メロン 下
第二室で怒りが募っている雪菜。肘をつき、口に咥えているものは煙草かと思いきや、煙草風に見えるシガレット菓子。雪菜は煙草が吸えない。
覇気のない挨拶をした陽介は自分のデスクに直行する。
「あの夏目さん。激怒ぷんぷん丸なんですけど」
反応がない陽介の様子が変だと雪菜は彼の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか? 夏目さん」
意識が遠い世界に行っていた陽介がもとに戻ってくる。正面に雪菜の顔があり、後ろに転げ落ちる陽介。倒れた椅子をすかさずキャサリンが起こす。
「仕事放棄して何してんすか」
雪菜はさっきの時空犯罪の件を話している。陽介は時空犯罪の入電を無視した。いつも買ってくるパンが今日はないことに指摘する雪菜。
「お前には関係ない」
第二室を出ていく陽介。シガレット菓子をポキっと折る雪菜。
陽介は何回も夏菜子からの連絡がないか確認するが、音沙汰なしである。
「彼女ですか?」
扉からその様子を覗いていた雪菜。後ろにキャサリンもいる。
「違う!」
「やっぱりそうなんですね」
キャサリンも雪菜と同じように陽介をからかう。その場から離れて外に出る陽介。もう一度、夏菜子に電話をかけるも彼女は出ない。時間だけが過ぎていく。
昼過ぎ。陽介は形を失った夏菜子のパン屋に訪れる。陽介にとってはこの場所は特別だった。この店に来ることが生活の一部になっていた。
前方から一台の車が走ってきて、パン屋の前に停まる。降りてきた女性は夏菜子だった。
陽介が声をかけると夏菜子は慌てて車の中に戻る。名前を呼びかけ車窓を叩く陽介。彼女は出てこない。
「向井夏菜子!」
張り込みをしていた宇海の部下が姿を見せる。車は待ってはくれず、勢いよく走り去る。背後から銃声が聞こえ、二人は咄嗟にしゃがんで物陰に隠れる。
何が起こっているのかわからない二人。陽介はその場から逃げる人物を発見してすぐに追う。宇海の部下もその後を追う。
黒のジャンパーに黒のパンツ。あの体格と後ろ姿、走り方に覚えがある陽介。あの時、陽介が追っていた男性と同じだ。
「待て!」
先を走る男性は陽介の言葉を無視してかけ走る。奴は銃を所持している。対して自分は武器を持たない丸腰。向けられたら終わりだ。奴は平気で撃ってくる。
陽介の後ろを走っていた宇海の部下が追いつく。
「止まれ!」
宇海の部下は銃を構える。フラッシュバックする記憶に「撃つな」と止める陽介。逃走する男性を逃してしまう。
「何やってんですか」
夏菜子を逃し、謎の男性も逃してしまった彼の言葉に怒りが込められていた。
「夏目さん。あんた向井夏菜子と会う約束してたんですか」
「違う!」
「もうあんたは信用ならない」
宇海の部下はすぐに本庁へと戻った。今の陽介が何を口にしても信用してはもらえない。あの事件が無実だと証明できるまでは。
自宅で頭を抱えている陽介。彼女は無実だと証明したいが思いつかない。宇海は夏菜子が殺されると通報があったと話していた。その人物があの金貸しの男で正当防衛だった可能性もある。考えを巡らせても結局それは憶測でしかなくて、解決するには夏菜子の口からすべてを聞く必要がある。
第二室に響く時空犯罪の入電。そのタイミングで陽介の携帯電話に夏菜子からの連絡が入る。
「行きますよ、夏目さん」
雪菜の声が届いてない陽介。夏菜子のメールをチェックしている。文面は端的に《会いたい》の一言だった。その後に場所も綴られていた。
「ごめん。用事が」
「また仕事放棄ですか」
「命がかかってるんだ!」
大声を放ったことを謝った陽介は時空警察の仕事を放棄して夏菜子のもとへ行く。
