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ヴァイオレットの休日(1)

 強い日射しで目が覚めた私は、時刻がすでに昼近いことを瞬時に悟った。


「ヤバい! 完全に遅刻だわっ」


 慌ててベッドから跳ね起きると、私は急いで服を着替え、手櫛で寝癖を整え、仕事に持っていく鞄を引っ掴み「さあ、行くぞ」という段階になって、ようやく今日が休みであることに気がついた。


「よかった……。いや、よくない。もう一回寝よう」


 せっかくの休日。惰眠を貪らなくてどうする。

 私は鞄を部屋の隅に投げ捨てると、また寝間着に着替えるのも億劫で、そのままベッドへと向かう。しかし、その歩みは自分の腹の虫が鳴ったことによって止められた。


「お腹すいた……」


 いつもパンや果物を置いている籠に目をやるが、無情にも中身はからで、唯一食べられそうな物は籠の近くに置かれた残り少ない瓶詰めのジャムだけだ。到底腹の虫を満足させることは出来ない。


(そういえば、最近何かと忙しくて買い物に行ってなかったなぁ)


 仕事の日は毎食お城の食堂で食べていたから、全く気づかなかった。それはともかく、これからどうしよう。


 今から食材買ってきて何か作る?

 絶対いや! 今すぐ食べたい。

 じゃあ、外食する?

 うん。そうしよう。


 都合よく服も着替えてることだし、ついでに食べた後はちょっと寄り道して、今夜の分の食事と保存食も買って帰ろう。

 よし。決定!


 脳内会議を素早く終えた私は、早速財布と部屋の鍵をポケットに詰め込み、家を出た。建て付けの悪いドアに鍵を掛け、歩くたびギシギシと音の鳴るアパートの廊下を慎重に進む。

 この木造アパートはいつ床が抜けても不思議でないほどボロい。しかも治安があまり宜しくないとされる区域に建っている。それでもこのアパートを借りた十年前はとにかくお金がなくて他に選択肢がなかった。

 さすがに今はもっと良いところへ引っ越しできる程度の貯蓄はあるけど、十年も住んでると何だかんだ愛着が湧くし、近所の人ともほぼ顔馴染みなので、今では逆に安全だったりする。それに引っ越しするとなると、部屋の片付けや荷造りをしないといけないのが何より面倒臭い。

 なので、住んでるアパートがこのまま朽ちて倒壊するまでは、ここに住み続けるつもりだ。


 アパートを出て、行きつけの店へ行くために角を曲がった私は思わぬ人物を見かけて、とっさに身を翻した。

 見間違いかと思い、曲がり角からこっそりと顔だけ出してもう一度様子を窺うも、やっぱりいる。この前医務室で私に悪態ついてきた赤髪のあいつが道端に立っている。


(なんでこんな所にアスターがいるのよ!?)


 巡回じゃないよね?

 通常町中を巡回する時は二人か三人で一組になってするものだし。そもそもこの辺は巡回のルート外だし。それによく見たらアスターのやつ軍服着てないじゃない。

 ということは今日は非番ってこと?

 それならますますここにいる意味がわからない。休みの日に城下へ遊びに行くのはわかるけど、それなら普通もっと安全で賑わってる場所に行くよね?

 なんでわざわざ休みの日に治安が宜しくない場所に来てるの?

 厄介事に巻き込まれることはあっても、得することは何もないと思うけど。


 しばらく物陰から観察していると、アスターはキョロキョロと周囲を窺うような仕草を繰り返し、その都度手帳のような物に何やら書き込んでいる。


 何やってるのかさっぱりわからないけど、いつになったらどっか行くの?

 いや。そもそも、なんで私がこそこそ隠れるようなことをしなくちゃいけないのよ。何も悪いことはしてないんだから、堂々と歩いて行ってすれ違えばいいだけじゃない。


 空腹で段々苛立ってきた私が物陰から姿を現そうとした瞬間、アスターと目が合った。


「さっきから俺に何か用か? 上級治癒師様」


 嫌味たっぷりなアスターの言葉にカチンときた私も物陰から出て負けじと言い返す。


「何も用なんてありませんけど。自意識過剰なんじゃありませんか?」

「そのわりには、ずいぶん長いこと物陰から俺のことを見てたみたいだけどな」

「えっ!? 気づいてたの?」


 動揺して、つい普段の言葉遣いになる。

 そんな私を見て、アスターは呆れたように答えた。


「そりゃ、あれだけ露骨な視線を感じたらな。誰だって気づくだろ?」


 言われてみれば、兵士の人達は町の外を巡回中に魔物や盗賊と戦う場合もあるし、一般人よりも視線や気配に敏感なのかもしれない。

 何も言い返せず、ぐぬぬと歯噛みする私をアスターが馬鹿にしたように見下ろす。


「それで俺に用がないなら、なんだってこんな場所に上級治癒師様がいるんだ? ここには上級治癒師様が大好きな貴族も金持ちも住んでないだろ?」

「ご心配ありがとう。だけど、私がここにいるのはこの近くに住んでるからだからお気遣いなく」


 わざとらしく何度も『上級治癒師様』と呼ばれ、まるで金の亡者のように言われたことにカチンとしながらも、嫌味には嫌味で応酬する。

 しかし、アスターは鼻で笑うと、さらに嫌味で返してきやがった。


「ご冗談を。嘘ならもっと上手く吐くんだな」

「嘘じゃないわよ。お金がなくて他に選択肢がなかったの!」


 確かにこの辺は治安が良くないとは言われてるけど、治安が悪いと言われている他の場所よりはかなりマシなのよ。日のあるうちなら、こうして女一人で実際に問題なく出歩けてるわけだし。


