チェイサー 上
果物かごにあるフルーツはバナナ、ブドウ、モモ、向井夏菜子の一件でメロンが追加された。フルーツバスケットがいつ完成するのか二人にはわからないまま、時は過ぎてゆく。
陽介は本庁に来ていた。黒須から頼まれているアンノーンの調査を行わなければならない。フルーツバスケットが完成する前に。
陽介のもとに来て早々、かつての上司だった宇海が頭を下げる。
「すまない。向井夏菜子を死なせてしまった」
「いえ……歴史で決まっていたことなら、その運命を覆すことはできませんでした」
命も、歴史も両方守れると思っていた。でも、陽介は夏菜子を救うことができなかった。認めたくはなかったが、歴史には逆らえない。
頭を上げる宇海。火災の件を調べていくうち、周辺の防犯カメラに怪しい人物が映っていた。早朝、黒のジャンパーに黒のパンツを着た人物が店の裏口に入っていく姿があった。その後、例の金貸しの男が裏口から入っていく姿が確認されている。その日、夏菜子はパン屋に来ていなかった。
「ドアノブが壊されていたんや。きっと、その男が――」
「宇海さん。今日は別の話で」
本題に入る陽介。宇海にアンノーンについて尋ねる。一般犯罪に関係しているかもしれないと思っていた陽介だったが、宇海は聞いたことがないと告げる。
「黒須室長からアンノーンについて、調べるように頼まれていまして――月野曰く、赤い目の敵対組織かもしれないと」
「赤い目か……でも、あの小娘がなんでそんなことを」
「独自で得た情報だそうです。ただ、あくまで推測だと話していました」
赤い目の連中に関しても、宇海は何も情報を得ていないと説明する。
「夏目。一つ、協力して欲しいことがある」
「お願い? 俺に何の用ですか?」
「過去に起きた事件で気になっているものがある。時空を超えた事件かもしれない」
またまた第二室にやって来る宇海。陽介が連れて来る。
「暇なんですか!」
大きな声を出す雪菜。キャサリンが宇海にお茶を用意する。
「気になっている過去の事故があってな」
「私たちは日本警察の犬でもなければ、駒でもないんです。帰ってください」
宇海は差し入れにお菓子を持ってきたと雪菜に渡す。彼女はすぐに手を挙げて「やらせていただきます」と口にする。
「ただ後払いや。手を抜かれたら困るからな」
「ケチ! 常識に考えて前払いでしょ」
事件の概要を話始める宇海。
事件が起きたのは一年前。マンションから五十代の女性が飛び降りた事件。マンションの防犯カメラにはフードを被った人物が映っていた。当時、捜査AIであるチェイサーは防犯カメラに映る人物の体格、歩き方から女性の息子である高校生の松原宗一を容疑者としてはじき出した。しかし彼のアリバイは証明され、他に犯人は見つからなかった。最終的にこの事件は事故として処理された。
「この前のカスミちゃんの事件でまともに機能しなかったチェイサーの正確性を疑いますけどね」
雪菜はくるくると椅子を回す。
「てか、日本警察には東京時空警察長の右腕プログラマー・ショーみたいな人はいないんですか」
雪菜が口にしたプログラマー・ショーは東京時空警察長と古くからの付き合いで、彼女の右腕として、様々な事件を解決している超天才。しかし、誰も顔は見たことがなく、男性なのか女性なのかもわからない。
「噂やけど、プログラマー・ショーに捜査AIの開発を依頼したが断られたと聞いたことがある」
「信用されてなかったんじゃないですか」
宇海は話を戻す。
「小娘と同じように俺もチェイサーの精度を疑っている。だからこそ、お願いしている。松原宗一にはまだ怪しい点がある」
「怪しい点とはなんですか?」
陽介が尋ねる。
「松原宗一は不登校が続いていたが事件が起きた当日だけ、登校していた。それはデータとしても残っている。加えて事件当日、目的はわからないが松原宗一は金槌を購入している。それも学校にいる時間にや」