文面にあった場所は二人の思い出の公園である。他に人はいない。マスクで顔を隠している夏菜子が一人で待っていた。匿名で殺されると通報があった陽介は不用心と駆け寄る。
「覚えていたんだ。この場所」
「もちろん。昔、遊んでいた公園だ」
あの頃から二十年近く経った今でも残っている。でも、置いてある遊具は変わっていた。
※
一人、公園でブランコに揺られている少年の頃の陽介がいた。顔を下に向け、明らかに悲しんでいるとわかった。
落ち込んでいる陽介のもとに一人の少女が現れる。同じ小学校に通う向井夏菜子だった。手には両親が営むパン屋の袋がある。
「これ、食べて」
首を横に振る陽介。今はいらなかった。夏菜子はどうしても、持ってきたパンを食べて欲しかった。袋からメロンパンを取り出す夏菜子。
「いらないよ」
陽介が断っても、夏菜子はメロンパンを差し出す。
「お父さんの作ったパンは美味しいから」
お父さんというワードに反応する陽介。自分の父親は職務中に亡くなった。先日、大阪駅近辺を襲った大規模な事件で命を落とした。
「父さん。亡くなったんだ」
夏菜子は「知ってるよ」と返す。母親から聞いていたのだ。元気のない陽介を励まそうと、パンを渡したいと願ったのは自分だった。
「陽介君は警察官になるんでしょ。前を向かないと」
黙ったままの陽介。夏菜子はメロンパンが入った袋の封を開ける。
「それ、僕のじゃないの?」
「陽介君が食べないなら、私が食べる」
陽介は夏菜子が持っていたメロンを横から取る。半分に分けて、その片方を夏菜子に渡す。
「ありがとう」
満面の笑みで返す夏菜子。メロンパンを一口かじる陽介の目が潤む。今まで食べたメロンパンで一番、美味しいと思った。
※
目の前にいる夏菜子は今、暗い表情でいる。彼女の取り柄である笑顔が奪われていた。
「何があった?」
夏菜子は自分の身に起きたことを話し始める。
父親が残した借金の返済を終えたのが一ヶ月前。その頃からSNSで話題となり、大阪で人気のパン屋の一つとなった。きっかけはシェアしたくなるパンを考案したこと。有名人がそのパンを紹介したことによって一気に拡散されたのだ。いい事ばかりではなかった。始まりはそこからだった。金貸しの男は借金が残っていると言いがかりをつけ、応じなければ悪評を流すと脅してきたのだ。夏菜子はそれに応じることはなかった。
「なんでその時、相談してくれなかったんだ」
「言えるわけない。事を大きくしたくなかった」
だとしても、この問題を解決する方法は誰かに相談するという道しかないと思っていた夏菜子。頭でわかっていても行動に移せなかった。そんな時、彼女の前に現れた男性は突然口にする。
「あなたは近いうちに殺されます」
男性は身を隠していれば助かりますと夏菜子を救いに来たと話した。
「そして、あの火災が起きた……大切なあのパン屋が一瞬に消えた」
夏菜子があの現場に訪れることを男性は危険だと反対した。案の定、銃を持った男性が夏菜子を狙いに来た。おそらく赤い目だ。
「夏菜子ちゃんは殺人を犯してないよな。無実だよな」
頷く夏菜子。自分は何もしていないと主張する。彼女の口から聞けて安心する陽介。彼女を守るためにも陽介は「ごめん」と謝る。陽介は宇海たちを呼んでいた。数人の警官たちが公園に集まる。
「向井夏菜子さん。署で詳しくお話聞かせてもらえますか」
宇海の言葉に応じる夏菜子は警察車両に乗る。
「あとは任せろ」
「お願いします」
敬礼する陽介は公園に一人残る。時空警察署に戻り、ニュースで知ることになる。
向井夏菜子が事故で亡くなった。
二台の内、夏菜子を乗せた一台の車が大型トラックと衝突した。宇海は別の車に乗っていた為、無事だったが部下の刑事は危険な状況である。
