六話 いざこざ
ギデアが向き直ると、先ほど声をかけてきたと思われる一人の挑戦者――十代後半の顔つきをした剣士――が、唐突に嘲り笑ってきた。
「うはっ。どうして外街の食堂に居るのかと思ったら、盾も剣も持ってねえよ、コイツ。きっとホラがバレて、迷宮街を追い出されたんだぜ」
追い出されたもなにも、ギデアは未だに迷宮街にいるため、この剣士の言い分は変に聞こえる。
しかし彼が言った『迷宮街』とは、街一帯を指す言葉とは違う狭義の方――迷宮周辺に作られた巨大建築物のことを指す。
そして、あの巨大建築物の中には挑戦者に関連する者しか入れないため、その場所を追い出されたということはその関係者ではなくなったという意味となる。
つまるところ、この剣士は『ギデアは挑戦者を辞めさせられたんだろ』と言いたいわけだ。
それは完全な勘違いなので、言われたギデアは呆れ果てていた。
「俺の認識票は【金】だぞ。どんな真似をすれば、追放されるんだ?」
他の挑戦者がどう勘違いしようと、ギデアは前人未踏だった三十一層に単独で行く実力を持っている。
そのことを【互助会】は正しく認識している。だからこそ、挑戦者の中でも超一級の者のみに与えられる【黄金の認識票】を持たせている。加えて【黄金の認識票】を持たせたということは、同時に失いたくない挑戦者だと印す意味もある。
失いたくない相手だからこそ、【互助会】は常識的な範囲での便宜を【黄金の認識票】持ちに図る。
本来ならすんなりと通って当たり前の半引退届けですら、ギデアの場合は【互助会】の会長と面談を終えない限りは認められなかったほどに。
だから仮にギデアが挑戦者を辞めさせられる――【互助会】を追放されるような処分理由となると、それこそ人を虐殺したとかの非常に重たい犯罪しかあり得なくなる。
そんな当たり前の道理をギデアは説いたつもりだったが、言い掛かりを付けた剣士はそう受け取らなかった。
「言っただろ『ホラ』がバレたってよ。お前の言うことなんて嘘でしかない。いま言った【金】だなんてのも嘘だ。そんで【金】じゃなきゃ、簡単に挑戦者は辞めさせられる。どうだ!」
「どうだって……。【金】じゃなくたって、理由もなしに【互助会】は挑戦者を追放したりしない。そんな真似をすれば、【互助会】と挑戦者の間の信用が崩れるからな」
「はんっ、口ではどうとでも言えるさ。その口の上手さで成り上がってきたんだろう、【ホラ吹きのギデア】さんよおぉ!」
意味不明な言い掛かりの連続に、ギデアはこの剣士がなにがしたいのか分からない。
剣士の仲間たちも、四人居る誰一人として、剣士の言動を諫めようとはしない。むしろ、剣士の意見に道場する空気感すらある。
なぜ彼らがこんな真似をするか本当に理解できないものの、ギデアは居心地の良い食堂に傷をつけることは避けるべきだとは思った。
「店主、美味かった。支払を」
「あ、ああ。全部で銅貨――」
料金を言い終わる前に、ギデアは銀貨を一枚置いた。店主が先ほど『五品で銀貨一枚いかない』と断言していたので、代金には十二分だろうと判断したからだ。
店主は銀貨を受け取り釣銭を返そうとしてきたので、ギデアはやんわりと断ることにした。
「悪いが、銅貨は持ちたくないんだ。嵩張るからな」
「いやいや、受け取ってもらわねえと」
「じゃあ釣銭分は、次に来たときの先払いにしてくれ。それなら問題ないだろ」
「そういうことなら、まあ」
店主が渋々納得してくれたところで、ギデアは席を立ち食堂を後にしようとする。
その行き先を、言い掛かりをつけてきた剣士が立ち塞がってきた。
「……どういう気だ?」
「釣銭はいらない、ってよぉ。お高く留まりやがって。流石は【ホラ吹きのギデア】だな。表面を取り繕うのが上手だなあ!」
「取り繕うも何も、銅貨なんぞ持っていたところで嵩張るだけだ。お前も挑戦者の端くれなら、そう思うだろ?」
巨大建築物の中――狭義の迷宮街では、良いものを扱おうとすると高い金を払う必要がでてくる。それこそ、食堂ですら銀貨どころか金貨がバンバンと飛び交う界隈である。そんな場所だからこそ、銅貨なんてものは滅多に使わないし、釣銭で銅貨を受け取ることになっても拒否することが多い。
例外は、挑戦者になったばかりの駆け出しが、粗末な装備や貧相な食い物を買うために銅貨を使うぐらい。
