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ブドウ 下

 取調室を出る二人。雪菜から離れて、どこかへ急ぐ陽介を止める。彼の性格からして、悪い予感しかしない。概ね、今の時代の男を監視しに行くのだろう。生粋の日本警察官だった陽介なら事が起きれば、すぐに止めるに違いない。

 陽介の前に立つ雪菜。彼がこの先を通れないように足止めする。


「邪魔だ」


 陽介の動きに合わせて雪菜も動く。全く進むことができない陽介は苛立っている。


「これから殺人事件が起きるんだぞ。わかっているのか」

「それはこっちの台詞ですよ。止めることはできませんよ? わかってますよね」

「わかっている。監視だ」


 雪菜はこの先を一歩も進ませるつもりはない。男を監視する必要はない。別の時空犯罪がまた舞い込んでくる。殺人事件を未然に防ぐことはできず、自然の流れに任せるしかない。手を加えてはならないのだ。

 陽介は強硬手段を選ぶ。力尽くにでも向かうつもりだった。拳を前に出す陽介に雪菜も本気でやるつもりでいる。


「こっちは本職なんだよ」

「私、体術なら負けませんよ」


 時間が迫っている陽介は女性である雪菜に容赦ない。彼女も習得した体術を披露するが、押し飛ばされて腰が床に激突する。


「痛い!」


 雪菜は腰に隠してあった刃を柄に収納できるフォールディングナイフを外して床に転がした。あのナイフを腰に仕込んであったせいで、床と衝突した時に激痛が走った。


「ナイフ? 普段から持ち歩いているのか」

「いざという時に仕込んであります。てか、私女性なんだから手加減してもらっていいですか」

「手加減するつもりはない」


 雪菜の反撃が続いて、陽介は取り押さえられてうつ伏せになっている。しかし、それは陽介の罠である。彼のかかとが雪菜の背中に激突する。


「あああ!」


 背中を痛がっている雪菜を放って、陽介は警察署の正面玄関へ直行する。寝転んだ状態で雪菜も彼を止めるため、強硬手段を選ぶ。


「私はね……時空警察官として、絶対に歴史を守らなければいけないの」


 雪菜は端末をポケットから取り出して、情報管理室に連絡する。


『こちら、時空警察第二室月野雪菜。取調室から時空犯罪者が脱走。署内出入口の封鎖をお願いします』


 雪菜が告げた嘘の内容は情報管理室から署内に響き渡る。警告サイレンが鳴り、出入口が封鎖される。雪菜は痛む背中を押さえながら、陽介が向かったであろう玄関へと向かう。案の定、彼の姿があった。