陽介は夏菜子を守ることができず、救うことができなかった。自分も同じく車に乗っていれば、何かできたのではないかと後悔する。
悲しみ、怒り、後悔、無念。
陽介は第二室で叫んだ。突然のことに驚く雪菜とキャサリンも状況を察する。
「夏目さん……今すぐ時空警察官辞めるべきです。向いてないです。あなたは」
第二室を飛び出て陽介が向かった先は地下駐車場。TMが並んでいる。
過去に戻れば、夏菜子を救うことができる。事故を未然に防ぐことができる。
「何してんすか」
車のドアハンドルを握る陽介。雪菜がすぐにその手を払い、陽介の顔面を殴る。
「何すんだ!」
「時空犯罪を犯すつもりですか!」
衝突する二人。
「なんで夏菜子ちゃんが死ななきゃいけないんだ……なんで殺されなきゃいけないんだ」
「赤い目ですか」
髪をかき乱す陽介。
「どんな理由があれ、歴史を変えようとする行為は許されない」
「時空警察官は歴史を守ることしかできないのか」
「歴史を守ることが結果的に人を救うんです」
淡々と話す雪菜に理解できない陽介は「ふざけるな」と怒鳴る。
「人一人の命を守れないで歴史がどう人を救うんだ。時空警察官はどんなことがあっても、命より歴史を取るということか」
「そうです。私たちは歴史改変を行おうとする時空犯罪者を取り締まる。国民の安全を守る日本警察とは違うんです」
その場から去る陽介。二人の関係に亀裂が走った。
駄菓子屋でうまあ棒を買い占める雪菜。いつものリュックサックに強引に詰め込む。
「ああ……そんなに詰め込んだら崩れるよ」
店主の婆さんが心配している。
「お婆ちゃん。うまあ棒の発注頼むよ。いつもより多めでよろしく。それとアイスキャンディも頂きます」
追加でアイスキャンディ分のお金を受け皿に置いた雪菜はベンチで舐める。前と同じように隣に気配を感じた。藤堂がそこにいた。
「やっぱり。アイスキャンディ買ったら登場するシステム?」
「偶然だよ、偶然。気が合うみたいだな」
雪菜は藤堂の腰元に置かれている有名菓子店の紙袋の存在に気づく。
「ああこれ、差し入れ」
すぐさま中身を確認する雪菜。数量限定品の菓子折りだった。
「最高なんですけど。ありがたく頂きます」
藤堂は雪菜を訪ねた理由を話す。
「月野雪菜。単刀直入に俺たちの仲間に入らないか?」
答えは決まっていたが、視線を上に向けて考えるフリをする。雪菜の答えはノーだった。
「断る理由はなんだ?」
「私は時空警察官だからです」
雪菜は手を挙げて質問する。
「で、ちなみに仲間ということは組織で動いている?」
「名前は特にないよ。敵対関係にある連中からはレッドアイズと呼ばれている」
レッドアイズ――赤い目。
雪菜の目の前にいる藤堂も赤い目を持っているということなのだろうか。話を終わらす雪菜は差し入れの菓子折りをもらって去る。
キャサリンが小包を持って、第二室に戻ってくる。
「お届け物です。黒須室長からです」
持ってきた小包を黒須のデスクに置く。ワクワクして、雪菜が寄ってくる。キャサリンがカッターでダンボールを開ける。
「これは高級メロンですか!」
「さて、どうでしょうか」
中からメロンを取り出す雪菜はクルクルと眺める。夏菜子が亡くなってから、陽介はずっと暗いままである。黒須が送ってきたメロンに興味を示さない。
「赤肉かな? 青肉かな? キャサリンの機能でわからない?」
「これは……赤肉ですかね」
「夕張じゃん!」
二人で盛り上がっているが依然、陽介は会話に入ってこない。
「夕張なんですかね、これ」
「え? キャサリンの機能ではわからない?」
「はい。メロンのデータはないので」
雪菜は持っていたメロンを果物かごの横に置いた。




