ヴァイオレットと青い空(2)
「そういえば、僕からもヴァイオレットさんにお伝えすることがあるんでした」
言い負かされて仏頂面をしているシュロ隊長を放置して、ネビーさんが爽やかな笑顔を私へ向ける。
「先程連絡があって、あと数日もしたら長期任務に出ていた副隊長達が戻って来るそうですよ」
「あっ、そうなんですね」
「これでようやく文句のひとつも直接言ってやれるな。俺に押しつけていったのと同じ量の未決済書類をあいつの机の上に積んでおいてやる」
シュロ隊長。まだそのことを根に持ってたんですね。しかも二倍ではなく、同じ量ってところに人柄が出てますよ。
そういえば、以前ネビーさんがシュロ隊長のことを『可愛い』と形容した時があったけど、きっとこういうところを可愛いって言ってたんだろうな。
私も今、ちょっとだけその気持ちがわかったもの。シュロ隊長には内緒だけど。
「やっと噂の副隊長さんに会えるんですね。楽しみな反面ちょっと緊張します」
心の内を悟られないようにあえて副隊長さんの話題に戻すと、ネビーさんがすぐに反応してくれた。
「大丈夫ですよ。気さくなかたなので、ヴァイオレットさんもすぐに打ち解けられると思います」
「ただあいつは女と見ると、乳飲み子から杖をついた老女まで、例外なく口説く悪癖があるからな。ヴァイオレットも気をつけろよ」
やれやれと呆れた様子で、シュロ隊長が私に注意を促すと、ネビーさんの口から乾いた笑いが漏れる。
「……一応、副隊長の名誉のために補足させていただきますと、副隊長には姉君が三人もいらっしゃるそうで、その姉君方から『着飾った女性を褒めないことは万死に値する行為』だと、幼少の頃から刷り込まれて育ったそうです。そのため女性を見ると、反射的に褒め言葉が口から飛び出るようになってしまったとか」
何それ、怖い。
もはや刷り込みというより洗脳では?
それにしても、書類をシュロ隊長に丸投げするいい加減な性格で、戦闘で先陣切って一騎当千の働きをする豪傑で、兵士達の憧れで慕われているけど、女性を見ると口説かずにはいられないって、どんな人物なのよ!
なんで話を聞けば聞くほど、副隊長の人物像が不明瞭になっていくの? 普通、逆じゃない?
私の混乱を余所に、ネビーさんが淡々と話を続ける。
「ですから、副隊長に何か言われても右から左に聞き流しておいてください。副隊長の褒め言葉は『今日はいい天気ですね』と同じくらい薄っぺらで軽い意味しかありませんので。もし余りにもしつこかったり嫌がることを言われたら、すぐに仰ってくださいね。僕から副隊長に、よーく注意しておきますから」
ネビーさん。シュロ隊長だけでなく、副隊長に対しても強気なんだ。
本当に、この砦の力関係はどうなっているんだろう?
じつは、ネビーさんがクレパ砦の影の支配者だって言われても信じるわ。
「……ご忠告ありがとうございます。お二人の言葉はよく胸に留めておきます。それでは簡易版武闘大会の件、どうぞよろしくお願いします」
「わかった。副隊長とも相談して、具体的に話が決まれば、ヴァイオレットにも声をかけよう」
なんだかんだ言いつつ、副隊長のこともきちんと認めてはいるんだなあと考えていると、ネビーさんから声をかけられた。
「このあと、ヴァイオレットさんはいつものように乗馬の練習ですか?」
そうなのだ。
シュロ隊長の操る馬に乗って酷い目にあい、明日から乗馬の練習を始めると、満天の星が輝く夜空に誓った通り、その翌日にはネビーさんに頼んでおとなしい馬を用意してもらったのだ。
とはいえ、いきなり馬に乗るのは無理なので、まずは馬の世話担当の兵士の班に頼み込み、厩舎の掃除や餌やり、馬のお手入れ方法等を教えてもらって一緒にお世話することから始めた。
そしてある程度、馬の扱い方を覚えてから、一人で乗馬の自主練習をすることにしたのだが、私のあまりの下手くそ具合に見かねた兵士が一人、また一人と指導してくれるようになり、そのおかげで最近ようやく一人で馬に乗って、ちょっと歩けるようになった。この短期間ですごくない?
だけど今日は残念ながら乗馬の練習はお休みして、他にやるべきことがある。
「今日はこれから洗濯をする予定なんです。オーレンさんから、今日は洗濯日和だと教えてもらったので、医務室のベッドシーツやタオル類を洗おうと思いまして」
「どうしてオーレンにそんなことがわかるんだ?」
横から疑問を口にするシュロ隊長に、私はさらりと答える。
「オーレンさんは兵士になる前、狩人として生計を立てていたので、天気を予測するのが得意なんです」
野生の動物を相手にする狩人にとって、その日の天気は重要だ。
晴れなのか曇りなのか、風が強いのか弱いのか、気温や湿度はどうなのか?
