恐れられて孤独な盗賊が、爽やかな髪型になって周囲に好かれていく話 2話/全3話
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翌朝、異世界美容室の店内へ一歩、踏み入れると、目の前に広がる光沢のある白い壁と洗練された床のデザインに、俺は思わず目を疑った。信じられないほど明るい店内、そして見たことない形をした椅子の数々。
この世界のどこにも存在しないような、未知の素材と色彩に目を奪われる。なるほど、異世界とはこういうことか。
「いらっしゃいませ、美容室ファンタジアへようこそ」
すぐに優男が現れた。こいつが人の見た目を変える魔法を使うと噂の"イチロー"だろうか。この奇妙な服装は何というのだろうか。彼の着ているものは、俺の知っているどんな衣服とも違っていた。
細身で体のラインに沿った服は、なんとも言えず滑らかで、どこか洗練されているように見えた。色合いも珍しく、俺が見たことのない種類の布で作られているようだ。
「俺は盗賊のガルスってんだ。あんたがイチローで間違いないか?」
「ええ、そうですよ、ガルスさん。よろしくお願いします」そう言うとイチローは、優しく微笑んだ。
彼の髪は整えられており、輝くような光沢があった。顔は穏やかで、その微笑みは何とも言えず柔らかい。その姿は、俺が思う「頼れる男」のイメージとは明らかに一線を画していた。
俺は彼を見て、内心で戸惑いを覚えた。この人物が本当に俺の見た目を変えられるのか。彼のその異国的な風貌が、俺の不安をより一層かき立てた。だが、同時に、この男にしかできない何かがあるのかもしれないという期待も、俺の心の中にわずかに芽生えていた。
イチローが案内した先の椅子に、俺は躊躇しながら座った。想像以上に快適なその椅子に、少し緊張が和らいだ。
「どのようにいたしましょうか」イチローがそう尋ねると、俺は言葉を詰まらせながら言った。
「見た目を変えたいんだ。この強面を何とかしてくれないか」
「お任せください」イチローは堂々と答えた。
その言葉に、俺は内心で戸惑った。彼の頼りなさそうな優男風の姿からは想像もつかない、確固たる自信を感じた。そして彼の優しい笑みは、なんでも受け止めてくれるような温かさを秘めているようにも見えた。
その後、イチローは俺を別の場所に案内した。そこには、首を乗せるような特殊な構造の椅子があった。
俺が椅子に座った後、イチローがレバーを引くと、なんとその椅子がくるりと回転し出した。「うおっ」俺が驚いていてもイチローは冷静で「では、倒していきますね」と椅子の角度を調整し始めた。なんだこの椅子は、魔道具か?
しかし、その驚きも束の間、その座り心地の良さにすぐさま心が癒された。椅子は柔らかく、体を包み込むような感覚があるのだ。
「ではシャンプーしていきますね」と言い、イチローは俺の頭に大量にお湯を流し始めた。なんだこれは。頭を洗うために、こんな量のお湯を惜しげもなく使うなんて。水は貴重だが、お湯なんてもっと貴重だ。お湯を沸かす薪代だけでもバカにならない。
「おい待て、この店の料金はいくらだ」勝手に余計なサービスをされて、あとから高額な料金を請求されてはたまらない。
「料金は、全部で1シルバーですよ」イチローが提示した金額は、俺の予想よりもずっと良心的だった。その金額で、こんなにお湯を惜しげもなく使ってくれるなんて、太っ腹な男だ。
「リラックスして頂いていいですよ」そういうとイチローは、いい匂いのする液体を俺の頭に塗り、マッサージし始めた。この液体は何だ、すごくいい匂いだ。お湯が頭皮を優しく刺激し、心地良い感覚に包まれる。これまでに感じたことのないリラックス感に、俺は目を閉じた。
イチローは俺の髪を慎重に洗いながら、時折心地よい会話を交わしてくれた。その声のトーン、話し方がまたリラックス効果を高め、俺は日頃の疲れやストレスを忘れていくようだった。その何でもない会話のやり取りを続けるうちに、俺は次第にこの店とイチローを信頼し始めていた。
「この間な、街で花売りの女性を怖がらせてしまってな」俺は、気が付いたらこれまで抱えてきた苦い思い出を自然と彼に打ち明けていた。初対面の人間にいきなりこんなことを語ってしまうなんて、俺もよっぽど余裕がないのだろう。
