2年目【死に出の地】前編
この物語の主人公ニコラウスは、サンタクロースの格好をしている少年だ。クリスマスの日だけこの世界に現れ、その日一番願いが強い大人の元に現れては、その願いを叶えてくれるのだとか……。
* * *
ノルウェー、第二の都市ベルゲン。
その地域にあるセント・ジョンズ教会で一人の女性が祈りを捧げている。
12月24日、時刻は23時59分。ノルウェーは、後1分でクリスマスを迎える。
女性――アンジェリーナは、疲れた瞼を下ろし、期待と不安が交えた表情で机の上のシャンパンと子供ビールに手を伸ばした。
そして、とうとうクリスマスがやってきて、鐘の音がそれを祝福する。だが、アンジェリーナの表情はどんどん不安に傾いている。それは、5分後刻みに深くなる。
「そうよね。そうわよね。私のバカ」
アンジェリーナがそう呟いた瞬間、協会の扉が開いた。アンジェリーナの表情が一瞬にして変わり、期待の目で扉を見るが、入って来たのは小汚い男だ。ブルブルと震え、フードに掛かっている雪をほろいもせず、アンジェリーナのすぐ後ろに座った。
「……へっぷし!あーだめだこりゃ。まったっくあの野郎……」
男の独り言はでかい。男と二人きりのアンジェリーナは、怖くなって教会を出ようと席を立った。男はそれをジーと見ている。おかげで、アンジェリーナの足が速まる。
だが、男から「ぐぅ~」と腹の鳴る音が聞こえ、アンジェリーナの足が止まる。
「ちきしょう……」
アンジェリーナは、恐る恐るその場に止まり、バックから取り出したパンとチョコレート、ケーキにワイン、それと子供ビールを出口に近い机に並べる。男は、依然それをじーと見ている。
急いで出口の近くまで足を運んだアンジェリーナは、震えた声を出した。
「いいクリスマスを」
アンジェリーナがそう言うと、男はクシャっと笑った。アンジェリーナはそれを微笑みで返し、ゆっくりと教会を出る。
「……サンタさんのバカ。期待した私もバカ」
アンジェリーナはそう言い、タバコを取り出してそれに火を付けた。その瞬間、横から突っ込んで来た何かに押し倒された。
「わあっ!」
アンジェリーナは雪に埋もれ、すぐに怒った様子で状態を起こす。
「ちょっと!ちゃんと前を見なさいよ!」
そう言って怒鳴ったが、目の前の光景を見て加えていたタバコを口から落とした。それは、その光景がアンジェリーナの待ち望んでいたものだからだ。
そりを引く犬のぬいぐるみにサンタクロースの格好をした白髪の少年、その隣にはマヌケ顔のシロクマのぬいぐるみ。そりにあるラジオからクリスマスソングが聞こえており、少年はそれに合わせて歌っている。だが、すぐにアンジェリーナに気が付き、白い息を吐き出した。
「タバコ、辞めたのではなかったです?」
「ニコラウス……」
アンジェリーナが待っていたのはこの少年、ニコラウスだ。ニコラウスは、穏やかな表情でそりから飛び降り、アンジェリーナの手を取った。
「メリークリスマス」
「遅いじゃない。てっきり去年のクリスマスが夢かと思ったじゃない」
アンジェリーナは少し怒っているが、同時にうれし涙を微かに見せ、それを隠すように拭った。
「すみません。買い物に時間が掛かってしまって」
「買い物?何の?」
「旅の買い物ですよ。私と貴方の」
「で?今夜はどこに行く気?」
「それは着いてからのお楽しみです」
ニコラウスは微笑みは、アンジェリーナの表情を和らげる。
「メリークリスマス!アンジェリーナ!」
そりに乗ると、シロクマのぬいぐるみ――ポム吉が可愛らしい声とポーズを見せた。
「メリークリスマス、ポム吉」
「照れちゃう照れちゃう!」
ポム吉が邪魔でアンジェリーナの座る席がない。だが、アンジェリーナはそれを気にも止めずポム吉の上に座った。
「ほわっ!」
「あら、全然気が付かなったわ。ごめんなさい。今退けるわ」
アンジェリーナがわざとらしくそ言うが、ポム吉はつぶされた状態で「い、いや。このままで構わないよ。寧ろありがとう」と震えた声で言う。
「全く、ポム吉はエロ吉ですね」
ニコラウスはそう言い、アンジェリーナのお尻を軽く触ってポム吉を取り出した。だが、すぐにアンジェリーナに胸ぐらを掴まれる。
「あんたもよ」
「す、すみません。事故です」
* * *
二人は、空飛ぶそりに乗りながらワインと子供ビールを取り出して乾杯した。
「凄いわ。ここからの景色はとても綺麗ね」
「風も気持ちいでしょう?」
「ええ。けど不思議と寒くないわ。これもニコラウスの力?」
「クリスマスの魔法です」
「なにそれ」
「それと、ニコラウスではなくサンタさんです」
「そうでしたね、サンタさん」
ケーキを食べ、ワインを飲み、音楽を聴き、たわいのない話をする。それが四時間続いた。
「それじゃあ今はまだ大学院?アンジェリーナは今年でいくつに?」
「25歳よ。後一年で修士卒業。サンタさんは?去年と全然変わってないけどいくつなの?」
「永遠の12歳ですよ」
「じゃあ何年生きているの?」
「たくさんです」
「そもそも貴方は人間なの?」
「サンタです。あっ。見えてきましたよ目的地」
やっと着いたようだ。外は日が昇っていて、素晴らしい早朝だ。
