3年目【ミュンヘンで踊りましょう】
この物語の主人公ニコラウスは、サンタクロースの格好をしている少年だ。クリスマスの日だけこの世界に現れ、その日一番願いが強い大人の元に現れては、その願いを叶えてくれるのだとか……。
* * *
12月24日。
ニコラウスは、ドイツに訪れていた。いつものようにサンタクロースの恰好で大きな白い袋を引きずり、病院の中にすたこらと入っていく。
「メリークリスマス!元気ですか?元気があれば何でもできる!」
小声で話しかけた相手は、やせ細って意識があるのか分からない虚ろな目をした中年の男だ。勿論、男はニコラウスに反応せず、天井に虚ろな視線を預けるだけだ。
「照れちゃう!メリクリ!僕ポム吉!彼はサタンしゃん!君は~?」
ニコラウスの服から飛び出したぬいぐるみ――ポム吉が騒がしく問いかけるも、以前変わりない様子だ。だが、ニコラウスもポム吉もそんなことお構いないに話し続ける。
「願いを叶えに来たんですよ?確か貴方の望みはこうでしたよね?明日のミュンヘンクリスマスマーケットでの教え子達のダンスを見届ける。ですよね?」
「僕のダンスも見てよ!」
ポム吉が踊り、ニコラウスが目を細めて横目を向ける。すると、ようやく男の視線がニコラウスの方へ向き、ほんの僅か表情を見せた。
「けど、余命宣告をされて今に至る。余命半年……もう過ぎてますね。今生きてるのはその夢の為ですか?」
「……何者だ。お前は」
男が掠れた声でやっと喋った。それを聞き、ニコラウスはゆっくり微笑んで首を少し傾げる。
「サンタクロースです」
「……」
「その夢、叶えましょうか?」
「……できるものなら……やってみろ」
「……よいクリスマスを」
サンタクロースは、そう言ってポム吉と共にカーテンの中に消えていった。男は、それを横目で見るも、全身に力を入れ、すぐに悟ったようにため息をつく。
「何がサンタクロースだ。ペテン師め」
* * *
男の名はロルフ。長年ダンス教室の先生をしているベテランダンサーだ。
「遅れてるぞ!音楽とズレがないようにもう一回!」
「「はい!」」
ロルフの指導は厳しかった。おかげで、泣き出してしまう子や逃げだしてしまう子は少なくない。
「皆、残念なことにロルフ先生が病気にかかりました。しばらく先生は来れないようです」
病気にかかってから、すぐに子供達がお見舞いに来た。普段は厳しくとも、子供達はロルフの良さを知っているのだ。
「先生早く戻ってよ!先生が居ないとヴィムの奴すぐサボるんだ!」
「バカ!ちょっと休憩してただけだろ!」
「お前の休憩はどんだけ長いんだ」
「ははははは!」
復帰するのが楽しみだった。普段厳しくしていいても、必要とされてることが嬉しかった。それなのに……
「余命半年ですね」
12月24日。余命宣告をされた半年前だ。体はとうとう動かないし、生きる気力も喜びもない。教え子が送ってくれた手紙を日々眺めるだけの時間だ。
* * *
涙でいっぱいだ。布団が濡れている。更には、大切な手紙にコーヒーが零れて濡れてるではないか。
「ああ!」
慌てて起き上がり手紙を拾い上げ、テッシュでその場をふき取る。その時、違和感に気付く。
「……」
歪んだ視界が徐々に定まっていく。地面に足が着いており、しっかりと立っている。そして、動いてる手と体を見て声を詰まらせたように驚きを見せる。
「あっ……あああああ!!!!」
一か月前からほとんど体を動かせなかったのに、今ピンピンしているのだ。たっぷり睡眠を取った早朝のように気持ちの良い体だ。
「動く!跳ねる!踊れる!」
動き、跳ね、踊る。水を得た魚のように跳ねて喜び、病院を飛び出していく。
「え!ロルフさん!?だ、大丈夫なんですか!?」
廊下で会った看護師が二度見をして書類を落とす。ロルフはその場で踊って見せ、表情で「YES」と叫ぶ。
「今何時だ!」
「え?」
「時間!何日の何時!?」
「12月25日の8時ですけど……」
「間に合う!髪を切ってヒゲを整えて風呂に入ってタクシーを捕まえる!完璧な計画だ!Danke schon!」
* * *
ロルフは急いだ。なんせ、今居る病院は目的地から物凄い遠い場所なのだ。だから急ぐ必要があった。
「これでいいです?」
「あー!完璧だ!けど一つ言うなら髭が微妙だ!ヒットラーのような髭といったろ?」
「分かりました」
髪を切った。髭もバッチリ。
「ちくしょうめっ!新しいコートと綺麗な体も欲しいが先にタクシーだ!」