こういった背景があるからこそ、ギデアは『銅貨は嵩張る』と言い、普通の挑戦者ならこの意見に同意しても良いはず。
だが、目の前の剣士は怒り出した。
「銅貨を馬鹿にするヤツは、銅貨に泣くんだぜ。それにホラ吹き野郎が、見栄張ってんじゃねえよ。いま支払った銀貨だって、良い顔をするために無理に払ったんだろうによお!」
断言する口調に、ギデアはますます分からなくなった。
ギデアは彼らとは面識がないと自覚している。それなのに、どうしてギデアの懐具合を知っているのか。しかも、間違った懐具合でだ。
ギデアの頭の中が疑問で支配されていると、剣士の仲間の一人がヤジを飛ばしてきた。
「知ってんだぜ! あんたが迷宮から帰ってきて【互助会】に売っているのは、いつも【魔晶石】が一つか二つだってな! そんな数しか売れねえってことは、金も大してねえってことだろ!」
その言葉を聞いて、ギデアは得心がいった。
ギデアにとって、迷宮に入る目的は、自身の剣技の向上。だから倒した魔物から出る【魔晶石】も【顕落物】も、必要以上には拾わない。せいぜい多くても、後ろ腰の不思議な鞄の中に入る分までだ。だから何時も【魔晶石】を数個を売却するだけに済ませている。
そういった行動を、この剣士かその仲間かは知らないが、見て知っていたんだろう。
確かに、この剣士たちの言うように、【魔晶石】を一つ二つ売っただけでは、大した金額にはならないだろう。
しかしそれは、挑戦者の多くが訪れることができる二十層までの話。そう、魔物の肉を納品しにきたという、この剣士たちが行くことができるであろう階層での話だ。
ギデアが行くことができる二十一層から先は、ごく限られた者しか行けない。そのため、そこで得られる【魔晶石】は一つ二つで、金貨が売却代金として支払われる。
だからギデアが金欠気味とでも言いたげな剣士たちの言い分は、大分的外れである。
そんな事情を、ギデアは教えてやる義理はないと考えて、剣士たちの言い分を無視することにした。
その代わりに、気になったことを聞いてみることにした。
「お前たちは、何がしたいんだ?」
「はぁ!? なんだって!?」
「何がしたいのかと聞いたんだ。お前たちは魔物の肉を、この食堂に納品しに来たのだろう。それなのになぜ、俺に絡んでくる。俺はこの食堂で飯を食っていただけの客だ。その客に暴言を吐いて、お前たちに何の得がある?」
ギデアが心底不思議そうに質問すると、目の前の剣士の顔が怒りで赤くなった。
「余裕ぶっこきやがって! 【ホラ吹きのギデア】のくせに!」
剣士が怒りに任せて腰の剣に手を振れ――その瞬間にギデアの右手が翻り、拳で剣士の顎を撃ち抜いた。
「――あへ?」
剣士はなにが起こったか分かっていない様子のまま、顎を殴られて脳が揺れたことが原因で、腰砕けの様相でその場に倒れ込んだ。
剣士がやられた事で、その仲間たちが色めき立つが、戦闘の構えを取る前に、ギデアの藪睨みの目に射すくめられた。
「軽々しく武器を向けようとするな。向けると決めたのなら、命を懸ける覚悟をしろ」
ギデアの口調は、まるで道場生に教えを伝える道場主のような、重々しく諭すもの。
そんな口調と続けられている睨みつけに、剣士の仲間たちは震え上がっている。彼らの表情は『ホラ吹き野郎のはずなのに恐ろしい』と言いたげだった。
ギデアは、目の前の者たちが戦意を失っていることを察知すると、一歩横に立ち位置をずらした。
この場に居合わせている誰もが、この行動がどういう意味かを図りかねる中、ギデアは目つきも口調も普段のものに戻し、食堂の父親と娘を親指で示した。
「あの二人は、魔物の肉を心待ちにしていた様子だった。早く納品してやれ」
「あ、ああ。そうする」
剣士の仲間たちは床で伸びている剣士に視線を向けたが、ここで助け起こすとギデアの怒りを買うとでも思ったのか、剣士を放置して食堂の親娘の方へ向かった。
遮る者がいなくなったので、ギデアは食堂の出入口を潜って外に出た。
そのとき、後ろから声がかけられた。食堂との縁を作ってくれた、あの給仕服の娘の声だ。
「ホラ吹きさん! また来てくださいね!」
変な覚え方をされたなと感じながら、ギデアは後ろ手を振って了承の意を返して、再び外街の散策へと繰り出していったのだった。