「何ここ?クリスマスなのに雪が降ってないじゃない!温かい地方の国ね?一体どこなの?」
「インド。ウェタル・プラデーシュ州のヴァ―ラーナシ―。ノルウェーとの時間差は4時間程で今の時間は朝8時30分。『死に出の地』と呼ばれるくらい大巡礼地で、寺院も2000程あるらしいです」
「今回は誰が何を願ってるの?」
「さあ、そろそろ着陸の準備でございます。お客様、シートベルトを外しにならずお座りください」
またまた誤魔化すニコラウスは、おどけた様子でそう言い、人々が大勢いる大きな川にそりを着陸させた。近くの岸は階段状になっており、その奥に大きな建物と街並みが広がっている。
川にもボートが数隻あり、人々で賑わっている。
「ちょっと。こんなとこに降りてどうすんのよ!貴方は見えなくても私は見えるのよ」
「大丈夫です。アンジェリーナも見えていませんよ」
「そう……らしいわね」
人々は、誰一人ニコラウス達に目線を向けていない。岸に止めたそりも川に飛び込んで溺れるポム吉も見えていない。
「お釈迦様やガンジーさんで有名なガンジス川。ほら、祈っている人がちらほら居るでしょう?この場所にはそういう風習もあるのですよ。ヨガや沐浴もいいですよ」
以前紳士的な態度のニコラウスだが、次第に年相応の幼さが目立つ。そして、その場で上着を脱ぎ、上半身裸で沐浴を始めてしまうくらい、体がウキウキしているようだ。
「お兄ちゃんあのそりに乗って来たよね?」
そこに、子供達が泳ぎながらやって来た。それを見て、アンジェリーナは焦った様子でニコラウスと目を合わせる。
「そうですよ。私サンタクロースですから」
「えー!じゃあ何かプレゼントちょうだいよ!」
「サンタさんならちょうだい!」
子供達がプレゼントを強請ると、サンタさんはマジックのように小さな箱を出現させ、それを紳士的に子供達に渡した。
「箱は家で開けるのですよ。決して途中で開けてはいけません。いいですか?」
「凄い!どうやって出したの!」
「箱なんか入っている!小さいぞ!」
「こっちは大きいけど軽いよ」
「開けてみろよ」
「バカ家に帰ってからって言われたばっかだろ!早く行くぞ!」
「ありがとうサンタの兄ちゃん!!」
「サンキューばいばいね~!」
子供達は無邪気で無鉄砲だ。一瞬の内にころころと表情と感情が動き、ニコラウスのプレゼントを開ける為に家に帰って行った。
「あんがとよサンタクロース!メリークリスマス!」
最後に一足遅れた少年がそう言って去ろうとした。だが、その手には鷲頭嚙みにされてるポム吉が居る。
「あんがとニコラウス!メリークリスマス!」
ポム吉もそう言って消えて行った。
「ちょっと。見えないんじゃないの?」
アンジェリーナが困惑した表情で首を傾げる。
「純粋な子供には見えます』
「そういえば……そうだったけ?」
「そうですよ。それより、アンジェリーナは脱がないのですか?沐浴しないと後悔しますよ~」
「いいわよ」
「その割には汗かいてますよ。流したらどうです?」
「数時間前までは雪だったのよ。仕方ないでしょ」
「なら、軽く泳いでみましょうよ」
ニコラウスは、アンジェリーナを強引に引っ張り、コート姿のまま川に誘った。そして、両手を引っ張りながら緊張ぎみのアンジェリーナを泳がせる。
「ちょっと!いきなりはないでしょ!」
「私と貴方以外、誰も見てません。もっとはしゃいだらどうです?」
「分かったわよ!はしゃいであげるからコートくらい脱がせて!」
コートを脱ぎ捨てたアンジェリーナは、ゆっくりとニコラウスの手を取り、目を合わせて微笑んだ。
「え?」
だが、すぐにニコラウスの頭に手を置き、川へと容赦なく沈めた。とても大人のすることには思えない。
「ぶはっ!」
「さっきのお返しよ」
「透けてますよ。それも結構派手なの」
「ッ!?」
「エッチですね」
「エッチだよ!」
ニコラウスがアンジェリーナの胸に目線を下ろして微笑むと、川の底から現れたポム吉がアンジェリーナの胸に飛び付いた。
「このエロガキ共!」
「ほわ~」
「へへっ」
ポム吉は捕まったが、ニコラウスは子供のように笑って近くの無人のボートに乗り込んだ。だが、ポム吉を仕留めたアンジェリーナは、すぐにボートに乗り込んでニコラウスを追い詰める。
「ノリノリじゃないですか……」
「はしゃぐ時ははしゃぐ。それが大人よ」
「常にはしゃぐ。それが子供です。はしゃぐのは私の方が慣れてますよ」
「どうだか……ねっ!」
アンジェリーナがニコラウスに飛び付いた。だか、ニコラウスがそれを華麗に避けたことでバランスの崩したアンジェリーナが再び川へ落ちる。
「ぶはっ!?やったわね!サンタ!」
「貴方大丈夫?これに掴まって」
近くを通った老夫婦がアンジェリーナに向けてオールを伸ばす。それに掴まったアンジェリーナは、息を切らしながらお爺さんの手を取った。
「ッ?」
そこでようやく違和感に気付く。
「見えてる……の?」
アンジェリーナの姿が老夫婦には見えている違和感に気が付く。だが、それとは別に老夫婦が驚いたような表情でアンジェリーナの顔を見ている。
「その顔……あんたリディかい?」
「はい?」
アンジェリーナも老夫婦も困惑する中、ニコラウスはそれを雪のような悟った瞳でただ静かに見ていた。