タクシー乗り場に着いたが、クリスマスのせいかとても混んでいる。タクシーも台数が限られており30分待ってやっとタクシーを捕まえることが出来た。
「すみません!」
タクシーに乗り込もうとしたその時、赤ん坊を連れた女性が困った様子で声を掛けてきた。
「何だ!?急いでるんだ!」
「どうか先譲ってくれませんか?物凄い発熱で、早く病院に連れて行きたいんです」
どうやら赤ん坊が熱を出したようだ。赤子も母親も苦しそうに白い息を吐き出すが、ロルフの優先順位は圧倒的に自分だった。
「くっ……」
周りの人々も譲ってやれと言わんばかりにこちらを見ている。しかし、ロルフは両目をグッと閉じてタクシーに乗り込み、ドアを力強く締める。
「行け!ミュンヘンだ!」
「……」
タクシー運転手までもがロルフを批難するような目付きだ。
「早くろ!」
「……分かりました」
タクシーの態度が気に入らないが、時計を見てほんの少しだけ安心する。しかし、先程の親子が脳裏にチラついて心が吹雪のようにざわめいた。
「お客さん、そんなに急いで……何かあったんですか?」
「言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ?」
「別に……。気になっただけですよ」
「ちっ」
病気が治ったように体が軽いのに、イラつくことばかりだ。半年前もこうだったか?と自問自答するが、答えはNOだ。今日は特別運が悪いように思える。
* * *
「おい!大丈夫か!?」
「しっかり!」
体が痛い。何も見えない。生暖かい何かが顔に流れ落ちるように垂れてる感触。妙な感覚だ。さっきまでタクシーに乗って、少し昼寝をしようと思って目を閉じた。そこまでは覚えている。
「おい!しっかりしろ!」
「な、何が……あった?」
声は出せる。けど、視界が戻らない。うっすらと聞こえる人々とサイレン音。それだけが確かだ。
「あ、ああ……どうなってるんだ?これ?」
目元を触って分かった。何かが目に刺さっているのだ。ガラスか何かは分からないが、何かが刺さっているのだ。もう何も見えない。少なくとも今日の教え子達を見届けることは出来ない。
「あ……あああああああ!!!!」
絶望の中、再び眠りに落ちる。
* * *
あの時、あの親子にタクシーを譲らなかったからか?
「……」
きっとそうなんだ。あの時、興奮の余り自分を優先した。だからこれは、その罰なんだ。
「ちくしょう……」
もう光が差し込まない瞳から血の涙が流れ落ち、赤ん坊の泣き声で目覚めた。以前何も見えないが、横で赤ん坊が泣いている声がする。
「血の輸血が必要だ!」
「けどこの子はAB型です!今この病院にこの子に合う血液はありません!」
「くそっ……大きな病院に移すしかないか……」
「それじゃあ間に合うかどうか怪しいです!」
何だか深刻そうな話が聞こえてくる。ロルフは、それに耳を澄ませ、後悔を思い出して口を開く。
「私はAB型だ」
「……」
「今誰が?」
「私だ。私の血液を輸血しろ」
ロルフは、自身の血液を提供することを提案した。
「貴方事故で運ばれた患者だろ?その傷、血を大量に失って今補給してる……出来るわけない」
「死んでも構わない。輸血するんだ」
「……」
結局、その後素早く輸血が行われた。ロルフは再びベットで寝たきりだった時の状態に戻る。いや、目から光を失っている分、前より酷い状態だ。
* * *
今朝か夜か、ミュンヘンマーケットが始まったのか終わったのか分からない。
けど、貧血で死にかけのロルフにはもう関係ない。ここで死ぬのだと覚悟していた。
「ッ」
何者かが寝たきりのロルフを持ち上げ、車椅子に座らせた。何も見えなく、意識が朦朧としているが車椅子に引かれていることは分かる。
「……」
声を出す元気もない。誰が何の目的で自分をどこに連れ出そうとしているかは知らないが、それを知る為の質問をする方が苦しいくらい体が弱っている。
「聞こえますか?このクリスマスの音が……」
聞いたことのある子供の声だ。だが、誰の声だったか思い出せない。自分の教え子の中で声の主を探すも、中々声の主が出てこない。
それとは別に、子供の言う通りクリスマスとそれを賑わう音が聞こえる。そして、一番聞きたかった音が聞こえてくる。
「この……音楽……」
「そうです。私達のダンスパフォーマンスが始まった音です」
「……どうな風に、踊っている?」
聞こえてくる音楽は、半年前ロルフが教え子に教えていたダンスに使っていた曲だ。