「誰か! 彼を確保!」


 近くにいた時空警察官が陽介を取り押さえる。雪菜が「手錠手錠」と指示する。


「おい! 俺は刑事だぞ!」


 陽介を取り押さえた時空警察官は驚いてすぐに解放しようとするが、雪菜が敬礼して「大丈夫です」と口にする。

 第二室に陽介を連れていく雪菜。手錠をはめられている陽介の姿を見て驚くキャサリン。


「何があったんですか。署内では時空犯罪者が脱走って」

「あれ、嘘」

「嘘!?」


 陽介の両足を近くにあった紐で繋げる雪菜。これで彼が外へ出ることはできない。安心してお菓子を食べることができる雪菜のもとに、第一室の刑事がやって来る。


「おい! 月野!」


 血相変えて来るのも無理はなかった。さっきの通報が嘘だとバレている。両手両足を縛られている陽介が目に入る刑事。


「お前らは一体、何やってんだ!」


 時空犯罪者が脱走したと聞いた刑事はすぐに防犯カメラの映像をチェックしている。そこに二人が格闘している姿も確認済みの刑事。


「私は間違ったことをしていません」


 自分が怒られていることに不満の雪菜は椅子を左右に回転させている。その態度が余計に刑事を腹立たせる。


「嘘の……嘘の情報を流すな!」

「この人はこれから起きる事件を防ごうとしているんですよ。時空警察官としてあるまじき行為」


 雪菜は陽介を指さす。


「お前もお前だ! 今、俺が話しているのは情報管理室に嘘の情報を流したことだ」

「だから、それは手段がなかったから――」

「理由にならない。仕事を増やすな!」


 最後まで怒り爆発の刑事は第二室を出た。日本警察の刑事といい、沸点が低い人ばかりと嘆く雪菜は例のごとく、自分のデスクで呑気にお菓子を食べている。


「やっぱり、理解できないな。時空警察は」


 拘束されている陽介がボソッと口にする。


「殺人事件を止めることはできません。あの人は他の時空犯罪者とは違う。彼の目的は別にあるのではないでしょうか」

「別の目的?」

「ええ。歴史に自浄作用が働くことを知っていたのです。だから、自分を殺せないことは当然わかっている」


 どれだけ考えても、答えがわかるのは事件が起きた後だ。彼が殺人を犯すとわかっていても、どこで、誰を、どうやって殺害するのかはわからない。


「簡単な話だ。奴から聞き出せばいい話だろ。だから、早く手錠と紐を解け」

「無理です。夏目さんを野放しにすれば、危険です」

「ふざけるな……お前、本当に刑事かよ」

「しつこく言いますが、私は時空警察の刑事であり、夏目さんの知る刑事像ではありませんので」


 諦めの悪い陽介は未だに解放を要求するが、事件が起きるまでは手錠と紐を解くつもりはない雪菜。


「俺は両方守ると決めた」

「両方を守るなんて、無理ですよ。歴史改変が招く自浄作用を甘く見過ぎです」

 陽介の監視をキャサリンに任せて、何も伝えずに第二室を出る雪菜。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 十年後の未来からタイムトラベルしてきた時空犯罪者の男。彼は四十五年のこの時代で、自分が殺人事件を起こすと告げた。タイムトラベルの目的は自分を殺害しにやって来た。しかし、時空犯罪の探知が発生しなかった。男は改変されようとする歴史が正しく修正される「歴史の自浄作用」の働きを知っていた。他の時空犯罪者とは違って、綿密な計画を立てている。

 それでも、過去の自分を殺害することはできない。タイムパラドックスが起きるからである。雪菜が何度も口にする歴史改変がすでに起きていると思われる。あるいは、歴史は改変されたものではなく、正しい歴史だったのか。

 陽介は頭の中でずっと、時空犯罪と歴史について考えていた。自分たちはシステムが探知した時空犯罪を取り締まる。時空警察官でさえも、未来で起きる事象を知ることはできない。そこに正義があるとは思えず、システムの判断を疑う陽介。

 不用心の雪菜は自分のデスクに、陽介の両腕を縛っている手錠の鍵を放置していた。両足を縛っている固く結ばれた紐も、鋭利な刃物で簡単に解くことができる。陽介は今、三角座りの状態で両手は後ろ。キャサリンの目を盗むことができれば、取りに行ける。では、キャサリンの目を盗むにはどうすればいいか。

 断られることは承知の上で、まずはストレートに解放を頼む陽介。


「できません。解いたら、雪菜さんに怒られますので」


 雪菜に忠実のキャサリンは予想通り、陽介の要求には応えない。やはり、隠密に鍵を取りに行くしかないのかと諦めた時、ふと思う陽介。別にキャサリンの目を盗まなくてもいい。つまり、それは――強行突破である。彼女の能力は未知数だが、女性だ。自分よりも力は下だろうと、両足を自分の体に引き寄せる陽介。尻を少し宙に浮かし、準備する。


「キャサリン。お茶を用意してもらってもいいですか」

「わかりました」


 キャサリンが背を向けたと同時に立ち上がる陽介。雪菜のデスクに置いてある手錠の鍵を取り、解錠する。ペン立てに刺さってあるハサミで両足を縛っている紐を切る。陽介の動きに気づいたキャサリンが第二室の扉前にすぐ移動する。


「諦めてください、夏目さん」

「俺は何も手を出さない。遠くで奴の動きを見るだけだ」

「その必要はありません。私、雪菜さんに監視を任されているので容赦はしませんよ」


 先を進みたい陽介は躊躇なく、キャサリンに向かっていく。頭を下げた彼女の拳が陽介の腹に直撃する。ダイレクトに受けた陽介はその場に倒れる。雪菜同様に、女性とは思えない力、いや忘れていた。キャサリンは女性――ではなく、事務ロボットである。

