リンゴ 下
二〇三〇年。
競馬場で籠野武の姿を発見した雪菜は隣に近づいた。彼も雪菜に気づき、驚いている様子だった。
「お久しぶりです。あっ、籠野武さんにとってはそうではないか」
「……何の用だ」
「あなたのことを手助けした人が誰なのか」
とぼけている籠野だが、必ず手助けした人物がいる。それがあの例の三人。彼らの目的はわかっていないが、籠野武と何らかの関係はあると雪菜は推測している。
籠野は取調室の時と同じで黙っている。雪菜は辛抱強く、籠野に付きまとう。
「あんたは何で俺が一人の犯行ではないと?」
籠野は時空犯罪を犯した。
午前十一時頃に時空犯罪が探知。駆けつけた雪菜が籠野を確保する。それから、一時間ほどの取り調べが行われた。
「まずは移動時間です。十三時五分のレースと三十五分のレースで馬券を買った籠野武さん。十三時五分のその時間帯に私と他の刑事はあなたの家で四十万円をお金を確認しています。その後、身柄の引き渡しで籠野武さんと私は会い、他の刑事が競馬場に。ちなみに籠野武さん、あなたは自宅から競馬場までどうやって行ってます?」
籠野は雪菜の質問に答えない。
「他の刑事が籠野武さんの自宅から競馬場まで徒歩三十分かかっています。往復で一時間です。籠野武さんが三十五分のレースで馬券を買うには徒歩では無理だと思うんですよね」
籠野の顔面に迫る雪菜。彼は視線を逸らさず、徒歩ではなく走れば可能ではないかと反論する。
「たしかに。走るの速かったですもんね。ただもう一つ、あります」
籠野はリビジットのタイムトラベルで過去に戻った。三十年ではタイムトラベルするのに五十万円ほどのお金が必要である。その大金はどこから出てきたものなのか。
雪菜の推理では、
大道寺から百万円を盗んだ三人のグループが過去に行き、目的は不明だが籠野に百万円を渡した。五十万円は競馬の賭け金、残りはリビジットの費用に使った。これなら福沢諭吉が描かれた旧札をわざわざ盗んだのも納得する。気になる点は籠野に彼らが接触した理由のみ。しかし、これはあくまでも雪菜の推理。籠野本人の口から真実が聞きたいが、彼は何も答えない。未来のことは言えず、籠野が口を開くのを待つしかない。
また次のレースに賭けようとする籠野。マークカードを渡される雪菜。
「大丈夫です」
「そうか」
慣れた手つきでマークカードにチェックしていく籠野。馬券を購入して観覧席に向かう。
「ギャンブルは止めた方がいい」
ボソッと呟く籠野。雪菜はギャンブルに全く興味がないから、心配は不要だった。籠野も最初はそうだった。軽い気持ちで始めたのが最後、彼はのめり込んでしまった。初めてのギャンブルで勝ってしまったのだ。
「負ければそこで終わってたんだよ。勝ってしまったら人間はまた、その興奮を味わいたいと思う。そして、ハマってゆく」
「でも止めることはできましたよね」
「もう止まらないんだよ」
レースが始まる。馬たちが競い合っている光景が雪菜の目に映る。
「どうせ死ぬなら、好きなことやって死にたいだろ」
「籠野武さんは誰かに未来のことを教えられた」
レースは白熱し、隣にいる籠野は盛り上がっている。
「このまま行けば、勝つぞ!」
「マジですか!?」
終盤に差し掛かるレースに雪菜も一緒になって応援している。周りの人たちも盛り上がっている。馬がゴールするとともに歓喜する者もいれば、落胆する者もいる。籠野は後者の方だ。
「最後まで運はついてなかったようだ」
「一度、どん底まで落ちたら次は運気が上がるだけですよ」
謎の励ましの言葉をかける雪菜。観覧席で立っていた籠野は椅子に座る。
「あんたの言う通り、俺はある男に会った」
「誰なんですか?」
「名前は聞いてない。若い男だったよ。俺の前に突然現れて、俺が死ぬって宣告してきた」
話を続ける籠野。
「だが、その男は俺を救いに来たといった。誰にも救えない命を俺たちなら救えると」
命を救うことだけが目的とは思えない雪菜。たが、藤堂たちの敵であるアンノーンが彼らだったとすれば、あり得るかもしれない。
頑なに話さなかった籠野は知っていることをすべて雪菜に告げた。
「俺が初めてギャンブルに勝った理由がわかった。これ以上に落ちることのないどん底に俺はいたからだ」
「そうですか」
競馬場を去る籠野に敬礼する雪菜。彼が振り返ることはなかった。
事件はまだ解決していない。消えてしまった百万円をどうするかだった。糖分が足りず、頭が回らない雪菜。
盗まれた百万円を取り返すことはできない。素直に謝っても、大道寺は納得しない。でも、潔く謝罪するしか道はない。
元の時代に戻った雪菜は、大道寺の豪邸に訪れる。
コトン、と庭から鹿威しの音が聞こえてくる。目の前にいるのは相変わらず、鬼の形相の大道寺。