「迷子の子供を助けようとしたんだ。でも、俺が声をかけた途端、子供はもっと泣き出しちまって」イチローは静かに俺の頭を洗いながら、優しく「大変でしたね」と言った。彼の言葉一つ一つが、俺の心に寄り添っているようだった。
そして、俺はついに最も心に重くのしかかっていたことを感情的になりながら告白した。
「俺はずっと、冒険者の仲間が欲しかったんだ。でも、この顔のせいで、誰も俺と一緒にいたがらない。いつも一人で、孤独なんだ……」
イチローは黙って俺の話を聞き続けた。その優しい眼差しは、俺の心の傷に寄り添い、慰めてくれた。俺はイチローの美容室で、初めて自分の心を完全に開き、長年の重荷を下ろしていた。
髪を洗い終えた後、イチローは俺を大きな鏡の前に案内した。その鏡は、俺が今まで見たどんな鏡よりも大きくて、俺の全身を映し出していた。こんな大きな鏡が存在するなんて、知らなかった。ただ、今はその驚きよりも、鏡に映る自分の姿にため息をついてしまう。
「では、ドライヤーをしていきますね」イチローはそう言うと、何か見たこともない道具を取り出し、そこから温かい風が吹かせてみせた。イチローは無詠唱で風魔法が使えるのか。彼が使うすごい魔法とはこれのことか。
俺は魔法には詳しくないからよくわからないが、無詠唱魔法が使えるやつは、魔法使いの中でもほんの一握りしかいないと聞いたことがある。みるみるうちに、揺れた髪の毛が乾いていく。これはすごい。
俺の髪の汚れは落ち、”なぜだか知らないが”髪の毛がつやつやしている。確かに見た目の印象はだいぶ変わるだろうが、こんなことで俺の人生が変わるのだろうか。
まあ、1シルバーならこんなものか。やはり、あまり期待しすぎるのはよくないな。
「あんたの魔法、まあまあだったよ」俺は本心からそう述べた。このイチローという男は嫌いではない。
そういえば髪など半年は洗ってなかっただろうか。まあ冒険者なんてそんなものだろう。そんな俺の髪を嫌がらず丁寧に洗ってくれ、心地よい椅子で話も聞いてもらえたのだ。話し相手がいない俺にとって、悪くない体験だった。
「いえ、魔法をかけるのはこれからです」
イチローはそう言うと、大量のハサミを腰に付け俺の目を見た。なぜそんなに多くのハサミを……? と思う間もなく、イチローは動き出した。
「さあ、あなたの新しい未来を切り開きますよ」
そこからのイチローの動きは、まさに圧巻だった。
彼の手はまるで舞うように動き、髪の毛一本一本に意味を持たせるかのように、それらを切り落としていく。俺はその光景にただただ呆然とした。彼のハサミを扱う技術は、見たこともないほど巧みで、一瞬一瞬の動きが計算されつくされているようだった。
そして、ハサミの形状も俺には奇妙に映った。いくつもの異なる形のハサミが、それぞれ特別な役割を持っているらしい。刃の曲がり方、長さ、それぞれに特徴があって、それがまたイチローの技術を引き立てていた。
髪を切られる感触は、今まで体験したことがないほど繊細で、時折彼の指が俺の頭皮に触れるたびに、何かが変わっていくような感覚があった。イチローの動きは速く、しかし非常に正確で、鏡に映る俺の姿が少しずつ変化していくのが分かる。
イチローが前髪を切り始めようとした時、俺は思わず「待ってくれ」と声を荒げてしまった。彼ははさみを持った手を止め、俺の顔を見つめた。
「前髪は切らないでくれ。顔の傷を隠したいんだ。みんなが怖がっちまうから」俺は少し声を落として言った。
「その傷の原因、訪ねても?」イチローは俺の言葉に静かに耳を傾け、傷の原因を優しく尋ねてきた。
俺は少し躊躇った後、深く息を吸い込んでから、その傷ができた経緯を打ち明けた。
「実はこれ、村の子供を害獣から助けるために庇った時の傷跡なんだ。昔の傷跡だから、もう回復魔法でも治らなくてな」俺がそう語ると、イチローは静かに息を吐き、俺に問いかけた。
「人は、何が怖いんだと思います?」
その質問に俺は少し考え込んだ。イチローはその間にも慎重に髪を整え続けていた。
「私の故郷のニホンという国で、こんな物語があります」イチローは俺の答えを待つこともなく続けた。