「皆、真剣です。足を揃えて、二人一組になりました。一人が肩に乗り、もう一人がそこから一回転して着地……拍手と喝采が彼らを包んでいます」
言われて気が付く。揃ったダンスの足音と拍手の音、少し離れた場所から聞こえてくるようだ。
「最後のパフォーマンスです。次は五人一組になりました。息があった振り付けは、一つの生き物のように動き、靡いき、蠢いています」
不思議とその景色が見えてくるようだ。教え子達の声と顔、そしてその美しいダンスが目に浮かぶようだった。それもハッキリと鮮明に。
「終わりましたよ。放たれたリボンは、こちらまで飛んできています。皆、感動と感激で飛び跳ねています……先生も、飛び跳ねたくなるでしょう?」
頭にヒラヒラしたものが落ちてきた。きっと放たれたというリボンだろう。それを触り、握り締め、涙を流して拍手をする。ロルフは感動でいっぱいだった。
「満足だ……満足だ……生きてて良かった……この半年、無駄ではなかった」
「メリークリスマスです……ロルフ先生」
「思い出したよ……その声……ヴィムだろ?いつもサボっていたヴィムだ。またサボったのか?」
冷たい風と雪が沈黙を埋める。
「……バレた?けどサボった訳じゃないよ?先生を連れだす一番大事な係を任されただけさ」
だが、すぐに微笑んだ声が聞こえて来て、ロルフを暖かい安心で包んだ。
「お前のダンスも見たかった」
「じゃあ、今見せるよ。いや、見えないか?」
「見えなくとも、感じる」
「ははっ!じゃあもう一度言うね!メリークリスマス!ロルフ先生」
「メリークリスマス、ヴィム」
ロルフには、ヴィムが踊る姿が見えていた。その後ろで、ヴィムに合わせて皆がアンコールダンスを披露する。それを肌で感じていた。鮮明に鮮明に……冷たい冬の風とゆらゆらと降る雪を感じるように見えていた。
* * *
静まり返った夜の街だ。その夜の街で、キラキラ輝くクリスマスツリーの前で踊る少年が居る。観客は、眠ったように息を引き取った男一人だけだ。その少年のすぐ近くには、ラジオから音楽を流す女性が居て、悲しい表情をしている。
「もう死んでるわ。ニコラウス」
「それでも踊るんです。アンジェリーナ」
少年――ニコラウスは、ほほ笑んだまま瞑った瞼から涙を流し、女性――アンジェリーナに泣いた表情で手を差し伸べる。
アンジェリーナは、それをしばらく見詰め、すぐに呆れたようにその手を取って踊り出した。
「こんなの酷いわ」
「何がです?」
「彼の願いはミュンヘンマーケットでの教え子達のパフォーマンスを見届けること。ここはミュンヘンマーケットじゃないし、教え子も一人も居ないし、目も見えなくなった」
「そうですね」
「貴方は彼を弄んだの?」
踊りながら話す二人。しかし、アンジェリーナの一言で、ニコラウスは足を止めて目を合わせた。
「そう言われても仕方ないかもしれませんね」
「……」
「でも、今年は新型のウイルスでミュンヘンマーケットは中止だった。勿論、ダンスパフォーマンスもない。彼の教え子は彼が死ぬことを知っていたから、それを教えることが出来なかった。彼自身も絶望しきってニュースなど見てませんでしたし……」
「だからって、こんなの……」
「彼は見届けたのですよ。教え子のミュンヘンマーケットで踊る教え子達を……」
「けどそれは貴方の力だで!!」
「私は何もしてませんよ」
冷たい風が二人を包んだ。靡く風と大粒の雪が二人の視界を邪魔し、しばらくお互いの表情を分からなくさせた。
「じゃあ何で彼には見えていたの?私の時や去年のように特別な力を使ったんでしょう?」
「信じること……それは特別な力なんですか?」
アンジェリーナは、ハッとした顔になって黙り込んだ。今、疑いの気持ちを持っているアンジェリーナには、響くものがある言葉だった。
「……もしそれが本当でも、人間にとっては特別なのよ」
「……」
「どうやら貴方は違うみたいね」
アンジェリーナは、手袋の中で汗ばんだ手をグッと握り、それを撫で下ろすように胸を撫で下ろした。そして、首を横に振って罪悪感に似た微笑みで手を差し伸べる。
「ごめんなさい」
「……」
「明日まで踊りましょ?」
「ええ、ぜひ」
二人は、葬式をする代わりに踊り続けた。不器用に、楽しく、様々な感情と表情と共に手をつなぎ踊る。もう屍のはずのロルフも、それが見えているような瞳で、微笑みすらも見える。
ロルフに雪が被っても、雪が強くなっても、ブーツが雪に埋もれても、マフラーが凍っても、ぶっ倒れそうになっても関係ない。二人は日が跨ぐその時まで、クリスマスの夜に踊り続けたのだろう。