ブドウ 上
時空犯罪を探知して、街路を走りかける陽介。相手は二十代前半の男子大学生。鍛えているとはいえ、三十代になろうとしている陽介の体は見事に衰えている。加えて、最近まで謹慎処分で体が鈍っていた。もっと、ハードに鍛えなければならないとこの状況で頭に浮かんだ。
『夏目さん、追いつきましたか?』
右耳から雪菜の通信が入る。追いついていたら、報告していると陽介は「まだ」と返事する。
『チンタラしてんじゃねぇ~よ!』
イヤホンの向こう側から雪菜の怒号が聞こえてくる。そんな彼女は時空犯罪者を陽介に任せて、姿を消した。あとで追及してやると、彼女に対する反骨精神で逃亡する学生を追う。
一本道の通りから、角を見つけた学生は曲がる。同じように陽介も曲がる。彼は捕まる気がないらしい。過去にタイムトラベルをしてきて、時空犯罪を犯せば逃げ道などないのに。
二人の進行方向にグレーのスーツを着た女性が立っていた。姿を消した雪菜だった。
「そこの若者! もう逃げ場はない!」
当然、雪菜は息を切らさずにハキハキと喋る。対して、陽介はヘトヘトで息が荒れている。
「夏目さん! お願いします!」
時空犯罪者の学生を挟んで、向こう側にいる雪菜は平気な顔をして、彼の確保を頼んでくる。雪菜に言われなくても捕まえる陽介。逃げ場がないと諦めた学生は大人しく捕まった。彼の腕を背中に回る陽介。
「なぜ、時空犯罪を犯した?」
「強引はダメですよ。夏目さん」
後ろに回した彼の腕を離した陽介。
駆けつけた応援のTMに連行し、二人はTM002で署に戻る。
道中の車内。
「さっきから気になっているんですけど、隣でハアハア言うの止めてもらっていいですか」
隣で運転している雪菜は、今も息が荒れている陽介のことが気になって仕方がない。
「こっちは走らされてるんだ。お前はどっか行きやがって」
脇腹を押さえている陽介。
「走らされているって、犯罪者を追うのが仕事でしょ。それに私だって、追ってましたから」
雪菜は時空犯罪者のウェアラブル端末を辿って、挟み討ちを狙っていた。作戦は成功し、対象者を確保することができた。彼女はそれを陽介に伝えていない。
「先にそれを言え。わかんねぇじゃねぇかよ。それに無線の『チンタラしてんじゃね〜よ』ってなんだ。俺、年上だぞ」
「お菓子の名前です。年齢は関係ないですよ。私が先輩ですから」
先輩と言いつつも、雪菜も時空警察官になって数ヶ月しか経ってない。
「そんなのあるわけねぇだろ」
「ありますよ。あとで見せます」
お菓子に興味のない陽介は見たいわけではなかった。
信号が赤になって止まるTM。雪菜が話題を変えてきて、陽介の話になる。
「夏目さん、若者相手の犯罪者になると熱くなりますよね。日本警察の頃からだと聞きましたよ」
「余計な詮索はするな」
陽介の脳裏に浮かび上がる過去の事故。救えたかもしれない命を救うことができなかった。
時空警察署に到着する二人は第二室に戻る。
いつものようにお菓子を食べている雪菜。向かいの席では珍しく幸せそうな顔で陽介がパンを食べている。
「気持ち悪」
「んだよ」
パンを口に入れたまま声を出す陽介。パンを片手に牛乳を飲む。
「朝食はパン派なんですね」
「朝は牛乳とパン。昼はフルーツ牛乳とパン。夜はコーヒー牛乳とパン」
「別に他は聞いてないんですけど」
キャサリンがいつものようにお茶を用意してくれる。雪菜はありがとうございますとすぐに飲む。陽介は牛乳があるんでと断る。向かいの席から「飲みなさい」と声が飛んでくる。陽介は雪菜と同じように一気飲みする。
「失礼するで」
第二室に入ってくる警察官の二人。彼らは日本警察の刑事で一人は陽介の元上司だった「宇海敦郎」とその部下。すぐに敬礼する陽介。
「時空警察官として頑張っているみたいやな」
「はい!」
宇海は陽介の耳元で「頑張りや」と告げる。
「で、今度は何用ですか」
宇海は度々、第二室に訪れていた様子だった。今回も時空犯罪が絡んでいる事件で訪れた。
「今さっき時空犯罪者の身柄を確保したって連絡が入ってな、もう署に連れてきたところや」
「で、どういった時空犯罪で?」
陽介が敬礼姿を保ったまま、宇海に尋ねる。
「未来から来た男が過去の自分を殺しに来たって理解しがたい案件や」