「昔、ある村の近くに洞窟があり、その入り口には怖い顔をした石像が立っていました。その石像があまりにも恐ろしいため、誰も洞窟に近づこうとはしませんでした。村人たちは、洞窟の中には恐ろしい怪物が住んでいると噂していました。その石像は、村人にとっては恐怖の象徴だったのです」
彼は、俺の反応を見ながら続けた。
「ある日、一人の勇敢な子供が恐れを乗り越えて洞窟に入りました。すると、その中には驚くべき光景が広がっていたんです。洞窟の中には美しい花畑があり、子供はその美しさに感激しました」
「子供が村に戻り、花畑の話をすると、村人たちはその真実を知りました。やがて、その石像は恐怖の象徴ではなく、花畑を害獣から守ってくれていた心優しき英雄として村人たちに愛されるようになりました」
そこまで語ると、イチローは優しく微笑んで言った。
「人は、見えないものが一番怖いんですよ、ガルスさん」
「この傷は、子供を守ろうとしたあなたのやさしさと勇気の証ですよ。もっと堂々としてください」
俺の心の中では、混乱が渦巻いていた。急にそんなことを言われて、どう反応していいのか分からなかった。
俺は無意識のうちに、いつものように傷を隠そうとしていたが、イチローの言葉によってその抵抗をやめた。感動したというより、急にそんなことを言われて、ただただ戸惑っただけだと思う。俺の中で、長年の思い込みとイチローの言葉がせめぎ合っていた。
イチローは俺の葛藤を察したように、俺の目をじっと見つめた。彼の目には、俺を理解し、受け入れるかのような深い優しさがあった。そして、ほんの少しの時間を置いた後、彼は躊躇することなく俺の前髪を切り進めた。
イチローは俺の前髪にはさみを入れれると、慎重に、しかし確実に切り進めていった。彼の手つきは熟練されていて、俺の髪の一本一本に注意を払いながら、確かな手際でスタイルを整えていく。鏡に映る俺の顔は少しずつ変わり始めていたが、まだその姿は完全な形にはなっていないようだった。
その間、イチローは静かに話を続けた。「ガルスさんは"怖がられること"が嫌なのではなく、"怖がらせること"が嫌なのですね。街で子供や女性を怖がらせた話を聞いても、あなたはいつだって他人の目線で物事を見ている」
彼の言葉は、俺の心に深く響いた。確かに、俺は常に他人の感情を気にして、自分を後回しにしてきたのかもしれない。イチローは、はさみを動かしながら、さらに付け加えた。
「あなたの欠点は、自分を隠しすぎることですよ。その心の温かさは、隠れるべきではありません」
彼の言葉に、俺は深く考え込んだ。確かに、自分の傷や外見についての不安よりも、他人を怖がらせてしまうことへの心配の方が、俺にとってはずっと重要だったのだ。しかし、温かいなんて言葉、前に誰かに言われたのはいつだっただろうか。
いやそもそも、そんなことを言われたことがあっただろうか。
イチローは俺の顔の輪郭に合わせて前髪を整え続けた。彼のはさみの動きは流れるようで、俺の髪型は徐々に彼の想像しているであろう形に近づいていく。しかし、まだ完全なスタイルにはなっていないようだった。イチローの集中した表情と彼の手の動きを見ていると、俺は自分の中で何かが変わりつつあるのを感じた。
俺はイチローの言葉を胸に、自分自身を見つめ直す決意を固めた。彼のはさみが俺の髪を切るたびに、新しい自分に近づいていくような気がした。
イチローのはさみが静かに止まると、俺は鏡に映る自分の新しい姿に目を奪われた。
彼の手によって生まれ変わったスタイルは、前髪を上げ、顔の傷跡を隠さないものだった。この髪型は、俺を予想外にさわやかに見せていた。
「さあ、ガルスさん。あなたの新しい物語の始まりです」
イチローは自信満々の様子でそう言うが、鏡の中の俺の目は、不安と希望で揺れ動いていた。顔のラインがはっきりとし、傷跡が強調される俺の風貌に、戸惑いも感じていが、前の俺とは違う道を歩む準備ができているようにも感じた。
長年隠してきたものを堂々と見せる勇気、それが俺に持てるだろうか。
俺は深呼吸をし、新しい自分と向き合う勇気を固めながら、美容室を後にした。
ガルスさん、上手くいくといいですね