「単刀直入に、大道寺さんの盗まれた百万円を取り返すのは難しいです」
「……納得できないが、仕方がないのか」
雪菜のできることはもうない。後は、日本警察の刑事に任せる他ない。
「一つお聞きしてもいいでしょうか?」
手を挙げる雪菜は大道寺に質問する。
「大道寺さんが金庫に百万円を隠しているって誰かに話しました?」
「言うわけ無いだろ。あのお金は一生使わないつもりでいたんだ」
例の男たちの狙いが金庫の中にある旧札の百万円だったとすると、知らなければ犯行に及ばない。どのようにして彼らは知ることができたのか。大道寺は誰にも話していないという。
「しかし、大道寺さんのように旧札を集めているコレクターはいるのでは?」
「確かにそうだな」
「その方たちにお譲りしてもらったら、どうですか?」
「それは無理だろ」
どんなにお金を積まれてもコレクターたちは譲らない。大道寺も彼らと同類であり、自分がその立場になった時を考えたら、絶対に譲らない。
雪菜は自分の発言で新たな疑問点が生まれた。
旧札を集めている者は他にもいる。なのに彼らが大道寺を狙った理由。共通点はあった。
AI教師だ。
三人の中にいた松原宗一はAI教師がきっかけで人生が一変した。そのAI教師を推進した一人に大道寺がいる。それだけで大道寺が狙われたかは定かではないが、優秀とはいえまだ十九歳の少年である松原宗一なら、あり得ない話ではない。
「大道寺さん。気をつけてくださいね」
「どういう意味だ?」
「あなた方が推進したAI教師をよく思っていない人もいますから」
大道寺は承知の済みだった。当時から議論されていた。それでも、AI教師を導入したことは結果的に良かったと告げる。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言へり」
立ち上がった大道寺は庭を眺め、尊敬する福沢諭吉の一節を口にする。コトン、とまた鹿威しの音と、水の流れる綺麗な音が聞こえてくる。
「平等という意味ですか」
「いや、実際には平等ではない。世の中には身分の高い者、低い者がいる。当然、貧富の差が出てくる。その差を埋める為には、勉強を積むしかないのだ」
話を続ける大道寺。
「一年前に起きた女性の飛び降り事故。その息子がAI教師の特待クラスに選ばれず、不登校になったと聞いたが、AIの判断は正しかった。社会で生き残る者は、這い上がろうとする者だ。世の中、自分の思い通りにならないことばかりだ。それでも、優秀な者は自分を磨いている。彼は諦めた人間だ」
「大道寺さん。現役の時から厳しいですね」
「一時期、AIに対するデモが起きたが、それと同じだ。彼らは結局、努力したくないだけだ。社会は変わり続ける。その変化に、私たちは対応しなければいけない。AIに仕事なんか奪われない。新たな仕事が誕生するんだよ」
雪菜は立ち上がって、敬礼する。
「大道寺さん。本当に気をつけてくださいよ。あなたの振る舞いは、多くの敵を生んでます。何が起きてもいいように、レコーダー仕込んでおきますか?」
「心得ておくよ」
第二室に戻ってくる雪菜。キャサリンは小包が届いていたと報告する。中身を確認する雪菜。入っていたのはリンゴと手紙。
《リンゴが最後の果実だ。これでフルーツバスケットは完成された》
黒須から頼まれていたアンノーンの調査はまだ完全に終わっていない。むしろ、何もわかっていない。フルーツバスケットが完成する前に、謎を解くことはできなかった。
「メールが届いています」
キャサリンがパソコンのメールをチェックし、雪菜も一緒に確認する。相手はプログラマー・ショーから。無題で添付ファイルがある。開くと複数の画像が表示される。
「これって……!」
映っていたのは殺されたハートフルのカスミ。時田蔵助と思われる男性。そして、5年前に亡くなったはずの雪菜の同級生、桜庭春香だった。
『時空警察官に告ぐ。第一室室長の馬場隆が拉致された。加えて、TM003が第二室夏目陽介の手によって犯行グルーブに渡ったとされる。繰り返す……』
繰り返しアナウンスが署内に響き渡る。陽介と連絡が途絶える。端末の電源をオフにしている為、位置情報がわからない。
第一室の刑事たちが押しかけてくる。
「月野雪菜、事務ロボット。この部屋から一歩も出るなよ」
他の刑事が部屋に防犯カメラを設置する。
「これはなんですか!」
「第二室の夏目陽介がTMを持ち出した。よって、お前たちを監視させてもらう。協力してるかもしれないからな」
「協力なんてするわけが!」
「とにかく、そういうことだ」
雪菜は「ちょっと待って」と去ろうとする刑事たちを止める。
「時空犯罪が発生したら」
「心配ない。私たちがいる」
第一室の刑事たちはすぐに退室した。