雪菜は「キター!」と両手を挙げて勢いよく立った。
「おい! ふざけとんのか小娘」
「私は至って普通です」
と言いつつ、不気味に笑う雪菜を冷たい目で見る宇海。
「それはつまり親殺しのパラドックスに近いものですよね」
「親殺しのパラドックスって過去に戻って自分の親を殺すと自分が生まれてこない。だけど、生まれてこなければ父を殺すことはできないから……ってやつ」
「そうです。その奴です。夏目さん、刑事バカだと思っていたんですけど案外そういうこともわかるんですね」
一言多い雪菜に怒りを露わにする陽介だったが、今はここで争っている場合ではなかった。宇海は時空犯罪者が取り調べ室にいるとだけ告げて第二室を出た。
「行きますか」
雪菜と陽介は時空犯罪者がいる取り調べ室に向かう。出て行ったはずの宇海達が先に待っていた。
「何しているんですか」
「何って取り調べの見物や」
「いやあなた時空警察官じゃないでしょ。お引き取りください」
雪菜の態度が気に食わなかった宇海の部下は「おい」と怒鳴る。
「じゃあ後はそっちで片づけておけ。それと余計な仕事を増やさないでくれ」
「それは時空犯罪者に言ってください」
宇海は部下を引き連れてその場を去った。マジックミラー越しに確保された男性を見る二人。情報管理室から急いでやって来た警察官は雪菜に男のデータが書いてある書類を渡した。軽く目を通した雪菜が取調室に入る。一緒についていく陽介。
「二〇五五年の未来からやって来たと。で、自分を殺しに来た」
「ああそうだ」
三十代の男性は十年後の未来からやって来て自分を殺しに来た。雪菜には気になる点が二つあった。
「まず、タイムパラドックスってご存じですか?」
男性は軽く頷いた。
「なら話は早いです。未来の自分が過去の自分を殺すことはできないんです。そもそもの話、自分を殺すのに過去に戻る必要があるんですか? 自殺でいいのではないかと」
「俺は自殺したいわけではない。四十五年の自分を殺したいんだ」
「そういうわけですね。でも、その理由は?」
「四十五年の俺はこれから殺人を犯す」
陽介は男性に詰め寄る。これから起きようとする事件を止めようとしている。宇海たちを帰らせて良かったとホッとする雪菜。彼らにもこのことを聞かれていたら必ず未然に防ごうと動く。
「夏目さん! 言ったでしょ。過去を変えちゃいけないって」
「今から人が殺されるんだぞ」
「そうだ!」
声を荒げる男性。
「警察が何もできないから、俺がタイムトラベルして自分を殺しに来た」
「しかし、あなたはそれでも変わらなかった未来から来た」
「歴史には自浄作用がある」
タイムマシンができてから実は歴史は少しずつ変化している。それは歴史の自浄作用があるからである。小さな出来事に関しては歴史に大きな影響を及ぼさないが、大阪駅で起きたこの前の事故のような大きな出来事を変えようとすると歴史に自浄作用が働く。それによって本来、起きなかった新たな事件事故が生まれてしまう。それがどのような形として現れるのかは予期できないのである。過去を変えてはいけないのはそれが原因。
「やけに詳しいですね」
「あたり前だ。感情に走って時空犯罪を犯す他の連中とは一緒にしないでもらいたい」
「だからですか……ここでもう一つ気になっていた点。あなたが時空犯罪者として探知されなかったんですよ」
たしかにと陽介は頷く。雪菜たちのもとにデータが届くまで時間がかかったのも彼が時空犯罪者として探知されなかったから。
「なので、未来のあなたが過去の自分を殺しに来たというのは正しい歴史である。失敗するとわかった上で自分を殺しに来た。あなたの目的は本当に『過去の自分』の殺人?」
男の身柄を元の時代へ引き渡すまであと、二時間である。雪菜たちにできることはもうないが、陽介はこれから起きようとしている殺人事件のことが気になっていた。雪菜はそんな彼を見ると、数ヶ月前の自分を思い出す。過去に行って、時空犯罪を犯した籠野武の件である。自分も同じように事件解決に執着していたが、できることは身柄を引き渡すのみである。当然、男の殺人を止めるわけはできないし、殺人の動機などを調べるのは日本警察の仕事だ。