 腹を抱えている陽介に「手加減はしました」と端的に告げるキャサリン。


「フロリダから帰国しました!」


 雪菜が第二室に戻って来る。


「お帰りなさい」

「フロリダ?」


 急にアメリカの州を口にする雪菜に返事するキャサリン。陽介の頭の中で疑問符が浮かぶ。


「これは一体、どういう状況で……まあ、逃走を試みたということはわかりますが」


 自分のデスクに直行する雪菜は解錠された手錠を再び、陽介にかける。


「てか『フロリダ』ってなんだ? フロリダ州の事か?」

「違いますよ。風呂に入るから離脱するって意味です。つまり、風呂から戻って来たということです。夏目さん、古い人間ですね」

「聞いたことない言葉だぞ」


 キャサリンが二人の会話に入り、陽介に「二十年以上前に使われた言葉」と説明する。汗をかいた雪菜は署内にあるシャワールームに行っていた。


「死語じゃねぇか。お前の方がよっぽど古い人間だろ」

「私は夏目さんよりも若いです。夏目さんが古い人間なんです」


 陽介は脱出の絶好チャンスを逃してしまい、おまけにまた拘束されてしまった。

 しばらくして、署内に響き渡る時空犯罪を探知したアナウンス。例のごとく、雪菜は現場へ急行する。


「キャサリン! 絶対に夏目さんを見逃したらダメですよ」

「了解しました」


 キャサリンは敬礼をして、雪菜を見送る。手錠の鍵は厳重にキャサリンが持っている。


「キャサリン。トイレに行ってきます」

「では、私も一緒についていきます」

「俺は逃げない」


 もちろん、嘘である。トイレに行くフリをして、逃げようと思っていたがキャサリンもついて来る。途中、元の時代に移送される男と出会う。


「刑事さんがなぜ、手錠を……がっかりだ。あなたは他の時空警察官とは違う。あなたなら、変えられると思っていた。決められた過去――失われる命を救うことが」

「そんなこと……本当にできるのか」


 陽介の問いに答える男。


「歴史の自浄作用を利用すれば、過去は変えられる。と、俺は思っている」


 続けて男は陽介の耳元で「時間がない。もう事件は起きる」と、四十五年で自分が殺人を犯す場所を教えた。

 移送される男、トイレに到着した陽介。出入口でキャサリンが立っている。両手が拘束されている為、窓から飛び降りることは危険である。

 時間がない陽介は必死に考える。その矢先、トイレに制服を着た警官が入って来る。


「おい! 手錠を開けろ」

「手錠? 時空犯罪者か!」

「わけねぇだろうが! 刑事だ。手錠を外してくれ」


 警官は共通キーで、陽介の手錠を解錠した。再び、自由の身になった陽介は目の前にいる警官を舐めるように見る。


「どうかしましたか?」

「その制服、貸してくれないか?」

「なんでですか」

「なら、いい」


 事務ロボットの足の速さは予測つかないが、強行突破で署を出るしかない。雪菜のように、署を封鎖することはないだろう。脱出できれば、勝ちだ。

 陽介は警官に感謝し、トイレから出る。突然、出て来たキャサリンは陽介を掴み損ねる。そのまま、突っ走る陽介。難なく署に出ることができた陽介。目的地は男が殺人を犯す現場。

 ポケットに入ってある端末が鳴っていることに気づく。イヤホンを片耳につける。


『また脱走したみたいですね、夏目さん』

『俺は救うぞ。命も、歴史も』

『怒りを通り越して、呆れています。この件が終わったら、時空警察辞めてください』


 ひたすら走っている陽介。


『辞めるわけにはいかねぇんだよ、俺は。俺は――俺は』


 何度もフラッシュバッグするあの日のこと。赤い目の男を取り逃した日のことを。

 もうすぐ、目的の場所に到着する。陽介は遠目から、今の時代の男を発見する。あと一歩のところで突然、陽介は車道に飛び出す。自らではなく、見えない何かに押された感覚がした。地面に転ぶ陽介に迫って来る車。その車、安全システムが作動して急停車した。怪我はない陽介。しかし、男の殺人を止めることはできなかった。

 間もなくして、日本警察の刑事が現場に駆けつけた。陽介が持つ端末のGPSを辿って、雪菜も到着する。


「言ったでしょ。夏目さん」


 事件を止めることができなかった悔しさが、顔に滲み出る陽介。


「言った通り、時空警察官を辞めてください」

「辞めるか、辞めないかは俺が決める」

「よくこれまで、組織で生きてこれてきましたね。あなたは時空犯罪者予備軍です」


 陽介を指さす雪菜。これからも自分の正義を貫く陽介。

 二人は署に戻る。


「雪菜さん。すみません」


 帰って来た雪菜に頭を下げるキャサリン。悪いのは彼女ではなく、歴史を変えようとした陽介である。彼は自分のデスクに座る。


「例の小包が届いています」


 黒須のデスクに置かれてあった小包を開ける雪菜。中身はブドウだった。


「フルーツに意味ってあるんですかね?」

「さて。特に意味はないのではないでしょうか」


 果物かごにブドウを置いた雪菜。陽介はずっと、あの時に感じた謎の現象のことを考えていた。

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