけには留まらず、蜂の様に動き回り、オトゥームの身体を音速をも超えるスピードで貫通し続け、やがてはオトゥームの体を八つ裂きにし、そして癒依を囲む水槽をも貫通し、そこから水が大量に溢れ出た。彼女は咽ながら安心した様に喜んだ表情を見せる――



――◇――



気がつくと僕と蔵田、稲見と羽嶋は夜空の草原の夢の中に居た。目の前にはいつもの様に仮面の男が立っている。


「おめでとう、蔵田明義。よくぞ、オトゥームが齎す"他者を傷つける事へ対する恐怖"に打ち勝つ事ができ、その恐怖をも克服することができた。調和された友情を手にした君には青い蜂鳥の異名を持つウィツィロポチトリが宿ったようだ。彼の悪魔は君に力を与え、そして君も彼の悪魔に力を与えるだろう」

「なぁ、少し聞きてぇ事があるんだ。あいつが時々言っていたダゴンとかハイドラとかクトゥルーとかってどんな意味なんだ?」


 仮面の男は少しの間頷き、額に指を置きながら考えている様だった。五秒程度経った後だろうか、彼は顔を上げた。


「父なるダゴン――母なるハイドラ――彼らはオトゥーム含めた"深みの者ども"と呼ばれる忌々しい者共の親であり、育ちすぎた深みの者でもある。

 大いなるクトゥルー――それは太平洋に沈んだ異様な姿をした古代都市にて、深みの者どもに守られながら死と共に夢見る旧支配者だ。だが、君達が彼らと直接関わる時は今では無い。

 さて、グラーキとオトゥームを倒した今、この夢に残るは、天の上高く渡り行く者"イタクァ"だけだ。だが、その前に君達はこの悪夢を引き起こした暗黒の魔術師"鷺月京谷"に会わなければならなくなったようだ。彼に会うまでの道はこれまで以上に険しく、そして危険だろう。だが君達には仲間が居る。彼の“二十三のフルート”に屈せぬ精神を持つか、私はそれを見届けよう」



――◇――



 草原の景色から、京崎水族館の寂れた景色に戻った。次にやるべき事を直ぐに見つけた僕は、逸早く癒依の傍まで駆けつけ、彼女を吊らしている鎖の手錠をイザナギを用いって斬り外した。癒依は喜びながら涙を流し「ありがとう――」と呟いた。刹那の間だけ安心した僕だが、藍香がまだ助けられてない事を知ると、癒依に彼女の居場所を聞く。最初は期待していなかったが、実際に訊いてみると予想よりも有益な情報が聞けた。


「兄さん達がここに着く時辺りまでは時はぼんやりしていて、よく覚えてなかったんだけど――これだけは覚えているよ。黒いコートを着た男の人が癒依を連れていく所をね。男の人については――全然――知らない人だよ?」


 黒いコートの男――僕にはその単語がどうも引っ掛かった。というのは、九頭公園の景色と共にその様な人物をうっすらと思い浮かべるからだ。さぁ、こんな生臭い所から帰ろう。



――◇――



 入口に戻る頃にはもう太陽に代わって地球を照らす月がはっきりと見えていた。その月を見上げるは車に寄りかかる風間である。僕たちが来たのを感じた途端に待ち兼ねたかのようにすぐに口を開いた。


「朗報だ。天羽教会の本部と羽嶋博文の場所が分かったぞ。冴川市下台区にある彼の有名なビル――"下台カラム"だ。奴らはあそこを本拠地にしている。だが、あいつらの兵力は無能な兵士と言っても良いからな――俺や若、そしてお前らが一気に突っ込めば中田忠義に当たらねぇ限りは一気に制圧できるかもしれねぇが、ヤバい事に“最悪な奴”がここに入ったきり出てこねぇんだ。

 それの何がヤバいかって?その最悪な奴は他の誰でもない――こんなことを裏で動かせる程の黒幕さんが敵の領地をお守りになられたら悪魔の群れに遭遇するよりも果てしなく危険だろう。民間人にも拘わらずここまで生き残ったお前達なら俺以外にも何回は誰かから聞いた事はある筈だ。“鷺月京谷”の名をな」


 鷺月京谷――その名前を他の誰かから聞いたとすれば、仮面の男の顔――ではなく、仮面しか思い浮かばなかった。それと、博文からのメッセージでもその名を見た。


「あんな奴の事だ。このまま放っておけば、今の状況よりも遥かにヤバい事が起きそうだな。あいつの力についてはまだ詳しくは分かっていないが ――それでも行くか?自分が鷺月から見ればゴミ程度にしか見えないというのを自覚して恐れるんだったら――悪い事は言わねぇ、今すぐ降りろ。でも、受け止めた上で抗う気があるのなら、俺と一緒に来い。若は既に舎弟を連れ回して下台カラムに正面突破しているぞ。チャンスはこの時だけだ。さぁ、決めろ」


 鷺月京谷――もし彼が本当にこの異変の黒幕ならばオトゥームに接触できてもおかしくないだろう。というよりも、僕自身が鷺月の姿を決めつけている様な気がしてならないのだ。だが、その可能性がある以上は、彼の力が如何なる程に協力かは知らないが、藍香を助ける為にもやるしかない。最初に僕一人が頷いた――


まとめ


ヒントが出た謎


* オトゥームの能力(オトゥームとの戦闘)

* 蔵田とオトゥームの関係(オトゥームとの会話)



新しく出た謎


* フルート吹きの兵士の歌の意味(音楽堂にて)

* ダゴン、ハイドラ、そして未知の旧支配者クトゥルーについて(仮面の男との会話)

* 蔵田が得た精神(蔵田の過去~風間との会話まで)

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