「金がない? 高給取りの上級治癒師様に金がないわけがないだろ?」


 ヤバい。そろそろ堪忍袋の緒が切れそう。

 でも、我慢我慢。


「それとも、あえてこんな場所に住むことで清貧さをアピールして上の人間に取り入るつもりか? これだから上級治癒師という人種は」


 吐き捨てるように言われた悪意たっぷりの言葉に、ぶちっと私の中で何かが切れた。


「さっきから聞いてれば『上級治癒師様上級治癒師様』ってうるさいのよ! 私にはヴァイオレットって立派な名前があるの! 貴方が治癒師にどんな偏見を持っているかは知らないけど、私のことをよく知りもしないくせに勝手なことを言わないでくれる!? それと私が今の家を借りたのは十年も前なのよ。十年前は孤児院を出て、下級治癒師として働き出したばかりで、とにかくお金がなかったの。今の家を借りるのだって、しばらくパンと水だけの一日一食生活を覚悟のうえで断腸の思いで借りたんだからね!」


 怒りに任せて、言いたいことを一気に吐き出す。

 すると、アスターがぽつりと「孤児院?」と呟くのが聞こえてさらに怒りが増した。

 頭に血が上って余計なことを言った私も悪いけど、今の話を聞いて気にする所はそこなわけね。


 今までも私が孤児院出身だとわかった途端、露骨に態度を変える人はそれなりにいた。あからさまに見下すか同情するかばつが悪そうな顔をするか、大体このどれかだ。


(アスターの反応は、まあ大体予想がつくけど)


 どんな暴言が飛び出して来るのか身構えていると、アスターが口を開いた。


「これからは親しくもない相手に軽々しく孤児院出身とは言わないほうがいい。世の中には孤児院出身ってだけで色眼鏡で見てくる奴も大勢いるからな。……もっとも俺が言えた義理じゃないかもしれないが」


(あれ? なんか思ってた反応と違う……)


 私が呆気にとられていると、いきなりアスターが頭を下げた。


「さっきあんた――ヴァイオレットさんが言った通りだ。俺は治癒師だからとヴァイオレットさんのことをよく知りもせず一方的に色々決めつけて、ずいぶん失礼な態度を取ってしまった。本当にすまない」

「はっ? えっ?」


 あまりに唐突な展開に頭がついていかない。


 いきなりどうしたの?

 どんな心境の変化が彼に?


 頭の中がパニック状態になるが、それでもなんとか整理しようとこれまでのことを思い返す。


 そういえば、医務室でアスターと初めて言葉を交わした時、その場にいた足を怪我した茶髪の兵士がアスターのことを『気のいい奴』って庇ってたなあ。

 その時は悪態つかれたばかりで右から左に聞き流してたけど、もともと根は悪い奴じゃないってこと?

 よく考えてみれば、大嫌いな治癒師の顔なんて極力見たくないだろうに、それでも同僚の怪我を心配して医務室まで付き添って来るんだから、本来の彼は自分より他人の気持ちを尊重する優しい性格なのかもしれない。

 今も私の言葉で自分の非を認めて素直に謝ってくれてるし。


「アスターさん。頭を上げてください。わかってくれたのなら、もう十分ですから」


 大人になるほど余計な見栄やプライドが邪魔をして、素直に謝ることがどれだけ難しいかは私にもわかる。だけどアスターはしっかりと謝罪してくれた。

 だから私も今回のことは水に流そう。


「ありがとう。ヴァイオレットさん」

「あの、私のことはヴァイオレットって呼び捨てでかまいませんよ。なんかアスターさんにさん付けで呼ばれると違和感がすごくて……」

「それなら俺のことも呼び捨てでかまわない。あと敬語も不要だ。さっきまでの話し方のほうが素なんだろ?」


 うっ、しまった。

 今まで仕事の時はもちろん、お城の関係者には治癒師のイメージを守るために誰に対しても敬語で接してきたというのに。なんという失態!

 ――でもまあ、バレてしまったものは仕方ない。


「それじゃあ、お言葉に甘えて今後は名前を呼び捨てにさせてもらうわね。ただ職場では治癒師としてのイメージがあるから、人目がある時は敬語で話してもいい?」

「ヴァイオレットのいいようにしてくれたら、それでかまわないよ」

「ありがとう。アスター」


 私は和解の印にアスターと笑顔で握手を交わした。

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