それによって、狙う獲物や狩場も変わってくる。
もし何日も獲物が捕れない日が続くと死活問題なので、自然と感覚も研ぎ澄まされていったのだろう。
オーレンさんが兵士になる前に狩人だったことは、私が暴言を吐いて関係がギクシャクする前から知っていたけど、天気を読むのが得意というのは最近になってからオーレンさんに直接教えてもらったことだ。
じつはガヨ村から帰ってきた後で、もう一度オーレンさんに謝罪して「もし許してもらえるなら前みたいに色々な話を聞かせて欲しい」と勇気を出して伝えたところ、こちらが拍子抜けするほどあっさりと許してくれた。
「本当はずっとせんせーと無駄話したかったんだけど、せんせーは迷惑だったのかなーと思って話したいの我慢してたんだ」
そう言って笑ってくれたオーレンさんの言葉が本心なのか優しい嘘なのかはわからないけど、与えてくれたやり直しの機会を無駄にしないように気を引き締めて頑張ろう。
「シーツを洗うならお一人では大変でしょう? よろしければ、僕もお手伝いしましょうか?」
ネビーさんからの気遣いの言葉に、私は恐縮しながらもそれを断った。
「ありがとうございます。だけど、ここに来る前に何人かに声をかけたら、手伝っていただけることになったので大丈夫ですよ」
そう。私の悩みのひとつだった洗濯問題も無事に解決した。
何でも自分一人でやらないといけないと気負っていた頃は、生足を晒して踏み洗いするたびに周りの視線が気になって、とにかく精神的につらかった。
だけど、勇気を出して助けて欲しいと声を上げたら、あんなに悩んでいたのが嘘のようにあっさりと問題が解消してしまった。
みんなの厚意に甘えすぎないように気をつけながら、それでも一人で抱え込み過ぎないように、必要なら周りの手を借りよう。
そして私の助けが必要な時は、私もみんなの助けになろう。
それがきっと『仲間』だと思うから。
「変わったな。ヴァイオレット」
「そうですか?」
「最初は生真面目で実直で融通が利かないのかと思っていたが、まさかネビーと同類だったとは思わなかった」
それ、どういう意味ですか?
絶対褒めてませんよね。
あとシュロ隊長の横で静観しているネビーさんの笑顔が怖いです。
「……本来の私は、不真面目なところもありますし、わりと損得で物事を考えたりもしますよ。幻滅しましたか?」
「いや。今のヴァイオレットのほうが生き生きとしていて魅力的だと思うぞ」
「シュロ隊長。勤務中に女性を口説くのは控えていただけますか?」
「そんなことしてないだろう! 今のは誰が聞いても人間として好ましいという意味だろうが」
「権力を利用して関係を迫るのは犯罪ですよ。直属の上司が犯罪者とか勘弁してくださいね」
「俺の話を聞いているか?」
これは、さっきのシュロ隊長の失言に対するネビーさんからの報復かな?
ここは巻き添えを食わないうちに、素早く撤退しよう。
「それでは、私はこれで失礼します」
まだ揉めている二人に頭を下げて、シュロ隊長に確認してもらった治癒師不在時マニュアルを胸にギュッと抱き、私は足取り軽く執務室を後にした。
◇ ◇ ◇
私が汚れ物の入った籠を持って洗い場へ着くと、手伝いを申し出てくれていた何人かはすでに私物の洗濯を始めていた。
私もその輪の中に入り、シーツ等の大物は手伝ってくれる兵士達におまかせして、自分は手洗いできるタオル等をたらいで洗う。
ごしごしと汚れを落とし、額に流れる汗を手の甲で拭う時に、ふと見上げた空は雲ひとつない青天だった。
その澄んだ空の青さは、アスターの瞳の色を想起させる。
――アスターに送った手紙の返事、そろそろ届いたかな?
私の書いた手紙をアスターが読んでくれるかはわからない。
それでもどうしても想いを伝えたくて、書かずにはいられなかった。
『アスターへ
手紙をくれてありがとう。すごく、すごく嬉しかったです。
じつはアスターから手紙をもらった時、少し落ち込んでいたんだけど、アスターの「後悔だけはしないようにな」という言葉に背中を押してもらって、シルバさんにも会いに行くことができました。
結論から言うと、行って良かったです。私の知りたかったことを色々と教えてもらいました。本当にアスターには感謝しています。
本当はもっともっと書きたいことがいっぱいあるんだけど、手紙じゃなく直接伝えたいので、ここには書きません。
いつか王都に戻る日が来れば、その時は直接会って私の話を聞いてくれますか? またアスターと一緒におやっさんのご飯を食べに行きたいです。だからそれまでは、私もこの場所で元気に頑張ろうと思います。
それでは、また会えるその日までアスターもお元気で。 ヴァイオレットより』
このどこまでも続く青い空の下で、私は今日も治癒師として生きていく。
大地に根を張り、謙虚で誠実に、小さな幸せを夢見て花開く、一輪の菫の花のように。
完
これにて本編は完結です。
ほぼ月一更新という遅いペースにも関わらず、最後までお読みいただきありがとうございました!
このあとキャラクター紹介を追加しますので、興味のある方は是非ご覧ください。