「うん?」
雪菜の頭に疑問符が浮かび上がる。
「矛盾が起きてますね。学校にいる時間に金槌を購入しているって不可能じゃないですか」
「だから、協力をお願いしたい」
雪菜は手を挙げる。
「まずは松原宗一君と話がしたいですね。今、どこにいるんですか?」
「彼は姿を消した」
益々怪しい雪菜は「過去へ行きます」とTMがある地下駐車場に向かう。陽介も一緒に向かう。
松原宗一の自宅へ到着する二人。陽介がノックをする。扉を開けたのは宗一の母親だ。当然、彼女は「どちら様ですか」と尋ねる。
「友人です」
雪菜は答える。
「友人?」
やはり無理があった。陽介が日本警察の刑事と説明するともちろん、母親は動揺した。適当な理由をつけて、部屋に上がる。宗一について探る陽介。部屋の中をあちこちと観察し始める雪菜。壁にはいくつもの賞状が飾られている。
「小中と宗一は成績優秀でして。しかし、今はずっと不登校で」
「今日は学校に行っているんですよね」
「いえ。学校に行かず、どこかにいると思いますが」
母親は話を続ける。
「刑事さんも知っていますよね。AI教師」
「ええ。もちろん」
教育現場にAI教師が導入されたのは二年前の二〇四三年。AI教師の役割は主にクラス分けである。小学校中学校の過去の成績をもとにAI教師はクラス分けを行った。宗一は成績優秀だったが、AI教師が選んだ特待クラスに入ることができなかった。成績優秀の自分がなぜ入れなかったのかと自暴自棄に陥る。それから不登校となり、今日も彼は行く先もなく、ふらふらと街を歩いている。
「宗一君はプライドが高いんですね。それ故にぐれてしまった」
雪菜はあちこちと部屋に置いてあるものを物色する。小学生の頃に書いた将来の夢の作文も壁に飾られていた。宗一はプログラマーを夢見ていたようだった。
「子どもの頃から勉強に関して厳しく教えていました。私がいけないんです」
「そんなことはないと思います」
宗一の母親も追い詰められているなと陽介は労わる。
「いつの時代にもギャップって付きものです。小学生、中学生までは世界が狭い。けど、高校生になるとぐーんと幅が伸びますからね。それはまるで、のびーるグミのように」
雪菜はまた陽介の知らないお菓子の名前を会話に練り込んでくる。
「世の中に優秀な人はごまんといます。宗一君には酷なことを言いますが、現実を受け入れるしかありません。受け入れた上で、上に這い上がろうとするか、落ちこぼれるとなるか、本人次第です」
そんな宗一はずっと、深い暗闇の中にいる。自分が下にいる現実を受け入れられず、ふらふらとしている。学校には行けない。それは自分が下にいるということを認める行為だからだ。
二人はありがとうございましたと家を出る。この後、事件が起きる。母親は宗一が今日も学校に行っていないと言っていたがこの時間、宗一は学校にいる。雪菜と陽介は学校に向かおうとするが一人、マンションで事件が発生するところを確認するために張り込みをしなければならない。
「なら、俺がここで待機しておく」
陽介がマンションでの張り込みを引き受ける。
「いえ、夏目さんは宗一君の母親を助けかねないので私が」
「歴史は決まってんだろ。だったら、俺が松原宗一の母親を助けることは」
夏菜子の死で思い知った陽介。
「前も言ったように、歴史には自浄作用があります。何が起きるかわからないんです」
陽介は宗一が通う学校に向かい、雪菜は物陰に隠れた。
しばらくして自宅から出てくる宗一の母親。どこかへ出かける様子。母親の進行方向に家に帰ってきたと思われる宗一がいた。服装はパーカーを着ており、学校の制服を着てはいない。学校帰りではなさそう。
雪菜がいる場所から二人が口論している姿が見える。宗一は手に持っていた金槌で母親の頭を殴り、マンションから飛び降り自殺のように見せかけて落とした。すぐに逃亡する宗一。雪菜は彼の後を追う。




